本当は間違いばかりの「戦国史の常識」 (SB新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784797368765

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  • 八幡史観による戦国編。
    氏の中では秀吉が一番評価が高いように見受けられる。

  • 本当は間違いばかりのシリーズで有名な著者が、戦国史を分析した一冊。

    時代によって歴史考証は変わるものなので、自分が学生時代に学んだ数十年前と比べて変わってるのはわかるし、著者が正しい部分もあると思うが、?と思う箇所もあり。

  • 戦国時代に関して流布している俗説を取り上げて「本当はこうだった」と対比しながら読みやすくまとまっています。真偽の程はどうあれ見方を変える事は大切だと思います、歴史が徳川軸であり薩長史観というのは納得。

  • ○○という認識は違う、というお話なのですがそもそもが歴史知識の乏しい当方にはその○○ということすら初見ということが多数でした。
    つまり、歴史が好きな方向けの逆説的な意見を述べた書籍だったと感じました。
    ワタクシにはどう正しいのか理解も判断も出来ないことばかりでしたが、こういう見方、考え方があるのだなという一側面として参考にさせていただきます。

  • 間違いも何も、誰がそんな説を信じてるんだろうと疑問のものや、その疑問提起に、その「真実」を結論つけるのはどうだろう?と感じるものがいくつかあり、そのいくつかのせいで訝しさを感じてしまったので本に入り込めなかった。
    結論としては、自分には少々肌に合わなかったかなという感じの読後感です。

  • ”フランス人で『三銃士』を読んで歴史を学んだと思う人はいないだろうが、日本人はフィクションと歴史をごっちゃにしている”
    ”鎖国が日本を世界最先進国から後進国にした”
    というのは共感できるな。

  • 高校時代に歴史を習った時に、昔の武将は敢然と敵に立ち向かっていって尊敬したと同時に、自分は同じようには振舞えない、と恥ずかい気持ちになったものです。母・父方ともに武家出身と言われていた私には、そのような血は流れていないのか思い悩みました。

    最近研究が進むにつれて、当時の戦国武将も私と同じような気持ちでいた人も多く、また勇ましい形で書かれれている軍記物も多くの脚色があることが判明し、少し安心しました。すると本当の姿を探求する思いが強くなり、矢幡氏に代表されるような本を興味深く読ませていただいています。

    本当の彼等の姿を理解するにつれ、親近感を覚えると同時に、今までテレビドラマ(私の場合はNHKの大河)にかなり影響を受けていたことが分かりました。今後は(見ることがあれば)民法放送と同様に単なる娯楽番組として見ていくつもりです。

    以下は気になったポイントです。

    ・織田信長が古い秩序を破壊し、秀吉がナポレオンのように世界最先端のシステムを構築、家康がその成果を普及させた(p17)

    ・室町時代は、戦前に支配的だった皇国史観と、江戸幕府によるアンチ西日本史観の両方から攻撃される不運がある(p24)

    ・現在の皇室は北朝の系統、正統性(前の天皇から譲位されない以上はダメ)では南朝に分がある(p25)

    ・足利義満が明帝国に朝貢して「日本国王」ということが避難されるが、遣唐使も朝貢外交だった点が避難されないのは片手落ち(p25)

    ・織田家は室町幕府体制で早くからかなりメジャーな存在であった(p31)

    ・室町時代の守護は原則として京都在住、東日本については鎌倉在住、九州では元寇が来てから地元に戻った(p35)

    ・応仁の乱により、治安が保たれていた京都の町の大半が焼けてしまい、京都在住だった守護がそれぞれの領国に引きこもることになった(p37)

    ・戦国時代に大軍を率いて上洛して政権をとったのは、大内義興が最初、三好長慶が二人目、次が織田信長(p43)

    ・戦国時代は夥しい死者がでて家が焼かれたが、人口は増えて経済は成長し、全国的に文化水準が飛躍的に上がっていった(p45)

    ・三河には、細川・一色・吉良などが足利一門で、吉良家が最も権威があり、今川家はその分家、三河では強力な守護がいなかったので遠江の守護を斯波家と交代で務めていた、織田家は三管領の1つの斯波氏に仕え、斯波三守護代のうち越前甲斐氏につぐ重臣で朝倉氏より格上(p69)

    ・三好長慶の勢威に陰りが出るのは、桶狭間の戦いの翌年に、猛将といわれた十河一存を失ったあたり、その3年後には本人も死去(p74)

    ・信長は、大内や三好氏と異なり、本人は岐阜にあって朝廷との付き合いは義昭に任せて、それを遠隔操作した(p79)

    ・信長から長政に降伏勧告が出されて戦闘も止んだ、重臣の赤尾氏が投降したのに生け捕りにされるという手違いが起きて、長政は自害した(p84)

    ・鎌倉幕府の将軍に、藤原頼常や維康親王も就任しているので、平氏である織田信長に資格がないとは言えない(p92)

    ・1582年の清州会議は信長の後継者を決めるのではなく、信忠亡き後の後継者を決める会議であったはず(p98)

    ・前年の京都での馬揃えでの序列は、信忠、信雄、信包(のぶかね)、信孝、信澄であった(p99)

    ・信雄は後に家康から領地をもらって、子孫は江戸大名(丹波柏原藩、出羽天童藩)として残った(p103)

    ・秀吉が茶々(淀殿)を求めたのは、織田家の血を引く子供を授かるため、織田信長の4男(秀勝)が1586年に死んでしまったのが原因(106)

    ・明治元年に家康によって廃止された豊国神社が復活するが、それは秀吉が幕府をつくらずに、関白太政大臣として政務をとった勤皇の功績を評価したから(p111)

    ・豊臣政権は全国的な検地をおこなったおかげで、大名を同じ石高なら文句を言わせず移封させたり、石高に応じた負担を課すことができた、太閤検地は古い体質の名門大名(島津氏など)ほどメリットをもたらした、島津は22.5から56万石へ増加、家臣たちは元の領地で自己申告していた石高に見合う領地へ移された、秀吉の蔵入地は5万石を得た(p117)

    ・織田や豊臣軍団は遠征の際には遠征先の住民に迷惑をかけなかったが、東国武士は現地調達が多かった、後の蛤御門の変でも、長州は人気あったが、会津は悪かった(p124)

    ・天下人としての信長や秀吉の下でしか働いたことのない三成は、圧倒的な物量作戦でねじふせる横綱相撲にこだわった、家康は優勢な相手(今川、武田、北条、豊臣)であり異なったのが関ヶ原で明暗をわけた(p153)

    ・江戸を大都市にしたのは秀吉、江戸は家康から嫌わわれていた、大阪の建設者は秀忠、幕府支援のもとで日本を代表する商業都市になった(p163)

    ・米どころの越後は明治6年(1873)に行われた最初の人口調査で1位、太閤検地後の39万石から堀氏や溝口氏のおかげ(p190)

    ・三方原も長篠の戦も、正面衝突をまともにしたので、数に勝る方が大勝利を収めたというだけ(p195)

    ・当直では身分差を覆すことは難しかった、平安時代からの秋田・岩城、鎌倉時代の地頭出身である、伊達・南部・葦名・葛西・相馬、南北朝にやってきた斯波一族の大崎、最上といった名門がそのまま秀吉の天下統一まで生き残った(p199)

    ・壇ノ浦で平氏を殲滅した源頼朝は、平氏の地盤だった九州に大量の関東武士を地頭として送り込んだ、武藤(少弐)資頼には前三州(豊前、筑前、肥前)、大友義直には後三州(豊後、筑後、肥後)、島津忠久には奥三州(薩摩、大隅、日向)を統括させた(p206)

    ・郷士とは、処遇としては上士と徒士(下士)の中間だが、足軽から見れば雲の上の存在、身分的には下士と同じだが、乗馬を許す等上士なみの待遇も認められていた(p220)

    ・イギリスやギリシア等、日本でおなじみの名前が英語名と異なるのは、ポルトガル語の呼び名がもとになっている、大航海時代の主役・先導者は、ポルトガル(p246)

    ・1494年に結ばれたトルデシリャス条約後に、ポルトガルは1510年にインドのゴア占領、1513年にはマカオで明国と通商開始(p247)

    ・秀吉が生きている間は、領地が不足することは無い、親が死ねば領地を引き継ぐことは行っていない(p255)

    ・秀吉の朝鮮遠征が失敗したのは、制海権もないのに大規模な地上兵力を送り込んだから(p257)

    ・島原の乱にてこずった幕府はキリスト教への警戒感が強まった、そこへプロテスタントのオランダという人畜無害な商人国家が現れて、貿易を窓口になってくれることになったので、幕府はポルトガル人の追放に踏み切った(p263)

    ・鎖国下でも、長崎でオランダと中国と貿易、対馬を通じて朝鮮と、琉球王国、アイヌを仲介した貿易もあったが、日本人渡航は認めなかった(p263)

    2012年7月7日作成

  • この本では、我々が小中学校で習った、室町時代は文化の発展が乏しく、江戸時代に天下泰平になり文化が栄えたという歴史認識は間違いだと主張している。確かに歴史観というものは後世の人間が推測などを元に書くので致し方ないことだろう。私がこの本を見て新発見したのは、室町、戦国、江戸時代の歴史観というのは、徳川の歴史観に寄るものだけなのかと思っていたが、明治時代の薩長、敗戦後のGHQでの皇国史観の否定などが複雑にからみ合ってできたものだということである。

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著者プロフィール

1951年、滋賀県大津市に生まれる。東京大学法学部を卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。北西アジア課長、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任。在職中にフランスの国立行政学院(ENA)に留学。現在は徳島文理大学大学院教授を務めるほか、作家、評論家として活躍中。著書は150冊を超え、ベストセラー『江戸三〇〇藩 最後の藩主』(光文社新書)のほか、近著に『365日でわかる世界史』『365日でわかる日本史』(清談社Publico)、『日本の総理大臣大全 伊藤博文から岸田文雄まで101代で学ぶ近現代史』(プレジデント社)、『日本人のための日中韓興亡史』(さくら舎)、『歴史の定説100の嘘と誤解 世界と日本の常識に挑む』(扶桑社新書)、『令和日本史記 126代の天皇と日本人の歩み』(ワニブックス)、『誤解だらけの韓国史の真実』『誤解だらけの平和国家・日本』『誤解だらけの京都の真実』『誤解だらけの皇位継承の真実』『誤解だらけの沖縄と領土問題』(イースト新書)、『消えた都道府県名の謎』『消えた市区町村名の謎』『消えた江戸300藩の謎 明治維新まで残れなかった「ふるさとの城下町」』『消えた国家の謎』(イースト新書Q)など、日本史、西洋史、東洋史から政治、経済、文化など多方面でリベラル・アーツを重視する斬新な視点で話題となる。

「2022年 『家系図でわかる 日本の上流階級』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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