勝利の人間力 日本はなぜ日露戦争に勝てたのか (中経の文庫 た 5-1)

著者 :
  • KADOKAWA(中経出版)
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784806131854

作品紹介・あらすじ

本書は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』に描かれた時代や人物を、少し別の角度から眺めてみよう、という試み。明治日本がなぜ日露戦争に勝てたのか、ということを、戦争の場面ではなく、そこに至る道の途中を覗いてみることで、現代日本の生きる道、現代日本が抱えている問題を解決する手段が見出せるだろう。

感想・レビュー・書評

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  • 日露戦争に勝ったのは日本史上において凄いと言われていて、その勝因については多くの人が解説をしています。

    武器の新技術開発をしたとか、負けたらロシアに日本を植民地化されるので切羽詰っていたとか、幕末で戦争経験をしていた人がいたから、断片的にそれらを知っていますが、この本の様に、多くの角度から検討した本を読んだのは初めてです。

    多くの要因が重なって、あの大国に勝つことができたと思いますが、この本を読んだ印象では、日英同盟の存在、米国を味方にできた指導者の個人的な人間関係、莫大な戦費(外国建国債)を調達できた個人的な人間関係、諜報活動が首尾よくいったこと、が挙げられると思いました。

    その中でも、ロシアの戦力を間接的に弱らせることができた、当時の覇権国である英国と同盟を結べたことは大きかったのかもしれませんね。

    以下は気になったポイントです

    ・日本海海戦で活躍する連合艦隊の旗艦「三笠」は、イギリスから購入した軍艦、当時の日本円で850万円、当時の国家予算(2.5億円)の30分の1(p3)

    ・シベリア鉄道は単線であり、常識では、一つの列車が到着したらその列車が戻って次の輸送をすると思われたが、その列車をそのまま線路から外して次の列車を待った、時間短縮のためにその列車を破棄して、物質・兵員輸送を行った(p23)

    ・明治六年に内務卿となった大久保利通は、彼の子分であった大隈重信を大蔵卿、同じ派閥の伊藤博文を工部卿として、三人で手を取るように改革を推進した。この三省で当時の役人の53%を占めた(p28)

    ・外国が「資本と技術を出してあげるよ」という時は、その国を経済的に支配するか、鉄道などをきっかけに植民地化を進めようとする時である(p30)

    ・廃藩置県自体も、各藩が負っていた負債が帳消しになるということもあり、意外なほどスムーズに進んだ(p35)

    ・大東亜戦争、後に、太平洋戦争と呼ばれる戦いにおいて、日本が正式に宣戦布告したのは、アメリカとイギリスのみ(p39)

    ・明治21年(1888)、日墨(メキシコ)修好通商条約は、日本で初めての相互対等主義による外国との条約となった(p46)

    ・ロシアとの戦いを覚悟の上で結ばれた日英同盟と、アメリカやイギリスとの戦いは、結果として避けられるだろうという甘い見通しで結ばれた日独伊三国同盟の違いは大きい(p58)

    ・終戦時の鈴木貫太郎首相は、日露戦争当時、海軍中佐として第四駆逐艦司令という役職であった、四隻の駆逐艦を率いて、日本海海戦で大活躍をした(p94)

    ・インフォーメーションという言葉を、情報と訳した、「敵情報知」、つまり敵の状況を報告し知らしめることを、情報といった。戦争に勝つために必要な、敵に関する知識。(p151)

    ・データを集めるときに一番大切なことは、情報収集する人に対して、具体的にどんな情報が必要なのかを示すこと(p152)

    ・陸軍大学校を卒業して、成績上位者が作戦担当、それ以下の者が情報担当、に回されたという人事を見れば、昭和陸軍が何を軽視していたかがわかる、さらに、情報将校として出世した人物たちが、後輩を引き上げなかったことが問題。陸軍大将となった、明石元二郎、福島安正は、派閥的なものをつくらず後輩を引き上げなかった(p180)

    ・日露戦争時には、収集すべき情報が具体的に示されており、それに従って情報は収集された。また、受け手の参謀本部に、情報を理解し、判断力のある上司が揃っていた(p181)

    ・日清、日露戦争で日本で建造された国産軍艦は、わずかに八隻(1.8万トン)、これは同時期に輸入した軍艦の1割強(p185)

    ・日露戦争で使ったお金が、19.8億円、当時の一般会計(国家予算)が、2.5億円なので、凄い額、ちなみに日清戦争は、2.3億円だった(p187)

    ・明治初期に行った、由利公正の行った、不換紙幣を刷って市中にばらまき、産業を興して富国強兵をするという財政政策は失敗した、その原因として、1)政府に信用がなかった、2)貨幣制度が整っていなかった、3)税金徴収がまともに行われず、政府の勢力圏にある土地が4分の1以下(p193)

    ・地租改正とは、それまで各藩ごとに税率がまちまち(収穫高の何割)であったのを、日本全国一律で、土地の地価の3%を税金としたもの、地租改正反対が全国で起きたので、2.5%に下げた(p196)

    ・松方正義が行ったのは、まず、銀と交換できる兌換紙幣の発行(銀本位制)、次に、酒税・たばこ税等の、消費税や地方税を増税して、余剰金(国家歳入6400万円に対して、4000万円)を作った。輸出増加をして、国内産業の成長を促して、その次の年の明治15年には、日本の中央銀行(日本銀行)を設立した(p205)

    ・日清戦争で得たものは、土地と賠償金、遼東半島・台湾・澎湖島、賠償金は、2億テール(日本円で3.1億円)である(p210)

    ・日露戦争の戦費は総額で、19.8億円、手持ちのお金で5億円、内国債で、4.7億円、臨時事件公債(国内で賄う借金)で、2億円、国内調達は7億円。足りない8億を調達したのが、高橋是清であった(p219)

    ・昭和天皇のお言葉である、日本敗戦の4項目とは、1)敵を知り、己を知ることを体得していなかった、2)精神主義に陥って、科学を軽視した、3)陸海軍の不統一、4)常識ある首脳陣を欠いた(p244)

    ・「もし失敗したらどうなるか」、このことをリアルに思い描ける人は、失敗が少ない、少なくとも負けたらどうなるかを想像できる人は、負けないために懸命の努力を惜しまないので(p253)

    2015年7月20日作成

  • 同じ著者の『「戦国大名」失敗の研究』は非常に読み応えがありましたが、
    この本は読みやすい代わりに、読み応えという点では今一つという印象です。
    あと、深読みかもしれませんが、右寄りな思想も散見されます。

  • よく言われていることを、まとめた感じ。日露戦争に関する目新しい見解はないが、常識的なことをおさらいするには良い。

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著者プロフィール

作家、政治史研究家

「2018年 『「大日本帝国」失敗の研究【1868-1945】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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