ポピュラー音楽と資本主義

著者 :
  • せりか書房
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  • レビュー :4
  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784796702782

作品紹介・あらすじ

ポピュラー音楽は資本主義の奴隷なのか?ロックはいつ、どうして「死んで」しまったのか?ポップの戦術とはなんだったのか?ブラック・ミュージックの「黒さ」とはなにか?DiYの思想とはなにか?Jポップはデジタル化のなか生き残るのか?アドルノのポピュラー音楽理論をウォーホルのポップやブラック・ミュージックの黒い思考と対比させ、ポピュラー音楽史を俯瞰するとともに、その社会的・政治的背景を探る。ポピュラー音楽の社会学・文化研究を志す、すべてのひとのための必読書。

感想・レビュー・書評

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  •  本の内容ではなく、考えたことを簡単に。ポピュラー音楽という分野には、様々な音楽が存在する。そして、音楽の内容は、時代と共に変化するし、ヒットする音楽も時代と共に変化する。そのような音楽の変化を、マルクス主義の下部構造が上部構造を規定するという批判理論に基づき、眺めてみると、そこには、確かに社会と音楽の関係性が見えてくる。理論を知ることで、人々の行動を、上から眺められる気になる。神の視点を手に入れることができたような気になる。それは、優越感を与えてくれる。だから、理論を知り、関係性を知ること、それは、僕にとっては快楽だ。そして、快楽である以上、同じような快楽を再現しようとする。そこに危険が存在する。特定の理論を知ると、現実の多様な要素を、自分の都合がいいように取捨選択し、理論を用いて「現実」と現象の関係性を発見した気になり悦に浸る、ということへのインセンティブを持つことになる。それは、ダメだ。それが悲劇を生んできた。知って楽しくなる理論に出会ったとき、理論それ自体だけでなく、理論を用いた自分の思考をも疑う姿勢が大切だ。

  • J−POPのところは身近な話なので理解できる部分も多かった。だが、いかんせん私のおつむではついていけないところもしばしば^^:。デジタル化の進展により起きる音楽産業の変貌については概ね現在起こっていることだと感じた。インターネットで音楽を購入することが当たり前になってきた今だが、これからどうなるのか。また、これに便乗し、どのように構造や音楽シーンが変わっていくのかといった点にも注目したい。

  • 確認先:府中市立中央図書館

    近代における資本主義とポピュラー音楽とのリンクを論じている。こうした議論のスタート地点にアドルノがいるのだが、毛利の議論はアドルノが論じた地点を洋楽を迂回しながら90年代の日本のポピュラー音楽(いわゆる「J-pop」)に至るまでどのように音楽と資本主義が共犯関係と相関関係を構築してきたのかということに向かっていく。

    これは今流行のK-popにも言えるのでは、と毛利は最後の方で水を向けるが、別の作品(『韓流のうち外』)においてそこについて詳しい議論を行っているのでご参考までに。

  • 5月13日読了。資本主義の世界におけるポピュラー音楽の特性・位置づけを読み解く本。「音楽における黒人」に関する論議など大変面白いのだけれど、読めば読むほど気が滅入ってくるこの感覚は学生時代のゼミ学習に通じるものがある。「商業主義」を敵視して「通」ぶる、というその行為がまさに商業主義を構成するものだ、ということか。文脈なしでは物事に対峙することのできないわたしたち、この世に文脈を伴わない「純粋音楽」などというものは存在しないのだろうが、それでも「自分が好きな音楽を聴くのだ!」という気持ちで音楽を聴き続けることができるのだろうか。

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