もし、日本という国がなかったら

  • 集英社インターナショナル
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784797672213

作品紹介・あらすじ

半世紀にわたる日本滞在と個人的な体験。そこから育んだ日本と日本人への限りない愛情と理解。「世界でたったひとつの花、日本」への心からのメッセージ。

感想・レビュー・書評

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  • P:314 抜き書き+感想:5711字 付箋数:17
    (対ページ付箋割合:5.41%、付箋毎文字数:336、抜書量加点+1)★★★★

    ・外国語を話すときに、人は自分自身であると同時に、別人になることができます。自分を客観的に眺められるようになり、なにかを言うたびに、それがどんなにささいで平凡な内容でも、違う言葉で言うために、想像力を働かせるようになります。そして、その言葉をつかって話している相手の本心を知る、つまり彼らの考え方で考え、彼らの見方で見て、彼らの感じ方で感じることができるようになるのです。これは断言できますが、ぼくの人生において、外国語の勉強ほど、ものごとの真理をあきらかにし多くを教えてくれる、刺激的な体験はほかにありません。
    >>/> 何かを書くこと(日記やブログも含め)も、そうなのではないかと思い始めている。

    ・人の一生はふつう、時の流れにそって起こる出来事の連続として捉えられるものです。ほとんどの出来事は取るに足りないもので、起きたとたんに忘れられてしまうけど。しかし人の一生を、あとからふりかえってまとめようとする場合、時の流れにそって話をしてもあまり意味がないことに気づきます。というのも、すでに結末が分かった時点からものごとを眺めることになるからです。だからその場合、人生の出来事は、年代順という時系列でなはくテーマ別に分け、各テーマの点や線、形や色合いを見ながら並べ替えられることになります。人の一生とはジグソーパズルのようなものです。
    >>/> 晩年に人生を振り返ると一幅の絵のように見えるというけれど。未だ自分には見えないなあ。

    ・しかしその宿で一番よかったのは、細い白ひげをたくわえた85歳の宿の主人でした。ぼくは韓国語をひとこともしゃべれなかったし、彼も英語を話せませんでした。初日に、ぼくはこう言いました。
    「スミマセンガ、ニホンゴハナシテクダサイ」
    韓国人である宿の老主人は、口をあんぐりとあけて、心底驚き戸惑ったという表情でぼくを見つめました。ぼくは頭をさげて言いました。
    「スミマセン。ボクハニホンゴハナシタイ!」
    ぼくが顔をあげても、老人の表情から驚きと戸惑いは消えていませんでした。しかし彼はとても流暢な日本語でこう言いました。日本語は、もう二度と使わないと1945年に誓って以来、ずっと使っていないが、あなたは日本人ではなくアメリカ人なのだから、いいでしょう、と。
    >>/> 慰安婦の責任の所在は分からないけれど、戦争はこのような傷跡を確かに残す。

    ・カーンの来日は自由民主党の幹部に大歓迎されました。当時、佐藤栄作首相は、1月に迫る選挙での苦戦が予想されており、カーンの描く新たな超大国日本というバラ色の未来図は、与党である自民党にはありがたいものでした。カーンは日本とその首脳陣をほめちぎりました。そして日本の世論は、海外からの影響を受けやすい。この国では、アメリカの著名人の発言のほうが、国内の政治家の言葉よりも影響力を持つのです。
    しかし、カーンが「商人の町」大阪で起業家むけに講演をしたときには、日本は世界を21世紀へと導くリーダーだという彼の切に、聴衆は懐疑的な視線を浴びせ、眉をひそめました。大阪商人の世界は本来、東京のビジネス界のように理念的ではなく、「アメリカ人専門家」の日本に関するご意見は、かなりあやしいものとして受け止められたのです。
    …カーンはぼくに言いました。
    「この国は1985年までには核装備するだろう。核抑止力なしに経済大国になることは不可能だからね。大阪の経営者たちはああ言っていたが、日本は今世紀末までに、アメリカを超える経済大国になるだろう」
    ぼくは「そうですが、ずいぶん先の話ですね」と言いました。30年以上も先の日本を想像しようとしながら。
    「でもこの国は、核に対するアレルギーはかなり強いですよ」
    「そんなアレルギー、あと20年ももたないさ」
    …でも一番恐ろしかったのは、彼がある、国、この場合は日本の、文化も生活様式も精神も心もまったく知らずに、その国を理解できると考えていたという事実です。
    ぼくは一国の文化に対する理解を「無理に身につけた」と言うような専門家たちを常に恐れてきました。未来学者ハーマン・カーンは1983年にこの世を去りました。2年以内に日本が核兵器を所有するという予言の当否を、彼が自分の目で確かめることはついにありませんでした。
    >>/> ふーん、東京のビジネス界は理念的なのか(笑

    ・ぼくは日本人の心を持つようになったので、この国の現在だけでなく過去をも受け入れなければならないと思うようになりました。日本の若い人と同じように、この国で20世紀に起きたことに対しても、責任を感じざるをえませんでした。日本がアジア太平洋地域を侵略したときに、自分がまだこの国にいなかったからといって、責任を逃れられるわけではない。ぼくはこの問題についても、自分なりに向き合わなければなりませんでした。
    責任があるというこの感覚を、体の芯で感じたときに、ぼくは日本人になったと思いました。仮にそう思っているのは自分だけであっても。
    >>/> そういう意味では、今の若い人の多くは本当の日本人では無いのではなかろうか。僕もそうかも知れないけれど、少なくとも心は打たれた。

    ・日本の伝統音楽で奏でられる音、特に尺八の音などは、まさに「完全有欠」の具現化と言えるでしょう。なぜそう言えるのか。それは、尺八では、音を次第に小さくして消えさせることを、音を出すことよりも重要とは言わないまでも、同じぐらい重視しているからです。
    >>/> ここまで含んで音。

    ・ぼくは八重山上布と宮古上布の大ファンになりました。その染色と織布の技術は実に見事なものです。また、八重山上布には5×4の文様があるのが特徴です。実はそこには、あなたと「“いつ”の“よ”」までも、という願いが込められているのです。やっぱり八重山には素晴らしいロマンスがあるんだ!八重山の島では、中国、ポリネシア、東南アジアの文化の名残を見たように思います。
    >>/> 南の国のメンタリティ。

    ・ぼくは自分の意志でオーストラリアに行くことを決めたのか。いや、そうではありません。ぼくの境遇が、そうなるように定められていたのです。ぼくは、チーズが二種類あるときに一方を選んだ理由なら説明できるし、なぜ機能は映画館ではなく美術館に行ったのかの理由も説明できます。なぜならぼくには、出されたチーズにしろ、展示中の美術品、上映中の映画にしろ、それぞれの選択肢についての知識があったからです。しかし、人生における重大な決断をするとき、つまり住む場所、仕事、結婚相手などを決めるときには、ぼくら人間には選択の余地などないのではないか。
    >>/> ふふ、その通りだ。良い運命も、悪い運命も。

    ・夕焼小焼の赤とんぼ とまっているよ竿の先。
    ぼくは日本文化は頭だけでは理解できないと思っています。その音、色、感触を肌の毛穴からしみこませなければわからない。「赤とんぼ」の歌詞が呼び起こす映像の感触、特に歌をしめくくる「竿の先」のイメージは、このうえなく日本的です。それは、『源氏物語』や茶道、竿の先の赤とんぼならぬ、池に飛び込む蛙を歌った芭蕉の俳句や、川端康成の「山の音」に匹敵する、日本的なものなのです。
    ぼくはオーストラリアに住み、オーストラリア国籍も取得していましたが、ぼくのなかに日本人がいるおかげで、三木露風の小さな赤とんぼの美しさと悲しみには、なぜかいつもひかれてしまうのでした。ぼくは昔もいまも、どんなパスポートよりも、そういうことを大切にしています。
    >>/> 毛穴から染み込むようにしか分からないさ、とどの文化の人も思うのだろう。麦わら帽子と虫取り網のイメージも日本的なのだろうか。

    ・その1960年代の日本の文化も、1972年2月に軽井沢の「あさま山荘」を機動隊が包囲したときに、いったんその歩みを止めました。急進的な学生運動はこれを機に終わりましたが、そうでなくても「内ゲバ」と呼ばれる内紛によって終焉を迎えていたでしょう。この事件に続いてオイル・ショックが起こりましたが、日本はそのおかげで目を覚まし、世界における自らの位置を再認識することとなりました。またもや日本人は、国が成長と繁栄を続けるために、あくせく働くことを求められるようになりました。もう反逆している暇も、反逆を支えた文化にかかずらっている暇もありません。
    >>/> 日本がそれぞれの地域のアイデンティティを失ったのは、明治で日本が生まれ、戦争して敗戦し、そのまま国土全体が一度灰塵となり、そこから復興したから。そうか、だからなのか。

    ・彼の『父と暮らせば』はぼくが『The Face of Jizo』という題で英訳したものですが、この作品からはひさし先生の、原爆の被害者は実は全人類なのだという思いが読み取ます。
    >>/> !

    ・ユーモアは、自分を他者にわかってもらうための一助となるということです。あなたが生き残れるかどうかは、他者に、人間として認識してもらえるかどうかにかかっているのです(ユダヤ人の自嘲するユーモアというマイノリティのセンス)。日本人は有史以来、この国において、主流派の民族でありつづけてきました。自分たちを滅ぼすかもしれない他者に、自分のことを説明する必要はありませんでした。だから、ユダヤ人とはまったく逆の習慣が生まれました。この国では、相手に自分のことを延々と弁解がましく説明するのは、決して美徳とはみなされていません。
    >>/> 黙して語らず、は強者の歴史だったのか。

    ・北斎にはすべてがあります。馬鹿げたものからグロテスクなものまで、ありふれたものから壮麗なものまで。下品なものから詩的なものまで。ヨーロッパの画家は肖像画、風景画、宗教画など、どれを描いても、扱う主題は一つか二つに限られていることが多い。また、数は少ないけれど、レンブラントやブリューゲルのように、ありふれた人間の日常の光景を描いた画家もいました。しかし、ヨーロッパでは北斎ほど多様な主題と手法で作品を描いた画家はいません。だからこそ彼は最高に日本的なのです。
    >>/> こう、比較したことは無かった。文芸ももしかして?

    ・現代の日本の若者の内向き志向、孤立感、疎外感は、そのような「島国根性」とは異なります。むしろそれは、希望のなさに起因しているのです。個人がどんなに努力をしても、この社会ではすぐに出世し、成功することは不可能だという感覚。自分の先に見えるのは、何年も苦労した挙げ句に、一つの会社に適応することだけなのに、野心など持って一体何になるのか?だから若者はテクノロジーに守られた小さな繭にこもって、個人的な充足感を得ることだけを考える。
    >>/> そうかもしれない。ITはそれを打ち破るか。

    ・麹は醤油や味噌を作るときに使われる菌です。ラテン名は「Aspergillus oryzae(アスペルギルス・オリザエ)」で、日本の「国菌」に指定されています。国花ならよその国にもあるが、国菌のある国は日本だけなのではないかと思います。
    >>/> オリジナリティあるなあ。知らなかったけれど。

    ・ぼくはこれまでに、日本人から、数え切れないほど何度も、日本語は「曖昧な言語」だと言われたことがあります。申し訳ないけれど、それはまったく事実に反しています。そもそも、曖昧な、あるいは多義的な言語などというものは存在しないのです。もちろん、ある国民がその国の言語で曖昧な表現をして、そのような印象を与えることはありえます。しかしすべての言語は、いわば中立地帯なのです。
    >>/> 考えてみれば、尤も。

    ・いまの若い人は、あまりに早い時期に決断を迫られます。まだ若いうちから、人生の方向性を決める必要は全くありません。しかし、海に漂う流木のように、ただ漂っているだけというのはやめよう!その海の水に深く潜って、水中にあるすべてのものを観察してください。海綿(スポンジ)になって、自分のほうに流れてくるものを、何でもかんでも吸収するのです。外国語を学びましょう。いろんな人と出会いましょう。目をちゃんと開けて、この世界の美しさをよく見てください。
    そうすれば、人生の決断を迫られたときに、自信をもって正しい決断ができるでしょう。
    …ぼくは「あとがき」でも一つのフレーズを紹介しようと思います。それは「buck the system(体制に反抗する)」というものです。「system」とはここでは「支配体制」を意味します。では「buck」とはどういう意味でしょう?
    「buck」は、馬に関連する言葉です。「to buck」するという動詞は、「馬が背を曲げてはね上がる、後脚をけり上げる」という意味です。だが「buck」には比喩的な意味もあります。それは「何かに立ち向かう、頭を下げて突進する」という意味です。
    これを、みなさんが未来をめざして進んでゆく姿勢の比喩だと考えてみてください。もちろん、支配体制のすべてが悪いわけではありません。ぼくらは支配体制が、あらゆる部署とその業務において、国民に役立ってくれることを願っています。そして、選挙、学校、健康保険、年金などを見れば、多くの場面でそれが実現されていることがわかります。
    しかし、支配体制はときに、市民や国民の利益に反することもあります。それは、日本のような民主主義国においてもありうることです。
    もし、そのようなことが実際に起きているとあなたが個人的に感じたとすれば、そのときあなたは選択を迫られているのです。その選択はあなた個人の幸福を左右します。人生を現状のままおとなしく受け入れるか、背を曲げてはね上がる馬のように立ち上がって、頭を下げて突進するか、態度を決めなければならないのは、まさにそういうときなのです。その選択が、あなたを次にどこに連れて行くのかはわかりませんが、人生という冒険が行き先を決めてくれるでしょう。
    あなたは、そのレースには勝てないかもしれません。なぜなら、あなたと同じことをやろうとしている馬はほかにもたくさんいるから。でも、とにかく力の限り速く、できるだけ遠くまで、走れば良いのです。そして運が良ければ、自分自身がどれほど速く、どれほど遠くまで走れるのかに驚かされることでしょう。
    >>/> あとがきのエール。外国語を学ぶことを勧める著者らしい、日本語で使わない言い回しで。そのときあなたは、選択を迫られている。

  • 著者の遍歴とあれとこれとが混ざってるのは、著者の意図と逆にひたすら退屈になってるのは本当

    でも、「新そのまま」とかいう言葉感覚は素晴らしい

    松岡正剛の取り上げた5つの日本、というのも、説明が薄いから最初は違和感あるけど、色々考えてみると、割とやっぱり妥当なピックアップな気もする

    ただ、5つにわけるのには、やはり海路で日本を考える視点などが必要と思う

    日本語は曖昧だ、というのを否定し、むしろ曖昧さを的確に表現できる言語だ、というところは(そこまでは言えてなかったけど)、なるほど、という感じ

    全体的に散漫だけど、光るところがいくつもある

  • <目次>
    まえがき
    1 ここが、ぼくの国だ
    2 驚くべき創造力の国へ
    3 世界には、誠実で正直な日本が必要だ
    4 日本人も知らない本当の世界遺産とは
    5 「五つの日本」
    6 1960〜70年代に現れた革命児たち
    7 世界にも希有な表現者
    8 『戦メリ』の助監督をしてわかったこと
    幕間のひと言
    9 日本の文化は「振る舞い」に表れる
    10 ここではあらゆる場所が「舞台」である
    11 世界が気づいた「無私の心」
    12 銀河系を自らの中に意識せよ
    13 杉原千畝が世界に示したもの
    14 真に非宗教的な先進国、日本
    15 日本よ、自らと世界を再デザインせよ
    あとがき

    <メモ>

    1957年のこと、13歳のぼくは両親に天文学者になりたいとつげ、それがぼくと両親とのあいだで数十年つづく喧嘩のはじまりとなりました。しかしおかげで13歳という幼さで、ぼくが「もつべき」夢とされるものは、ぼく自身の夢とは別物であるということに気づきました。前者は親の夢なのでした。ぼくの両親は自分たちがなれなかったもの、自分たちが夢見ていた姿に、ぼくをならせようとしました。(23)

    教育
    教育とは子供たちに、反逆し、自分たちの夢をみるための道具と武器を授けるべきものです。(26)

    誠実で正直な日本
    世界を、この日本を必要としています。誠実で、正直で、熱意にあふれる日本、自分たちの主義を保ちつつも、意見を変えたり、罪をつぐなったりすることに前向きな人々のいる日本を。(61)

    世界はいまだかつてないほどに、幅広い意味での「日本文化」を必要としているのです。でも世界がこの国の、莫大な財宝のような文化に気づく前に、まず日本人がそれに気づいて、それを学び、世界に伝え、売り込む方法を考えるべきなのです。(177)

    迷惑をかけない
    自分のことを考える前に他人のことを考えようとさせたものは、日本で受けた家庭教育であり、その方針は「迷惑をかけない」という言葉で要約することができるでしょう。

    政教分離を実際に行える文化を持つ日本は、キリスト教の欧米とイスラム教の中東とが衝突する世界において、交渉の仲介役を務めるのに、最もふさわしい立場にあると言えるでしょう。日常生活から組織化された信仰を排除している日本人は、かえってあらゆる宗教に敬意を払うことができるのです。(287)


    2013.08.13 図書館の社会学のコーナーで見つけて借りる。
    2012.09.12 読書開始
    2012.09.18 読了

  • 【由来】
    ・千夜千冊のメルマガで。

    【期待したもの】

    ※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。

    【要約】


    【ノート】
    ・メルマガより
    ┏──────────────────────────────┓
      ◎日刊セイゴオ「ひび」◎ 2014年5月27日(火)
      オーストラリアにいるパルバースさんから千夜千冊のお礼。
      著作を書いてきてやっと報われたというほど感動してくれた
      ようだ。千夜千冊では、こういう「抱合」がよくおこる。
     ┗──────────────────────────────┛

      1545夜『もし、日本という国がなかったら』の著者である
      ロジャー・パルバース氏本人から、千夜千冊を読み
      「日本にきて47年、こんなに感動したことはありませんでした」
      というメールが届きました。
      松岡が、日本人よ、自信をもって体制に刃向かいなさい
      と説いた一夜。
      当夜と合わせてお楽しみください。


    【目次】

  • 全ての人が幸福にならなければ個人の幸福はない。-宮沢賢治

    経済あってこその文化ではなく、文化あってこその経済。

    事業の進歩発達に最も害をするものは、青年の過失ではなく、老人の跋扈である。-伊庭貞剛(第2代住友総理事)

    全ての人がひとしく想像する力と、想像した事を行動に移す力を秘めている。

    今足りないのは反逆の精神。理屈ではなく、両親や祖父母の世代には騙された気がするという感覚、自分の自尊心を呼び覚ますには自分なりの価値観を先ずは同世代の仲間の為に作るしかないという感覚。

    教育とは、子供達に、反逆し、自分たちの夢をみる為の道具と武器を授けるべきもの。

    世界からの日本人観:とても勤勉で我慢強いのは良いけど、無愛想。画一的で誰もが同じ事を同じようにするのが好き。へこたれないけど真面目で堅苦しい。多様性に欠ける。昔は画期的な事をやるすごい国だったけど、今はオリジナリティもエネルギーも感じられない。日本がなくなっても世界が受けるダメージは全くない。

    チャンスが目の前を通るような場所に身をおく事。そして、チャンスが目の前に現れるのはほんの一瞬の事だから、現れたら気づいてすぐにつかむ事。

    日本美術のエッセンスは「完全有欠」。なぜなら自然そのままのものがそもそも完璧ではないから。

    尺八は音を出す事と同じくらい音を消していく事を重視している。人の心を動かすものは音でも静寂でもない、その中間のなにか。

    日本文化は大別して5つにわけられる。
    東北、、、類を見ない神秘性
    東京、、、親子丼のような拝借文化
    京都、、、やわらく感性的な女性文化
    北九州、、、韓国文化の美しい影響
    沖縄、、、中国、ポリネシア、東南アジア文化の名残

    あらゆる日本人が寛大で心の広い、親切で平和な姿を世界に見せる事。

    日本のように上品で優雅で繊細な内面性を持つ文化はない。

    人生で重要なのは、自分がどう感じるかという事であり、他人が自分をどう思っているかではない。

    一国の文化は反逆者と不適応者によって創造される。

    なにか問題が起こった時、日本のように両者が礼儀正しくお詫びをする国はない。

    謙虚さは協力の精神の表れでもあり、世界が見ならうべき点。

    欧米のモットーは「誰もが自分自身の為に」日本のモットーは「誰もが他人の為に」

    譲り合いによって社会の和が保たれている日本。

    日本人は他人に迷惑をかけないようにものすごく気を遣っている。

    日本人には自分の気持ちや欲求を理屈っぽい言葉で説明する習慣がない。

    日本人は誰が悪いかは気にしていない。問題をできるだけ穏便に解決したいだけ。

    サービスとは、人に何かを与える事ではなく、人のために自分を捧げる事。

    欧米人は一貫性や対称性にこだわる。日本の芸術は多様なテーマをスタイルをごた混ぜにして表現する。

    経済的に繁栄するのはもちろんよいが、それを全ての人の幸福を守るような形でするように。進歩と言っても、全ての人間に対する思いやり、自然環境への愛情を忘れないように。-宮沢賢治

    自分の観察し調査した事と、個人的な思いや感情とを結びつける事で独創的な世界観を構築する事。

    南方熊楠は全ての自然の要素を、お互いに依存しあうものと捉えた。

    国菌(Taka-diastase)のある国は日本だけ。

    日本人には創造や発明にふさわしい精神がある。不適応者や変わり者に創造の機会を与え、社会に逆らう事を奨励する事。

    創造的な天才たちが、川の主流からわきの小さな支流に自作の小舟で入っていき、そこで遊びながらものを創造し、やがて成果を手に主流に戻って来られるような余裕が社会には必要。

    あらゆる創造にとって重要な事は、周囲に合わせず他人と違うように振る舞う個人の自由。この自由には社会に対する大きな責任が伴うが、その責任は何年も後に、あるいは死後にならないと現れない。

    正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。-宮沢賢治

    ぼくの世界観は独自のものであり、僕が考えたものである。その独自の世界観に沿って行動する為にこの人生がある。

    真のオリジナリティは、僕らの人間性、考え方、感情、欲望、希望、性格等、ぼくらが人生において生み出し創造する全てのものから生まれる。

    他人に遠慮して自分のオリジナリティを押し殺す必要はない。むしろ、オリジナリティを他人の為に役立てる事。

    時代に生きよ、時代を超えよ。-藤牧義夫

    ビジネスを環境保護や資源の保護と両立させる。

    若者が人生の個人目標にできるものの選択肢を増やし、それに伴って生じる多様な日本人のライフスタイルを認める事。

    日本再生の4つのキーワード
    race, nationality, ethnicity, citizenship
    国籍的には同じ日本人だが、エスニシティは違う国内異文化を尊ぶ。

    あらゆる宗教に敬意を払えるのは日本だけ。

    日本の美が時間を再デザインする際の特徴は「突然さ」

    日本文化に見られる時空間の再デザインはゆっくりとした生活のペースを創る。

    未知のデザインとエロチシズムの文化。

  • 国際化、グローバル化…必要?べつに~
    ただ、自信は必要。誇りも必要。日本という国は素晴らしい。文化、芸術、国民性。すべて素晴らしく世界にも類がない。そこはこれからの若い世代が認識してほしい。これだけ外国人(いや日本人か)が認めているのに。

  • 日本の未来を作るためのポイントは、日本の文化の中にあるのだと著者は主張する。その通りだと思う。やっぱり外からの方が客観的に観察できるのかな。ドナルド・キーンとは一味違う日本の文化論、文学論になっている。
    著者がひいた与謝野晶子がいい。「創造は過去と現在とを材料としながら新しい未来を発明する能力です」

  • 昨今、外国人へのインタビューで、上辺の良さだけを見て日本礼賛するシーンを多々見かけるが、この著者は次元が違う。タクシーの窓から通り過ぎる夜の街並みを見て「ここがぼくの国だ」と確信したり、日本人になりきるために、日本の黒歴史までをも当事者意識をもって受け入れたり、とにかくハンパじゃない。そして評論ではなく持論として、この国の進むべき道を明示している。この人の前では、民族とか人種とか、国籍といったナショナリズムが霞んでしまう。むしろそういった枠組みを超越して、一人の「日本人」として尊敬してやまない。

  • 日本については何も知らなかった著者は1970年代に日本に来たとたん、『ここは僕の国だ』と感じ、殆ど日本に滞在し3人の子供も全て日本で生み育てた。日本のオリジナリティーあふれる芸術や文学(特に宮沢賢治)また、労働者階級の人までが丁寧である国民性などに深く共感している。大島渚監督「戦場のメリークリスマス」の助監督も勤めた。この国のすばらしさを改めて感じると共に、やはり一億総中流(当時は悪い意味で使われていたものだ)がこのような国柄を造り上げたのではないかと思う。このまま経済格差が広がれば遅かれ早かれ欧米諸国のような雰囲気の国になってしまうのだろう。

  • 前世界文明センター長のロジャー・パルバース先生の著書です。日本人は謙遜が過ぎるあまり、日本の素晴らしさを見失っている。日本人の誠実さ、良心、無私の心。創造力と独自性、多様性に満ちた文化。海外から認められた時にだけ日本を誇らしく思うのではなく、自分たち自身がその素晴らしさに気づいた時、日本は世界での居場所を取り戻すだろう。日本人よりも日本人の心を持ったパルバース先生による希望に満ち溢れたメッセージが詰まっています。自分の国はこんなに素敵だったんだ!と思える一冊です。
    (建築学専攻 D3)

  • 他の国を知っている知識人の日本礼賛。日本への教養の幅と深さは並の日本人では及ばなく、その知識に立脚した日本論だけでも相当面白い。停滞して出口が見えない感が強い今の日本で迷子になる者に、暖かい勇気をくれる本。

  • バブル崩壊後、長きにわたる不況で日本人が自信をなくしてしまっている。そんな中で、自分達の国がどういう国であるか自分の国の文化・歴史・感性を学ぶべきかもしれない。外国人とは思えないほど、日本はどういう国なのか真剣に分析し、吸収しようという姿勢は見習わないといけないと思った。自分の国に誇りを持てるようになりたい。

  • 日本に暮らす外国人の自叙伝+こんな日本人が居たんだよって言う紹介。
    タイトルとは少し内容が離れているかもしれないが著者が出会った最近の著名人の話を読むには面白い。

  • 外国人である著者の知識や経験の半分にも満たない自分に愕然。もっと日本の文化に接しなくては。そして、若い皆さん、自国の経済力、文化力、技術力、国民性に自信を持ちましょう!そう言えば国菌て知ってました?

  • 著者による俳句の定義が面白い。

    俳句は十七音節による空間と時間の再デザイン

  • 日本在住アメリカ人(国籍はオーストラリア)の日本観。
    タイトルと内容が合っていない気がしました。
    面白いと感じるところも多々ありましたが、話が前後するので読みにくさも感じました。

  • この本を書いたのは日本人ではありません。
    しかし、日本の素晴らしさを日本人の感覚で伝えています。例えば、最も美しい日本語は宮沢賢治の世界であり、地震と津波の影響があった花巻の美しい景色がまさに宮沢賢治の世界であり、日本の美術とは完璧を目指さない自然という、つまり「そのまま」である。
    日本人である私が知らない素晴らしい人物や日本の文化について彼自身が心から思い、感動している日本、日本人の素晴らしさを語っています。
    日本と日本人は、世界にとって絶対必要と。日本人の礼儀正しさ、行動、独特の気配り、人種、民族性、民族意識、国籍、あらゆる宗教への敬意、美しい日本文化は今だからこそ、世界に必要であると。
    とても勇気付けられ、世界の中で日本が果たせることが見えてくるように思います。

  • 日本という国は、「国民教育」のおかげで、一応国としては一つになっていますが、地方ごと、生活圏ごとに、それぞれ独自のすばらしい文化を持っている。当たり前に身の回りにあるものを、もう少しだけ注意深く観察するだけで、思いがけない美しさに出逢うことができる。そのことに、ほんのちょこっと誇りを持とうじゃないか。

  •  いつも行っている図書館の新着図書の棚で見つけました。
     帯に坂本龍一氏の推薦文が載っていたので興味をもって手に取ったものです。著者のロジャー・パルバース氏は、アメリカ生まれですが、50年近く日本に在住している作家です。
     宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩に、日本人の美徳である「愛他精神」を見る、東日本大震災からの復興が本格化するこれからの日本にとって、著者はよき理解者であり、また、日本人自身も意識していない気づきを与えてくれる水先案内人のようです。本書で綴られているのは、そのパルバース氏からの日本と日本人へのメッセージです。

  • 日本人のよさ、日本の良いところを
    外国人が書いてある本だけど、
    内容的にはイマイチかと

    本書で書かれてある宮沢賢治の
    書いた本を直接読んだ方が
    いいのでは。。

  • 米国、ソ連、ポーランド、日本、オーストラリアと各国を巡り、
    稀有な人生を歩んで来た著者が、日本というすばらしい国を
    若い人たちに考えてもらおうと、体験と想いを綴った一冊。

    若者よ、日本を知ろう。そして日本を考えよう。

  • 期待値から考えると低い。
    著者が日本在住のアメリカ人で、その人の一生を中心に日本でどのような事を感じたか、日本の価値がどれぐらいあるのかを述べている。

    回顧録のような文章が多く、ストーリー性も低いので途中で飽きてしまう。

    終盤の無私の~などになってくると面白くなってきたが、それまでの内容は薄かった。

    残念ながら期待はずれ。

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著者プロフィール

作家、翻訳家、演出家、映画監督。東京工業大学名誉教授。1944 年、ニューヨーク生まれ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) を卒業後、65 年ハーバード大学大学院に入学。ロシア地域研究所で修士号を取得。ワルシャワ大学とパリ大学に留学後、67 年に初来日。長編小説や戯曲、短編集、随筆集など多くの著作を出版、上演している。76 年オーストラリア国籍取得。『英語で読む銀河鉄道の夜』(ちくま文庫)など宮沢賢治作品の英訳のほか、映画『戦場のメリークリスマス』で大島渚の助監督を務めたことでも有名。

「2023年 『『風の又三郎』を英語で読む』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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