- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784803803884
作品紹介・あらすじ
1920年代のフランスに信じ難いほど素敵な生活を営むアメリカ人夫婦がいた。
ジェラルド・マーフィとサラ、二人はパリからアンティーブへ生活の舞台を移し、近郊に住むアーティストや作家、たとえばピカソ、レジェ、コール・ポーター、ヘミングウェイ、フィッツジェラルドとゼルダ夫妻など時代を画する才能をもてなし、その創作活動に多大な影響を与えた。そしてマーフィ自身も画家だった。活動期間はたった8年間であったが、わずかな、しかし素晴らしい作品がMoMAに遺されている。
本書はこのマーフィ夫妻の生活を見事に掬い上げ、ノンフィクションの分野に金字塔を立てたカルヴィン・トムキンズのテキストに、70点近くの家族アルバムとジェラルドの絵画を加えた。
雑誌「ニューヨーカー」初出から60年を経て放つ歴史的名著の決定版!
感想・レビュー・書評
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『優雅な生活が最高の復讐である(カルヴィン・トムキンズ/著 青山南/訳)』 投票ページ | 復刊ドットコム
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優雅な生活が最高の復讐である | 田畑書店
http://tabatashoten.co.jp/bestrevenge/詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1920年代、そのライフスタイルで多くの文化人に刺激を与え、慕われたとある夫婦の暮らしぶり。
フィッツジェラルドの作品を読んでみたくなる。 -
正直言って、タイトルと、1920年代に芸術家たちを魅了した素晴らしい夫妻がいたという作品紹介に期待しすぎてしまった。
フランスに渡り、まだリゾート地になる前のリヴィエラに美しい庭のある家を建て、スコット・フィッツジェラルド夫妻やピカソ夫妻らを迎えて、毎日が休暇のような日々を送っていた裕福なアメリカ人夫婦がいた。フィッツジェラルドの作品のモデルにもなったジェラルドとセーラのマーフィ夫妻で、本作は彼らを描いた短いノンフィクションなのだが、肝心のその最盛期に関する記述が短く、フィッツジェラルド夫妻の狂躁と没落を見つめながら、自身も楽しく平和な時代は短かったマーフィ夫妻の輪郭がどうも見えづらい。
後に画家として再評価されることになるジェラルドの、絵画への姿勢や想いももう少し掘り下げてもよかったのでは。 -
1920年代、アメリカからパリへ移住したアーティストたちのコミュニティにおいて、その優雅な暮らしぶりと趣味のよさのために憧れの的になったある夫妻がいた。ピカソやレジェらとも交流を持ち、フィッツジェラルドが小説のモデルにもしたマーフィ夫妻のきらめくようなフランス時代のエピソードを魅力的に綴った小伝記。
フィッツジェラルドを読んだことがないので、私にとっては裏『移動祝祭日』といった感じの本書。ジリ貧を強調していたヘミングウェイとは対照的に、ジェラルドとサラは子持ちながら上手く資金をやりくりして上手に暮らしていたらしい。フィッツジェラルドが二人をモデルにしたのは『夜はやさし』で、主人公夫妻の前半生はマーフィ夫妻、後半生はフィッツジェラルド夫妻、というふうにモデルがねじれているのだという。
訳者あとがきに「マーフィ夫妻のことを『金持ちだったから優雅に暮らせたんだ』と思うのでは勿体ない」ということが書かれていて、それはその通りなんだけど、リブロポート版がでた84年の日本だからこそこの本を読んで素直に二人に憧れられたのかなとも思う。ジェラルドに給料を訊ねて、不労所得で暮らしてるという答えにポカンとしてしまうフィッツジェラルドが切ない。ジェラルドとサラの才能とは、自分たちが心地よく過ごすためにはなにが必要なのかをよく知っていて、自分たちのものさしで物事をよく見、秩序をつくりだす存在だったということなのだと思う。エイモア・トールズの『モスクワの伯爵』の「どんな喧騒のなかでも、倒れたカクテルグラスを元に戻す」というフレーズを地で行くような。
異様にギラギラしたピカソの海パン姿や、コンプレックス丸だしでジェラルドにつっかかるヘミングウェイなど印象に残る著名人のエピソード多数だが、やっぱり一番はフィッツジェラルド夫妻、特にゼルダ。
マーフィ夫妻は二人ともスコットよりゼルダを気にかけていたようで、スコットがそれに嫉妬してサラに書いた手紙も引用されている。いくつか載せられているサラ宛のスコットの手紙はエネルギーがものすごくて、マーフィ夫妻へのコンプレックスと反発心と友人相手にどうしても試し行動をせずにいられない弱さとが小説家ゆえの筆力でなんとか飲み込めるものになってる、みたいな文章ですごい。サラの返事はとても率直。嘘のないその文章から、パリのアーティストたちが強く惹かれた女性の姿が見えてくる。ちょうど100年前を生きていた人びとの精神的な豊かさを垣間見ることができた一冊だった。
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新潮文庫版でも持っていますが、本屋さんで新装丁版を見たら、、、、~即購入~
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図書館のカウンターの手前に新着本の棚があって、カウンターに向かう途中でこの印象的なタイトルが目に入り、歩きながらひょいっと棚から抜いて、手に持っていた他の本と一緒に借りた。
まるでレジ待ち中に、レジ手前の棚に並んだお菓子をとっさにひょいっと自分のカゴに追加するみたいな感じ。
でも、おもしろかったのはタイトルのみ・・・
この本を読むなら、フィッツジェラルドの『夜はやさし』を読んでいることが前提だけど、私は読んでないし、特にフィッツジェラルドにも狂騒の20年代にも思い入れがあるわけでもないので、ぴんとこなかった。
要するに『夜はやさし』のモデルとされているマーフィ夫妻がいかに素敵かということが書かれているのだが、素敵な人って、実際に会えば非常にインスパイアされるものだけど、文章で読んでもあんまり素敵さが分からない。
うまいたとえが思いつかないのだけど、うちの母親が知り合いについて褒めているのだけど、そのステキさが全然伝わってこない、みたいな感じ?
あの人、服がオシャレなの~! 持ち物がカッコイイのよ~! 有名人がいっぱい訪問するの~!
「え、だから何!? So what?」な世界でした。
奥さんのセーラは「シャープな美人」とか書いてあったけれど、シャープっていうとキツネ系かと思うけど、どっちかっていうとタヌキ系のぼんやりした顔だと思った。
下手に写真があるのもいけない気がする。私たちって美男美女をすっかり見慣れてますからねえ。
セーラはビーチで、真珠の首飾りを背中に垂らしていたそうで、なんてオシャレなんだ!! とおしゃれピープルがこぞって感銘を受けていたようだが(含 ピカソ)、確かに、ファッションページの撮影でもない限り、浜辺に真珠のネックレスなんかしていかないわよね、と思った。
でも、だから何!? と思う・・・たとえセンス良く、美しいものに囲まれているとしても、ブラブラ遊んで暮らす、ということに対して私はそれほど憧れる気持ちはないからなぁ。
審美があなたの人生にどれくらい重要か、によって、この本の評価は変わるのではなかろうか。
タイトルはスペインの諺なんだそうです。
でも、このタイトル、内容にはまったく関係ないと思う。復讐とか関係なく生まれたときから優雅に暮らしてた二人の話なので。 -
004年の新潮文庫版で読んでいるけれど、それを全面改稿しカラー図版も加わった「決定版」(新潮文庫も「決定版」とうたってはいたけどね)とうことで、こちらも読んだ。
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1920年代のフランスで「古き良き」アメリカ的生活を嗜み、多くの芸術家たちに愛され影響を与えたマーフィ夫妻の暮らしと人生を描いたノンフィクション。フィッツジェラルドの憧れ嫉妬した様子やアルバムに収められた若いヘミングウェイやピカソの姿も興味深いが何より文庫サイズハードカバーの装丁が美しくて、この品のあるかわいさこそがジェラルドとサラ夫妻の魅力なんだろうと語りかけてくる。日本語だと強く響くタイトルと二人の力まない感じのギャップも印象的。
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「快適な生活とひどい仕事、ないしはひどい生活と美しい仕事。どっちかしかないよ」
確かにそうかもしれません。
昔の本だけど、美しい時代のセンスの良い生活が匂い立つ描写がなかなか珍しい本。 -
『夜はやさし』は未読で、先にこちらの本を手に取った。筆者の表現によって、豊かな人物像が目に見えるようだ。読んでいて、気持ちが良かった。