- 本 ・本 (390ページ)
- / ISBN・EAN: 9784815809850
作品紹介・あらすじ
リベラル平和構築論を超えて――15万人に及ぶ犠牲者を出し、日本も関わるアジアの代表的地域紛争の和平をいかに実現すべきか。徹底した現地調査により、分離独立紛争とその影に隠れた実態を解明、外部主導の支援の限界を示して、現地社会の視点をふまえた平和構築のあり方を考える。
感想・レビュー・書評
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冷戦が終結した1990年代以降、平和構築のための枠組みとして「リベラル平和構築論(LPB)」という考え方が次第に有力視されるようになった。これは、「民主主義国家同士は戦争をしない」という命題を基盤に据え、国際機関、NGOなどの支援を受けながらリベラルな国家を建設することが、平和構築の最も有効な方法であるという考え方である。
しかし、21世紀に入るとこの考え方に対する批判的な意見も見られるようになり、「ポスト・リベラル平和構築論(PLPB)」と総称される新たな考え方が提唱されるようになった。PLPBには、LPBのトップダウン的なアプローチに対して、ローカルなエージェンシーの主体性を確立するための支援を重視するボトムアップ型の平和構築の重要性を提唱するという特徴がある。
しかし、筆者によると、LPBもPLPBも紛争地域を外部から介入する対象として捉えており、地域の内部からの平和構築という視点は弱いという共通点があるという。
本書はこのような課題認識から、現地社会を平和構築の主体として捉え、その中にどのように秩序と公共圏が形成されるかを明らかにすることで、LPBでもPLPBでもない内生的な平和構築のあり方を探求しようとする研究である。
本書で取り上げられるのはフィリピン・ミンダナオの事例である。この地域は歴史的に、ダトゥと呼ばれる首長を中心とする首長制社会を基層に持っている。しかし、その後のイスラーム教の流入によってこれらの社会単位がイスラーム国家のシステムに組み込まれ、さらには米国・日本の植民地支配を通じて各々のムスリムの有力者を中心とする社会単位(クラン)が近代国家とも関係性を持つという、複線的な社会構造が生まれていた地域である。
1946年のフィリピン独立後も、イスラーム圏であるミンダナオ地域は、キリスト教徒が多数のフィリピンという国との社会的な統合は進まず、逆に経済的な格差、土地問題などにおける様々な軋轢から、分離独立運動が発生することとなった。この運動は時に政府軍と武装組織の武力衝突に発展し、ミンダナオ紛争として多くの死者や避難民を生み出す状態が生起した。
このような状況に対してまず和平の取組みが行われたのが、フィリピン政府とイスラーム系反政府勢力の間での交渉による平和構築である。1990年に、イスラーム系反政府武装勢力であるモロ民族解放戦線(MNLF)との間に一定程度の自治権を認める形での合意が交わされ、MNLFを中心とした自治政府(ARMM政府)が組織された。
しかし、ARMM政府はフィリピン政府とMNLF内の一部司令官との間での妥結的な平和合意に過ぎず、これに反対する司令官や地元のクランが相当程度存在した。彼らは新たにモロ・イスラーム解放戦線(MILF)を組織し、反政府活動が継続された。最終的にこのMILFとフィリピン政府の間に和平合意が成立するのは2014年のことである。
これらの一連の流れは、フィリピンという国家の建設、さらには自治政府としてのARMM、その後のバンサモロ組織法に基づくMILFの統治へという、国家や自治政府を建設することによる平和構築の取組みである。これはLPBの考え方に近いアプローチであると言える。
この一連の和平構築のプロセスにより秩序が保たれるようになった地域がある一方、却って情勢が不安定化したり、クラン間の新たな抗争を生じさせたりした地域もある。それは、この合意が時の政権への選挙協力や経済開発への協力に応じた特定の勢力との間で行われるなど、必ずしも包括的ではない場当たり的なものであったことによる。
また、イスラーム教に基づく自治国家を作ろうとするMNLFやMILFとそれ以前から存在していたダトゥを中心とする首長制社会とは、そもそも統治原理が異なるという課題も抱えていた。そのため、ARMMやMILFの統治が必ずしも地域の隅々にまで浸透したわけではない。
本書ではこのような国家とイスラーム反政府勢力との和平構築のプロセスを振り返ったうえで、それとは異なるアクターによる和平構築の取組みの事例を紹介している。それは、伝統的首長や先住民族の首長をリーダーとする平和構築の取組みである。
これらの取り組みは、プランテーションによる農業開発や国際支援機関やNGOによる地域のインブラ整備と合わせて、ダトゥを中心とする部族自治の仕組みが構築されている。この自治の仕組みは必ずしも近代的な国家の仕組みとは同じではない。とくに紛争解決の仕組みは、フィリピン法に基づくものというより首長とコミュニティによる調停をベースとしたものになっている。
しかし、フィリピンの地方部においては国家やARMM、国際援助機関より、部族やその長としての伝統的なダトゥへの信頼が高く、この人的・社会的資本をうまく活用した体制になっていると言える。
一方で、これらの地域で取り組みが軌道にのる最初のきっかけとなったのは、部族間やイスラーム反政府勢力との間の暴力の連鎖を断ち切る、ダトゥの判断があったとも言える。歴史的に、部族間の対立においては相手から被った被害に対して報復をすることが必須とされてきた。しかし、このような暴力の連鎖を断ち切るために、敢えて報復はせずに近隣のクランやイスラーム反政府勢力、さらにはフィリピン政府との間の紛争を断ち切り、コミュニティ内の自治によって治安と経済を回復させるというダトゥの判断があったことが、これらの地域での平和構築の取組みの立ち上げにつながっている。
そして、これらの取り組みを通じて、地域のリーダーを中心とした新たな公共圏が生まれ、長期的にはMILFや公的な自治体組織との関係性が構築されていく流れが生まれている。このようなプロセスは、公的な仕組みを先に作ったり、広域を支配する反政府勢力との和平から徐々に地域レベルの治安維持に繋げていく流れとは反対の流れで平和構築が実現された事例である。そして筆者は、慣習や伝統的な部族社会が残っている地域において平和構築を試みる際には、このようなアプローチに可能性があるとしている。
これらの取り組みは地域のクランのリーダーの主体的な動きから始まっているという点で、非常に興味深いと感じた。平和構築の支援において、このような萌芽となるリーダーを見つけ出し、そのリーダーや地域に適切な支援や協力をしていくことで、地域の信頼を得ながら公共圏が生み出されていくというプロセスは、国家や地域の支配的な勢力が必ずしも人々の信頼を得ていない地域においてはとても大切なことである。
本書ではフィリピンでの和平構築の取組みについて、政府や国際社会が取り組んだアプローチと地域で自発的に生まれた取組みの両面を深く掘り下げており、LPBやPLPBの限界と新たな平和構築のアプローチの可能性の両面を知ることができ、有意義であった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
東2法経図・6F開架:319.8A/Ta87h//K