魚の耳で海を聴く 海洋生物音響学の世界歌うアンコウから、シャチの方言、海中騒音まで
- 築地書館 (2025年4月29日発売)


- 本 ・本 (360ページ)
- / ISBN・EAN: 9784806716839
作品紹介・あらすじ
クジラやイルカが音でコミュニケーションを取っているのは、よく知られているが、
音でコミュニケーションを取る水中生物は多く、海の中は賑やかな会話にあふれている。
一方、大型船のスクリュー音、海底資源探査のエアガンなど、ヒトが発する音のために、
生き物たちのコミュニケーションや生態が脅かされていることがわかってきた。
魚たちと音の関係、海中騒音の現状と解決策、
ふだん、私たちが気にとめることの少ない海中の音の世界を、
最新の研究と取り組みを通して、身近に捉え直す。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
はじめに:沈黙の世界から音の宇宙へ
本書は、幼い頃に著者が水中と空気中で音の伝わり方が異なることに気づいた経験から、海洋生物音響学の世界へと読者を誘います。かつて「沈黙の世界」と思われていた海が、実はハイドロフォン(水中マイク)の進歩により、クジラの方言や魚の合唱、さらには無脊椎動物の音まで、驚くほど多様な音に満ちていることが明らかになったと述べています。一方で、船舶の航行やソナーなどの人間活動による水中騒音が、海洋生物のコミュニケーションや行動に深刻な影響を与えている現状を指摘し、この魅力と課題に満ちた水中音響の世界を探求します。
第1章:水の森のなかへ:海のなかの感覚
この章では、ブリティッシュコロンビア州のケルプの森の生態系に焦点を当て、ケルプが水中騒音を吸収し、海洋生物のサウンドスケープ(音の風景)を守る役割について探求しています。人間にとって水中は視覚が利きにくい場所ですが、多くの海洋生物にとっては聴覚が非常に重要であることを強調。海洋生態学者のキーラン・コックスの研究を通じ、ケルプの森の減少が水中騒音環境に与える影響を理解し、将来的な海洋保護区の設計や騒音規制に役立つデータの重要性を説いています。また、目に見えない水中騒音が深刻な汚染源であり、その規制の難しさに言及しています。
第2章:耳に届くもの:水中で音を聞く仕組み
サンゴ礁の仔魚や幼生が、音を頼りに故郷のサンゴ礁へ回帰する現象を例に挙げ、水中における音の感知メカニズムと聴覚の進化を詳細に説明しています。水中は常に音に満ちており、地震、波、雨、氷の動き、そして活発な生物の音など、様々な自然現象が音を発生させていると述べられています。動物が音を感知する基本的なメカニズムとして「有毛細胞」の存在を挙げ、無脊椎動物は水粒子の動きや振動を、魚類などの脊椎動物は側線や耳石器を進化させて音圧の変化と粒子運動によって音源を検知していると解説。人間が水中での音源特定が困難な理由も説明されています。
第3章:銃、石英、アリア:私たちはいかにして水中の音を聞きとるようになったのか
この章では、人類が水中における音の伝達と感知の仕組みをどのように解明してきたか、その歴史的な経緯が詳細に語られています。アリストテレスの初期の考察から、レオナルド・ダ・ヴィンチのアイデア、そしてジョン・ハンターによる魚の聴覚の示唆へと続きます。20世紀に入り、カール・フォン・フリッシュが金魚の実験で魚の聴覚能力を決定的に証明しました。タイタニック号の沈没事故をきっかけに音響技術が発展し、水中発信器(ソナーの基礎)が誕生。冷戦時代のソナー技術の発展は、SOFARチャネルの発見と秘密のハイドロフォンネットワーク(SOSUS)の構築につながり、これが海洋生物音響学の黎明期を迎え、多様な海洋生物の音を記録するきっかけとなりました。
第4章:魚と会話する:音の世界でのコミュニケーション
この章では、魚が音を使ってどのようにコミュニケーションをとるかに焦点を当てています。ウィリアム・タヴォルガの研究により、魚が視覚、嗅覚、聴覚の3つの感覚を組み合わせてコミュニケーションをとることが明らかにされ、特にフリルフィンゴビーの求愛の「唸り声」が紹介されています。また、西海岸のプレーンフィンミッドシップマン(アンコウの仲間)の響くような声や、ロドニー・ラウントリーのような「フィッシュ・リスナー」による魚の鳴き声の研究が詳述されています。魚の鳴き声の研究は、資源保護や環境アセスメント、外来種のモニタリングといった現実的な問題に応用できる可能性を秘めていると指摘されています。
第5章:目標はどこに:エコーロケーションの進化
コウモリからクジラへと連なる、音を使って周囲の状況を把握する「エコーロケーション(反響定位)」という驚異的な能力の進化を探求しています。18世紀のラザロ・スパランツァーニによるコウモリの実験から、20世紀のドナルド・グリフィンとロバート・ガランボスによる超音波の発見へと続きます。イルカのエコーロケーション能力は、海軍の支援を受けて研究され、獲物の特定や機材の回収などに応用されました。ハクジラがエコーロケーション能力を発達させた過程や、ハクジラが鼻腔内の「サルの唇」でクリック音を発生させ、メロン体で音波ビームを生成する仕組み、そして骨伝導を伴わない独自の聴覚メカニズムが詳細に解説されています。深海のマッコウクジラの強力なクリック音を使ったイカの捕獲例も紹介されています。
第6章:これは私:音で正体を明かす
この章では、クジラやイルカといった社会性を持つ海洋哺乳類が、音を使って個体や集団のアイデンティティを識別し、社会的な絆を維持する方法を探求しています。ベルーガの母親と子どもの間の「コンタクトコール」の重要性や、ハンドウイルカの個体ごとに異なる「シグネチャーホイッスル」がイルカの「名前」のような役割を果たすことが明らかにされています。特に注目すべきは、シャチの鳴き声に「方言」が存在することです。これは、シャチが餌の種類によって鳴き声を使い分け、捕食対象の聴覚能力に合わせて音量や周波数を調整しているためと考えられています。シャチの方言は、単なる識別信号だけでなく、集団の「文化的アイデンティティ」と結びついている可能性も示唆されています。
第7章:音色、うめき声、リズム:クジラの歌の不思議
この章では、ザトウクジラの複雑な「歌」に焦点を当て、その構造、進化、そして目的を探求しています。フランク・ワトリントンの録音から始まった研究は、ロジャー・ペインとスコット・マクヴェイによって「ザトウクジラの歌」として一般に広まり、クジラ保護運動に大きな影響を与えました。クジラの歌は時間とともに変化し、同じ水域のクジラ間で「カバーバージョン」のように学習されていく現象が観察され、これはクジラの歌が「文化」の一形態である可能性を示唆しています。歌の目的は完全には解明されていませんが、繁殖地でオスのみが歌うことから求愛行動の一環である可能性が高いと考えられています。また、シロナガスクジラやナガスクジラが発する超低周波音が数千キロメートルもの距離を伝わることや、近年、シロナガスクジラのコールの周波数が低くなっている現象が世界中で観察されていることにも言及し、その原因を探っています。最終的に、海は決して静まり返っているわけではなく、多様な音に満ち、その音は生命の営みを支え、私たち人間に多くのことを教えてくれる可能性を秘めていると締めくくられています。
小坂恵理の作品





