没入と演劇性: ディドロの時代の絵画と観者

  • 水声社
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  • Amazon.co.jp ・本 (374ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784801005068

作品紹介・あらすじ

観者の存在を前提とするミニマリズム作品を批判した概念として名高い「演劇性」は、18世紀のフランス絵画の成立条件に関わる根本的な問題として登場した。画家たちの様々な試みを見るとともに、ディドロに代表される当時の美術批評家の言説を読み解きながら、いかにして観者という存在のあり方が問題視されるようになったのか、その理論的枠組を大胆に提示する。

《ディドロの絵画観は、突き詰めると、観者は存在しない、観者は本当の意味ではそこに、画布の前に立ってはいない、という究極の虚構に立脚している。そして、絵画のうちにそうした虚構を打ち立てようとするならば、行為と情熱をドラマ的に描き表すこと、そしてそれに伴って生じる因果関係によって瞬間的に見てとれる単一性=統一性(ユニティ)のあり方というものが、利用可能な手段のなかでも最良のものだったのだ。》(本書より)

感想・レビュー・書評

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  • 反演劇性 | 現代美術用語辞典ver.2.0
    https://artscape.jp/artword/index.php/%E5%8F%8D%E6%BC%94%E5%8A%87%E6%80%A7

    伊藤亜紗 | Asa Ito
    http://asaito.com/

    blog 水声社 » Blog Archive » 7月の新刊:没入と演劇性——ディドロの時代の絵画と観者
    http://www.suiseisha.net/blog/?p=13043

  • 絵画は統一性を持つべきである。なぜなら、美とは観る者を魅了することであり、絵画が統一性を持てば観る者は絵画に表現されるものを包括的に理解でき、絵画の世界に入り込めるから。

    「演劇」的な絵画とは、見られることを意識し、劇的な演出を加えられた絵画のことである。これは、絵画が観るものに開かれているために、統一性を損なう。
    対して、「没入」的な絵画とは、見られることを意識せず、絵画の登場人物が自らの世界に入り込んでいる絵画のことである。絵画の世界が観るものに対して開かれていないために、絵画は統一性を持つ。

    画家は、一方で自らの描く世界に入り込まなければならないが、他方でその絵画が見られることを意識しなければならない。この逆説の彼岸で、絵画が観者に対して閉じたものであることで、観者が絵画に入り込むことができるという、逆説的なテーゼを持ち出している点が、この著作の面白いところだと思う。

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