本当の宗教とは何か―宗教を正しく信じる方法

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  • 大法輪閣
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  • Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784804613567

感想・レビュー・書評

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  • この本、随分以前に買ったのだが、買ったときはこの本の中にある「信じるとはどういうことか」ということがすごく知りたかった。わたしは今までの人生の中ですごく苦しくて何かを信じたい、何かにすがりたいと思った時期が何度もあるのだけど(苦しい結果としてうつ病になり、うつ病のときはさらにつらくてその思いが自分から離れなかった)結果として「何も信じることができなかった」自分がいたからだ。それ以来「なぜ自分は何かを信じることができないのだろうか、宗教を信じている人と自分は一体どこが違うのだろうか」ということにすごい興味があったんだよね。

    実はこれ以前も同様な本を読んだことがあるし、ネットでは例えば「キリスト教 信じる理由」などで検索すれば、その人がどうしてその宗教を信じるようになったかが書いてあるものがたくさん出てきたりする(不思議なのはこういう検索で出てくるのはキリスト教のみで、仏教とか神道は出てこない。「仏教」で検索すると「出家したい」とか「出家するためには」とか、そっちの方が出てきて既に「信じていることが自明(出家する本人はあまりそういう風には感じていないようだが)」になっているところが面白かった)。しかし、それを読んでもわたしには理解できなかった。どうしても途中で「飛躍」してるのだ。その飛躍が意味不明で「なんでここからこうなっちゃうわけ?」ってずっと思ってた。


    しかし、それがまさに「信じる」ということなのだ、と気が付かされたのは、この本を読んだためではなく、以前、森達也が小学生か中学生向けに書いた本「神さまってなに?」を読んだためだ。ここではこの本の感想は書かないけど、この本に書いてある一節を読んで「ああ、そういうことだったのだ」って「理解」した。自分にも実はそういう瞬間があったのだ。しかし、それはわたしにとっては「宗教」ではなくある人の言った「言葉」だった。その言葉を知ったとき、わたしは本当に雷に打たれたようになった。その感覚は言葉には表すことができない。なるほど、だから他人からは「飛躍」して感じられるんだ、と思った。そしてそういう瞬間は、きっと長く生きていれば生きているほど何回かあるものではないのか、と思うようになった。わたしはできるだけ唯物的に生きたいと願っているものの、どこかで「大いなるもの」の存在も否定できない。そう感じられる瞬間もわたしには今まで生きてきた中で経験している。

    もう一つ「宗教を信じている彼らは一体、何を信じているのだろう」という疑問もあった。しかしこれもこの本を読む前に自分なりの結論が出た。これもネットで出てきたのだが、あるとき偶然「エホバの証人(ものみの塔)」から脱会させるためのサイトと出会い、それを読んだときのことだ。ものみの塔の信者が信じていると思われていることを一つ一つ丁寧に「これは違う、あれは違う」と書かれているのを読んでいるうちに「なんてくだらないことを彼ら(ものみの塔信者)は信じているのだろう」と思い始めたのだ。何年に地球が滅びるかを聖書から導き出していたり、聖書の些細な点を拡大解釈して信者に押しつけている、それがよく見えたのだ。それまでわたしは一般のキリスト教信者に対しても「聖書に書いてあることはすべて信じてるんだろうか」と思ってたりした。けど、そういうわけではない、聖書に書かれていることのエッセンスを信じているのだとそこで初めて分かったし、聖書はすごく懐の深いものだと感じることができた。ちなみに仏教の場合は、聖典が本物ニセモノ入り交じってるし、聖典そのものを全部読むと人の一生以上の時間がかかるらしい、しかも全部日本語では読めないって知って、正直よく分かってない。日本に入ってきてる仏教はインドの原始仏教とは全然形の違うものになってしまっているらしいし、仏教に関しては一体、どこから何を学べばいいのか。それが今でもわたしにはよく分からない。イスラム教は探せばそれなりにあるんだろうが(聖典もはっきりしてるし)それはまだ手を付けてない。

    というわけで、長くなってしまったけど、実はこの本を読む前に自分の謎はある程度解決されてしまったので、読む必要性も感じなかったのだが、せっかく買ったからまぁ「積ん読」のはやだなあと思って読んだわけだが(実際のところ、自分が買った本は「いつか読める」と思ってすごくたまっている)、正直あまり面白くなかった。信仰の7つのタイプとして神道、仏教、道教、ヒンドゥー教、キリスト教、イスラム教、古代ギリシアの宗教の7つが簡単にまとめられているのだけど、どうもなんだか納得できないというか、知らないクセに納得できないも何もないと思うのだが、なんかこれ、簡単に信じちゃいけないような気がするんだよねえ~(笑)

    詳細な人物においては、親鸞とルターが挙げられてるんだけど、彼らも当初は「カルト宗教扱い」された。が、なぜそこから「カルト宗教」とは違う道を歩んだのか、というのは彼らが人一倍「自分に厳しかった」からではないかと思う。親鸞もルターも「自分の中にある煩悩」や「自分の罪意識」がいくら厳しい修行を積もうと消えなかった人だ(その割にルターなんかはトントン拍子で出世したので周囲からは相当すごい人に思えたのだろうけど)。「煩悩」や「罪意識」に対して愚直なまでに向き合う、あの姿勢はまぁ凡人であるわたしには理解できないです。わたしは「そんなん、人間なんだから絶対になくなるわけはないじゃん。そのことに対して悩んだり罪の意識を感じることなんてない」で終わりだから(だからこそ、わたしは宗教には向いていないのだろうか)。そういう姿勢だからこそ、彼らは権力を持つことを嫌い、いや、嫌うというのは間違いで、どこかに権力欲のある自分を徹底的に排除しようと努力していたというのが正しいのか。そして「弟子」を取らなかった(自分は上に立つものではないと認識していた)。まぁこういうのが「真の宗教である」とこの筆者は語っているわけだけども。まぁ、読んでてそんなに目新しいものではなかったです。

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著者プロフィール

1943年、愛知県に生まれる。 1966年、早稲田大学第一文学部卒業。1973年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。 早稲田大学、東京大学、同朋大学講師を経て東京工芸大学教授。同大学名誉教授、真宗大谷派光専寺住職、学道塾主宰。2017年8月没。

「2020年 『内村鑑三と清沢満之』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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