- Amazon.co.jp ・本 (168ページ)
- / ISBN・EAN: 9784803803532
作品紹介・あらすじ
副題:思いやりのある生きかたについて大切な機会に少し考えてみたこと
卒業式スピーチとしては、2005年にスティーブ・ジョブズがスタンフォード大学で行なったもの(「ハングリーであれ、愚直であれ」)が有名だが、同じ年にケニオン大学で負けず劣らぬ名スピーチをしたデヴィッド・フォスター・ウォレスという作家がいた。
本書はそのスピーチ「これは水です」の完訳版である。作家としてはポストモダン文学の旗手として、アメリカの若者を中心にカルト的ともいえる人気を博しつつ、46年という短い生涯を自らの手で閉じてしまったウォレスだが、「考える方法を学ぶ」ことが人生にとってどれほど重要かを、平明かつしなやかな言葉で語った本スピーチは、時代を超えて読む者の心に深く残る。
感想・レビュー・書評
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「銃で自殺する大人の
ほとんどが
撃ち抜くのは……
頭部なのですが
すこしもこれは偶然ではない
こうして自殺する人の大半は、
じつは引き金をひく前から
とうに死んでいるのです。」
そうか?そうなのか?
強烈な違和感を持った。
「大文字の『真理』とは
死ぬ以前の
この世の生にかかわることです。
三十歳になるまで
いや、たぶん、五十歳になるまでには
どうにかそれを身につけて
銃でじぶんの頭を撃ち抜きたいと
思わないようにすることなのです。
これが、ほんとうの教育の
ほんとうの価値というものです。」
なるほど、そうか。
違和感が共感に変わった。
語り手の自殺を知るまでは。
魚にとって水中が「何もない」世界ならば、私が今生きている世界は、魚にとって「空気」のある異世界と言えよう。
異世界では、己の機能や意思を改めて相対化出来る。
そんな大層なものではなく、鏡一枚向こうにだって、広がっている世界がある。
そして、この異世界があるから、私たちは考えることが出来るんじゃないかと思う。
たった一つの物から、たった一人の他者から。
その中で見出した自分自身が、生きることの価値を認めるのならば、確かにそれは教育の本望じゃないか。
生きることが見えていなくても、考えることと向き合えなくても、人はその種を持ち続けている。
だから、生きながらにして死んでいるということの意味を、私は受け容れることが出来ないでいる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書はいわゆるリベラルアーツカレッジの卒業式でのスピーチを書き起こしたものである。
著者は若いころから精神を病んでおり、この数年後に自殺をしてしまった。ある意味、遺言的な意味合いにも感じられるメッセージである。
タイトルの「水」とは魚にとって普段意識しなければ感じることがないものであり、これは人が生きていくうえでも、当たり前であると思われるものに対して、常に意識していくことの重要性を説いている。そしてそのためには、リベラルアーツが重要であり、リベラルアーツとは「ものの考え方を教えること」であり、単なる知識を詰め込む学問ではないということ。日々流されて生きている自分も気づきを得ることのできる著書であった。 -
初期設定、というフレーズにはっとさせられる。
言われたくない現実を突きつけられて泣きそうになるけれど、そこから脱却できるかは自分自身。 -
B6の判型、1ページにちょっとずつしか書いてない、いかにも”ありがたいお言葉”風のブックデザインは好みでないが、リベラルという言葉の捉えなおしができて、また訳者解説の中に、今の自分の立場にしみるビルゲイツの祝辞を見出し、読んでよかった。
リベラル・アーツ(一般教養)というものが、学生に知識を詰め込むことに重きを置いておらず、「ものの考え方を教えること」を重視しているということ、だからデビッドフォスターウォレスはケニオン・カレッジでの卒業式での講演を引き受けたのだという。
「ものの考えかたを学ぶ」とは
ほんとうは、
なにをどう考えるかをコントロールするすべを学ぶ
ということなのです。
そんな虫のいいことなんかありっこない。
でも、あながち、ありえないことでもない
それはただ
あなたが何を考えたいか、に依るのです。
===以下訳者解説より===
複雑だからと言ってやめるな、行動家になれ。大きな不公平を引き受けよ。それはあなた方の人生の大きな経験の一つになるでしょう。(2007年ハーバード大卒業式 ビル・ゲイツ)
狂信や先入観、しがらみや因循姑息から、数理が君を解き放つ。テニス・ボーイの呪縛を説かれたウォレスのように。
理想化された平等や民主主義を金科玉条とするへなちょこを「リベラル」と呼ぶのがいつしか固定してしまった。そのレッテルを張って魔女狩りにいそしむ「なんちゃって右翼」も無知は同罪で、リベラルか否かは本来、政治思想の保守革新とは位相が違うはずだ。初期設定に囚われるか否かの違いがあるだけだ。 -
“ほんとうに大切な自由とは、(中略) 無数の取るに足りない、ささやかな行いを色気とはほど遠いところで、毎日つづけることです”
はなむけの席のスピーチなのに、首尾一貫してリベラルアーツと、冷めた現実主義の世界が展開。
「 これは水です」ー 見えない世間の「水」を、 さりげない言葉で見える言葉に綴り出して、見せてくれる。
自殺をほのめかすような言葉も綴られていて、それが当事者自身に降りかかってしまったのが残念でならない。
鬱病の希死念慮は、奇才をもってしても、考え方でどうなるものではなく服薬をやめてはならない、周囲は目を離してはならないと言う別の示唆も、訳者あとがきと著者の生き様から分かります。 -
自分のこころの内側を見つめ直すきっかけになります
-
アメリカの大学の卒業式で行われたスピーチを書籍化したもの。
デイヴッド・フォスター・ウォレスという人はアメリカの学生に人気の作家らしいが、私は全く知らなかった。
そういう日本では知名度の低い外国人のスピーチの本が売れるとはどういうことかと読んでみた。
ユーモアとウィットに富んでいるが(ここが日本のスピーチには欠けてる)、意外に言っていることはまともで、堅実。
大学の卒業式だと大抵の学生は未来への希望を抱いているが、実際に社会に出るとわくわくするようなことはほとんどない。そんな毎日を大きく変えることは難しいが、考え方感じ方を変えることはできる。
いい本だなと思った。
が、ラスト近く、そういう生き方を身につけて「銃でじぶんの頭を撃ち抜きたいと思わないようにする」(p139)とあるのに、その後の訳者解説にデイヴッド・フォスター・ウォレスがこのスピーチの三年後に自殺したとあり、ちょっとガッカリした。
双極性障害だったそうで、仕方なかったのだろうけど、考え方くらいでは精神の病を克服することは難しいんだな、と。きっと自分自身に向けて言っていた言葉でもあったのだろう。
クソみたいな日常を生き抜くのは、時にジャングルの中でのサバイバルより辛い。精神を最悪の状態にせずに、ささやかでも楽しみを見つけて生きるのはそんなにも難しいのかと、気の利いたスピーチくらいではどうにもならないこともあると、やるせない気持ちになってしまった。
それでもこのスピーチを聞いた大学生や読んだ人たちが、なるべく機嫌良く生きようとすれば良いのだろうと思う。 -
アメリカの大学の卒業記念講演。
雑貨屋さんで面陳されており手に取った。
装丁もよく読みやすい。
内容は多面的な価値観の大切さを解きつつ
「これから君たちを待つのは退屈な日々です」
といいきる。
自殺するような大人になるなと伝えながら
本人は3年後自殺したという。。
そのこと自体もいろんな捉え方がある、ともいえそう。 -
「学ぶこと、リベラルアーツ」についての1つの定義だと思う。
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自分史上のベスト10に入る内容の本だと思いました。
何回も読み返しました。
声に出しても読みました。
息子にも読んでもらいました。彼も心に残ったようです。
いつも読めるよう、読みかえせるようにに置いておいてくれ!と言っていました。
自分の傲慢なデフォルトをどう調整するか?それが
学ぶこと。。。
とてもためになる話だと思いました。
阿部重夫の作品






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