聞くこととしての歴史 歴史の感性とその構造

  • 名古屋大学出版会 (2005年5月25日発売)
3.00
  • (0)
  • (0)
  • (1)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 13
感想 : 3
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (264ページ) / ISBN・EAN: 9784815805159

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 著者はかつて『悲の現象論』(創文社)の中で、ハイデガーおよび西田幾多郎を中心とする日本の哲学を受け継ぎつつ、歴史哲学を展開する必要を主張していたが、本書はその具体的展開である。また、野家啓一の『物語の哲学』(岩波書店、岩波現代文庫)に対して、「語ること」のいっそう根底にある「聞くこと」の次元をさし示すことも、本書の主要モティーフの一つになっている。

    野家は、オースティン以来の言語行為論に依拠して「物語り行為」を歴史記述の中心に置くことを主張した。これによって、歴史を単に現在の視点から記述された内容に切り縮めるのではなく、歴史について「物語る」という行為を生活世界における一つの行為とみなす立場を確立したということができるだろう。だが著者は、野家の考える歴史を「物語る」現場において、私たちはまず、歴史からの語りかけを聞き取ろうと耳を傾けているのではないかと問いかける。この「聞くこと」の成り立っている次元をめぐって、本書の考察は展開されることになる。

    まず著者は、ハイデガーが『哲学への寄与論稿』で論じている「性起」(Ereignis)に手がかりを求める。「転回」以後のハイデガーの思索は、「性起の響きに聞き従う」ことに向けられている。しかもそうしたハイデガーの思索は、「存在の忘却」という歴史的なエポックの中で進められている。著者はここに、「聞くこと」としての歴史の重要な手がかりを見いだしている。

    だが他方で著者は、ハイデガーが性起の声を「聞くこと」を「根本気分」とみなすにとどまっていたことを批判する。ここで注目されるのが、大乗仏教の「悲」(compassion)の概念だ。著者は西谷啓治の宗教哲学などを参照して、「悲」はハイデガーの「性起の響きに聞き従う」ことにも通じるような「根本気分」でありながら、同時に「智」であり一種の自覚を意味すると論じる。そして、このような「悲」こそが、著者のいう「聞くこと」としての歴史が成立する次元にほかならないことが明らかにされる。

全1件中 1 - 1件を表示

著者プロフィール

1944年京都市生まれ。京都大学文学部卒業。ミュンヘン大学哲学部博士号学位取得。ヴュルツブルク大学哲学教授資格取得。滋賀医科大学助教授、京都工芸繊維大学・大阪大学大学院・龍谷大学の教授を歴任。定年後、ケルン大学・ウイーン大学・ヒルデスハイム大学・テュービンゲン大学の客員教授を歴任。2014年5月より日独文化研究所所長。著書に『ヘーゲル論理学と時間性 「場所」の現象学へ』(創文社、1983年)、『「切れ」の構造』(中央公論社、1986年)、『西田哲学の世界 あるいは哲学の転回』(筑摩書房、1995年)、『感性の精神現象学 ヘーゲルと悲の現象論』(創文社、2009年)『西田幾多郎 本当の日本はこれからと存じます』(ミネルヴァ書房、2013年)、『共生のパトス コンパシオーン(悲)の現象学』(こぶし書房、2018年)などがある。

「2021年 『〈芸道〉の生成 世阿弥と利休』 で使われていた紹介文から引用しています。」

大橋良介の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×