日本人のためのイスラム原論

  • 集英社インターナショナル (2002年3月26日発売)
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本 ・本 (448ページ) / ISBN・EAN: 9784797670561

作品紹介・あらすじ

なぜイスラムは欧米を憎み、欧米はイスラムを叩くのか? 日本人ムスリムはなぜ少ないのか? イスラムがわかれば世界がわかる。稀代の大学者・小室直樹が緊急執筆した日本人必読の「イスラム原論」。

感想・レビュー・書評

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  • 神は存在する。

    しかし、それは言葉という偶像に乗って現世に降り立つ事はない。何故なら言葉を選ぶ事は、地域や時代を選ぶ事であり、神は偏在して宿りはしないからだ。また、人間の言語能力という針の穴を神が通る事はない。然るに宗教は概ね偶像を禁止する事になるはずだ。しかし、その欺瞞性の許容と自己増殖の本能、物語としての「神的キャラクターを創作した意義」を果たすために、言葉と神を紐付けて布教した。

    神をキャラ化する、つまり人格化することは不可能だ(冒涜とは言わない、それも人格化を示す)。

    案の定、言葉の揺らぎは解釈の多義性を生み、神的キャラの定義の違いと相まって、物語に集う集団の対立の原因と化した。イスラム教は、その中でもこうした解釈の揺らぎを出来るだけ抑えようと、アラビア語以外の経典を禁じ、法と戒律を結びつけて原理を貫こうと努力した。

    我々が学ぶのは、神ではない。
    神をキャラ化して争うサピエンスの歴史と限界についてだ。

    陰謀論を信じる境界ラインの人たちと大きく動機は変わらず、利用価値化を帯びつつ自己目的化したバイアスとしての神を自己に育てていく。その行為を信仰と錯覚する。だが、そこにいる神は、既にあなたのオリジナルである。信仰そのものが意識下に神を宿すことであるならば、それすらも偶像化ではあるまいか。

    つまり、神とはそうした性質のものである。
    先ずそれを踏まえておきたい。

    イスラム教を学ぶ事で、こうした神との関わりを学び直すのが本書である。上記は小室直樹の言説ではなく、いつも通りの私の妄言で、信仰のある人を否定する意図は全くない。ただの不可知論者の唯識論というかストア主義的つぶやきである。

    小室直樹の問いである「イスラム教は何故日本に広がらなかったか」。その考察を小室は述べているが、日本人に限らず、後発で切り替えが面倒な契約プランには日本人は飛びつかないというだけで、そこに複雑な考えはない。日本人は、うっすらと天皇のワクチン作用を受けているため、都合に合わせた利用価値、例えば契約プラン的にしか宗教を扱えはしないのだ。だから、宗教に見返りやコスパを求めてしまう民族だ。

    ちなみに、天皇がワクチンになるのは明治維新による天皇利用と戦後一夜にして崩れた天皇神話が理由の一つだが、それ以前にも末法思想で好き勝手解釈してきた日本仏教も原因で、今や葬式もスーパーマーケットの格安で済ます時代である。

    別に、それで良い。

    だから無神論である事が「分かっている感、騙されていない感」を伴い肯定的に捉えられる民族性がある。間違ってはいないが、それは神を考える態度の放棄として世界的には稚拙にも見えてしまう。操られる対象がより即物化するだけの事であり、信仰ではなく、儀式のつまみ食いと寄せ集めで安堵する。

    安堵だけは、欲しい。
    それを自分たちで自嘲し合うのもまた、良い。

    つまり、全く神がいないなら、それはそれで気持ちが落ち着かないのだ。祈る気持ちは人間にインプリンティングされた本能であり、信仰はウイルスではない。既に人類に新しい神を育てる余白はなく、既存の宗教こそが、人智の差分に寄り添うものである事を全く否定しない。

    ある人にとっては他者と共有しているはずの唯一神、ある人にとっては必要に応じてお願いの対象となるボンヤリした神。それぞれ脳内にオリジナルの神が存在する。

  • イスラム教国に初めて旅行行って、イスラム教について勉強したいなと思って読んでみた

    日本人は戒律が大嫌いだとかイスラム教がキリスト教と相容れない理由とか知らないことばかりで面白かった

  • <おどろきのイスラム教>
    何度読んでも学ぶべきことが沢山ある、素晴らしい本。
    マックス•ウェーバーの方法論で、イスラム社会において資本主義が生まれ得ない理由を論理的に説明してみせる。
    この書を通じて改めてウェーバー<プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神>の有する凄さと射程の広さが理解できる。
    其の意味で<プロ倫>のよき解説書でもある。
    何故、お堅いプロテスタントだけが、資本主義の精神に火をつける触媒たり得たのか?
    それを説く論理は、推理小説よりも遥かに面白い。

    社会学はすべからく宗教社会学なのだ。
    こう喝破したのは、日本では小室直樹であり、大澤真幸だが、元々は、社会学そのものを作り上げたマックス•ウェーバーが主張し、実践してきたことだ。
    資本主義もマルクス主義も、宗教として捉えない限り、理解出来ない。
    当然、宗教そのものの分析を行なうのも社会学だ。
    だから、宗教社会学に、資本主義分析も、マルクス主義分析も、貨幣の発生も、国家の発生も含まれるのだ。

    日本人には縁遠いイスラム教は、世界宗教理解の要だ、と小室は言う。
    ユダヤ教、キリスト教と起源を同じくするイスラム教は、なぜ、ユダヤ教とキリスト教と相容れないほど異なってしまったのか?
    その謎を追いながら、気がつくとイスラム教のみならず、ユダヤ教、キリスト教についての理解も深まっている。
    日本人がキリスト教を易々と受け入れながらも、もう一つの世界宗教であるイスラム教が、なぜ日本では全く受け入れられないのか、これだけ明快に説明した本はない。
    それは、イスラム教には厳しい戒律が存在し、キリスト教には存在しないことにある。
    日本人は戒律が嫌いだ。
    仏教導入に際しても、仏教の根幹である戒律を取り除いてしまった。

    イスラムは、合理的な宗教だ。
    キリスト教こそ、非合理性を内包した不思議な宗教であることが分かる。
    その非合理的で不思議なキリスト教から資本主義が生まれ、合理的なイスラム教では資本主義が生まれない、その理由を明らかにする。

    イスラムを知ることで<異常>なキリスト教を理解する「ふきぎなキリスト教」(橋爪大三郎•大澤真幸)のオリジナルとも言える。
    キリスト教程捻れた、おかしな宗教はない。
    その不思議な、キリスト教こそが資本主義という魔物を生み出したと言うことが社会学が取り組むべく最大の、且つ魅力に満ちた課題なのだ。

  • 久しぶりの小室本でしたが、いつもながら、日々仕事の課題で覆われたアタマに心地よい刺激をもらいました。

    著書の他書と同様、ウエーバーのプロテスタントと資本主義の理論をベースにして、なぜこれほどまで論理的で中世世界をリードしたイスラム教が、近代化に遅れ、現代の状況にあるかを説く。同根のユダヤ教、キリスト教のみならず、仏教、儒教との比較がわかりやすく、これまで読んだ中で最強の宗教学本と思いました

    マレーシアでビジネスに関わっていた際に、イスラムの世界と少し触れる機会がありましが、敬虔で真面目な人々の暮らしからは、欧米世界でチマタで言われるような過激さは全く感じませんでした。それが全てとはいいませんが、先入観なしに異文化と付き合ってみようとすることは、海外の人々とのコミュニケーションの第一歩だと思います。

  • もう何十年かぶりに 小室さんの著作を読んでいるような気がします
    logical な思考です それでいて「講談」のような語り口も、小室さんならではかも…
    (ミ`w´)彡━━┛~~ ' ぷっくぷく~~~

  • ◆本書の評価として
     Amazon、ブクログでも評価の高い本。
     ただ、後半は特にキリスト教をバカにした書き方が目立ってきます。
     このため、完全に納得していた前半部分についても、内容の信憑性が気になってきました。
     別の書籍も少し確認した方が良い気がします。
     ※Amazonでもわずかに本書に対して低評価のレビューがあり、そのレビューも同様の点を指摘していました。

    ◆面白かった点
     前半は、部分的ではあるがユダヤ教・キリスト教・仏教などとの比較がされていてなかなか面白い。テロリストのものの考え方もわかった。
     最初、日本の宗教として仏教しか出てきません。
     「神道」という言葉は本書を1/4ほど進んでから初めて出てきました。そこには、日本の宗教はもはや「日本教」であり、「日本固有の神道をベースにして、仏教や儒教の教えなどがミックスされて作られた」という表現がされています。この説明は的確だと思います。

     また、イスラム教が日本に浸透しない理由も非常にわかりやすかった。
     その理由は一神教であること以外に、
     日本人は「空気」に合わせて行動が変わり、「戒律」が定着しない。それがゆえに、戒律を重んじていた仏教も日本に入ってきて戒律がそぎ落とされ、「日本仏教」と形を変えた。イスラム教は戒律(規範)に従わないこと(行動を伴わないこと)が、即、信仰していないことになるため、戒律がそぎ落とされることは許されない。ゆえに日本にはなじまない、ということでした。

    ◆イスラム教で近代資本主義が発生しなかった理由まとめ
    理由1:
     キリスト教では、貪欲は罪とされている。そのため、その抜け道を探すように、「同価値のものを交換することは問題ない」という発想から、商売が発展していった。禁止される方が抜け道を探して発展していく力が強い。
     イスラム教では、商売自体が禁止されていないため、必要以上の力にはならなかった。

    理由2:
     キリスト教でもイスラム教でも、神と人との契約(タテの契約)のみが説かれている(結婚式でも「神に誓う」となる)が、
     キリスト教は無規範宗教であり、心の中での信仰のみが求められる。そのため、行動面でのルールがなければ生活がままならない。また、「神を愛せよ」という命令のほかに「隣人を愛せよ」という命令がある。これらのため、キリスト教では人と人の契約(ヨコの契約)を守る発想が生まれ、これにより近代化資本主義が発生した。
     イスラム教では規範があり、神との契約(タテの契約)が守られていれば人との契約(ヨコの契約)はなくてもよい。そのため、イスラム教では人同士の約束が守られないことはザラである。

     本書の最後の方にもまとめられていますが、イスラム教がその教えのため近代化できない、というのは衝撃でした。

    ◆本書を読んでイスラム教に対して思ったこと
     イスラム教はよくできた宗教だと思いますが、イスラム過激派が存在しているように、「人を殺さない」といったような教義が含まれていなかったのが個人的に残念に思う点です。
     それがあると宗教として矛盾点が出てくるのかもしれませんが…。

  •  本書は社会科学系学者の小室直樹氏によるイスラム論です。本書が出版されたのは2002年ですが、その契機となったのは2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件でしょう。この事件を機にサミュエル・ハンティントン氏の「文明の衝突論」が注目されましたが、小室氏は「宗教の衝突」、「一神教どおしの衝突」と称する方がふさわしいと説きます。しかし、イスラム教に対しては日本人の無知はもちろんのこと、欧米人にも誤解があると指摘しています。小室氏はイスラム教を「もっとも宗教らしい宗教」と位置づけ、イスラム教が分かれば他の宗教も分かるとまで言い切っています。
     本書の主題はイスラム教ですが、キリスト教や他宗教についても対比して解説されており、2000年に出版された宗教原論の続編でもあります。また、「数々の宗教を受け入れた日本になぜイスラム教が広まらなかったか?」、「日本独自の宗教観はどのように形成されたのか?」についても考察しており、日本の文化を再認識するうえでも興味深い指摘が多数あります。
     本書の最終章で小室氏は欧米とイスラムの対立のルーツを明らかにし、「もし、8世紀にイスラム教徒がヨーロッパを占領していたなら…」という思考実験を行っていますが、現代社会を理解するうえで宗教や歴史の理解が必須であることを痛感させられます。残念ながら、小室氏でさえも欧米とイスラムの対立を解消するための処方箋までは見いだせなかったようですが、今後、世界はどこへ向かうのかを考える上でも本書は有効でしょう。

  • 宗教知識のあまりない私には少し難しい本であった。著者はイスラム寄りであることが随所に出ており,ページが進むにしたがって面白みが少なくなっていった感がある。宗教初心者であるため,もう少しニュートラルな立場で書いてくれたら良かったのにと感じた。ただし,この本を読むことにより分かったことも少なくない。
    イスラムは規範(これをしろとかあれをするなといった命令)を重視し心よりそれをどう表現するかで信仰心というか信仰度合いが計られるものだということが分かった。例えば,1日に5回メッカの方角に向かって礼拝を行うとか,アッラーの他に神なし,マホメットはその使徒であると絶えず口に出して唱えるとか,喜捨(所得の40分の1を貧しい人へ施す義務がある)とか・・・。キリスト教では信じるものは救われるとのごとく心の中で信じていれば良いと言うものでその宗教的厳しさは断然イスラム教が強い。
    日本にイスラム教の信者(ムスリムという)が少ないのはなぜかとの問いに著者は色々記しているが,この”規範”が日本人には受け入れられなかったと解いている。その他,イスラム教は翻訳のコーランを認めない(アラビア語でコーランを唱えなければならない)ということもあるが,著者はこれは大きな弊害とはならないであろうと言っている(言語の難しさもコーランを唱えるぐらいはそれほどでもないと)。が,私の考えは少し違う。日本人は周りの目を非常に気にするものであり,コーランをアラビア語(日本語以外)で唱えているとやはり周りから白い目で見られるのではといった感情があるのではないか。ちなみに,キリスト教の聖書は日本語で言っても良いので広がりやすさはあったと思う。
    あと,イスラム教・キリスト教と仏教の違いも少し述べている。イスラム教やキリスト教の神は人々に困難を与えるが,逆に仏教では仏さまは人々を困難から救うのであると。多分に日本の仏教がこんな感じで,”困ったときの神頼み”であり,他力本願・大乗仏教の少々横着な国民だなと感じた。
    また,仏教では因果応報という考えがあり,何かをしたから今こんなことになっている,だからその何か(いわゆる煩悩)をなくすように心がけなさい,と教えている。煩悩をなくすと苦難から救われると。法前仏後ともいい,釈迦と言えどもこの世の法則を動かすことは出来ない。一方,イスラム教では,現在の境遇は何かをしたからというものではなく,全ては神が決めたことである,と言い,現在の境遇から救うことを説いているわけではなく,最後の審判でアッラーが全ての人間を蘇らせ,個別に救済を決定するから一生懸命その規範を行いなさいとしている。
    この本を読む限りは,イスラム教の人々は皆が真面目な宗教人であり尊敬できる人々だと感じた。それに比べると私も含め日本人の宗教感のなさ,節操のなさ(正月の初詣(神),お盆(仏),クリスマス(キリスト),年功序列(儒)等々)は悲しむべきものに思えてならない。色々良いとこ取りをするのは悪くはないが,自分と言うもの,主体性が見えづらい。もう少し真面目に学校で宗教を教えた方がいいと思うね。

  • 日本人には馴染みの薄いイスラム教について、キリスト教やユダヤ教、そして仏教など他宗教との比較を通して、噛み砕いた表現でわかりやすく解説した良書。
    最初はフラットな視点で解説しているが、読み進めていくうちにイスラム教贔屓になっている傾向はあるが、そうなるのも分かるくらいに、イスラム教に対するイメージが覆った。
    そして9.11が起こってしまった理由、さらに現在の資本主義を中心とした世界経済の中で、イスラム諸国が強国になれない理由も理解できた。

  • 密教の特徴は呪術性にあると私は考える。鎌倉仏教はむしろ日本密教と呼ぶのが正確だろう(ただし禅宗は除く)。祈祷(呪法)・曼荼羅(絵像、木像)・人格神の3点セットが共通している。
    https://sessendo.blogspot.com/2020/03/blog-post_96.html

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著者プロフィール

1932年、東京生まれ。京都大学理学部数学科卒。大阪大学大学院経済学研究科中退、東京大学大学院法学政治学研究科修了。マサチューセッツ工科大学、ミシガン大学、ハーバード大学に留学。1972年、東京大学から法学博士号を授与される。2010年没。著書は『ソビエト帝国の崩壊』『韓国の悲劇』『日本人のための経済原論』『日本人のための宗教原論』『戦争と国際法を知らない日本人へ』他多数。渡部昇一氏との共著に『自ら国を潰すのか』『封印の昭和史』がある。

「2023年 『「天皇」の原理』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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