辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦

  • 集英社インターナショナル
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784797673531

作品紹介・あらすじ

イヴン・バットゥータから『ギケイキ』まで。辺境ノンフィクション作家と歴史家が、古今東西の本を深く読み込み、知的バトルするガチンコ読書会。縦横無尽に拡がる対話は刺激と発見に満ちている。

感想・レビュー・書評

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  • いろいろな怪書、驚書を対談で紹介している。「ゾミア」文明から逃げて文字も歴史も捨てた人々「世界史の中の戦国日本」日本の辺境地の海のネットワーク「大旅行記」イブン・バットュータという変なすごいやつ「将門記」土地を奪うのではなく相手方の生産手段と労働力を喪失させる戦い「ギケイキ」武士とヤクザは一体「ピダハン」数もなく左右もなく抽象概念もなく神もない幸せな人々「列島創成期」認知考古学のホントかよ強引じゃねという解釈「日本語スタンダードの歴史」標準語は室町からできたのだし山の手にスタンダード日本語の人々がやってきて住み着いたーどれもこれも今まで信じていたことがひっくり返される本ばかり。

    • kuma0504さん
      ゲッ?私の敬愛する松木武彦氏の「列島創世記」を怪書に位置付けているのか。却って興味を覚えました。高野秀行さんだし。
      ゲッ?私の敬愛する松木武彦氏の「列島創世記」を怪書に位置付けているのか。却って興味を覚えました。高野秀行さんだし。
      2020/08/25
  • 【感想】
    「謎の独立国家ソマリランド」や「アヘン王国潜入記」といった、世界の辺境を旅するノンフィクション作家、高野さん。かたや明治大学教授であり日本中世史の専門家である清水さん。この二人が、面白かった本を何時間も語らいあって出来たのが本書である。お互いの専攻が「辺境」「日本中世史」とあって、取り上げられるのは歴史書、かつ「常識外れの一冊」が多い。

    例えば、初めに紹介されている「ゾミア」。ゾミアとは東南アジア諸国と中国の間にひろがる山岳地帯のことである。ゾミアに住む人々は、「あえて国家から逃げて原始的な生活を送っている」と、筆者のジェームズ・C・スコットは紹介している。

    通常、生活のレベルは徐々に文明化していく。現代で未だ原始的な暮らしをしている人は、ジャングルの奥地に住む少数民族ぐらいである。私たちに映る彼らの姿は、はっきり言えば「文明に取り残された野蛮人」だ。

    しかし、ゾミアの人々は違う。彼らは常識とは完全に逆で、定住型国家から逃げ出し、集まった人々で「戦略的な原始性」をつくり出したという。

    前提として、彼らには「国家はろくでもないもの」という意識がある。単純に「支配の象徴」であるからだ。稲作も国家的性格を強調させる農法として彼らは放棄している。そればかりか、彼らは文字も持っていない。国家は文字や農業(税)を通じて国民を管理していくからだ。文字を捨てるということは支配を避けるためのゾミアの知恵であり、戦略でもある。

    しかし、文字を持たないということは、歴史や伝統を放棄することでもある。これは文明国で暮らす私たちからしてみればとんでもない話だ。生きるとは何かを残すことであり、それを放棄してただ今だけを過ごすなんて、何か意味はあるのだろうか?
    しかし、ゾミアの人たちにとって歴史はそんなに重要ではなかったのだ。彼らは移動するから土地の奪い合いは起きないし、土地の権利を主張する手段も必要もない。生活の糧も遊牧や狩りによって賄えるし、物資が不足したら周辺国で必要なものを交換すればいい。
    裏を返せば、文明化でメリットを得てきたのは国家の側だったのだ。国家に所属し、国家に管理され、支配されながら生きることを望んでいない人が、一定数いる。私たちのように「発展=素晴らしいもの」という考えは、世界の辺境においては普遍的ではないのだ。これぞ、辺境をもとにした「常識外れの一冊」ではないだろうか。
    ―――――――――――――――――
    以上は一例だが、本書ではほかにも、14世紀にイスラム世界のほぼ全域を遍歴した記録をつづった「大旅行記」、現代に生きる源義経の魂が自らの生涯を解説していく「ギケイキ」など、「辺境の怪書」を色々と取り上げている。
    読んでいて感じたのは、自分がいる場所はまだまだメジャーの中のメジャーで、そこから少し外れれば、常識と思われていること全てがひっくり返る可能性があるということ、そして、その逆転を知ることはとっても面白いということである。
    それは未知を知るワクワク感であり、同時に、世界を見る目が以前よりも多層的に生まれ変わることへの楽しさでもある。自分の見識・教養を広げるうえでは、こうした「ニッチでディープな本」を読むことも、一つの力になるはずだ。

    ――これまでぼんやリと映っていた辺境や歴史の像がすごくくっきりと見える瞬間が何度もあった。解像度があがるとでもいうのだろうか。同時に、「自分が今ここにいる」という、不思議なほどに強い実感を得た。そして思ったのである。「これがいわゆる教養ってやつじゃないか」と。
    思えば、「ここではない何処か」を求める志向を私たち二人は共有している。でも浅はかながら私はなぜ自分がそれに憧れつづけていたのか気づかずにいた。
    「ここではない何処か」を時間(歴史)と空間(旅もしくは辺境)という二つの軸で追求していくことは「ここが今どこなのか」を把握するために最も有力な手段なのだ。その体系的な知識と方法論を人は教養と呼ぶのではなかろうか。
    もちろん、日常のルーティンにおいて、そんなことはほぼどうでもいい。だから往々にして教養は「役に立たない空疎な知識」として退けられ、いまやその傾向はますます強まっている。でも、個人や集団や国家が何かを決断するとき、自分たちの現在位置を知らずしてどうやって方向性を見定めることができるだろう。
    その最も頼りになる羅針盤(現代風にいえばGPS機能)が旅と歴史であり、すなわち「教養」なのだと初めて肌身で感じたのだ。

  • 二年前にこのお二方による『世界の辺境とハードボイルド室町時代』を読み、とても面白かったことを覚えています。
    この本はその第二弾だろうと思い、読んでみました。

    ところが、清水教授によると、高野氏の希望でこのコンビは解消、一回限りとなったそう。
    そして今回復活、読書会形式の対談をしようとの提案。

    選ばれた8冊の本は、私にとってこの対談を読まなければ一生出会えなかったろうと思われる、怪書&驚書。
    前回同様、お二方のお話は面白く、その本を読んでいなくても十分楽しめる内容になっています。

    読んでみたいのは松木武彦『全集日本の歴史第一巻列島創世記』野村剛史『日本語スタンダートの歴史―ミヤコ言葉から言文一致まで』村井章介『世界史のなかの戦国日本』。
    翻訳物と長いのはちょっと…。

    高野氏があとがきでこのように述べています。
    「往々にして教養は「役に立たない空疎な知識」として退けられ、いまやその傾向はますます強まっている。でも、個人や集団や国家が何かを決断するとき、自分たちの現在位置を知らずしてどうやって方向性を見定めることができるだろう。
    その最も頼りになる羅針盤(現代風にいえばGPS機能)が旅と歴史であり、すなわち「教養」なのだと初めて肌身で感じたのだ。同時に50歳を過ぎてそんな初歩的なことに気づくのだから、私の人生は迷走の繰り返しだったのだと腑に落ちた。でも重要な決断は人生あるいはその集団や国家が終わるまで必要とされるのであり、教養を学ぶのに遅すぎることはないとも思うのである」

  • いやあ面白かったなあと本篇を読み終え、笑う用意をしながら高野さんによるあとがきを読み出したのだが、まったくこのあとがきは素晴らしかった。感動的ですらあった。教養とは何か、なぜ教養は必要なのか、ということを、これほどわかりやすい言葉で実感をもって語っている文章を他に知らない。
    「教養とは、自分がいる『今ここ』を時間と空間のなかに位置づける羅針盤であり、人生の終わりまで必要なもの」
    胸にしみ通るような言葉だ。

    以前出たお二人の対談本「世界の辺境とハードボイルド室町時代」がとても良かったので、第二弾を期待していたのだが、これは少し趣向を変えた読書会的内容となっている。まあ当然かもしれないが、選書がマニアック。私が既読だったのは「ピダハン」だけ。イブン・バットゥータ「大旅行記」全八巻!なんていうのまである。まず読むことはなかろうという本が次々でてくるのだが、お二人の話を聞いていると読みたくなってくるようでもあり、読んだ気になるようでもあり、とにかく非常に興味深い。

    清水さんがまえがきで書いているが、この企画は、自分がこれは!と思った本について、その道の専門家であり、かつ気の置けない人と好き放題語り合う、という「不可能に近い欲求」をかなえたものなのだからして、まあ二人とも楽しそうなこと。取り上げた本の気になった箇所の話から、話題はどんどん広がっていって、知的な興奮に満ちている。

    歴史学者である清水さんの博識ぶりは言うまでもないが、その清水さんと対等に渡り合う高野さんの、半端ではない読書量と知識に驚く。辺境に未知動物を探しに行ったり、行動してナンボの人だというイメージもあるけれど、意外や学者肌であることはわかってはいたが、その実力をまざまざと見せつけられた感じ。

    へぇ~と感心したり、あ、そういうことかと納得したり、アハハ!と笑ったり、本当に楽しい一冊だった。前の本に続いて、表紙を山口画伯の馬バイクが飾っているのも二重丸。二番煎じはダメだからコンビ解消、なんて言わないで、またの機会があることを期待しています。

  • 辺境と歴史がテーマの図書を提示しての対談。
    高野のあとがきが実に良かった。
    教養とはと云う事なのだが
    「今自分がいるところ」を把握するには「ここではない何処か」を時間(歴史)と空間(旅もしくは辺境)という二つの軸で追求することが有効な手段で、その体系的な知識と方法論を人は教養と呼ぶのではないか。
    全体的に楽しんで読めたが最後のこの文章にはグッと来るものがあった。

  • 以前から気になっていた本。この手の本は好きだな。紹介されている本では、「ゾミア」と「ピダハン」を読んでみたい。

  • いやー、面白い面白い。
    お二人の前作も面白かったけど、これもまた面白い!
    易しい言葉で語り合ってくれるので、全くの門外漢でもついていけてありがたい。
    様々な方向へ、心が心地良く引き伸ばされていく感じだった。

  • 『「ここではない何処か」を時間(歴史)と空間(旅もしくは辺境)という二つの軸で追及していくことは「ここが今どこなのか」を把握するために最も有力な手段なのだ。その体系的な知識と方法論を人は教養と呼ぶのではないだろうか』

    教養とは経験や知識で積み上げたものの【解像度を上げる】こと。素晴らしい知的バトル。これを高校、いやせめて大学生時代にこんな授業を聴いていたら。これこそ一般教養で学ぶべきことなのだ。

  • 辺境作家の高野さんと、日本中世史研究者の清水さんによる、読書会対談。二人の対談はとても面白く、紹介されている本はどれも読んでみたくなります。対談中の用語の多くに脚注が付いているのですが、個人的にはところどころ脚注がツボにはまった。例えば「ピンポンダッシュ」に脚注が付いていたり。高野さんが「おわりに」に書いているのですが、辺境と歴史っていうのは、空間軸・時間軸として自分の立ち位置から離れたところを知ることで、逆に自分が今どこにいるのかを知るために重要な知識なんだということが分かった。それこそが教養。我々は何処から来て何処へ向かうのか、それを考えるために必要なことが教養なんだな。

  • "聞いたこともないような本、読んだことがない本について、二人の専門家が語る奥深い本になっている。「謎の国家ソマリランド」を書いたノンフィクション作家の高橋秀行さんと歴史家である清水克行さんがお互い本を紹介し、一方はその本を読んだうえでの対談となっているようだ。
    中には全8巻ある大書もあるので、この対談への準備は並大抵のものではなかったはず。地政学、歴史、文化、言語など様々な考察があり好奇心をくすぐられる。
    テーマとなっている書物は以下
    「ゾミア」ジェームズ・C・スコット
    「世界史のなかの戦国日本」村井章介
    「大旅行記」全八巻 イブン・バットゥータ
    「将門記」作者不明
    「ギケイキ」町田康
    「ピダハン」ダニエル・L・エベレット
    「列島創世記」松木武彦
    「日本語スタンダードの歴史」野村剛史"

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著者プロフィール

1966年、東京都八王子市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学探検部在籍時に書いた『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)をきっかけに文筆活動を開始。「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」がモットー。アジア、アフリカなどの辺境地をテーマとしたノンフィクションのほか、東京を舞台にしたエッセイや小説も多数発表している。

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