- Amazon.co.jp ・本 (325ページ)
- / ISBN・EAN: 9784796702713
感想・レビュー・書評
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「妖怪」と一口にいうけれど、そもそも妖怪とは何だろうか。
近年、妖怪の人気は高く、博物館や美術館の展示、映画や小説、漫画などにも妖怪が多く登場する。
だが「妖怪」という言葉は実は意味が曖昧である。本書の著者は
神秘的な、奇妙な、不思議な、薄気味悪い、といった形容詞がつくような現象や存在、生き物
を意味していると、相当広範な定義付けをしている。
本書はこうした漠然とした妖怪という存在がどのような背景から生まれてきたのか、文化人類学・民俗学的な見地から概説している。
妖怪研究は非常に盛んとは言いにくいそうである。
「妖怪」の棲む昼なお暗い森の奥に向かって細い道が幾筋かある。読者が、その森のぐるりを一回りし、道がどこからどの方向に伸びているのか、ちょっと覗き込む手助けをする、それが本書である。
通読するといささか雑駁な印象を受けるのは、著者がこれまでにさまざまな雑誌や書籍に発表した論文、講演記録等を集めたものであるためである。
川から不思議な音がする「小豆洗い」、また木を切り倒すような音が聞こえるが、行ってみるとまったくそんな様子はない「古杣」。こうしたものは元々は「現象」であった。これが語り継がれていく間に、「妖怪存在」となる例が出てくる。絵巻に描かれ、時代が下り、漫画や小説として描き出され、人々に受け入れられていく。
四谷怪談の成立にも影響を与えた累(かさね)伝説についての記述もされている。
累は家付き娘だったが、容貌が醜い上に性格が悪く、入り婿に殺されてしまう。その後、入り婿は後妻を迎え、菊という娘が生まれる。菊が長じて、やはり婿を取ったところ、累の霊が取り憑く。村人たちが集まり、数珠を繰って病気が治るように祈る。菊(累の霊)は、「私は累だ」と語り、供養の仏を建てろと言ったり、地獄の様子を皆に語り聞かせたりする。最終的には僧が祈祷を行い、霊は静まる。
著者はこれを、父親が最初の妻を殺したように、夫も自分を殺すかもしれないと不安になった菊の精神がおかしくなっていったのではないかと推測している。そして共同体の中で、「物語る」ことで、その精神が癒えていったのではないかとも。この下り、とても興味深く読んだ。
もう1つ、おもしろかったのは、折口信夫や柳田國男の存在が大きすぎることにより、研究の方向がねじ曲げられているという主張である。
特に折口の「鬼」のイメージは、現実にあるものよりも、折口が想像したものに重点が置かれているという指摘は興味深かった。
その他、「鬼」や「河童」、「天狗」の成立の各論などもおもしろく読んだ。
巻末の参考文献も相当の点数なので、さらに知りたい人の手引きとしても十分だろう。
*人身御供に関連して、先日読んだ『驚きの介護民俗学』の著者の著作(『神、人を喰う』)への言及があり、かなり興味を惹かれる。おもしろそうだけど、読み通せるかな・・・?詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
はじめて小松和彦に触れる人は、これか『妖怪学新考』から入るが吉。
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妖怪も色々。楽しいですな。