ゼロ年代の論点 ウェブ・郊外・カルチャー (ソフトバンク新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784797362145

作品紹介・あらすじ

ゼロ年代に批評は何を論じてきたのか?注目すべき多くの書籍を通して、ゼロ年代の論点を文芸・音楽評論家が浮き彫りにする。そこから見えてくる従来とは異なる表現のかたちやネットの影響力、そして街並みの変容などは、まさに現在考えるべきテーマだ。本書はブックガイドとしてはもちろんのこと、ゼロ年代に論じられた幾つものポイントをナビゲーションする役割も果たすだろう。

感想・レビュー・書評

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  • 感想

    ゼロ年代批評とかあんまり興味無いけどざっと理解しておきたいな…みたいな安直な考えで手に取って見たけどこの1冊で何かを理解しようとするのは無理だった。あとがきにも書いてあるけど固有名詞が多すぎる!笑。ある程度ゼロ年代批評本を読んでいて有名なその分野で有名な言論人(あずまんとか宮台先生とか浅田彰)の本を読んで理解してから読むことをおすすめします。ただ、社会学(特に文化論)みたいなものに興味があるけど、どこから手をつけていいか自分の関心があることについて語っている本がどこに置いてあるか分からない大学生にとってはロードマップ的な位置づけにもなると思う。

    メモ

    ゼロ年代批評ってアニメ見てないと理解出来ないことが多くてそこが非オタや現代の大学生にとっては1つ目の挫折ポイントになってる気がするな…今どき「動ポモ」読んでる学生って文学部のサブカル野郎くらいでしょうし…


    この本には出てこなかったけど宇野常寛のサブカルチャー講義録みたいな本は読みやすくて良かったのでおすすめできる。京都精華大?かどっかの講義をそのまま文字起こししてまとめただけの本だから口語体で飲み込みやすい。


    1番面白いなと思ったのは、第2章の「秋葉原通り魔事件とゲーム的現実感覚」の箇所。

    グローバル化した新自由主義経済と「自己責任」を求めるようになった社会のあり方自体が、人生をゲーム的なものとして理解できないものに変えている。そのような世界では、常に「もしかして他の人生もありえたかもしれない」「他の選択肢を選べばもっと成功していたかもしれない」という不安に苛まれることになる。なんといっても同じような経験でそこそこ上手くいっているプレーヤーの情報が現代では溢れかえっているから。

    ネットの日常レベルまでの落とし込みによるあらゆる階層の可視化とその格差や同階層での差異について妬みや自分の選択に対する不安といった、現実に対する「ゲーム的な」感覚が生きづらさを生んでいる。これはロスジェネ世代の「具体的な労働環境の厳しさ」とは全く別の水準である。

    この辺りの話にちょっと心当たりがあるというか面白いなと思ったので
    動ポモ2として書かれた「ゲーム的リアリズムの誕生」読まないとな…なんて思った。



    あと面白いなと思ったのは三浦展の「ファスト風土化する日本」、国道沿いのエディオンで電化製品、ニトリで家具、ユニクロGUで服、丸亀マック丸源ラーメンで昼飯、東京靴流通センターで靴、晩飯はサイゼリアの生活が日本中のどこにいっても展開されていてその様をファスト風土っていうらしいんですけど、郊外に住んでいる自分からしたら郊外論とかは少し興味あるのでこの辺の内容について少し読んでみたいかなと思った。

    ロードサイド論について特に興味があるから国道16号線スタディーズとか読みたい。


    以上感想にもなっていない雑記メモでした。

  • 東浩紀さんのまわりの関係性が、この本を読むとよく分かります。
    あまり深く追っかけているわけではないので、とても参考になりました。
    入門書なので、深い突っ込みを期待する人には、物足りないかもしれません。
    今活躍している人のスタート地点のようなものが分かります。

  • 人口の10%を占める大都会東京のそこそこの大学を出た輩が、ネット社会の諸問題をあーでもないコーデもないと岩波新書的な問いを立て、さも難題かのように(とにもかくにも社会学的に)云々する、ゼロ年代とはそんなもので、パソコンONでYahooページを毎日見るというライフスタイルを持つ人間同士のコミュニケーション。いずれにしても変わりゆくものを躍起になって捉えようとする情勢論を出ないし、どこかでその営みは(変わりゆくものがどうしようもない故に)退屈感焦燥感を発生させるだろう。ゼロ年代評論家といわれる小僧たちの、あの、なんともいえない焦った(つまり生意気な)感じは実はファシストへの小さな欲望の種を宿しているのでは、と指摘したくもなる。ともかく、ネットを駆使できる人間は情報を素早くゲットできるからこそ、実は社会に対する歪んだ優越性を持つ、さらには一人一人が「何の資格もなく! 何の条件も問われずに!」自前のメディアを持てるというのだから、ガキがくそ生意気になるもの当然。(一方で服装とは関係なくともかく茶髪にしたり、金髪にしたりする何ともいえないダサさも特徴的だが、、)
    ネット社会は「完全なる甘えた民主主義」に見えてしまうのだが、彼らはともかく変態フーコー的にあらゆるところに微細な「権力」を嗅ぎ取って、躍起になって「この世は窮屈なり」と謳う。
    だから、彼らのその「許された言論」を許されたものとする「日本国憲法」に関しては「絶対に」批判することはない。しかし、この国の捻れた姿を問おうとすれば、必ず日本国憲法の成立過程の歪さに気づくはずだ。最も疑わしい、擬制的なものの上に自分たちの諸権利・自由なる言論がのっているということ、そのことが苛立ちの根本にある。戦後社会に生み出されたそこそこの小金持ちの家庭で、その親の庇護を受けながら、引きこもっているガキの何ともいえない苛立ち、と言えば良いか、、、。
    ともかくわかったことはこの十年の小賢しい言葉の姿。「ファスト風土化」、「動物化」、「カーニバル化」、、、、なんじゃそら?

  • 「大きな物語」が解体したことや、「都市」と「郊外」の差が如実になってきたことなどで、思想や批評もまた各論としてしか成立しなくなってきたのではと思ったけど、それぞれに手を打ってるんだなぁ。
    取り上げられてる本も読みたくなった。

  • 東浩紀や北田暁大など、ゼロ年代に活躍した批評家たちの仕事を、わかりやすく分類・解説した本です。

    現代思想の解説書としては、本書でもとりあげられている佐々木敦『ニッポンの思想』(講談社現代新書)がありますが、あちらがニュー・アカデミズムから東浩紀までの現代思想の流れをおおまかにたどっているのに対して、本書は主要テーマごとに分類・整理がおこなわれていて、より短いタイム・スパンで現代の批評シーンを概観するのに適しているように思います。その反面、柄谷行人や蓮實重彦、浅田彰といった、ゼロ年代以前の批評への目くばりがなく、「思想」的な側面の解説が弱いようにも感じました。

  • 各評論がコンパクトにまとめられていて、良いと思う。俯瞰から振り返るには調度良い補助線。

  • 「なぜケータイ小説は流行したのか」など今まで深く考えたこともない事柄にも、大きな思想が背景としてあってサブカルの形を形成している、といったことが非常に印象的でした。もう一回読んでみようと思います。

  • この一冊でゼロ年代の日本の思想の潮流が掴めるという意味では、かなりお得な新書。東浩紀の重要さを再認識する。でも、ゼロ年代はどうしても311と向かい合わなければならず、そこから何を掴むかによって10年代の思想が出来上がってくるのかなぁと思う。

    そう考えると、思想のスパンを10年で捉えるのは短いような気がする。歴史学的には、一つの世代は20年から30年くらいで交代すると考えられているから、少なくとも20年で物事を見ることが求められるのかな、と思う。

  • 若者相手のお仕事をして、自分の興味の赴くところを掘り下げろ、という課題を出すと、扱う問題系は非常に限られている。
    オタクであったり、音楽(ネット配信の問題、CD売上の問題)、ツイッターのこと(ネットの使用をめぐる問題)などであるが、調べてくる内容がどうもせまい。郊外限定の問題。でも、それを日本全体と思っているふしがあり。
    でも、こちらもうまく伝えられなくて、この本に出会う。自分が補足したいことがすべて入っているではないか!


    2000年代の批評を俯瞰した紹介。ナビ。筆者自身が書いているようにかなりクローズアップされた内容なのだろうが、しかし、わかりやすい。目の前の仕事と育児に追われていることを口実に断片でしか知らなかった2000年代の状況をクリアにつなげてみせてもらう。

    この中から興味を持ったのは、ネット下での表現の問題。ツイッターの有用性をどこにおくのか、表現の価値変化のことなど、ここから読書を発展させられるとよい。とっかかりによい。整理の仕方がわかりやすくて、心配にさせられるのは、おそらく、原著を自分で読みなよ、ということなんだろうな。
    この新書が出されたのが2011年2月。3月11日以後にこの本が書かれていたら、どうなっていたのだろう、。

  • まさに今の時代のことを取り上げている本を取り上げている本です(笑)本紹介に終始している感じはありましたが、この間読んだ東さんと大塚さんが非常に注目されている批評家同士であること、東さんはゼロ年代の批評においては独り勝ちしていること、少し繋がっておもしろかった。東さんの本読んでみようかな。

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著者プロフィール

円堂都司昭(えんどう・としあき)
1963年生まれ。文芸・音楽評論家。1999年、「シングル・ルームとテーマパーク――綾辻行人『館』論」で第6回創元推理評論賞を受賞。2009年、『「謎」の解像度――ウェブ時代の本格ミステリ』(光文社)で第62回日本推理作家協会賞と第9回本格ミステリ大賞を受賞。ほかの著書に『YMOコンプレックス』(平凡社)、『ゼロ年代の論点――ウェブ・郊外・カルチャー』(ソフトバンク新書)、『エンタメ小説進化論――“今”が読める作品案内』(講談社)、『ディズニーの隣の風景――オンステージ化する日本』(原書房)、『ソーシャル化する音楽――「聴取」から「遊び」へ』『戦後サブカル年代記――日本人が愛した「終末」と「再生」』(以上、青土社)。共著に『バンド臨終図巻――ビートルズからSMAPまで』(文春文庫)など。

「2019年 『ディストピア・フィクション論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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