談合は本当に悪いのか (宝島SUGOI文庫 A や 2-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784796675109

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  • ショッキングなタイトルである。土木建設業界に携わる人間としては「談合=悪いもの」という固定観念がある。しかし、なぜ談合は悪いのか。そして、なぜ談合が存在し続けてきたのか、を考えなければ、物事の本質は見えてこない。そしてそれを考えれば考えるほど、日本社会の根幹が見えてきた。そんな本だった。

    要点は大きく分けて二つ。一つは談合の制度論について。もうひとつは、談合を存在させた日本の社会システムについてだ。

    前者については詳細は割愛するが、談合は品質確保のための仕組みとして存在してきたということだ。過度な競争原理が働き、価格が下がることで泣きを見るのは下請け、孫請け業者である。そのような現場を支える中小零細業者が倒産しないために、つまりは「適正価格」での落札を行い、品質保持のために、談合は存在してきたのだった。

    そして後者について。都市部で生活しているとなかなか分からないのだが、やはり地方の経済は公共事業に頼っている面が大きい。その担い手は、各地域の名士である建設業者たちだ。中央に集められた税金は補助金として、彼らが担う地方の公共事業に充てられる。そしてその中央のお金を平等に適正に地方へ環流させるなか(自民保守本流そのもの!)で、末端にあった仕組みこそ、談合なのであった。


    そしてこれは、日本社会が競争原理になじむのか、という問題に行き着く。今思えば小泉内閣時代は、競争社会が煽られた時代だった。弱肉強食、市場原理が正とされた一方で、ライブドアや村上ファンドなど、出る杭は打たれて当然のような社会の雰囲気があった。もちろん世界で生き抜くために、ガチガチの契約社会・競争社会で勝っていく企業を育てるべきだ。しかし一方で、契約なんて名ばかりの阿吽の呼吸で、地域経済を担っている業者がおり、その息の根を止めることが、市場原理主義の結末だとしたら、それに気づいている人はどれだけいるのだろうか。(そもそも55年体制自体が「談合」政治ではないか!)


    決して談合を擁護するわけではないし、金権政治に談合が利用されたことは否定しない。しかし制度は制度として取り締まる一方で、中央から地方へのお金の流れをどうするのか、財政出動なのか所得の再分配なのか、そのために必要な地域の仕組みとは何なのかを、改めて考えて行かなければならない。「談合」の制度論を遥かに超えて、考えさせてくれる一冊だった。

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