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Amazon.co.jp ・本 (264ページ) / ISBN・EAN: 9784815805159
感想・レビュー・書評
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著者はかつて『悲の現象論』(創文社)の中で、ハイデガーおよび西田幾多郎を中心とする日本の哲学を受け継ぎつつ、歴史哲学を展開する必要を主張していたが、本書はその具体的展開である。また、野家啓一の『物語の哲学』(岩波書店、岩波現代文庫)に対して、「語ること」のいっそう根底にある「聞くこと」の次元をさし示すことも、本書の主要モティーフの一つになっている。
野家は、オースティン以来の言語行為論に依拠して「物語り行為」を歴史記述の中心に置くことを主張した。これによって、歴史を単に現在の視点から記述された内容に切り縮めるのではなく、歴史について「物語る」という行為を生活世界における一つの行為とみなす立場を確立したということができるだろう。だが著者は、野家の考える歴史を「物語る」現場において、私たちはまず、歴史からの語りかけを聞き取ろうと耳を傾けているのではないかと問いかける。この「聞くこと」の成り立っている次元をめぐって、本書の考察は展開されることになる。
まず著者は、ハイデガーが『哲学への寄与論稿』で論じている「性起」(Ereignis)に手がかりを求める。「転回」以後のハイデガーの思索は、「性起の響きに聞き従う」ことに向けられている。しかもそうしたハイデガーの思索は、「存在の忘却」という歴史的なエポックの中で進められている。著者はここに、「聞くこと」としての歴史の重要な手がかりを見いだしている。
だが他方で著者は、ハイデガーが性起の声を「聞くこと」を「根本気分」とみなすにとどまっていたことを批判する。ここで注目されるのが、大乗仏教の「悲」(compassion)の概念だ。著者は西谷啓治の宗教哲学などを参照して、「悲」はハイデガーの「性起の響きに聞き従う」ことにも通じるような「根本気分」でありながら、同時に「智」であり一種の自覚を意味すると論じる。そして、このような「悲」こそが、著者のいう「聞くこと」としての歴史が成立する次元にほかならないことが明らかにされる。詳細をみるコメント0件をすべて表示
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