- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784811806662
感想・レビュー・書評
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テレビでも雑誌でも、とにかく僕は「ランキングもの」が苦手なのだ。星座占いの運勢のランキング、抱かれたい男ランキング、好きな歌ランキング、うまいラーメン屋ランキング、大学の偏差値ランキング…。うう、書いているだけで辟易だ。
なんだか世の中、いたるところでおかしな序列化(階層化)が進んでいる。いったい誰が、何を基準に、どうやって(もっともらしい)序列化をしているのか。得体の知れない数字ばかりがひとり歩きをしていないだろうか。そして僕たちはそれを特に考えることもなく、鵜呑みにしてやいないだろうか。ときとして、なにやら胡散臭さを覚えてしまう僕なのである。
さて、上野先生のいう学校化社会とは、「明日のために今日の我慢をするという未来志向とガンバリズム、そして偏差値一元主義」が、学校空間から溢れ出し、広く社会にも浸透してしまっている状態を指す。学校というのは、机に向かって長い時間オッチンと座らされて、いい高校いい大学へ行くために勉強しなさいと強要される場所だ。日本が昭和の時代ならそれだけでよかったかもしれない。いい学校を出れば、いい就職ができ、終身雇用に守られて、安泰な老後を迎えられたのだから。そのためには、退屈な勉強も嫌な仕事もひたすら我慢する---。未来志向やガンバリズムが信奉されるには、当然の時代背景だったのかもしれない。
しかし、時代は大きく変わった。企業の終身雇用は崩れ、国は派遣や契約社員のように不安定な雇用形態を認め、現在の有様だ。学歴だけで人生の未来予想図を描くことも容易ではなくなった。それでも受験競争は相変わらず続いているし、企業はあらゆる場面で、成果制や能力制というもっともらしい方法で社員を「客観的に」評価するようになった。
なるほど、点数やノルマの達成具合は一見、個人を評価するのに都合がいいのかもしれない。でも忘れてはいけない、評価をするのは自分ではなく、他人だ。他人が、誰かの作ったもっともらしい序列化によって自分を評価してくることに、自分のすべてを預けてしまうのは極めて危険だ。自分という人間は、「序列化・客観化」された数字だけで構成されているわけではないのである。
上野先生は言う。本当に自分の好きなこと・楽しいこと・気持ちいいことをするべし。ただし、好きなことはカネにはならないと心得るべし。だから好きなことをやるために、他方でカネになること、つまり他人の役に立って、カネを手に入れるスキルの一つや二つは身につけておくべし。
自分の「できること」と「好きなこと」は別物である。「できること」ばかりを追求して、自分はいったい「何が好きだったか」を、どうか忘れてしまわないように。
高校生くらいの年頃の若者に読んでもらいたい1冊。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
学校とはなんなのだろう。階層の再生産を維持、低コストで全員が納得できる近代のシステム。えぐいな。。それの片棒担ぎをしてるわけだ。。う〜ん。でもそこを無視して生きてはいけないしな。
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現在の格差社会を見通していたと思う。
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上野千鶴子、
ほんまにこの人、頭いいわ。 -
再読中。
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後半は僕ができれば認めたくない宮台真司のまったり生きる路線と同じ。前半の東大生論は納得。評価を気にして生きてきた。
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学校エリートって何かを考える。
女性に与えられたふたつの選択肢に愕然。 -
ええことしてると思てる人が、気づかんとえげつないことしてるんが一番おそろしい。
学校しかり 警察しかり
反省なんか思いもよらんねやろね。 -
意見は一致した。なので特に反論・批判する理由も見つからず困る。
あえていうならば著者も教育者の視点から抜け出せないことがわかった。 -
学校の価値=家庭、じゃない。