異人たちのハリウッド―「民族」というキーワードで映画の見方が変わる! (別冊宝島―映画宝島)

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  • Amazon.co.jp ・本 (227ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784796602334

感想・レビュー・書評

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  • 残念なことに本がないので、似たようなタイトルで同じ別冊宝島を登録。
    本著タイトル:『映画の見方の変わる本 別冊宝島100』



    映画の入門書としては最適なものなのかもしれない。書かれた年代が今から二十年以上前なのだけれど、それが却って、この本に面白みを与えているような気がする。形式としては研究者やライターなどがそれぞれ数ページ分、簡単な映画評論をつづっていくという内容で、自分でテーマを設けてつづっている人もいれば、監督についてつづっている人、国を単位としてつづっている人などがあり、バラエティに富んでいるが国についての部分は報告気味になっていて少々退屈する。それよりは自分なりのテーマを設けている評論や監督に対しての分析などはその監督についての知識がなくとも十分に楽しめる。また、当時比較的若い(といっても三十台から四十台くらいだけど)の人たちが執筆しているので、権威的な評論はあまり見受けられず、ゴダールやヒッチコック、ヴェンダーズ、ブレッソン、小津、黒澤もあれば、スピルバーグやルーカスなどについても述べられており、映画史を勉強するに際して触れなければならない人たちについては大方誰かが触れている。

    本書は教科書的な役割はこれっぽっちも果たしていないけれど、教科書などいらないということを教えてくれ、なおかつ、本書自体がバラエティに富んでいることから、本書一冊を読み通せば大体の映画事情はつかめるし、わかったような口を利くこともできるだろうと思う。例えば、現代日本で映画を観るとしたら、基本的に誰しもが、役者の演技とストーリーで判断するだろうと思われる。女性ならそこに小物や服装などが混ざるのだろうが、しかし、そういった部分で判断するという固定観念が知らずの内に染み付いてしまっている。映画を観れば出る感想は、「ストーリーが……」とか「誰それの演技が……」とかに終始してしまいかねない。とはいえ、そもそも、演技が巧い必要などがあるのか?演技はどれだけ巧かろうが所詮は演技であって、演じているものだとわかるものだ、そこに自然やリアルはあるのか?ストーリーで判断するのは、ストーリーで判断するのが楽だから誰も彼もがストーリーで判断するのではないか?などという考えが本書を読了した後には自然と生じるようになっていた。それはさまざまな人たちがさまざまな観方を提示してくれているからだろうとは感じる。ブレッソンは職業俳優は日常生活をすら演じてしまい生粋の演技者となってしまうということから、敢えて素人俳優ばかりを起用し、一度起用した人物は二度とつかわなかったというし、小津安二郎は、「ストーリーを語りたくないし、表情を見せたくない」と主張し、俳優には「隠せ」と支持することで抽象的世界観の創出を試みたそうだ。あえて、大根台詞ばかりを吐く映画をつくった人もいれば、不連続性によって構成された映画をつくった人もいたらしい。ヒッチコックは、ある意味で軟弱で良心的な犯罪者が描かれるサスペンスというものに真っ向から喧嘩を売り、罪悪感を抱かずに犯罪を犯していく犯罪者に焦点を当てて映画をつくり、タルコフスキーは映画を通してさまざまな暗示を示しながらある種のカタルシスを待ち続ける。自らの境遇をそのまま映画に転化させたり、思想を表現するために映画を利用している人々もいる。インドでは娯楽映画と芸術映画で分野が分かれているようだが、そこに商業映画や民衆映画などまで混ぜてくるとそれこそ映画というものにはありとある種類があることとなり、最終的に「映画は自由だ」という一言に帰着するのではなかろうか?

    映画は均一的に評価する必要などない、その映画なりの特徴を自分なりに判断すればよく、そのものさしとして利用するのは自分が持ちうる知識や自分の感性などであろう。であるからして、人によって政治映画なるものが、人によって情景映画であったり哲学映画であったり芸術作品であったりラブロマンスであったりアクション映画であったりすればよくて、それこそその人その人の評価を加えればよいのだろう。そこに表象の持つ面白さが集約されているように思われる。ストーリーで観る必要などないのだ、演技の巧さで見る必要はないのだ、この視点を得られただけで隋分と映画を自由に観られるようになったと思うし、映画の裏側に潜むものへの探究心のようなものが育まれたように感じられる。宮崎駿なんかは古き良きものを思い起こさせてくれる、だとか言うけれど、個人的にはむしろ彼の映画は彼なりの葛藤の集約であり、諦めきれない人間への希望のようなものがそこにはこめられているのではないか?単なる文明批判や物質主義批判ではなくて、より真摯な彼の葛藤があるのではないか?友人はアリエッティをして、「無意識的な人間の押し付けがましい高慢さが見え隠れする映画」だとして彼を批判していたけれど、むしろ、彼はそれを意図してやっているのではないかと感じられてならない。人間に抱く希望が遂に損なわれようとしているのならば、それは一つの思想家の思想の帰結点とも言えるし、彼にはまだまだ作品を作り続けてほしいと思う。そこに彼の思想が集約されているのだから。

  • タイトルの通り。少し話は古いので懐かしの映画好きにはいいかも。

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