森信三講録 西郷南洲の遺訓に学ぶ

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  • 致知出版社
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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784800910332

作品紹介・あらすじ

昭和14年、風雲急を告げる激動の時代の中で、国民教育の師父が選んだ講義のテキストは「西郷南洲遺訓」だった。全一すなわち知・情・意にわたる明知明察の立場から縦横自在に解説。

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  • ”森信三先生が、昭和14年に愛知県半田市の知多哲学会にて実施された講義録(森先生 45歳!)。「為政」の偉人・西郷南洲の遺訓から「人の長たる」心得を学びつつ、やはり「立教」に軸足をおいた解説に戻ってくる点に、「只一個の教諭として終始」する覚悟・凄みを感じる。

    2015年1月の人間塾で学んだ際に心に響いたのは以下の箇所。

    ★下々の者が人に長たる人の様子を見て、「あれではどうもお気の毒である。あんなにまでされないでもよいのに、私どもがさせて頂きますから──」と、こういう処まで人に長たる者は己を尽くさなければならぬ。そこまでいかないと政令も十分には行われないものである。(p.39)
     ※あー、これが足りぬのだ…。でも、あの人はできている…。

    ★人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽て人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。(p.126)
     ※人と比べるのは「相対」、天は「絶対」。絶対を相手にせよ。
      上の言葉で、人と比べるのはまだまだなのだ。

    ★真に道を行うものは、自己に対する世間の批評のすべてが分かりつつ、しかもそれによって動かされないで、自らの信ずる道を断々乎として進み得る人間でなければならぬのであります。(p.152)
     ※またでた「自らの信ずる道」。あー、かくありたい!
      では、どうするか?
     →やりきるしかない。目の前の銅を掘れ!! 結局 p.39「あんなにまでされないでもよいのに」に戻るのだ。


    <抜き書き>
    ・それは一黒田という人間の力ではなくて、その背後にある大西郷の偉大なる人格の反映であるということがわかったのであります。そこで庄内藩士は非常に感激いたしまして、(略)
     その中心人物というのは菅(すげ)実秀(さねひで)という家老であります。(p.13)
     ※立役者は菅氏。

    ・ところが義という立場は、かかる一般的な理のもつ真理性を、現実自己の置かれている特殊の立場において、いかに之を実現するかという特殊現実の問題であります。(p.29)
     ※理だけを唱えていてはだめ。現実問題に照らした義として実現せねば。

    ・真実の人は詐謀(さぼう)を用いないのであります。同時に真実の人というものは永遠を見る人であります。これは現実には見透しの利く人であります。(p.55)

    ★劣等児救済の真の対策は(略)何よりもまず第一に憐れむということでありましょう。そこでこのあわれと思う情が積極的に動くと「成程思えは学科は出来ないが、しかしそれでよいのだよ。(略)わしは決してお前を見捨てはしないぞ、お前には外に見捨てようにも見捨てられない良いところがあるんだから──」(p.69)
     ※このセリフ、これこそが本当の「情」であり「憐れみ」だ!

    ・私ども立教の立場にある者として(略)「租税を薄くして民を裕(ゆたか)にするはすなわち国力を養成するゆゑんである」ということを、(略)この言葉の持つ真理性を生かすには一体どういうことになるか、と考えてみたいのです。
     私は、それは職員に時間の余裕を与えるということではないかと思うのであります。(p.79)
     ※ここに、WLB の本質がある。

    ★徒(いたず)らに相手の意を迎えようとすることは却って彼の軽侮を招く所以であります。そもそも相手の意を迎えようということは、利心に根ざすものであります。そこでその利心のためについに自己を失うに至るのであります。同時に、これ相手の軽侮を招くゆゑんでもあります。(p.95)
     ※これ!! 正道を踏み、国に以(も)って斃れるの精神なくば…

    ★そこでまず生活の全体的態度として克己という根本態度を打ち樹てるのであります。(p.117)

    ・過ちを改るに、自ら過つたとさへ思ひ付かば、夫れにて善し、其事をば棄て顧みず、直に一歩踏出す可し。(p.134)

    ★要するに人間は、自己の尽くした真実だけの価値しかないのでありますから… (p.140)

    ・その理を実証するような実例を知って居りますと、(略)人間として我子を死なせた以上哀しくないことはない、しかし、取り乱さないことが出来るのであります。(p.145)

    ・表現の趣き、リズムに対する感覚(p.147)
     ※「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。」について。リズム、大切!

    ★そもそも譬(たと)えというものは、単なる理論の理会からは出ないものであります。普遍なる理論を真にわが身に体し得て、はじめて譬えを引くことが出来るのであります。(p.173)
     ※あーーー、そのとおり。本当の理を体得していないから下手くそなのだ。

    ★人を内面から動かすものは徳であり誠であるけれども、しかし衆を統べるにはどうしてもそこに才能というものを必要とする一面がある。誠の至れる人はよく人を動かす。その人に感じて動くこと又速やかである。また才能周(あまね)き人においては、その治める範囲が広大である。才と誠、才と徳とが融合して然る後はじめて現実界のことは成就するものである(p.183)
     ※ではどうする? 才がないからとあきらめる? 何とかして高める(頼る、補う)? → 頼りつつ、助けを借りつつ、高めるしかなかろう。



    <きっかけ>
     人間塾 2015年1月の課題本。”

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