【図説】「資源大国」東南アジア 世界経済を支える「光と陰」の歴史 (歴史新書y 50)

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  • 洋泉社
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  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784800305374

作品紹介・あらすじ

「豊富」な資源をもつインドネシア、ベトナム、マレーシア。-しかし、「開発」による環境破壊にも注視せねばならない!図版60点を掲載。

感想・レビュー・書評

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  • 東南アジアのコーヒー、サトウキビ、天然ゴム、ココヤシ、アブラヤシを取り上げる。ヨーロッパの海洋進出以降、これらのプランテーションが次々に開発されていき、モノカルチャーによる商品経済に組み込まれていった歴史がコンパクトにまとめられている。

    1619年にバタビアに根拠地を築いたオランダ東インド会社は、18世紀にはジャワを中心に領土支配を広げたが、そのための出費がかさむなどして経営が悪化し、18世紀末には解散に追い込まれた。イギリスによる占領と返還の後、1830年からはジャワのほぼ全域とスマトラ、スラウェシの一部で、住民に特定作物の栽培を義務付ける強制栽培制度を導入し、高地ではコーヒー、低地の水田ではサトウキビや藍が栽培された。その後、民間企業家が台頭して自由主義の思想が広まると、1870年から強制栽培は漸次廃止され、1910年までに民間企業による農業経営に切り替わった。1950年代後半のオランダ企業接収・国有化の結果、オランダ系コーヒー農園のすべてが国営農園企業に転換した。現在、コーヒー生産の95%以上を小農民が占めるが、すべての豆は大農園経営と一体の企業によって加工されるため、条件と価格は企業の支配下にある。生産量の7割以上をスマトラが占め、ジャワで1割強、スラウェシで1割弱となっている。2009年の重量ベースの輸出先は、43%がヨーロッパ各国、24%が日本を含むアジア、16%が北南米。ベトナムでは、1980年代後半のドイモイ政策によって、中部高原を中心に企業が進出して生産量が急増し、現在はブラジルに次ぐ世界第二の生産・輸出国となっている。

    サトウキビによる甘藷糖の生産は、ジャワでは17世紀から華人たちが畜力を用いて生産していたが、19世紀に動力と鉄製機械が導入され、1881年にはコーヒーの輸出額を抜いて最重要の輸出品目となった。イネ科のサトウキビは、稲などとともに水田を利用した輪作によって栽培された。フィリピンでは、イギリスの圧力によって1834年にマニラ、1855年にパナイ島のイロイロが開港され、ルソン島中・南部とパナイ島に隣接するネグロス島で砂糖が生産されはじめた。米西戦争後、1909年に排他的自由貿易政策によって二国間の輸出が非課税となり、砂糖産業は発展をとげた。1930年代の大恐慌により、ジャワの砂糖産業は輸出先の保護関税強化により大打撃を受けたが、アメリカは地域別割当制度を導入したため、フィリピンの砂糖産業は保護された。タイでは、サトウキビは米作地帯の外周の畑作地域で栽培されてきたが、戦後の労働節約的な技術革新、1960年代の近代技術導入、1970年代の製糖工場の設備巨大化によって輸出を増やした。現在はブラジル、オーストラリアに次ぐ世界第3位の輸出国となっている。

    天然ゴムは、南米原産のパラゴムノキの樹脂液(ラテックス)を原料とするもので、1876年にイギリス人がブラジルから種子を送ったものがロンドンで苗木として育てられ、セイロン、シンガポール、マレー半島に渡った。1890年代から自動車産業の勃興に伴ってタイヤ原料の需要が急増し、ゴム価格が急騰してゴムノキが栽培されるようになった。第二次大戦中に東南アジアが日本の占領下となったため、合成ゴムの生産が伸び、戦後も続いたが、1980年代のオイルショックによって天然ゴムの需要が伸びた。また、天然ゴムは熱に強く、劣化しにくいため、航空機や大型トラック・バス、ラジアルタイヤに用いられる。現在は、世界需要の4割を天然ゴムが占めている。1980年代半ばまではマレーシアが世界一の生産国だったが、収穫が始まるまでの年数が短く、必要な労働時間も少ないアブラヤシへの植え替えが進んだため、1980年代末からは減産が続いた。国土の広く、人口も多いインドネシアでは、アブラヤシは新開地につくられたため、ゴムの生産量は伸び続け、2000年代には急増し、輸出量では世界一となっている。タイは1980年代半ばに急速に生産量を伸ばし、1990年以降世界一となっている。経営主体別の面積は、インドネシアでは86%、マレーシアでは95%が小農によるもの。

    ココヤシは、19世紀末からフィリピンとインドネシアで商業的栽培が進み、外貨の重要な稼ぎ手となった。ココナツの生産量は、1980年代以降インドネシアが多いが、コプラを含むヤシ油の生産量はフィリピンが多い。1970年代以降、アブラヤシ栽培の拡大によって価格が下落したため、ヤシ油の輸出量は急減した。ココナツの脂肪層を乾燥させたものコプラは、マーガリン、せっけん、ろうそくなどの製造に用いられる。コプラを圧搾または溶剤で抽出したヤシ油は、マーガリン、ショートニング、製菓用油脂などに用いられる。

    アブラヤシは19世紀前半にインドネシアに導入され、20世紀にプランテーション栽培が主にスマトラ北部で広がった。マレーシアでも1910年代にプランテーション栽培が始まったが、1970年代に栽培の拡大が加速した。インドネシアでは1980年代に栽培が拡大し、2009年には世界一の生産国となった。州別では、北スマトラ、リアウ、南スマトラ、中カリマンタンが多い。主体別では、マレーシアでは民間の大規模農園が6割以上、政府機関や公社が24%、小農が13%、インドネシアでは、大規模農園が53%、小農が40%、国営企業が8%となっている。パーム油は調理用、パーム核油は加工食品として使われることが多い。

  • 1990年初頭nスズ生産量は、70年代の水準を下回っていたが、その後のIT産業の発展いよって、特に携帯電話の悪初的普及に伴う需要で2000年代になってからはすごく生産量が伸びた。

    インド、中国などのアジア市場に依存したジャワの砂糖産業が1930年台の大恐慌下で輸出先での保護関税強化により大打撃を受けたのとは対照的に、無関税のアメリカ市場に依存したフィリピン産の砂糖sン行は減少しなかった。

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著者プロフィール

東京大学名誉教授。
東京大学経済学部卒業後、10年間アジア経済研究所で中・東部ジャワの現地調査を中心にインドネシア農村経済の研究に従事。その後東京大学東洋文化研究所に転じ、30年以上インドネシアを中心に東南アジアの経済・社会の研究を担当。1993年に立ち上げられた「日本インドネシアNGOネットワーク」(JANNI)の創設にも関わり、現在も運営委員会代表を務めている。1997年から2008年まで東京大学がJICAのプロジェクトとして行なったインドネシア大学日本研究センターへの研究協力にも携わった。
主要著書『インドネシア農村経済論』(勁草書房、1988年)、『現代インドネシア経済史論』(東京大学出版会、2004年)、『インドネシアを囓る』(めこん、2003年)、『インドネシア検定』(監修、めこん、2010年)、『東大講義 東南アジア近現代史』(めこん、2012年)など。

「2017年 『インドネシアの基礎知識』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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