辞書に載る言葉はどこから探してくるのか?ワードハンティングの現場から (ディスカヴァー携書)
- ディスカヴァー・トゥエンティワン (2013年12月27日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784799314333
感想・レビュー・書評
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飯間さんは『三省堂国語辞典』の編集者の一人であり、つい昨年『辞書を編む』という本を出して、辞書の編集者がどのような仕事をしているかを開陳したばかりだ。そこでは、正攻法として、本や雑誌からいかにして語を採取するかを語っているが、本書では語の採取が単に書物だけでなく、街を歩いてもとれるのだということを紹介している。これはまさにぼくがやっている方法と同じだ。違うのは、ぼくは街で見る漢字を通し、日中の漢字の意味の違いを追いかけているが、飯間さんは、採取した語を自ら編集する国語辞書に入れようとしている点だ。共通の点といえば、先日のテレビ(2013・1・23?)で飯間さん自身が言っていたが、こうした写真を撮っていると、ときに「誰何」されるという点である。本書はまた、東京の町歩きの案内書でもあり、どの地区では看板、掲示にどのような特徴があるかを語る。いや、それだけではなく、本書の端々には、国語学者としての飯間さんの蘊蓄、分析が入る。たとえば、江戸時代「丼」といえばウナギ丼のことだったとか、エレキギターが登場したことでこれまでのギターは、アコースティックギター、略してアコギと呼ばれるとか。(これには「急行」が出てきて「鈍行」が生まれ、「洋画」の登場で「邦画」が生まれたという鈴木孝夫さんの論考がある。ぼくの家の側を走る渥美線は急行もないくせにホームには「普通」という表示が出ている)、「鮭」とサーモンの違い、「サラダバー」「ジュースバー」のようなバーの新しい用法などなど、なるほどとうなづかされる指摘が各所に見られる。(バーについては中国語の口巴baの意味拡張と似ている。)
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言葉を探すのは何もインターネット上だけではない。文化人類学者がフィールドワークをするように、国語学者もフィールドワークをして新語を発見する。探すのも大変だが整理するのも大変だろうなあ。
「ババ歩き」という言葉が載っている。「ババ」といってもおばあさんやおばさんの歩く姿ではなく、早稲田大学の学生が高田馬場から大学まで歩くことを言う。余談だが、今年の箱根駅伝は総合4位だった。東洋大学、駒澤大学という2つの壁は厚く破るのが難しかった。
山手線で新橋まで足を運ぶと目立つのが「癒し」だそうだ。指圧、マッサージに限らず「癒し」に満ちあふれている著者曰く「癒しの街」だ。中には「いやし」ではなく、「いやらし」の空間もあったりして。
明治大学のあるお茶ノ水に目を移してみると、著者はある看板に注目した。それは「楽器の街 お茶ノ水 唯一の/アコギの専門店」だ。「アコギ」と言うとどうしても浮かんでくるのが「越後屋、アコギな商売をするとはおぬしもなかなかの悪よのう」だな。とは言ってここの「アコギ」はアコースティックギターの事で、悪いイメージが漂う方ではなかった。
言葉というのは、生き物なので移り変わりがある。「ふしぎ発見!」ならぬ「ことば発見!」をしに街に繰り出してみると面白いかもしれない。
PS 新年あけましておめでとうございます。読者の皆様、今年もよろしくお願いします。