心は存在しない 不合理な「脳」の正体を科学でひもとく (SB新書)
- SBクリエイティブ (2024年11月7日発売)


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本 ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784815625849
作品紹介・あらすじ
Q、悲しいから泣くのか、泣くから悲しいのか?
日常生活を送っていると、「わたしであってわたしでない判断、行動をしている自分」を感じるときがあるかもしれません。
また、身体の細胞や脳脊髄液は日々入れ替わっており、数年前の自分と今日の自分が同一であることを生物学的に保証できる要素を探し出すことは難しいでしょう。
人間独自のものと称される「こころ」とは一体何なのか? また、どこにあるのか・・・
こんなことを考えるとき、だれもが「こころ」があることを前提に、「こころ」の定義や在りか、「こころ」がどうして生まれたのか、どうやって生まれたのかを議論しています。
しかし、じつは生物学的に見れば「こころ」は脳という働きの結果(副産物)であり、解釈に過ぎません。言ってしまえば、「最初からこころなんてものは存在しない」のです。
本書を読めば、「こころ」の実情がわかり、その謎が解けるとともに、「どうして自分は不合理なことばかりしてしまうのか?」「感情に振り回されてしんどい」という悩みも軽くなるはずです。
感想・レビュー・書評
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心とは、私(個人)が世界をどのようにみるかという現象もしくは活動であり、そのみえかたは個人によって全く違う。言うなれば、同じ心はひとつとしてなく、それが故に、お互いに理解しあえることはかなり困難なのかもしれない。だけど、私はそれでいいと思った。後半の方に「私たちの心を直接共有できる技術が実現した未来を想像してみて下さい」的な、くだりがありました。作者はこれを好意的に捉えているように感じましたが、私は、誰かの心を私が知って(理解して)しまうことはとても怖いです。そして私は、私の心を誰かに知られて(理解されて)しまうのはもっと怖いです。だけど、一方で、「あなたのことをもっと知りたい!そして私のことをもっとわかって!」という思いがあるも事実です。うーん…矛盾している…。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
興味深いタイトル、心と脳について科学的に分析する新書、おもしろそー、
と思って読み始めたが、、、
いっぱい盛り込みすぎ。
引用もやたらめったら。
パブロフの犬は出るわ、映画「インサイドヘッド」は出るわ、
MBTI性格診断はでるわ、(私はENTJ 45年前にやって、今年やって一緒)
福岡伸一さんの動的平衡はでるわ、、、
いろんな例から何かを伝えたかったのだろうけど、
それなりに脳の本を読んでいる私には、逆に何が言いたいのか、伝わらなかった。
理解できなくてごめん。
序章 実は心なんて存在しない?
第1章 心の定義は歴史上どう移り変わってきたのか
第2章 心はどうやって生まれるのか
第3章 心は性格なのか
第4章 心は感情なのか
第5章 脳はなぜ心を作り出したのか
終章 心は現実の窓 -
心にまつわる色々な周辺知識は面白く最後まで楽しく読ませていただきました。ただ新しいことは特に何も言ってなかったです。「心のモデル」新しい”九識”も違和感があった。得意げに書かれていた「恒常的無常」もうまくない。これだとただ永遠に無常だと言っているに過ぎず、作者のホメオスタシスのための変化という意味が伝わらない。動的平衡の方がまだしっくりくる。全般的に仏教の知識を盛り込んでいるが、唯識論はちゃんと理解されていないと思われます。今後に期待して楽しみに次回の出版を待っています。
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序盤はタイトルが大げさな本だなと感じたが、後半にしっくりくる説明がされていて改めて、知覚を表す言語が大事なんだなと感じた。
前半は、どちらかというと脳の機能やクセを解説して、気持ちや性格とは?といった内容。なので脳っぽい本を読んだ人は飛ばし飛ばしで読める内容。ちょいちょい泣くから悲しいのか、悲しいから泣くのかとか哲学があり、そのへんは面白くても心の存在の有無には紐づかない。
後半に、環境対応でホルモンが分泌され情動が起こり、それを感情と知覚してその時のどう感じるかの気持ちを「心」と言っている。「この気持ちはなんだろう?」を言語化したのが感情ということ。なので、心は言語が定義していると捉えた。 -
女子栄養大学図書館OPAC▼https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000073734
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序章:意識のハードプロブレムと心の実体の問い
本書は、現代の脳科学や物理学では説明が難しい「意識のハードプロブレム」に焦点を当て、脳という臓器から主観的な意識体験、特に「クオリア」がどのように生まれるのかという根源的な問いを提起します。心の実体は脳の中に存在するのではなく、脳活動や身体のはたらきのダイナミックな相互作用の結果として心が生じるという立場を示唆し、心が脳機能の副産物であるという視点から脳の機能(認知機能、情動機能、社会機能、自己認識)を整理します。
第1章:心の定義の歴史的変遷と多様な捉え方
古代ギリシャにおけるプラトンとアリストテレスの魂や心に関する考え方の違いから始まり、フロイトの精神分析理論、死や不安が行動を左右するという存在脅威管理理論、生命の根源的なダイナミズムとしての**恒常性(ホメオスタシス)**といった、心の定義の歴史的な移り変わりを概観します。また、日本では古来より「心」や感情を身体、特に内臓で感じるという表現が多く見られることや、仏教における心の構造(八識または九識)という独自の捉え方を紹介し、私たちが陥りがちな固定的な「本質」という概念からの脱却の重要性を説きます。
第2章:心はいかにして生まれるのか:感情、知覚、記憶の相互作用
感情の原因と結果に関するジェームズ・ランゲ説とキャノン・バード説という対立する理論を紹介し、感情とは単なる身体的な反応ではなく、その反応をどう解釈するかによって異なる感情として表現されるという著者の見解を示します。「身体喚起は情動に火をつける、認知は情動に道をつける」という言葉で、身体の変化がどのように解釈されラベル付けされるかによって感情体験が再生成される過程を説明します。脳への情報伝達経路(ボトムアップと無意識的な処理)におけるフィルターの存在や、**「知恵プクロ記憶」**という無意識的な記憶が感情の解釈に与える影響、そして状況依存的な感情形成(一目惚れ、吊り橋効果)について解説します。
第2章(続き):自己の同一性に関する哲学的考察
固定的で不変な自己が存在するという前提に疑問を投げかけ、性格診断の当てにならなさや、カテゴリー化による「典型的な自分像」の形成について考察します。有名な思考実験である**「スワンプマン(沼男)」と「テセウスの船」**を紹介し、心の同一性や、何をもって自己とするかという哲学的な問題を提起します。
第3章:現代社会における「心」への過度な焦点とその問題点
現代社会における「心」への過度な焦点や、「自分探し」の問題点に疑問を呈し、心のはたらきは脳の立場から見れば特別なものではなく、感覚情報処理と変わりないという著者の考えを示します。性格診断に熱中する若者たちが、診断結果によって自分を固定し、可能性に蓋をしてしまう弊害を指摘し、心の内面を言語で表すことの難しさ、感情を基本的なカテゴリに分類することの限界について述べます。テッド・チャンの作品を引用し、感情や心の内面を言語で正確に表現することの困難さを補足します。
第5章:脳が心を作り出した理由:ホメオスタシスの観点から
**ホメオスタシス(恒常性)**が生命の根源的なダイナミズムであり、外部環境の変化に適応するために絶えず変化し続ける必要性があるという観点から「心」を捉えます。私たちの心は、このホメオスタシスのプロセスの一環として生じるものであり、「変化しないために変化する」という恒常的無常の概念が、世界のモデル形成における強い制約条件となっていると説明します。ストレス応答のメカニズムや、ストレスへの対処方法、レジリエンスといった要素を通して「心」が浮き彫りになることを示し、記憶や学習も生存確率を高めるためのストレス応答の結果に過ぎないと考察します。
終章:心は現実の窓:主観的な認識と他者との共存
結論として、「心」とは、私たちが現実をどう切り取るか、どう解釈するかであると述べ、現実の捉え方の基準は個人によって大きく異なり、世界は極めて主観的なものであるとします。生物がそれぞれ異なる**「環世界(Umwelt)」**を持っていることを例に挙げ、人間にとっての「心=現実」も他の生物とは全く異なることを示唆します。脳の数だけ現実があり、一人ひとりが感じている現実が異なり、それがそれぞれの「心」を形作っているとして、「みんなちがって、みんないい」という考え方で他者の感覚や体験を尊重し、認め合うことの重要性を強調します。心は固定的なものではなく、変化し続けるものであり、私たち一人ひとりの現実の捉え方そのものだと結論付けています。 -
タイトルから想像してた話よりずっといい話しでした。読んでよかった。
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心とは何か——毛内拡氏はその問いに挑み、「心は存在しない」と断じた。私たちは日々、喜怒哀楽を感じるがそれは脳内の電気信号の産物にすぎないという。だが愛や苦悩も単なる神経活動と言われるとどこか味気なく思える。しかしもし心が幻想だとすれば、悩みもまた実体のないものとなる。科学が示す冷徹な事実に戸惑いつつもその理解が私たちの生き方を軽やかにするのかもしれない。
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