修養 (タチバナ教養文庫 23)

著者 :
  • TTJ・たちばな出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (522ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784813314448

作品紹介・あらすじ

百年前、「武士道」で日本人の精神文化を世界に知らしめた国際人・新渡戸稲造の、世紀を越えて読み継がれてきた実践的人生論。百年後、いまだに日本人に勇気を与えてくれる。

感想・レビュー・書評

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  • 新渡戸稲造氏の経験に基づく啓蒙書。
    今も昔も言われていることはあまり変わらないのだな。
    やることをしっかりやれば人間成長できるのですね。
    さぼらず、気張らず、やっていきたいです。

  • 武士道の新渡戸稲造の本。読みたくないはずがない。
    現代にも通じる生の哲学。

  • 1.この本を一言で表すと?
    ・新戸部稲造が記した、約百年前の自己啓発本

    2.よかった点を3〜5つ
    ・暦を繰り返したからとて、必ずしも老年というのではない。して、この意味で年を取るのは、いたずらに馬齢を加うると違って、星霜を経れば経るほど精神が若返り、それこそ老いてますます盛んになり、老衰はしないで、成熟する。 (p41)
     →やるべきこと、目標があるかどうかが重要であるということ

    ・人の悪口を言うのは、自分の下劣なことを自白するにすぎぬ、最も聞き苦しいことである。自分を上げるために、人を下げんとするほど、心術の陋劣で見にくいことはない。名誉そのものは悪くないにしても、これを得るために人を陥れんとする心術は最も悪い。(p196)
     →人の悪口は言うのは自分の価値を下げること。

    ・難題の解決も、要するに日々の平凡の務めをなし遂げることによって、初めてできることと思う。(p29)
     →日々努力が必要ということ

    ・心がけにより逆境も順境とされる(p366)
     →境遇は考え方次第でとうにでもなるということ。

    ・毎日反省するから諸徳は継続して実行されるのである(p107)
     →物事を継続するためのヒントだと思う。

    2.参考にならなかった所(つっこみ所)
    ・青年は不必要な知識に食傷するな
     →不必要(害悪)な知識と判断するのは誰?判断基準は?
    ・十三章 道 は何が言いたいかよく理解できなかった。

    3.実践してみようとおもうこと
    ・人の悪口を言わない

    5.全体の感想・その他
    ・菜根譚からの引用が多いので、今度改めて読んでみたい。

  • 帯に日本人のための教養書と書かれていたが、まさに文字通りだと感じた。著者がエリートでありながら常に謙虚に継続する、鍛錬された精神には脱帽である。

  • (02.09.2016)

  •  青年時代をもって、単に愉快なる時代とのみ思うは、はなはだしい誤りである。草木の花爛漫たるの季節は、最も美なる季節なるは、争うべからざるも、この季節をもって、単に美観を呈するの時と思うは誤りである。草木開花の時は、実を結ぶの階段である。人の青年時代は、これまさに事業に顕わるべき思想と元気の成熟せんとする機会である。開花の時はうるわしく盛んであるとともに、虫も付き、風雨にも最も侵されやすき時である。それと同じく、青年時代は最も愉快であるとともに、また最も危険のある時である、最も慎むべきの時である。(p.58)

     すべてのことは精神が大切である。しかし、これを形に表わすこともまた必要である。形に表わすために、かえってその精神を強うする力ができる。ゆえに、僕は心に善と思うことがあったら、これを外形に現わして行うことを望む。(p.133)

    克己心修養の6事例(pp.165-166)
    1 朝起きの習慣→忍んでやっていたなら、ついには厭でなくなる。
    2 弱点の矯正→弱点数か条を表に作る。
    3 性急の人→時を定めてゆったりとする習慣を養成。
    4 憎悪の矯正→長所美点を観察するに努むる。
    5 憤怒の抑制
    6 他力による修養

     貯えた地力がいかなる時に役に立つかは、分からぬものである。分からぬけれども、早晩役に立つ。ただ目前に横たわる必要のためにのみ得る知識は、それはドイツ人のいうパン学問である。パンを得てしまえば、もはや役に立たぬ。ゆえにいかなる時にも、いかなる場合にも利用なし得ることのできる知識を、平生貯蓄することを心がけたい。
    (中略)しかし、知識の貯蓄のみで、世の中を渡るときは、はなはだしき寂しさを感ずる。世間の人を見るに、怜悧の人は談話の相手がいない。いずれを見てもすべての人が馬鹿らしく、ともに語るに足らぬように見え、したがって不愉快に世を渡る者が多い。とかく知識のみの人は、人に対し威張り、ツンとし、傲慢である。ここに置いて知識の貯蓄よりも、さらにいっそう大切な徳の貯蓄ということが必要となる。(pp.260-261)

     世人は「実際はそうかもしらぬが、書物にはこう出ておる」と言って書物のみを信じて、せっかく得られる大切な知識を閑過する者が多い。それゆえ、世人は書物と実際生活(Actual life)とを結び付けることができぬ。読書人は実際社会の事情に迂となり、実務家は書籍と遠ざかる。英米の学問が実地的であり、学問が実際と結びつけられてあるというのは、こういう知識を利用するためであると思う。書物にばかりよらずにも少し耳の学問もしてほしい。こうすれば書物を読んでも面白くなる。読書などということは、義理ではよく読まれるものでもない。趣味をもって面白く読まなければ役に立たぬ。面白く読むことができれば、その進歩もまた著しい。(pp.278-279)

     人の愉快は少しも自分に損でない、むしろともに喜んで愉快を分かつべきである。しかるに、人が楽しむのを見ると、自分は損するかのごとく思う者が多い。もし、これが一歩を進むレバ、人に幸なきを喜び、むしろ禍いにかかるのを気味が善いと思うようになるであろう。(pp.303-304)

     仕事の前には動機を黙思せよ。何かあることをする前に、果たしてこれは何のためにするのか、名利のためではないかと思うて正す。名利の念は人情に離れ難い人間の本能のごときものである。自分は最初よりそれを目的とするのでなくとも、知らず識らずの間に、おのずからこれに駆られやすい。それゆえに何事をするにしても、待てよ、これは何のためにするのかと、一歩退いて沈思黙考する。(p.463)

    「専門家はその専門と全く関係のない学問を研究する必要がある」(p.474)

    新年を迎うるに、新思想と新決心をもってした経験を有する人も必ず少なくなかろう。日記を書くことも毎年始めて毎年まっとうしなかったし、その他種々の工夫を案出しては、ことごとく失敗したから、もう新たに始める勇気がなくなったと自暴自棄に傾く人もあろうが、かかる人には僕は「もう一度やりたまえ」と絶叫したい。一度倒れたら一度起きれば良いではないか。良きことはただ三日坊主やっても、その及ぼすところは3日や3ヶ月にとどまらぬ。善事はいかに小事なりとも、活力が潜んでいる。善事はいかに短時間なりとも永く死なぬ。ゆえに善事はいかなる小さなことでも、ちょっとの間でも行うにしかぬ。新年3日間でも良いから心がけを正しくした。(pp.509-510)

  • 修養とは身を修め、心を養うこと。
    青年はどうあるべきかということや、職業選択の基準、決心の継続法、勇気の修養、逆境にあるときの心得…などが書かれています。
    非常に正当で為になることを言っているなぁと思いました。
    しかし、若い人はこういう本を読む機会も少なければ、教えてくれる大人もなかなか居ないと思います。
    分厚いけど『武士道』に比べれば、格段に読みやすいのでオススメです。

  • 古いけれど、古びない。
    たまに読み返して自分も「修養」しないとなあ、と思うけれど、
    すぐ忘却先生になって困る。

  • 23歳の新渡戸先生が神田の成立学舎で、アルバイト講師のとき、夏目金之助少年はそこの書生だったらしい。諭吉先生は当時50歳。 新渡戸先生が5,000円札の「顔」に選ばれたのは、津田塾大学や東京女子大学等での経歴をして、当時の、女性教育の先達者という貢献分野が認められたためであったそうだが、時は流れ、5,000円札のデザインが変わってからも既に随分経ったように思う。

    武士道が、国際社会における日本国の位置づけに意識を置いて書かれた翌年、先生49歳の著作。和魂洋才とは、まさに本書をして新渡戸先生が男女を問わず、その正義を、体力を、知力を、そして処世を修養しなさいとしたプラットフォームを指すのではないかと思います。

    健康面でのライフハックにまで、細やかに描かれており、私もハマっていた鼻うがい(鼻から水を吸い込む)は新渡戸先生も試されたうえで「激烈な中耳炎を発生することがあって、危険であるというので、今は中止している」を読んで青ざめましたw。

    信念や己の正義を嘲笑されたら「ただちに思い切って相手を殴るがよい」など、今でこそ言わない、明治オリエンテッドな部分もありますが、全体を通じて新渡戸先生が、先輩として、自らの経験をもとに優しさをもって書いてくれたんだなと感じます。ある意味ひとつの「幸福論」といえるでしょう。

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著者プロフィール

1862年南部藩士の子として生まれる。札幌農学校(現在の北海道大学)に学び、その後、アメリカ、ドイツで農政学等を研究。1899年、アメリカで静養中に本書を執筆。帰国後、第一高等学校校長などを歴任。1920年から26年まで国際連盟事務局次長を務め、国際平和に尽力した。辞任後は貴族院議員などを務め、33年逝去。

「2017年 『1分間武士道』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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