限界ニュータウン 荒廃する超郊外の分譲地

  • 太郎次郎社
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  • 本 ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784811808505

作品紹介・あらすじ

千葉県北東部には俗に「限界住宅地」「超郊外住宅地」、あるいは「限界ニュータウン」と呼ばれるような分譲地が数多く存在する。そのほとんどが1970年代半ばから80年代にかけて、投機目的で分譲されたミニ住宅地である。



首都近郊にありながら、交通利便性は悪く、生活インフラもあまり整っていない。

家屋よりも更地のほうが多く、住民の新陳代謝もあまり起こらない。

無住区画はどんどん荒れ地化していき、共同設備は劣化。住宅地は管理不全に陥っていく。



これは千葉県だけの問題なのか。

だれがこの状況を作っているのか──。



「限界ニュータウン」を訪ね歩きつづける著者が、

その誕生から現状をたどり、利活用と未来を考える。

感想・レビュー・書評

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  • ニュータウンというと、多摩ニュータウンや港北ニュータウン、千葉ニュータウン。これはこれで、成否あると思うが、本書で扱うのは、否の部分しかないような「限界ニュータウン」という事である。

    先ほどあげた一般的なニュータウンは、大型分譲地の住宅や生活設備に加え、交通機関や商業地、教育機関や公園など、諸インフラや施設が計画的に配置された一定規模の人口密集地だが、「限界」の方は、およそ都市計画とよぶに値しない乱開発の産物であり、「都市」としての構成要件すら満たしていない。

    読んでいると、まあ確かに破滅的な惨状が伝わってくる。そして、この本は評判が良いのだが、いまいちピンとこない。私も、海外の日本よりは比較的酷いエリアで暮らした事もあるので「限界」への耐性があるのかもしれない。

    面白さが味わえないと少し悔しいので、YouTubeにも登場しているという著者の動画を合わせて見てみたら、これが当たり。ヤバい住環境、限界らしさが生々しく動画で伝わってくる。

    動画プラス読書、ネット検索しながらのハイブリッド読書は最近の私の読書術だが、理解も深まるし、我ながら気に入っている。

  • 【感想】
    「限界集落」という言葉がある。若者が流出しつづけた結果人口の半分以上が65歳以上になった集落であり、共同体としての生活を維持することが限界に近付いている集落のことだ。
    だが、筆者が住んでいる「限界ニュータウン」は、それとは微妙に違う住宅地である。限界集落と同じように僻地にあるのだが、土地が区分けされて分譲がなされている。中には上物が建っている区画もあるのだが、そのほとんどが空き地・空き家となってしまっており、事実上放棄地と化している地区のことである。

    こうした限界ニュータウンは、そのほとんどがバブル期の投機目的で造成・販売された土地である。地価の上昇によって郊外の僻地までもが購入対象となったのだが、購入者の真の目的は住宅建設ではなく、土地ころがしによる投機であった。だが、バブルが崩壊し地価が下落すると、あまりにも不便な場所の土地であるために、価格が低く売却が見込めないデッドストックと化す。利用の見通しが立たないので購入者は管理・相続登記をおこたっており、もはや誰の所有かも追えない放棄地となってしまっているのだ。

    筆者はそうした限界分譲地マニアであり、実際に奥さんと一緒に住んで住み心地をレポしているのだが、やはり人の手が行き届いていない場所ならではの問題が表出してくるという。

    例えばインフラ問題について。筆者の住む千葉県の北東部はもともと上水道の普及率が低く、限界ニュータウンをふくめ、いまなお公営水道の給水が届いていない地域が数多くある。こうした地域の民家では一般的に、敷地内で汲み上げる私設水道を作り生活用水を確保している。これは排水についても同様で、下水道が配管されていない場合、たいていは各家庭が浄化槽を設置して排水処理をおこなう。中規模の住宅団地では共同の浄化槽設備を設けているところも多い。公共の上下水道が届いていない場で使われているこれらの設備は、各戸が用意する「個別井戸」「個別浄化槽」に対して、住宅団地などでの共同設備を「集中井戸」「集中浄化槽」と呼ぶこともある。

    私設水道について大きな問題になるのが、水道管等が破損したときの修繕工事費である。修繕工事費を捻出するために、管理組合が対策としておこなわざるをえないのが、組合員から徴収する水道料金(管理費)の値上げである。住宅団地の集中井戸の利用料金は多くの場合、公営水道よりもかなり割高である。こうした月額料金のほか、たとえば住宅を新築して団地内の水道管に接続する場合、施設負担金などの名目で10万〜30万円ほどの加入金を徴収するのが一般的だ。これは公営水道の水道加入金と同じものである。
    問題は更地である。集中井戸や集中浄化槽の維持・運営を目的とした管理費は、受益者負担の原則から、その団地に住宅を建築し、水道管を引き込んでいる住民からしか徴収できない。宅地内への水道管の引き込み工事は、家屋の建築時に同時におこなうのが一般的なので、ほとんどの場合、更地に水道管は引き込まれていない。仮に引き込んであったとしても、更地なので水道を利用できる状態になく、管理費を更地の不在地主から徴収することは難しい。当然、インフラ設備の維持・運営費は賄えず、不具合が生じても直すことができなくなってくる。

    普通はインフラすらままならない状況になってしまえば、その地を離れるほかない。そもそも限界ニュータウンは見えている地雷のため、移り住もうという考えすら起こさないほうが吉だ。ただし、もしどうしても限界ニュータウンに住みたい場合には、自分の楽しさを優先させた利用方法を見つけていくのが重要、と筆者は述べている。

    ――やはりどう考えても、限界ニュータウンの共同インフラを住民の自助努力のみによって維持しつづけるのは、これ以上難しいのではないか。千葉の限界ニュータウンだけでなく、私設の共同インフラをかかえた別荘地をふくめたすべての分譲地が、この課題に正面から向きあう時期がついに訪れたように思う。(略)一般的な住宅地の利用方法から多少逸脱したものであったとしても、犯罪行為や周辺地域にあきらかな実害をおよぼすものでないかぎりは、使用者の都合や使い道を優先した、そのための土地として使っていく、そうした選択肢があってもよいのではないかと思う。じっさい、それ以外の活用方法があるとも思えない。そして、発生する日常生活上のさまざまな不便や問題点は、公的な解決を望むより、その人自身の工夫で対応していく。そのかわりに都市部では得られない、自由に使える環境を確保することができる。そういう意味での「自己責任」の土地として利用していくのに、限界分譲地は適しているのではないか。
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    以上が本書の部分的なまとめだ。
    読んだ感想だが、自分の知らない世界を垣間見ることができて非常にためになった。限界ニュータウンの誕生、住む場合の問題点、活用方法と、基礎情報から実体験に基づいた生きた知識までが網羅されており、内容がとても充実している。また、筆者の説明が抜群に上手い。情報が簡潔で分かりやすく、情報がスラスラと頭に入ってきた。
    教養本として読んでもよし、ルポルタージュとして読んでもよしの、大変すぐれた一冊である。
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    【まとめ】
    1 バブル、空き地、老朽化
    限界ニュータウン(限界分譲地)とは、都市部から遠く離れた寒村のように、住民が減って空き家が増えているという単純な事象ではない。たしかにいま現在も物件サイトに掲載されている売家や売地がそこにありながら、そのすぐわきで、家屋のみならず住宅団地そのものが朽ちはじめている。住環境が崩壊の危機を迎えながらも、なおも現役の住宅地として利用されているのが「限界ニュータウン」の特徴だ。

    「限界ニュータウン」の景観を語るうえで、筆頭にあげねばならないもっとも大きな特徴が、その異常なまでの空き地の多さだ。すきまなく家屋が整然と立ち並ぶ住宅地のイメージをいだいて限界ニュータウンに足を踏み入れれば、その家屋のまばらなことに驚く人も少なくないのではと思う。家屋はほんのわずかにポツポツと点在するだけで、総区画数の9割以上が空き地というケースもめずらしくない。極端なところでは、家屋はわずか1棟だけ、あるいは宅地造成こそされているものの家屋は1棟もなく、分譲地内はすべて更地、という場所すらある。
    これは宅地分譲はしたものの思うように買い手が現れず、空き地のまま売れ残っている、という単純な話ではない。基本的には、ほとんど誰も住んでいないような分譲賃貸でも、分譲当初に一度は完売しているのである。

    1960年代、70年代の首都圏では、農村部からの人口流入による市街地の肥大化と地価の上昇、それにともなうインフラの拡大とレジャーの多様化、そして大気汚染などの公害による都市部の生活環境の悪化など、複数の要因がからみあい、住宅地の郊外化が急速に進んでいた。ただし、住宅用地とはいえど、購入者の真の目的は住宅建設ではなく、土地ころがしによる投機であった。新規の分譲広告はつぎからつぎへと登場し、売れ残りなどとうてい考えられなかったほどの熱気だった。

    しかし、現実にはその土地の多くが、都心通勤者のベッドタウンとして利用するにはあまりに不便すぎるものであった。ニュータウンといえば聞こえはいいが、学校は遠く、周囲に商店街もなく、車がなければ日常生活にも支障をきたすほどの悪条件の立地である。したがって、多くの分譲地は完売こそしたものの、住宅建築はほとんど進まなかった。住宅団地の分譲でありながら、ふたを開けてみれば、強い関心を寄せていたのは暮らす気もない投資家だけだったのだ。
    やがてバブルが到来すると、にわかに静かな注目をあびたのが、千葉県北東部の限界ニュータウンであった。バブル期の地価狂乱は郊外の市街地にまでおよび、駅近くの利便性の高い地域は、都心部の企業に勤める高給のサラリーマンがようやく手が届くほどの高価格のベッドタウンとして変貌していく。そうしたなかで、もとより都心に通勤する必要のない、給与もけっして高いとはいえない地元企業に勤める市民は、もはや地域の不動産市場からも置き去りにされつつあった。そこで、開発当初から長く更地のまま放置されていた、比較的地価の安い超郊外の僻地の住宅団地にも、わずかながら住宅建設が進んでいくことになる。
    そのため千葉県北東部の限界ニュータウンは、開発・分自体は1970年代にもかかわらず、そこに建つ家屋の大半が、80年代後半以降に建てられたものだ。この、開発と利用開始時期の10年以上のタイムラグこそが、限界分譲地特有の現象である。

    時は過ぎ、今日の日本には、かつて沸き上がった開発ブームの熱気はどこにもない。開発からおよそ半世紀が経過したいまも、多くの限界ニュータウンには、まだ一度も家屋が建てられたことのない、膨大な数の空き地がとり残されている。不在地主の多くは高齢となり、体力的にも、みずからの所有地の現況を顧みることは難しくなっている。住宅地の狭間に残る大量の空き地。じつはこれこそが、今日の限界ニュータウンが抱える、あらゆる諸問題の源泉ともいえる深刻な事態なのである。

    限界ニュータウンの多くは、共用部が激しく老朽化している。道路の舗装は剥がれて陥没し、雑草は伸び放題だ。
    いま、全国各地に、市場価格が低く売却が見込めない、居住地が遠く利用の予定がないなどの理由で、権利者が相続登記をおこたっている不動産がある。それが「所有者不明土地」と化し、私道の修繕をはじめとした住宅地の環境維持における深刻な障壁と化していることは、以前より識者のあいだで指摘されてきた。老朽化が進み、設備更新の時期を迎えているにもかかわらず、連絡手段が失われた共有持ち分所有者の合意がとれないために、補修が進まない事例が各所でみられるようになっていく。

    千葉県北東部の限界分譲地の場合は、多くの区画所有者・利用者にとって、共用部の維持管理が喫緊の課題となりえないという問題がある。
    つまり、居住者が少なく空き地を多くかかえる限界分譲地は、区画所有者に連絡がとれるか否か以前に、そもそも合意をとりまとめることができるほどの地域コミュニティが形成されず、また居住者の転出入がくり返されている住戸も多いために、いまなお地域に合意をめざす要請そのものが存在しないのである。


    2 利便性のなさ
    多くの限界分譲地には、利便性がまったくない。鉄道もバスもない土地のため、移動は自家用車が必須だ。周辺には商業施設はおろか、自動販売機すら存在しないことが多い。交通利便性のほかに住宅選びで重要な要素になるのは、小中学校などの教育施設までのアクセスだが、基本的に日本の農山村部では徒歩での生活を想定した道路整備をおこなっていないので、周辺道路には歩道やガードレールもなく、児童の通学に配慮がなされているとはとても思えない。

    分譲住宅地というものは一般的に、子育て世帯に向けて開発されている。そして子育て世帯は住まいを決めるうえで、幼稚園・保育園や学校の所在をひじょうに気にするものだが、じつはだからこそ限界分譲地の衰退は加速しているともいえるのだ。
    少子化の進行にともなって、近年、各地で小中学校の統廃合が進められている。千葉県北東部の自治体においても、農村部の小規模校はつぎつぎ閉校となり、遠い統合先の学校までの通学手段を確保できない児童のために、自治体がスクールバスを運行する事例も増えている。しかしそれは限定的で、少なくない児童の保護者が自家用車で子供を送迎していて、それが保護者の大きな負担となっている。仮にスクールバスの利用が可能であったとしても、統廃合によって校区が広くなることで、子どもが近所に友人をつくることが難しくなる場合もある。
    したがって、統廃合によって最寄りの学校が消滅し、さらに交通手段も途絶えてしまったような限界分譲地では、通学に便利な地への住民の流出が起こり、逆に、新たに住宅を新築して移り住む世帯はきわめて少なくなっている。

    限界分譲地をとりまく貧弱な交通利便性は、たんに公共交通機関の衰退という文脈で語れるレベルの話ではない。鉄道駅に接続するバス、あるいは自転車を使って、学校や会社、商業施設へアクセスするという、一般的な郊外住宅地における生活イメージとはまったく異なる実態は、どうひいきめにみても計画的とはいえない場あたり的な開発・分譲が進められてきた結果なのである。

    限界分譲地の多くは市街地から離れた農村部であるため、上下水道の整備が進んでいない地域にある。都市ガスの供給はまず望めず、電気も無住の分譲地に関しては電柱が設置されていないケースも多々ある。一応ニュータウンを名乗るからには集中井戸、集中浄化槽、集中ガスといった団地専用の共同設備を用意しているケースはあるが、決して安くない管理費がかかるし、使用不能になって放置されたところも多い。

    共同インフラを擁する分譲地の管理組合の多くは、新規の住宅の施主に対し、管理設備の費用負担として数十万円の加入金を請求しているが、その金額が、近隣で売られているべつの売地の価格そのものを上まわってしまっていることがある。すぐ近くで管理費負担のない30万円の土地が売られているのに、管理組合の加入金だけで30万円を要し、さらに毎月管理費の納入が必要というのでは、いったいその土地はいくらで購入すればよいのか。
    共同インフラはいまや、多くの限界ニュータウンの大きな足かせとなって、住民に重い課題をつきつけている。


    3 実際に暮らしてみた
    筆者は、千葉県横芝光町のさびれた旧分譲地にある貸家を借り、妻とふたりで暮らしている。床面積は約84平方メートル、1994年築の4DKで、賃料は月4万5千円。駅は遠く、自治体が運行する路線バスは1日数本のみ。最寄りの小さなスーパーまでも徒歩20分程度かかるようなひじょうに不便な立地だが、周辺に家屋の少ない静かな環境が気に入っている。上水道は敷設されているが、下水道はなく排水は浄化槽で、ガスはプロパンガスを使用している。都市部と比較すればインフラ網は貧弱だが、これはどこの田舎も同じなので仕方のないことだ。といっても、アマゾンなどのネット通販は普通に届くし、車で5分もかからないところにスーパーと薬局がある。

    また、この家の隣に適当な土地一区画を20万円で取得している。取得を決めたのは、単なる物置用地や遊びで使うためである。家屋が少ないので日当たり抜群、生活音の漏れも一切気にすることなく、プライバシー問題もない。中途半端に都市近郊にある「市街地から遠くて利便性のない、面白みのない住宅地」よりも、より柔軟な利用方法が可能な土地である。

    土地を手に入れ、私道の整備や荒れ地の草刈りをするうちに分かってきたことがある。それが放棄地の適正な管理を行ううえで直面する法律面の課題だ。登記上の所有者(法人個人ともに)の所在がわからず、国庫へ帰属させると決められる者が存在していない。所有権が完全に宙に浮いたまま放置されており、そうした土地が雑木林や竹林になり、挙句の果てには不法投棄の場所へと変わっていっているのだ。

    また、分譲地によっては住民同士の自治会や管理組合を設置していないため、分譲地に含まれる側溝が土砂に埋もれて排水機能が損なわれていたり、地盤沈下によって損壊しているところもある。その補修を行うための地権者の合意形成は絶望的であるため、豪雨時における冠水の遠因ともなっている。

    一方で、限界分譲地に暮らす一番の魅力は、なによりその住環境を維持するにあたっての裁量の多くが、自分自身に委ねられている点だ。道路や公園跡の整備や維持管理を、自分ができる範囲で、あくまで自己判断で、可能なかぎり工夫して進めていく作業には、すでに完成されて問題なく維持されている「既製品」の住宅地では味わえない満足感が、たしかにある。それは「開拓」などとよべるほどたいそうなものではないけれど、広大な原野や山林ではなく「住宅地」で、比較的手軽にその充足感を味わえるのは、おそらく限界分譲地しかない。地域社会から顧みられることもなく、一度は打ち捨てられようとしていた「住宅地」を、みずからの手で再生させていき、自身の拠点として整備を進めていくその達成感は、ほかではあまり味わうことのできないものだと思う。

  • YouTubeでたまに動画を見ていた限界ニュータウン吉川氏の著書。
    動画だとぶつ切りになってしまう情報が体系的にまとめられていて読みやすかった。

  • 高度経済成長期、首都圏では都心で働くサラリーマンの居住地が郊外へ郊外へと広がっていったし、郊外地の発展により、郊外地自体に雇用が生まれ、住宅需要が発生していった。また、本書の舞台となっている千葉県北東部では、成田空港の開港を期待し、投機的なものも含め、多くの分譲地の開発が行われた。それらは、実需としての宅地として、あるいは、土地の値上がりを見越しての投機用の土地として開発され取引された。そういった開発、あるいは取引は、バブル崩壊まで、ある一定規模で続いたのであるが、それ以降は影を潜め、中途半端に開発された土地は、「限界ニュータウン」として取り残されることとなった。もともと首都圏に通勤するには遠い不便な土地であり、また、投機用の土地として求められたこともあり(そして結局は値上がりは実現せず投機は失敗に終わった)、それらの土地に実際に住宅を建てる人は少なく、限界ニュータウンでは、分譲された土地の中で実際に住宅が建っていない土地も多い(というか、建っていない土地の方が多いのが通例)。道路や上下水道や排水側溝の整備やメインテナンスも行き届かず、荒廃している限界ニュータウンも多い。

    本書は、千葉県北東部の限界ニュータウンを扱った本であるが、それを「社会的な問題」という視点で扱ったものではない(そういう視点からの記述も勿論あるが、執筆の動機はそこにあったわけではない)。
    筆者は結婚を機に、東京から千葉県北東部の八街に転居する。それは家賃水準が低いという単純な理由からである。2017年のことだった。その後、ご夫婦は同じく千葉県北東部の芝山町に引っ越し、現在は、更に引っ越しを重ね、横芝光町に居住されている。その過程で、住居を購入することも視野にいれながら、同地域の限界ニュータウン的な場所を色々と見学される。そういった物件めぐりをしながら、訪問した分譲地や住宅団地の現況と問題点を紹介するブログ、「限界ニュータウン探訪記」を立ち上げられ、それが反響を呼び、2021年に出版の誘いを本書出版社から受け、2022年10月に本書を出版する。また、2022年2月には「資産価値ZERO-限界ニュータウン探訪記」というYouTubeチャンネルも立ち上げ、動画の配信も行われている。

    筆者が現在住んでおられる横芝光町の分譲地は50区画ほどの土地に7軒しか住宅が建っていない場所であるらしい。筆者は、そこで借家住まいをされているが、隣の土地を購入し整備したり、あるいは、共有地の清掃・整備などを積極的に行われている。すなわち、この限界ニュータウンでの暮らしをそれなりに楽しまれているのだ。しかし、それは、筆者が「自分としては」「個人的には」限界ニュータウン暮らしを気に入っているだけであり、誰もに合う訳でもないし、不便な、不都合な側面も多いと書いておられる。
    筆者は、本書を書くために、あるいは、YouTubeで情報を配信するために、多くの分譲地を訪問・取材されている。その労力や手間は相当なものである。しかし、それは、最初に書いたが、別に社会に問題提起をしようとか、田舎暮らし(限界ニュータウン暮らし)を薦めようとか、そのような意図ではない。どちらかと言えば、好きなこと、自分が興味を持ったことを、コツコツと続けている、趣味的な脱力系の活動という印象を持った。YouTubeも視聴したが、本書と同じく、どこか力が抜けていて、味のある面白いものだった。

  • 面白そうなテーマなので手にとってみました。
    どうして限界ニュータウンのような場所が生まれるのか、そこでの暮らしはどうなのかなど、リアルな実情が書かれていました。人口減少の一途を辿る日本、所有者不明の土地はこれからも増え続けるでしょう。そのような土地の有効活用について、考えさせられました。

  • 限界ニュータウン、限界分譲地。昭和の産物がどんな背景で生まれ、どんな、状況になっているか?また今後どんな問題点を引き起こしうるか?どんな利用法がありうるか?実際に生活している方の視点からも見られ面白かった。

  • この本を紹介する書評で「鋭い観察眼に唸らされる。不動産業者でもない著者は何者なのか。それが最大の謎だ。」というフレーズが刺さりました。書名のキャッチーさ、でも十分そそられる本ですが、実はYouTubeでたまたま見た「磯村建設の足跡(前編・後編)」で読む前から著者にはロックオンされていました。で、期待にたがわず、こんな読後感の本は初めてでした。誰も見つけてこなかった着眼、だけどそれは著者の日常生活から生まれたもの、とか。圧倒的な研究力、取材力、だけどそれは学問でもジャーナリズムでもないもの、とか。そもそもは路線バスの乗務員であり、だけど今はフリーライターやYouTuber、という訳でもなくコンビニの夜勤のアルバイトで生計を立てている、とか。本書の醸し出している空気は、現状の思考のフレームワークの中での分析なんてものじゃなく、著者の生活の志向がもたらしたアクションの結果という活動報告であることに起因するものだと思います。それは社会も個人も「成長」するという無意識の呪縛からの解放であり、その自由さが、まさに「限界ニュータウン」との向き合い方の鍵なのであるということだと受け取りました。2056年には日本の人口が一億人を切ると言われている中で、「限界ニュータウン」だけでなく「限界墓地」「限界産業」「限界地方自治」「限界家族」…すべてが「限界化」している流れの中での大きな示唆がこの本であるような気がします。

  • 歴史的経緯により荒廃した分譲地。
    千葉剣北東部のような首都圏でもこういう世界があるとは。

  • 資産価値が無く荒れ果てた分譲地の問題点やそこに住む人(筆者含む)の経験談をまとめた本です。問題提起だけに終わらず、土地の利用方法を積極的に発信している点に好感が持てます。(もちろんデメリットも併記しており、決しておすすめはしていまない。)
    私自身、色々な土地を見ていた事があって土地問題には関心があったのですが非常に面白い内容でした。土地問題、限界集落に興味がある方におすすめ。

  • 荒廃したニュータウンというと、かつては賑わったが人の流出が続き高齢化が進んだり交通網が廃れた、買い物する場所も難儀するようになった街だと思っていた。
    だがここに出てくる場所は更に深刻だ。
    かつて投機目的で分譲されたミニ住宅地。
    実際に住まない人がほとんどだから上下水道などのインフラも貧弱で、売れないまま手入れもされず荒れ地化していく。
    所有者が分からなくなっている土地も多く、管理が更に難しくなっていく。
    そんな場所に暮らす著者から見える街の様子とこれから。
    自分が安心して暮らすには何が必要か考えさせられる。

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著者プロフィール

1981年、静岡市生まれ。ブロガー。千葉県横芝光町在住。2017年にブログ「URBANSPRAWL──限界ニュータウン探訪記」を開設。千葉県北東部の限界分譲地をたずね歩き、調査を重ねてブログに記事を執筆してきた。2022年よりYouTubeチャンネル「資産価値ZERO──限界ニュータウン探訪記」を開始し、ブログと並行して動画配信もおこなっている。「プレジデントオンライン」「楽待不動産投資新聞」にコラムを連載中。

ブログ「URBANSPRAWL──限界ニュータウン探訪記」
https://urbansprawl.net/
YouTube「資産価値ZERO──限界ニュータウン探訪記」
https://www.youtube.com/channel/UCan6lszm2IMyMpnSYinewTg

「2022年 『限界ニュータウン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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