犯罪報道の犯罪 (新風舎文庫)

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感想 : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (585ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784797493924

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  • ・・・マスコミは市民の上に立つ権力となっている。マスコミ記者の多くが、権力をもち、弱い市民を傷つけている事に気付いていない。自分のペンがどれほど多くの人々の運命を狂わせているかわかっていない。・・・
    『犯罪報道の犯罪』はじめに より(浅野健一・著)
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     公益性や報道の自由というのは無論大切ではあるが、これだけネット上に個人情報を含む様々な情報が「現実に」流布する状況下で、「公式報道」的、「正統派の報道」を行ない続けるのは、「仮に」にネットが「報道する側にとって否定すべき存在」であったとしても、公益性と人権との利害相反が起ることが「現実に」起きている以上、それに対して何らかの配慮やガイドラインの設定を行なわないと「報道の自由」が「基本的人権」と衝突する時が来るのは当然であり、事実そのような事態が既に起っている(松本サリン事件等)。
     上記に引用元の文は1987年4月に「既に」書かれている。33年前である。さて、今のマスコミの動きは、果たしてどうなのだろう?
     仮に、とある民間企業や政府機関、地方自治体、公的機関が33年間も繰り返し繰り返しスレスレの違法行為や反社会的行為を断続的に続けていたとして、マスコミは取り上げないのだろうか?
     否、吊し上げるだろう。
     では、
     当のマスコミが恒常的にこういう状態にあることを、果たして誰が取り上げるのか?
     「当社の話ではないのでコメントは差し控える」のだろう。そう、個別の事案だからだ。そう、仮にそれによって「マスコミ全体」が深刻な信用失墜を起しても、飽くまでも「個別の事案」なのだろう。
     国家元首の漢字の読み違えにはうるさいが、ニュースを読む女子アナの漢字の読み違えには甘い。そんな存在が、一般社会において、果たして尊敬され、行動の自由を「優先的に」担保され続けるのだろうか?
     永年続いた「漠然とした信頼感」が失効した途端に、その存在(マスコミ)は急速に存在理由を失い、前述した「吊し上げられる」だけになるのではないだろうか。
     かつて、中央官庁の官僚は畏敬の念を持って遇せられた時代があった。しかし今は、しばしば嘲笑の対象であったり、無為無能の象徴にさえなるときがある。
     彼らは而して、彼ら官僚を嘲笑しつづけるのだろう、「明日のわが身」と気付かないままに。

  •  図書館より。 
     著者は元共同通信の記者の方。犯罪報道に対し匿名報道の提案など提言が書かれています。

     実際の冤罪事件を基に書かれた二章は当事者にかなり感情移入しながら読んでいたので辛かったです。いまだに警察は事情聴取の録音に応じないのが不思議でなりません。それが実行されれば、逆に正当な取り調べに関しては自白の有用性は格段に上がると思うのですが……。そこまで反対するということは……とついつい想像してしまいます。そしてそれに加担し警察の実態を考えることなく尻馬に乗るメディアの責任も考えさせられます。

     事件報道を見るときって実名かどうかって自分はあまり気にしていません。事件自体にはニュース性があるとは思いますが、容疑者や被害者の名前を知ったところで、という印象です。ただ報道することで無意味な攻撃を受ける人、その時だけでなく将来的にわたって影響を被る人がいるのもまた事実なわけで、メディアはそこにも考えをめぐらす必要があると思います。北欧型の報道がここでは提言されているのですが、まずは北欧記者の理念から学び始めるべきなのだろうな、と思います。

  • 一つの明確な、犯罪報道もとい刑事裁判への視点で書ききられた本。ここはちょっとって部分もあるけど、概ねこの本を貫く思想は首肯できるものでした。読んでよかったなってかんじ。

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