- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784797362695
感想・レビュー・書評
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日本の若者は少なくとも私とは異なる感覚をもっているようで、自分が若い時に欲しいと憧れていたものを必ずしも欲しいとは思っていないのだろうということは薄々感じています。
その代表的なものが自動車ですが、スキーもそれに当たるかもしれません。でも昔と今と環境が異なるので、同じ条件が与えられれば私も同じ感覚を抱いていた可能性はあります。
その環境の違いの最たるものは、携帯電話とインターネット、少し離れて、カラオケボックスやハードディスクビデオも入るかもしれません。多くの人達が、今の若者は可哀相だと言いますが、それはそれを言っている本人との比較であって、若者達の意見では無いのかもしれません。
この本では、特に前半部分でそれが解説されています。後半は、若者が実際に楽しんでいる内容(アキバ、アニメ等)について解説されています。
以下は気になったポイントです。
・ゆとり教育に問題があるのではなく、ゆとり世代が育ってきた環境(ずっと不況だったこと)により、物の見方や価値観が異なる(p16)
・終身雇用制度の中で定年ま働き続けることができる人達、お金を稼いでその分遊びに費やしてきた人達が、今の若者をと見て、勝手に不幸というレッテルを貼っている(p22)
・家族、実家という居場所が確保されているからこそ、女の子たちは働き方、生き方について自由な選択肢を持つことが出来ているのが現代の特徴(p35)
・ファン同士が一体感を味わって盛り上がるが、ライブが終われば三々五々帰宅するのが最近の若い人達の特徴、その瞬間の盛り上がりは共有するが、密なコミュニケーションを楽しんでいるのではない(p51)
・どんなに下手な歌や映像の投稿でも、極少数でも人が見てくれていて、そこにコメントを残してくれることが安心感に繋がる(p56)
・東京には六大問屋と呼ばれる街がある、駄菓子の日暮里、生地の日暮里、食品器具のかっぱ橋、衣料品の馬喰町、横山町、雑貨おもちゃの浅草橋・蔵前、魚市場の築地、である(p131)
・1877年の西南戦争において、熊本城にこもった政府軍:4000人は、西郷軍14000人の攻撃を耐えて撃退した(p189)
・マスコミが取り上げるよりも、ネットとリンクする形で動いたものは、その効果が長期化する(p195)
・お金が無いから不幸というよりも、誰かに認めてもらいたいけれど、認めてもらえないから不幸、という考え方の人が非常に多い、自分の役割が認められて、そこにいれば安心できる居場所が人それぞれに必要なのではないか(p202)
・自分がどこのクラスターに属するのかを知ってみるのが良いかもしれない、同じ趣味の人、同じ考え方の人と一緒にいると安心感が得られる(p205)
・学園祭ビジネスは、若者たちにとって新しい村であり、新しい居場所である(p209)
2011/2/6作成 -
現代のコミュニティや価値観の変化を、ディアステージという場などを通して説明した本。
安定や収入が価値観として重要な位置に無い、動機やクラスターとう場にあるのだ、という変化が書かれている。
この価値観、短期的には良いが長期的にはどうするんだろう、という疑問も残る。
http://twitter.com/#!/mofuku/status/25938719865311232
目次
第1章 日本の若者は不幸ですか?
第2章 アキバ発! ディアステージとは何か?
第3章 地域コミュニティを駆動させるコンテンツ
第4章 聖地巡礼の先にあるもの
第5章 日本の若者の幸福と居場所について -
囚われている時間がもったいない。いつであれ、どこであれ、設定次第で人生は幸せにも不幸にもなれる。もふくさんの生き方に共感!
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アキバ系の若者について書いた本だと思って読み始めたのだが全然違った。現代の若者全般を理解する上で非常に参考になる本。「不況ネイティブ」な世代の考え方やその背景がよく分かる。
以下、ポイントを抜粋。
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生まれたときからずっと不況だった世代のことを「不況ネイティブ」と呼んでもいいと思います。
不況の時期に当たり前のように育った若者たちは身の丈にあった人生設計、すなわちイメージしやすい1年後、2年後のことを考えて動くようになっていると思います。不透明な10年後のことを考えても意味がない、ならば確実な1年後のkとを考えていたほうがいい。それが今の若者たちの考え方なのです。
これだけ社会が不安定になれば、10年、20年も同じ会社で働きつづけようと考える若者が減っていくのは当然だと思います。
「会社に就職して、一生会社のために働きつづける」ことを最初から馬鹿にしている部分があります。
彼らは現実味のない一攫千金を望んでいるのではなく、想像しうる小さな幸せを望んでいるのです。
会社や家庭に帰ることができなくなった若者たちは、新しい帰る場所、居場所としてインターネットを選びました。インターネットの大型匿名掲示板「2ちゃんねる」には多くの常連投稿者がいますが、彼らのことを"住人"と呼び習わすのは象徴的だと思います。
芸大では、売れなくても自分は未来あるアーティストだからそれでいいという風潮にいつも私は苛立っていました。
中身はなくても表面ばかり取り繕う日本の現代アート界の現状に比べて、秋葉原の若い子たちのほうがよほどかっこいい。
田原総一朗さんがディアステージにお越しになったとき、私は「ここは村です。お客さんたちのヲタ芸は、いわば村の踊りなんです」と説明しました。"村"というのは、この本で言うところの"居場所"のことです。それに対して田原さんはツイッターで「村という言葉に僕は見事にはまった」と書いてくれました。