学術書を読む

著者 :
  • 京都大学学術出版会
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  • Amazon.co.jp ・本 (138ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784814003013

作品紹介・あらすじ

【推薦】佐藤文隆氏(元日本物理学会会長・京都大学名誉教授)
人類は二,三千年の文明とともにあり,この先達の遺産を受け継ぐのが読書である。二,三十年の実人生だけでは,食っていく単能な専門家にはなれるが,文明人にはなれない。そうはいっても専門への集中,研鑽も大事である。本書ではこのバランスを “「専門外」の四つのカテゴリー”という考えで上手にマネージする秘訣が提示されている。学術書編集の達人が披露する実践論であり,文明人になる人生の処方箋だ。

感想・レビュー・書評

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  • 本書のテーマは学術書の読書、特に専門外の学術書を読む、ということです。
    大学出版会で学術書の出版に携わり、専門外の専門書を読む読書会にも取り組んできた著者が、専門外の学術書に触れることの意味や本の選び方について教えてくれる1冊です。

    特におもしろかったのは、第9章「博識は「ノオス」を教えない」です。
    速読・多読を強いるような現代の傾向に疑問を投げかけ、本と格闘するような読書の大切さを教えてくれました。
    引用されていた岸本重陳氏の文章が印象的。
    本をゴシゴシと塩もみして、シンを洗い出す。
    そんな読書をすることで人と交流する力がつく。
    引用元の記事も読んでみたくなりました。

    第10章「知の評価の在り方を変えよう」では、現在の学術界が直面している、学術評価の問題点が指摘されています。
    論文数やインパクトファクターといった数字で評価することが、知の格差と分断を加速する。
    要点がコンパクトにまとめられており、勉強になりました。

  • 本書で述べている学術書とは「専門外」の学術書である。
    本書を出版している京都大学では専門外の学術書を読む読書会を開催しており、近ごろの学生が専門外の専門書を選ぶことが難しくなってきている、という事実に気が付いたことが本書を刊行するきっかけとなった。大学では一般教養がどんどん軽視され、専門外の知識を得る機会が減っているうえ、多くの書籍や論文に簡単にアクセスすることが可能になったため、情報量が多すぎて取捨選択が難しい、というのが主な要因である。

    本書では、「専門外」を①遠い専門外の本②近い専門外の本③古典④現代的課題を歴史的視野から見る本、の4つのカテゴリに分けている。
    ①は人文・社会科学系の学部なら科学史、自然科学系なら社会文化史の専門書で、厚手の概説書。
    ②は挙げていけば幅広く、当然対象となる専門書も膨大な数になるが、選ぶコツとして、「大きな問い」のある本、対立を架橋する本(自分と違う意見の本)で、自論も完全ではないということを理解している本であることが挙げられている。
    ③は読んで字のごとくだが、必要な理由としては「異なる専門領域を超えてともに現代の諸問題に取り組むための共通の知識であり、議論にあたって共有すべき価値観を作っていく上での、いわばメタ知識(上位の知)となる」ことを挙げている。
    ④は、具体的には現代的課題が元はどのような原因で発生したのか、当時の人はどう考えたのかを意識している本、ということで、巻末の参照文献のリストにできるだけそのような視点が見えるものを選ぶ際のポイントとして挙げている。

    最後に本書では、研究者や学術機関の評価において、特定のメジャーな学術雑誌に掲載された論文の数が指標となっていることから、近年「速読」「多読」により効率的に情報収集を行う傾向や、わかりやすいものを選ぶ傾向にあり、その結果物事を総合的に見ることができず自分の信じたい情報だけを選んでしまう「確証バイアス」に陥る可能性について警鐘を鳴らしている。

    文章は簡潔で枚数も100頁ちょっとと多くないので読みやすい。主に学術書を読む学生や研究者に向けた内容の本だが、比較的手に取りやすいおすすめの専門書をいくつか挙げてくれているので、一般の人でも参考になる。何よりも、幅広い分野の本をじっくり読み、教養を持つことの重要性を改めて感じさせてくれる良い本だった。

  • 今月の一冊は、「わかりやすさ」に流されない本選びのコツ。『学術書を読む』(鈴木哲也 / 京都大学学術出版会) | 三宅香帆の今月の一冊 the best book of this month | 365BOOKDAYS
    https://www.365bookdays.jp/posts/4614

    京都大学学術出版会:学術書を読む
    https://kyoto-up.or.jp/books/9784814003013.html

  • まず本書を一読して、著者である鈴木哲也氏は、広範囲の学術的知見を持ち、非常に高度な業務を担当している専門的な大学職員であることを感じた。論文ではない書籍としての単著を書ける大学職員は何人いるだろうか。もちろん自叙伝的な本を出す方は何人か思い浮かぶ。本書の内容自体のおもしろさとは別に、その意味で著者の仕事の意義は大きい。

    本文では、学術書をよむときに専門外の本を次の枠組みで選ぶとよいとしている。これは一生持ち続けられるものだろう。
    ①自らの専門からは遠い分野
    ②自らの専門に比較的近い分野
    ③古典
    ④現代的課題についての本
    (p.48)

    論文ではなく、本を読むことの効用として、「『自分と違う』世界を知る術」(p.63)と示している。「『仲間内』のものばかり選らんでいては、自らの立場を相対化・批判しつつ考察を重ねるという知的な力は鍛えられ」ない。一つの論文を執筆する期間は、とにかく自分の主張を強固なものにしておくための、書籍・論文チェックを優先する。そうしたタスクがないときは、上記②の中でも距離が離れたエリアの本を手に取りたいものだ。

    研究管理・支援部門関係者にとって重要なパートは、第Ⅲ部だ。著者の指摘に耳を傾けたい。インパクトファクターを最優先にした学術誌駆動型研究に走らざるを得ない昨今の趨勢に異を唱えている。「知を数で計る」(p.108)仕組みを世界中にインストールしたのは、英語圏の多国籍企業であり、研究と論文と世界大学ランキングを絡めてコンサルをする「マッチポンプ」である現状を急いで理解したい。ランキング上位大学にお金が恒常的に分配される仕組みが定着する。研究大学におけるURAや事務職員は、その職務上、マッチポンプのプロセスに懸命に参加している、という見方もできる。現実には、実務的にはそうであることを分かった上で、現場でしたたかに対処するしかないだろう。

  • 自分の専門外の学術書を読む際、どのような基準で選べばよいのかが書かれている。また「分かりやすい」本の功罪、「多読・速読」も使い方を誤れば理想的な効果は得られない、といった著者の読書観も書かれており、知識のあり方についても考えさせられる。

    また、研究者や大学を数値で格付けし、社会の関心を順位に向け、資源を集中させることは「エリート」には利益を「大衆」にはコストをもたらす、という指摘は目から鱗だった。
    格付けされた対象に「上位ランクに入るためのコンサルタント」を行う、上位(エリート)のランクを下げないために多額の資金を流入することが格差を広げ、学びの裾野を狭くし「学びたいのに学べない」環境を産み出す。
    この悪循環を断ち切るためには、専門領域を超えた対話と連携が不可欠である。丁寧な対話は確かに時間がかかる。しかし、コストパフォーマンスを重視するばかりでは視野が狭くなり、長期的な成長をかえって阻害するのではないだろうか。

    この本で紹介された本、自分にはだいぶ難解だろうけど頑張って読んでみようと思う。

  • 他分野の専門書を読む。ということを推奨しており、その意義をしっかりと説いている。その点は、目が拓かれる。特に、学問領域全体を俯瞰する全史の読書をすすめている。わかりやすい本の氾濫、多読速読の問題点などを提起しているものの、それに打ち克つべき方策は示されていなかったのが残念だった。確かに指摘の点は、筋トレを考えても妥当だろう。促成栽培でよい筋肉はできないことも感覚的によくわかるし、軽いウェイトでは鍛えられないだろう。脳も身体の一部と考えれば、読書をトレーニングととらえればその通りだと膝をうつ。IF主義に警鐘を鳴らしてもいるが、これも資本主義の流れの中で、どのような方策でこれに対抗していくのか?新たな評価軸の提示があれば、なおよかったと感じた。

  • この本は、学術情報流通全体の現状と問題点(評価方法の偏り、研究と社会の隔たりなど)をふまえ、学術研究と社会をつなぐものとして学術書を位置づけた上で、その選び方・読み方(読む心構え?)を紹介した本です。

    本の選び方として、前提となっている問いが大きいものを選ぶこと、著者自身が自らの論の限界を理解しているものを選ぶこと、というのが挙げられていて、なるほどと思いました。

  • 日本の毎年の新刊書籍量は7万冊を超える。しかし、読書の現状は悲惨だ。

    4割以上の日本大学生が、読書しない(<1min/month);
    2000年以降、読書法・読書術(多読・速読)が著しく増加し、「わかりやすさ」が強く求められる→知識の情報化;
    98%の人文学・芸術学の論文、74.2%の社会科学の論文が引用されない(SCI,SSCI,ACCI)→知識が量的に評価される;


    どのような本をいかに読むか?読書にとどまらず、現代における「知識」の本質を捉え直すための一冊となる。

  • 京都大学学術出版会の編集長である著者が、「専門を越え、広く知の世界に触れる実践を語ります」(帯の惹句)という本。沢野ひとしさんのイラストの表紙が可愛い。何だかとても懐かしいな。

    138ページの薄い本で、平易な文章で書かれており、すぐに読み終わった。読み終わって思ったのが、自分が読む本はこれじゃなくて、『学術書を書く』(2015年、高瀬桃子氏との共著)のほうだったかな、ということ。

    もちろん本書も良いことがたくさん書かれているのだが、まぁ、いずれも実践していることではあるので、あらためてその方向性は大学出版会の編集長さんから見ても間違いではないのだなということ。

    1970年代以降の出版状況、そして2000年代に入ってからの情報の洪水と読書の変質についてはあらためて危機感を感じさせられた。

  • ○探求・研究者の深淵を覗くことを決意した人、社会で自分の領域外の知見が必要な人、世界を深く知りたい、関わっていく人への手引書
    ○自分の手元に置いておくべき本だと思う
    ○“古典”“○○史”は、これから月に1冊は読んでいきたい
    ○知識の身につけ方、広げ方
    ○「わかりやすい」「親しみやすい」の罠
    ○仕事柄、ぼんやりと考えていた選書の土台になった
     司書も読んでおきたい
    ○各大学の出版部門さま、どうぞ“知”の海のために踏ん張ってください
    ○「速読」「多読」と「スローリーディング」「精読」
    ○精読、本との真摯な格闘


    ◎「学びたいことが学べない」…一通のメールから
    ←専門外の書物を読みたいが、何から読んでよいのかわからない
    ・本は狭い専門家間でのコミュニケーションではなく、専門を超えたりコミュニケーションのメディアとして重要な役割を担うようになった
    ・知をめぐる社会状況構造的な変化
    ・大学で専門外の学びを受けにくくなっている
    ・本書における“学術書”の定義
     「学術的な問題意識を持って、学術的なトレーニングを受けた者が、学術的な認識・分析方法と作法をもって書いた本」
    ・知識基盤社会としての現代を生きるための技法

    1:考える_学術書を読む意味

    ①「現場の哲学」が求められる時代…「専門」の限界
    ・複雑さを増す社会の中で
     専門を越えた取り組みが求められる
     専門家任せではない社会全体で考えるべき問題群
     …「現場の哲学」←どのように構築できるのか
    ・方法や認識の壁を越える対話としての読書
     「歴史的」「言語的」な事柄の理解無しに「現場の哲学」は作れない
     ←専門外の学び、学術書の読書
      人文学:哲学・美学、倫理学
      諸科学の上位意識(メタ知識):認識論・方法論
      社会科学:人間社会とは何か
    ※学術書は市民の知的な武器
     専門が違うとアプローチも違い、事柄の評価軸も違う

    ②自省作用と創造…専門外の学びの機能とその楽しさ
    ・量子力学を拓いたハイゼンベルクの読書
     ハイゼンベルク
     相対性理論とユダヤ人科学者をドイツにいながらに擁護した
     「白いユダヤ人」とドイツ国内で攻撃された
     量子力学の創始者の一人マックス・プランク
     「今は生き残るために妥協を強いられるにしても、破局の後の新しい時代のドイツのために残るべきだ」
     ナチスの命で原爆開発に取り組む
     ドイツにはこの戦争中に原子爆弾は間に合わないことを友人の科学者に伝える
     一方、自身は重水炉の開発を意図的に遅らせた、また原爆開発競争の抑止を図った
     ※ただしアメリカはハイゼンベルクの意図をとらえられず、原爆開発をはじめるだけでなくハイゼンベルクの暗殺を何度も図った
     「実用主義」「理想主義」の肥大を抑える外部からの眼
     青年運動の友人グループと理論物理学の抽象的・合理的な領域の間を行き来する

    ハイゼンベルク自伝『部分と全体_私の生涯の偉大な出会いと対話』みすず書房,1999
    ヘルマン・ワイル『空間・時間・物質』ちくま学芸文庫,2007

    竹内洋『教養主義の没落_変わりゆくエリート学生文化』中公新書,2003
    ・文化には三つの機能がある
     適応(実用主義)…環境に適応し日常生活の充足を図る
     超越(理想主義)…実用主義に対する理想主義
     自省(懐疑主義)…自らの正当性や妥当性を疑う機能
    ※自省(懐疑主義)は超越(理想主義)とは違った形で適応(実用主義)を批判するとともに、超越(理想主義)にも疑義を呈する
     自省(懐疑主義)は、適応(実用主義)や超越(理想主義)の批判に晒される
     ←三つのダイナズムが重要
     専門の世界だけで終始するとは、適応や超越の側面である実用主義や理想主義を肥大化する危険

    ジリアン・テット『サイロ・エフェクト_高度専門化の罠』文藝春秋
     組織が巨大化すると、専門化した部署やポスト間の交流が乏しくなり、サイロのように孤立しやすくなる
     ←ソニーがアップル社に大敗した理由
     ←問題を抱える外側からの視点が有効
      「専門外による自省」
     ←テット氏は社会人類学(文化人類学)
     ←「実用主義」「理想主義」の肥大をおさえる外部からの眼

    ・専門外の学びはそもそも楽しい…読書会の取り組みから
     佐藤文隆『アインシュタインの反乱と量子コンピュータ』京都大学学術出版会
     歴史学系の学生・院生が、物理学者に歴史的な観点を指摘され、呆然となった

    ③「わかりやすい」からの脱却
    ・「わかりやすい」本、「わかりにくい」本
     学術書による「わかりにくさ」
     ←その分野特有の概念や方法に関して、読者がトレーニングを受けていないので、内容自体が理解できない
     基礎的知識の欠如
     ←「悪文」難しいふりをしている本 ※少ない
     ←テーマへの関心と粘り強さがあれば専門外でも読めるはず
     「わかりやすい」学術書
     ←基礎的な知識がなくてもスラスラ読める
      …学問的な精密さや深さに欠ける
      …「流動食」のような本
    ※「わかりやすい」という言葉が、読書や学びの持つ意味を損なっていないか

    ・「わかりやすい」とバブル時代
     難しい本との格闘
     「わかりやすい」「親しみやすい」の罠

    ・丁寧なコミュニケーションを損なう「わかりやすい」
     社会工学者・矢野眞和さん
     「現在の読書」はその人の所得に有意に相関し、その「現在の読書」は「大学時代の読書」と相関している
     学び続けることでしか、時々の変化に知的に「対応」することができない
     読書において「わかりやすい」は、負荷をかけずに身体を鍛えようとするのと同じ

     学術書の難しさ
     ←学術界が「他者」を意識しなくなり、社会と乖離した

     説明書や注意書きは「わかりやすい」は大切な要素
     論理立てて説明するときには「わかりやすさ」は誤解や曲解、無理解につながる

     言葉を尽くして説明する作法が失われつつある


    コラム①塩漬けにする/ 補助線を持つ/ 人に聞く
    「わからない」ときはどうするか?
     難解な本は、自分の持っている問題意識や事前知識が整うまで待ってから読む
     わからない部分に出会ったら立ち止まり、投げ出さずに理解出来るのを待つ
     ←知識を身体化する
     わからないけど面白い
     ←別の要因が入ってきたときに、それが「補助線」となる
     仲間と読む
     ←わかる人がわからない人に丁寧に説明するというコミュニケーション

     齋藤孝『古典力』岩波書店
     「古典を読むための十箇条」
     我田引水読み

    ※「この本はわからないけど面白い、難しいけど面白い」
    ※社会が知を共有していく

    2:選ぶ_専門外の専門書をどう選ぶか
    どうすれば専門外の学びにとって有効な本と出逢えるのか
    ④「専門外」の四つのカテゴリー
    ・自らの専門からは遠い分野
    ・自らの専門に比較的近い分野
    ・古典
    ・現代的課題についての本

    ⑤【カテゴリー①】良質の科学史・社会文化史を読む…遠い専門外の本を選ぶ
     “文系”の人間にとって物理学や化学の専門書は遠い存在
     ←理解するために高等数学の素養が必要なため
     「史」か末尾につく本を読む
     ←科学史、歴史学史など
     …良質で厚手の概説書、アウトラインをつかむ

    ・科学史を読む
     …世界認識の歴史と人の営みとしての科学の姿に触れる

     サイモン・シン『宇宙創成』新潮社,2009
     ←科学が歴史の中の人の営みであることに気付かされる

     マンジット・クマール『量子革命ーアインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の衝突』新潮社,2017
     ←量子論の輪郭

     デイヴィッド・ボダニス『電気革命ーモールス,ファラデー,チューリング』新潮社,2016
     ←発明や発見の背景には社会があり、発明・発見が激変させた社会

     スティーブン・ジョンソン『世界をつくった6つの革命の物語ー新・人類進化史』朝日新聞出版,2016
     ←高校生にも読める。科学がいかに社会を変革させたか
     
     廣田襄『現代化学史ー原子・分子の科学の発展途上』京都大学学術出版会,2013
     ←20世紀後半から細分化していった化学の歴史を体系的に紹介

    ※優れた化学史は分厚いものが多い
     薄手の科学解説本はテーマを包括的に示せない、歴史的な経緯がごく単純化され、人と社会の営みとしての科学の本質を語るのは難しく、重層的・多面的理解を損なう
     
    ・社会文化史、歴史学史を読む
     …市民科学の世界史的意義にも繋がる

     リン・ハント『人権を創造する』岩波書店,2011
     ←人権の普遍的な概念が出来上がっていく過程を考察した本
      …サミュエル・リチャード『パメラ』
       ジャン=ジャック・ルソー『新エロイーズ』
      ←書簡体の小説の流行が「同情」という意識を広め、人権思想の基礎となった
      ←『パメラ』は新しい女性観も。中産階級に影響
     
     羽田正『グローバル化と世界史』東京大学出版,2018
     ←一国的な人文学・社会科学が、近代化の中で「国家」「国民」の意識を形成した
     ←経済、政治、文化、環境…あらゆる事柄が国境を越えて連関するグローバル時代には「地球の住民」として物事にあたるために、一国史を越えた世界史の方法が必要

    ※歴史学は長い間エリートを育てるための学問であった。それが歴史学の限界であった。
     「大国」の「エリート階層」の「男性」のものだった学問が、広く社会にマイノリティに開かれていく
     ←市民科学

    ⑥【カテゴリー②】「大きな問い」と対立の架橋…近い専門外の本を選ぶ
     自分の専門領域は近接領域と密接に関わりながら細分化していく
    ・「大きな問い」のある本
     目次や序文に目を通すとき、著者がどれほど大きな問いを立てているかを知る

     ジャン・デュドネ『人間精神の名誉のためにー 数学讃歌』岩波書店,1989
     ←「数学の問題や定理を原子にたとえれば、数学の発展は星の進化に似ている」
     
    ※「統一した問題意識」←大きな問い
    ※自分が基礎的なトレーニングを受けている分野に近ければ、批判力も適切に発動出来る
    ※「大きな問い」が掲げられているかどうか、近接領域の本を選ぶポイント

    ・対立を架橋する本
     自分の見解と違うもの、賛同出来ないものも、誤解や偏見の上に成立したものでない限り、避けてはいけない
     相対化・批判しつつ考察を重ねる知的な力を鍛える
     本は「自分と違う」世界を知る術を与えてくれる

    ※信頼に足る本
     自らの認識論・方法論に自身を持ちつつも、その限界、別の立場からの認識や方法があり得ることを自覚している本

    ※「ミクローマクロギャップ」ミクローマクロ架橋
     社会科学の分野も、自然科学の分野でも
     政治や社会生活の中での対立と、それを乗り越えるための術を考える架橋の視点

    ・著者の生き方としての学問を知ることができる3冊
     「大きな問い」
     「対立の架橋」

     古浜正子『一人っ子政策と中国社会』京都大学学術出版会,2020
    ←不満ながらも政策を受け入れていた中国の友人の姿をみて、上海と二つの農村で女性たちにインタビューし、歴史学者らしい緻密な史料分析で裏打ちして、中国社会に何が起こったのかを明らかにした

     堀真理子『反逆者たちのアメリカ文化_未来への試行』春風社,2019
     ←歴史を省みながら今日の政治社会状況を問う「大きな問い」のもとに編まれた評伝

     岡原正幸:編『感情を生きる_パフォーマティブ社会学へ』慶應義塾大学出版会,2014
     ←高校生や学部1年生など若い読者が「なぜ学問をするのか」について考えることができる本

    ⑦【カテゴリー③】古典と格闘する…「メタ知識」を育む
    ・メタ知識としての古典が拓くもの
     古典を数多く自分のものとすることで、この「妥当性の足場」をたしかなものにしていくことができる。
     齋藤孝『古典力』
     専門領域を越えて現代の諸問題に取り組むための共通知識であり、議論の共有すべき価値観のメタ知識(上位の知)となる
     ←「美しさ」や「幸せ」などはるか昔から著作に示された思想がある

    ※「我々はどこから来たか」人々の認識の歴史
    ※近代や現代、そして自分の価値観は揺らぎないものだろうか

     カルキディウス『プラトン『ティオマイオス』注釈』京都大学出版会,2019
     ←ハイゼンベルクの生涯にわたって影響を与える

     ヴェルナー・ハイゼンベルク『現代物理学の自然像』みすず書房,
     ←“現代物理学”を論じる全編にわたり、東西の古典が引用されている

     藤澤令夫『「よく生きること」の哲学』岩波書店,1995

    ※「何らかの専門の根底を極めたい人は早晩古代のこの泉に突き当たり、そしてかれがギリシア人から原則的思考、原則的設問を学んだとき、そこから自身の研究にとって大きな利益を引き出すであろう」ハイゼンベルク

    ・プルタルコス『モラリア1』を事例に
     「古典を読む」難しさを教えてくれる
     ←数多くの故事がほぼ説明されずに引かれている。理解の困難さ。
      教育エッセイ集。
      辞書、解説書、インターネットを駆使して言葉や故事、著作などを調べながら読む
      ←思わぬ発見もある。
       ホメロス『イリアス』岩波書店,1992からの引用を調べ、アーサー・フェリル『戦争の起源_石器時代からアレクサンドロスにいたる戦争の古代史』ちくま学芸文庫,2018まで辿る
      ←プルタルコスのいう“人間の矜持”を理解する

     プルタルコス
     …ローマ帝政期のギリシア人の著述家・伝記作家。アレクサンドリア図書館の蔵書にもふれることができた。『英雄伝(対比列伝)』『モラリア(倫理論集)』の作品群が有名。227タイトル、278巻の作品があったが、大半が失われている。

     松原國師『西洋古典学事典』京都大学出版会,2010
      
    ※多さよりも深さ、精読よりも多読
    ※古典と格闘することは、人々が培ってきた精神価値を知り、自らの「専門」の知を支えるメタ知識を豊かにする。また専門外の学びを広げてくれる

    ⑧【カテゴリー④】現代的課題を歴史的視野から見る本
     現代社会の問題
     ←単一の専門分野では解決出来ない複雑さ
     ←現代を論じる中に、歴史的な経緯や関係性は意識されているか
     ←参照文献リスト
     ←先端的な知見だけだと一方的にはなりがち

     チャールズ・H・ラングミューアー『生命の惑星_ビッグバンから人類までの地球の進化』京都大学出版会,2014
     著者は“地球温暖化”という用語を普及させた
     宇宙史的な時間の中で、地球の生存可能性を理解する構成
     ←物理学、化学、生物学、地質学、歴史学、経済学などあらゆる知見から引かれている
     ←ミクロとマクロの視点
     
    ※新しい発想、不完全な理解、および論争が、科学知識を進歩させる
    ※不完全であることを認めることの大切さ

    コラム②学識のある人を慕う、という本選び
     「真似て形から入る」
     「一つの名作には、多くの古典が潜んでいる。名作を残すほどの作家ならば、必ず古典の素養を身につけている。それが血となり肉となり、作品の質を高める」齋藤孝

     理論物理学者の佐藤文隆さんが慕った湯川秀樹博士
     佐藤文隆さんに薫陶を得た鈴木哲也さん

    3:読む_学術書の読書から現代を考える

    ⑨博識は「ノオス」を教えない…速読・多読は大切か?
    ・「速読・多読」を強いるもう一つのパラダイム
     情報を効率的に利用し瞬時にきりとっていく情報運用の技法が重視される社会的な流れ
     物事を総合的に評価するのではなく、細切れにデータ化して計量し「数値化できる事柄で評価する」思考傾向

    ※「専門外の専門書」の読書は、読書の幅を広げていく
     多くの文献に目を通すことで問題の広がりを俯瞰しておく

    ・「確証バイアス」と速読・多読…「知識か情報か」ふたたび
     学術的な事柄(“知”)が細断され「情報」として「消費」されていくことの問題点
     ←「誰に何を伝えるのか」という要素が失われる
     研究業績の評価
      論分数、引用数など彼数による計測方法が据えられてしまっている
     
     “知識”…身体性とも結びついた、身につけるべき事柄
     “情報”…個別に切り分けて利用できる
    ※知識と情報は異なる

    箱田祐司・都築誉史・川畑秀明・萩原滋
    『認知心理学』有斐閣,2010
     「確証バイアス」
     …「意味ある情報」「信頼できる情報」を選ぶことの難しさ
     …「確証バイアス」に陥っているかもしれない自覚を持たずに速読によって多くの文献に目を通すことの落とし穴

    ※1冊の本を余さずに読むこと
     体系として記された知を情報として分解せずに知識として身につけること

    ・セネカの戒め
     「non multa sed multum 」多さよりも深さ
     「博識はノオスを教えない」ヘラクレイトス
     ノオス…物事の1番肝心なところ
     本当の賢さとは

     セネカ『倫理書簡集Ⅰ』岩波書店,2005
     ・時間を惜しめ
     ・散漫な読書を避けよ
     ※情報の海に浸かりながら溺れることなく見識を広げる
     ※丹念に精読せよ

    ・本を塩もみして、芯を洗い出す
     「ひと月五千ページ」岸本重陳
     ←多読にあらず
      一読してもわからないところに出くわせば、繰り返すしかない。
      行きつ戻りつだけではなく、著者の別の本を読んで考えることが必要だったり、批判者の本を読んだり、異なるテーマの本に新しい光源を求めたり、そしてまた元の本を探りかえしてみる。
      あるいは他の著者たちの仕事を背景に距離を置いて透視してみる。
      「本をゴシゴシと塩もみしてシンを洗い出す、そのことによって人と交流する力がつく」
      ←大好きな絵本や物語を繰り返し読む小さな子どもたちも、知らず知らずのうちに、人として生きる力の大事な部分、共感・対話・共同といったものを身につけているのではないか
     
     三谷信弘さん
     本を読むときの心構え
     ・本は余さず読み尽くす
     ・本を読み終えたら書評文を書く
     …読み終えた本からどんな点でインスパイアされたのか、どこに異論があるのか。自分のためにも、他人のためにも。
     …書評者も「読みとる力」について評価される
      ←読書のトレーニング
     
     ※大学生の過半数が1か月に一分も本を読まなくなっている
     ※「わかりやすい」と「速読・多読」からの脱却の必要性

    ⑩知の評価の在り方を変えよう
     なぜ「学びたいことが学べない」のか
     ←専門外の学びが疎外されるようになったのはなぜか、その枷を外すには何が必要か
     
    ・サッカー選手と野球選手の価値を、取った得点で比較する?
     多くの研究現場では学術雑誌が学術コミュニケーションの主流になっている
     自然科学分野では「本」は重要とされていない。
     経済学者の一分野でも
     ←本を書くことが研究者の業績にならない
     ←日本の研究の現状に影を落としている

    ※大隈良典さん
     若手は論文の数や、雑誌のインパクトファクター(文献引用影響率)で研究テーマを選ぶようになってしまった。自分の好奇心ではなく、次のポジションを確保するための研究だ。雑誌に論文を掲載することが研究の目的になってしまっては…

    ※本庶佑さん
     論文の中身が分からない人がインパクトファクターを使う。こういう習慣をやめなくてはいけない。

     「インパクトファクター」
     元来は学術雑誌の「影響力」を図る指標のこと。
     大学図書館の雑誌導入の参考にはなる
     インパクトファクターの高い雑誌に論文が掲載されたから優れた研究者であるというのは本末転倒。
     ←しかも、「引用状況」を謀るために「インパクトファクター」に登録されていない学術雑誌に掲載された論文の引用数はカウントされていない。
     ←しかも“しかるべき雑誌”に掲載された論文のほとんどは引用されていない。

    ※インパクトファクターの高い学術誌に載りやすい研究を選ぶ研究者が少なくない
    ※論文のサラミ化
     掲載数で評価が決まるため、論文の数を増やす
     一つの研究、一つの論文ですむ内容を分割する
    ※特定のデータベースで計測された「引用」という表面に表れたらカズで評価することが病理といえる

     学術雑誌ではなく、書籍によるコミュニケーションが従事人文学では、各国の言語で出版される本の中の論文が別の本の中で引用者されることが主流。
     ←これらはほぼデータベースの対象に入っていない。

    ※研究者の多い分野と少ない分野では、そもそも引用数が異なるのは当たり前

    2003年 日本数学会
     「数学の研究業績評価について」
     サッカーの選手と野球の選手の価値を、その選手が取った得点で比較することに、ほとんど意味はない。

    ・「知を数で計る」仕掛け人たち
     二大データベース
     …学術雑誌の大手出版社の寡占
      ←購読料高い!
      ←多国籍情報産業の傘下にある
        「格付け」コンサルティング
      
    ・「知を数で計る」思考はどこから来たか

     石川真由美・編『世界大学ランキングと知の序列化_大学評価と国際競争を問う』京都大学学術出版会,2016
     藤井翔太「比較可能なデータシステム構築のために_欧州における新たなランキング・研究評価の動向」
     スーザン・ライト「誰のために、何のために?_大学ランキングと国家間競争」
     研究や教育のような複雑なものを数値化しての格付け
      ←大学側の自業自得、自縄自縛
     成績評価の可視化の功罪…競争の文化
      ←「権力のテクノロジー」基準を権力側が変える
       …アカウンタビリティー
        懲罰や競争のために扱われる…ゆがみ

    ※「知を数で計る」思想が社会を締め付ける
     ←「現場の知」を育む営み、専門領域を越えた対話、組織の垣根を越えた連携がないがしろにされる

    ⑪危機の時代を乗り越えるための知を
    ・「知を数で計る」ことと「わかりやすい」
     古典時代
      哲学も数学も天文学も医学も渾然一体となっていた
      「数で計る思考」と「わかりやすい」パラダイム
      研究内容を丁寧に説明し、それを懸命に理解しようとすることを取りもどす

    ・「専門」を越えた対話で、現実世界の見えない根に触れていく
     「先人の知を土台にしながら新しい知を明らかにしていく学術書ほど大いなる物語はない」
     「生々しい世界に触れ、目に見えない大いなる根に触れていく」
     三浦衛

    ※コロナ・パンデミックを乗り越えていくための“知”
     
    ◎あとがき_「対話型専門知」を求めて
     学術書とは何かという問い
     知識人とは専門分野に安住するのではなく、社会の中で思考し憂慮し続ける「アマチュア」に徹すること…エドワード・サイト
     ←孤高の存在は本当の力になるか?という疑問
     「人はちょうど良いときにちょうど良い本に出逢うものだ」

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著者プロフィール

京都大学学術出版会専務理事・編集長。京都大学文学部および教育学部に学ぶ。出版社勤務を経て二〇〇六年より現職。著書に、『学術書を読む』、『学術書を書く』(高瀬桃子との共著)、『世界大学ランキングと知の序列化』(分担執筆)(以上、京都大学学術出版会)、『京都の「戦争遺跡」をめぐる』(池田一郎との共著)(地方・小出版流通センター、新装版:つむぎ出版)など。

「2022年 『「専門家」とは誰か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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