辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦

  • 集英社インターナショナル
4.00
  • (32)
  • (43)
  • (26)
  • (3)
  • (0)
本棚登録 : 477
レビュー : 48
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784797673531

作品紹介・あらすじ

イヴン・バットゥータから『ギケイキ』まで。辺境ノンフィクション作家と歴史家が、古今東西の本を深く読み込み、知的バトルするガチンコ読書会。縦横無尽に拡がる対話は刺激と発見に満ちている。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • いろいろな怪書、驚書を対談で紹介している。「ゾミア」文明から逃げて文字も歴史も捨てた人々「世界史の中の戦国日本」日本の辺境地の海のネットワーク「大旅行記」イブン・バットュータという変なすごいやつ「将門記」土地を奪うのではなく相手方の生産手段と労働力を喪失させる戦い「ギケイキ」武士とヤクザは一体「ピダハン」数もなく左右もなく抽象概念もなく神もない幸せな人々「列島創成期」認知考古学のホントかよ強引じゃねという解釈「日本語スタンダードの歴史」標準語は室町からできたのだし山の手にスタンダード日本語の人々がやってきて住み着いたーどれもこれも今まで信じていたことがひっくり返される本ばかり。

    • kuma0504さん
      ゲッ?私の敬愛する松木武彦氏の「列島創世記」を怪書に位置付けているのか。却って興味を覚えました。高野秀行さんだし。
      ゲッ?私の敬愛する松木武彦氏の「列島創世記」を怪書に位置付けているのか。却って興味を覚えました。高野秀行さんだし。
      2020/08/25
  • 二年前にこのお二方による『世界の辺境とハードボイルド室町時代』を読み、とても面白かったことを覚えています。
    この本はその第二弾だろうと思い、読んでみました。

    ところが、清水教授によると、高野氏の希望でこのコンビは解消、一回限りとなったそう。
    そして今回復活、読書会形式の対談をしようとの提案。

    選ばれた8冊の本は、私にとってこの対談を読まなければ一生出会えなかったろうと思われる、怪書&驚書。
    前回同様、お二方のお話は面白く、その本を読んでいなくても十分楽しめる内容になっています。

    読んでみたいのは松木武彦『全集日本の歴史第一巻列島創世記』野村剛史『日本語スタンダートの歴史―ミヤコ言葉から言文一致まで』村井章介『世界史のなかの戦国日本』。
    翻訳物と長いのはちょっと…。

    高野氏があとがきでこのように述べています。
    「往々にして教養は「役に立たない空疎な知識」として退けられ、いまやその傾向はますます強まっている。でも、個人や集団や国家が何かを決断するとき、自分たちの現在位置を知らずしてどうやって方向性を見定めることができるだろう。
    その最も頼りになる羅針盤(現代風にいえばGPS機能)が旅と歴史であり、すなわち「教養」なのだと初めて肌身で感じたのだ。同時に50歳を過ぎてそんな初歩的なことに気づくのだから、私の人生は迷走の繰り返しだったのだと腑に落ちた。でも重要な決断は人生あるいはその集団や国家が終わるまで必要とされるのであり、教養を学ぶのに遅すぎることはないとも思うのである」

  • いやあ面白かったなあと本篇を読み終え、笑う用意をしながら高野さんによるあとがきを読み出したのだが、まったくこのあとがきは素晴らしかった。感動的ですらあった。教養とは何か、なぜ教養は必要なのか、ということを、これほどわかりやすい言葉で実感をもって語っている文章を他に知らない。
    「教養とは、自分がいる『今ここ』を時間と空間のなかに位置づける羅針盤であり、人生の終わりまで必要なもの」
    胸にしみ通るような言葉だ。

    以前出たお二人の対談本「世界の辺境とハードボイルド室町時代」がとても良かったので、第二弾を期待していたのだが、これは少し趣向を変えた読書会的内容となっている。まあ当然かもしれないが、選書がマニアック。私が既読だったのは「ピダハン」だけ。イブン・バットゥータ「大旅行記」全八巻!なんていうのまである。まず読むことはなかろうという本が次々でてくるのだが、お二人の話を聞いていると読みたくなってくるようでもあり、読んだ気になるようでもあり、とにかく非常に興味深い。

    清水さんがまえがきで書いているが、この企画は、自分がこれは!と思った本について、その道の専門家であり、かつ気の置けない人と好き放題語り合う、という「不可能に近い欲求」をかなえたものなのだからして、まあ二人とも楽しそうなこと。取り上げた本の気になった箇所の話から、話題はどんどん広がっていって、知的な興奮に満ちている。

    歴史学者である清水さんの博識ぶりは言うまでもないが、その清水さんと対等に渡り合う高野さんの、半端ではない読書量と知識に驚く。辺境に未知動物を探しに行ったり、行動してナンボの人だというイメージもあるけれど、意外や学者肌であることはわかってはいたが、その実力をまざまざと見せつけられた感じ。

    へぇ~と感心したり、あ、そういうことかと納得したり、アハハ!と笑ったり、本当に楽しい一冊だった。前の本に続いて、表紙を山口画伯の馬バイクが飾っているのも二重丸。二番煎じはダメだからコンビ解消、なんて言わないで、またの機会があることを期待しています。

  • 辺境と歴史がテーマの図書を提示しての対談。
    高野のあとがきが実に良かった。
    教養とはと云う事なのだが
    「今自分がいるところ」を把握するには「ここではない何処か」を時間(歴史)と空間(旅もしくは辺境)という二つの軸で追求することが有効な手段で、その体系的な知識と方法論を人は教養と呼ぶのではないか。
    全体的に楽しんで読めたが最後のこの文章にはグッと来るものがあった。

  • 以前から気になっていた本。この手の本は好きだな。紹介されている本では、「ゾミア」と「ピダハン」を読んでみたい。

  • いやー、面白い面白い。
    お二人の前作も面白かったけど、これもまた面白い!
    易しい言葉で語り合ってくれるので、全くの門外漢でもついていけてありがたい。
    様々な方向へ、心が心地良く引き伸ばされていく感じだった。

  • 辺境作家の高野さんと、日本中世史研究者の清水さんによる、読書会対談。二人の対談はとても面白く、紹介されている本はどれも読んでみたくなります。対談中の用語の多くに脚注が付いているのですが、個人的にはところどころ脚注がツボにはまった。例えば「ピンポンダッシュ」に脚注が付いていたり。高野さんが「おわりに」に書いているのですが、辺境と歴史っていうのは、空間軸・時間軸として自分の立ち位置から離れたところを知ることで、逆に自分が今どこにいるのかを知るために重要な知識なんだということが分かった。それこそが教養。我々は何処から来て何処へ向かうのか、それを考えるために必要なことが教養なんだな。

  • "聞いたこともないような本、読んだことがない本について、二人の専門家が語る奥深い本になっている。「謎の国家ソマリランド」を書いたノンフィクション作家の高橋秀行さんと歴史家である清水克行さんがお互い本を紹介し、一方はその本を読んだうえでの対談となっているようだ。
    中には全8巻ある大書もあるので、この対談への準備は並大抵のものではなかったはず。地政学、歴史、文化、言語など様々な考察があり好奇心をくすぐられる。
    テーマとなっている書物は以下
    「ゾミア」ジェームズ・C・スコット
    「世界史のなかの戦国日本」村井章介
    「大旅行記」全八巻 イブン・バットゥータ
    「将門記」作者不明
    「ギケイキ」町田康
    「ピダハン」ダニエル・L・エベレット
    「列島創世記」松木武彦
    「日本語スタンダードの歴史」野村剛史"

  • 自分が絶対手にしないような本の内容を、読んだ人の感想や評価を聴いて、なんとなく読んだ気になった感が得られる本。

  • 本書はノンフィクション作家の高野秀行氏と中世史家の清水克行氏の読書対談第2弾。高野氏は以前に「間違う力」を手に取って以来、気になる作家ではあったが、まさかこれほどの教養をお持ちになっているとは思わなかった。高野氏の場合は、(あくまで想像だが)経験が先行しその後に読書によって知識を得ることで教養を身に付けていったと思われ、その経験から得られた教養が見事に歴史の事実と一致していることは驚きの一言に尽きる。本書で紹介されている作品は、お二人の対談を読んでいると、本書で紹介されているどの作品も読んでみたくなるが、どれも読みごたえがあって尻込みしてしまう。まずは手軽な「世界史のなかの戦国日本」あたりを読んでみたいと思う。
    それにしてもタイトルにある「辺境」というキーワードが、これほど人類の歴史にとって重要なものだとは考えたこともなかった。


    ・辺境では異なる文化や物資が交錯しますから、経済活動が活発になって富が蓄積されるんです。

    ・中国人は人材を育成しないっていうんですよ。優秀な人材を見つけてきて、すぐへッドハンティングしちゃうと。そこが農耕民族的ではないと著者のそがぺさんは言うんですよね。要するに、種をまいて辛抱強く育てて刈り入れするという発想ではなくて、遊牧民族的であると。中国では宋の時代で農耕民族的な伝統が途絶えちゃったんだと。

    ・日本では、室町時代に綿を栽培できるようになるんですけど、大量につくれるようになったのは江戸時代からで、それまでは綿布は輸入する一方でしたからね。それに、秀吉が朝鮮から陶工を連れて帰るまで、日本では磁器も自力ではつくれなかったわけだから。そう考えると、この時期の日本は、やっぱり同時代の中国・朝鮮に比べて出遅れていた感は否めないですね。

    ・最近は、「銃・病原菌・鉄」とは「サピエンス全史」などのグローバルヒストリーが流行だが、記述が大味なんですよね。もちろん、疫病とか飢饉とか地政学とか人智を超えた要素を歴史叙述の中に組み込んだという功績は大きいし、そこは面白いと思うんたけど。あんまり出来の良くないグローバルヒストリーって、結局、国家間の主導権争いであり、パワーゲームに終始するじゃないですか。だけど、この「世界史のなかの戦国日本」は、そういうのからこぼれ落ちる世界に目を向けているし、そういう歴史のほうが僕はリアルで面白いと思うんです。

    ・僕が衝撃を受けたのは、その「美の考古学」に書いてあることなんですが、日本列島に限らず、世界各地の土器の造形や文様は、素朴段階、複雑段階、端正段階と三段階で移行していくということですね。
    ・縄文土器は文様の控えめな素朴段階から、ゴテゴテした複雑段階のものへと変わっていって、弥生土器になるともっと機能的な端正段階の形になりますけど、そういう変化は世界中どこでもおおよそ共通していて、なぜなら、同じホモ・サピエンスがつくるものだからという説明になっていますよね。
    ・、これって、現代人も縄文・弥生の人も、ホモ・サピエンスとしては変わりがない、だから現代の認知科学を考古学に応用してもいいっていうことですよね。
    ・僕は文化や価値観と認知は違うものなのかと思ったんですよね。ホモ・サピエンスの認知は心の深いところにあって、文化や価値観はその上に乗っかっているんじゃないと。仕草は文化だから民族によって異なるけど、笑いや怒りみたいな、より動物的な感情は、時代や空間が違っても変わらないものなんだと。ということは、土器の文様やデザインの根本は、文化じゃないということになりますよね。もちろん個々の土器は文化的なものなんだろうけど、縄文土器と弥生土器の違いは認知レべルの違いだと。

    ・遠く離れた場所で似たようなモノがつくられるのは、それらの人たちの心の奥底にある、ホモ・サピエンス普遍の認知原理でつながっている何かが発露したからなんですよね。

    ・、文字から歴史を読み解く場合は、書かれていることがすべて事実だとは考えないんですよね。人はうそをつく生き物だし、何らかの自己主張のために文章を書き残している。たから、あえて書かれていることの裏側を読むとか、主張の背景を探るといった、少しねじくれた、意地の悪い読み方をする傾向があります。古文書を読む研究者の中でも優れた研究者は、むしろ「書かれていないこと」を読むことにエネルギーを注ぐ。そのへんのアプローチが少し違うのかな。

    ・本文の冒頭にいきなり内藤湖南が出てきますからね。「大体今日の日本を知る為に日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、応仁の乱以後の歴史を知つて居つたらそれで沢山です」(内藤湖南「日本文化史研究」)という文章を引用して、「現代日本語の源流についても、約五百年前、すなわち応仁の乱以降の一五・一六世紀の日本語を眺めれば足りる」と野村さんは言い切っている。

    ・室町期には、流通が発達して、都にいろいろなものが集まってくる、と同時に、都の知識や教養が地方に拡散していった結果、人々が都を目指すようになった。

    ・従来、江戸時代は儒教の社会だと考えられてきたんですが、どうも違っていたようで。むしろ儒教と神道と仏教をミックスした心学みたいなものによって国民道徳がつくられていったと言われているんですよね。

全48件中 1 - 10件を表示

高野秀行の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
高野 秀行
国分拓
角幡唯介
村田 沙耶香
冲方 丁
エラ・フランシス...
佐々木 圭一
J・モーティマー...
有効な右矢印 無効な右矢印

辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦を本棚に登録しているひと

ツイートする
×