こころ オブ・ザ・デッド ~スーパー漱石大戦~(1) (アース・スターコミックス)
- 泰文堂 (2016年12月12日発売)
- Amazon.co.jp ・マンガ
- / ISBN・EAN: 9784803009736
感想・レビュー・書評
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原作・夏目漱石/アメイジング翻案・架神恭介/漫画・目黒三吉『こころオブ・ザ・デッド~スーパー漱石大戦~』読了。
『こころ』の先生とKが半ゾンビ化したお嬢さんの治療のため、房州の陸軍疫病研究所を目指す!
その道中で他の漱石作品とクロスオーバーしたりもする、狂気に満ちたゾンビ漫画。恐らくもう続かないんだろうけど好き。
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架神恭介×夏目漱石→ゾンビいっぱいご当地バトル!!
明治の文豪にして千円札の顔を退いてなお圧倒的な肖像の知名度を誇る「夏目漱石」。
『こころ』、『門』、『坊ちゃん』、『吾輩は猫である』……、実際に読まれたことがなくとも国語の教科書の常連を前に、日本人がその影響から逃れるのは困難でしょう。
それを全く自重しないマルチ作家「架神恭介」がダイナミックに翻案し、『低俗霊DAYDREAM』などの「目黒三吉」先生の手により漫画化してしまったのが本作になります。
架神先生が自身のブログ上で夏目漱石の著作を読んで分析、感想を述べていた時から何か嫌な予感がしていましたが、宗教書シリーズに続いてまさかこれとは。
この一巻の刊行と続く京都での主人公の叔父との対決で連載は休止になってしまいましたが、完結せずともこの時点で圧倒的に面白い伝説を作ってしまったことは確かなので、それはそれとレビューを書いていきます。
漫画原作と言えば、単に文章を渡すだけとは限らずに色々な形があるようですが、今回夏目漱石先生原作の小説から作家・架神恭介が翻案という形で漫画と同時連載で小説を書くのはまぁ良しとしましょう。
なぜか架神先生、漫画の設計図になる「ネーム」も初挑戦という触れ込みで併せてWEB連載していたりします。
生粋の小説家と漫画家としてキャリアを積んだ方の差、コマ割りなどは流石に一日の長、目黒先生主導のようですが、書き込まれた指定などを見るにメディア展開に当たっての意志疎通の大切さがわかります。
ここが狙いだというのが小説‐ネーム‐漫画と、ネームによって二者を繋ぐ架け橋になっているということで。
結果、勢いしかないって勢いで繰り出されるダイナミックなギャグとアクションを目黒先生は描き出されています。
で、話を戻しますと。
「私」が罪を犯した「先生」の追想という形の悔悟録を読むという『こころ』の流れに沿った筋になっているんですが、そこに早速「ゾンビ」が介入することで大筋は外していないのにだいたいおかしくなっていきます。
そしてツッコミはありません。みんな大真面目です。
明治日本にゾンビが大量発生という異常事態を異常と受け止めつつも、普通に受け入れて話は進行します。
ゾンビ映画というジャンルもまぁ色々なんですが、架神恭介の作家性は陽にして躁と私が今さっき言った通り、B級映画を志向したのかお祭り騒ぎっぽいのは気のせいではないはず。
同時期に『高慢と偏見とゾンビ』という映画が公開されたことといい、この頃は洋の東西を問わずみんななにかに憑かれていたのでしょうか?
で、東京から最終目的地の房州を目指すはずが、無理やりな流れで四国に漂着し、そこから首都圏への帰還を目指すという盛大なロードムービーへと話は展開します。
愛媛に恨みでもあるのかという筆致が冴える『坊ちゃん』からしてそうですが、鳥取、京都と盛大に各都道府県への風評被害を撒き散らしつつ、作中人物は一人を除いて「夏目漱石」の著作から客演という体裁を取っているのは何の冗談か。
一体どこの誰が夏目漱石作品が一堂に会する夢のクロスーバーを夢想したというのか。
それでいて引用される夏目漱石の名句が一々場面に合っているから困ると言いますか。
なぜか原典を当たってみたくなるというこの衝撃。
実のところ原作に忠実なところは忠実で、原作で書かれていなかったところを膨らませているだけなので、骨子の部分は抑えているのですよ。
極限状態で選択を強いられる中「K」との間で「お嬢さん」を巡って煩悶する「先生」の姿は『こころ』そのものです。
「K」がなぜ「K」と呼ばれるのか原作で明かされなかったそのゆえんが(勝手に)明かされたりもします。
他メディアで映像化の機会も多い『坊ちゃん』の「マドンナ」の出番がこんなもん? って思われる方も多いかもしれませんが、原作を見るに主人公と接点が皆無で案外こっちの扱いの方が近かったりもしますし。
メディア展開に当たって改変されるのは、きっとどこでも同じなのでしょう。
基本、快刀乱麻な主人公である「坊ちゃん」を筆頭に、何でここまでイメージを拾えるんだよって感覚(錯覚?)は、日本人の脳裏に夏目漱石がどれだけの影響を持ったかの証明のようで興味深いです。
アレジメントがいよいよ好き勝手に展開し、架神恭介の得意とする「メタ・フィクション」の萌芽が見えたところで本作は終了していますが、願わくばまた違った形で見てみたいのも確かです。
「擬人化(キャラクター化)」という手法で実在の偉人を愛でるだけなく、名作の翻案をここまで突き詰めることで原典へのリスペクト(?)を新たにしたそんな手法は、もっと世間に流布されて然るべきだと、そう思ったのですから。 -
これはリスペクトなのか、それとも冒涜なのか。
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出オチと思いきや、話が進めば進むほどどんどんヒドくなる。
架神先生のロックなアイデアと勢いのある台詞回し、そして意外と上品な筆致でそれらを生かし、時にネームにも描かれていない酷いネタをブチ込んでくる目黒先生の漫画力、それらが単なる色物で終わらないクオリティを生み出す。
あと地味に夏目先生の原作…クレジットで同列に並んでいるのでそう扱っても良いはず…『こころ』という作品は、『ロミオとジュリエット』並みに、創作の原案としてもっと活用されても良いものなのかもしれない、と本作を読んで思ったり。
夏目作品が一方的にレイプされているように思えて、実は夏目作品が本作に一本筋を通すというか、深みを与えているように思えるのですよ。