たった一人の30年戦争

著者 :
  • 東京新聞出版局
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本棚登録 : 380
感想 : 32
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784808305352

作品紹介・あらすじ

戦後50年。だがルバング島"最後の帰還兵"の元少尉には戦後20年だ。男が生と死のはざまで見つめた戦争と平和。

感想・レビュー・書評

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  • 終戦後も、ルバング島にて30年間、
    戦争を続けた小野田さんの半生を綴った一冊。

    強い「目的意識」を持って行動する精神力に感動。

    ジャングルでの生活。

    仲間の死。

    投降のきっかけとなった鈴木さんとの運命的な出会い。

    小野田自然塾。

    「生きる」意味を考えさせられる本。

    自分も【命がけで】生きる何かを見つけたいと思う。

  • 2014年1月17日に小野田寛郎さんが91歳の生涯を閉じた。
    1974年(昭和49年)に30年ぶりに帰還されたとき、私は中学2年生だった。インタビューに応える小野田さんの口角に唾液が白い泡のように溜まるのが印象的で、当時よく物真似のネタにしたものだった。
    その後、小野田自然塾での活躍をテレビで目にする機会もあったので、ご逝去の報に接し感慨深いものがある。

    この本は、戦後約30年間終戦を信じず、フィリピン ルバング島で戦い続けた兵士の自伝である。高温多湿の熱帯の密林という過酷な環境の中で、なぜ彼は30年間も戦い続けたのか、そしてなぜ再三の投降の呼びかけにも応じなかったのか。
    冒険家鈴木紀夫との出会いをきっかけに、谷口義美元少佐による任務解除命令により彼の戦争は終わった。山本七平氏が著書「私の中の日本軍」で、たとえ天皇陛下の命令であっても、直接の上官の命令がなければ彼は投降しないだろうと指摘したように、上官の命令が絶対であった。
    帰国とその後の喧騒、両親との再開、運命の女性との出会い、新天地ブラジルへの旅立ち、小野田自然塾の活動と、まさに波乱万丈の生涯を生き切った小野田さんから学ぶことは多い。

  • ただ、凄いとしか言いようが無いです。
    現代社会で薄れてきている何かがある。
    弱気になったときこそ読み返したい一冊。

    • edward0812さん
      もっとたくさんの人に読んでほしい本ですね
      もっとたくさんの人に読んでほしい本ですね
      2012/08/09
  • 戦争が終わっても、フィリピンのジャングルで30年も戦い続けた小野田氏の手記。先日読んだ「私は魔境に生きた」(こちらは10年)と重なるが、違いは小野田氏は戦争に負けたことを知らされても信じなかったことと、自給自足をせずに住民のものを盗んでいたことだ。たった一人のというタイトルだが、実際には投降の少し前まで一緒に生活していた元日本兵がいた(残念ながら昭和49年に現地警察に射殺された)。小野田氏が生きていることは島の住人や日本でも知られており、政府は何度も家族や元同僚の軍人などを連れていき、もう戦争は終わったとのビラをまき、説得を試みる。しかし、どんなに働きかけても、「あれは敵のかく乱作戦だ、だまされてたまるか」と信じなかった。最終的には、元上官が出向き、直接命令解除を伝えることでやっと帰国する気になったそうだ。51歳で帰国後、目覚ましく発展した日本について行かれず、ブラジルに移民し牧場を経営する。
    小野田氏がとても頑固で、読んでいてイライラした。戦争は人の思考にここまで影響を及ぼすのかと愕然とした。過酷な環境の中、大きな病気もせずに、体も心も強靭な人なのだと思う。同志が殺されてしまったこと、自分が生き延びたことについて、その後ひどく悩みながら生きていたようだ。帰国して、田中角栄首相に100万円をもらい使い道を聞かれたら、「靖国神社に奉納します」と答えたという。それにしても、30年…人生の一番いい時期に無駄に戦っていたことをどう思うか、と質問されると、信念を貫いて正しいと思ったことをしていたので、悔いはないと言った。小野田氏は、その後結婚もし、日本でも自然教室を開いて幸せな余生を送ったようだ。
    ずっと前から読みたかった本、やっと手に取ることができて、良かった。

  • 小野田氏による戦後30年に及ぶ戦争体験を記した一書。一緒に過ごした仲間を失い1人になり敗戦という事柄を遠く知りながらも、未だどこかで日本がアメリカと戦っていることを信じ、ジャングルに潜伏し生き抜いた30年間…
    幾度の身の危険を省みず耐え抜いた精神力と不動の信念、研磨された体力は戦後俗世の人間生活を逸脱し、超人の域に達している。

    孤独と積年の中で日本の為に戦った人に対して嘲笑するような戦後日本の態度には幻滅した。社会に見せ物にされながらも、復興し豊かなになった日本の姿を感慨深く慈しむ小野田さんの言葉は、戦争で散華した幾万の兵隊さん達による魂の代弁である。

  •  
    ── 小野田 寛郎《たった一人の30年戦争 東京新聞出版局》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4808305356
     
     Onoda, Hiroo 予備陸軍少尉 19220319 和歌 東京 20140116 91 /
    /194212‥-19450815-19740309 軍歴
    /19740220 鈴木 紀夫に単独会見 19...... 帰国
     
    (20240221)

  • たった1人、フィリピンのルバング島で戦争を続けた小野田寛郎少尉。
    祖国のために命を惜しまず戦い、決して、日本の敗戦を信じなかった。日本帰還時には52歳。第二の人生はゼロからブラジルを開拓し牧場を営み、軌道に載せた。
    全く美談などではない、無意味な殺しもしている。

    日本の国と土地を守るためにこんなにも人生を捧げた人がいるというのに、現代はカネのために、土地を切り売りしている。若者は日本の未来に希望を持たず、長生きを望んでいない。

    戦後は今も続いているのではないかと思う。
    無条件降伏した日本は今もアメリカに賠償費を支払い続け、貧しいままである。

  • 読書で泣いた初めての本。
    男の子だったら二十歳のごろに読んでほしい。
    母が入院したあの時期に
    この本の存在を知っていたら
    手に取っていただろうか?
    人生とはその時必要とするものを
    後になって気づくことの連続だ。
    もしあの時、あの人に出会えていたら
    もしあの時、この本に巡り合えていたら
    ボクの性格的にも世の中的にも
    本に親しむ時期ではなかったのが悔しい。
    もしあの時期に戻ることができたなら
    まだ生きていた小野田寛郎さんに会いに行き
    “覚悟”についてを話してみたい。

  • 戦争に行くまえはバリバリの商社マン。
    初めは国のために死ぬ訓練をしてたのに、中野(スパイ養成)に行ってからは生き延びて帰ってくる訓練にかわる。
    オープニングのいくつかの小野田さんが語る戦争感にはっとする部分があった。私は戦後情報統制された中での薄い戦後感でしかなかったなと。
    小野田さんのサバイバル生活ももちろん面白かったしスーパーヒーロー鈴木君の呑気そうなアプローチもなんか良かった。
    ところどころ小野田さんが盛らずに入れてくるエピソードというか例えばなしも面白くてほんとに戦争にいってなかったら商売で成功してそうだなとおもう人柄を感じた。

  • 小野田さん本で一番自分にしっくりきた

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著者プロフィール

小野田自然塾理事長、元陸軍少尉

「2013年 『生きる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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