- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784816500992
感想・レビュー・書評
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目次
序
第1章 発端――近代ドイツ・ユダヤ人の曙 1780‐1848年 書き下ろし
第2章 回帰――1862年 モーゼス・ヘス・ユダヤ的世界の復権 元となった論文は「後期モーゼス・ヘスにおける民族的世界の復権」
第3章 模索――1880年 ハインリッヒ・グレーツ・民族と国家 元となった論文は「ハインリヒ・グレーツにおけるユダヤ的アイデンティティの諸問題」
第4章 動揺――1881/82年 ロシア・ポグロム難民・シオニズム 元となった論文は「シオニズム草創期の西欧における東欧ユダヤ人の影」
第5章 終局――「最終解決」の前夜 1914‐1933年 元となった論文は「ドイツユダヤ人と東欧ユダヤ人問題 1914-1933(1)」、「ドイツユダヤ人と東欧ユダヤ人問題 1914-1933(2)」
第6章 西欧とユダヤのはざま――ユダヤ人であることの強制とその不可能性について 元となった論文は「西欧とユーデントゥームのはざま」
文献目録
概要
論文集。著者が80年代~90年代に発表した論文を集めて一冊の本にまとめたもの。通して読むと、18世紀~20世紀前半までのドイツ・ユダヤ人の通史となる。
本書の白眉は、上田和夫『イディッシュ文化』(三省堂、1996年)などで触れられていた、ドイツ・ユダヤ人とポーランドやロシアのイディッシュ語を話すユダヤ人の関係に焦点が当てられ、さらにそこからシオニズムの役割を考察していることである。
“ もとからドイツに住んでいるユダヤ人たちは、東欧ユダヤ人の「ガリツィアなまりの話し方や、異様な服装、奇態な振舞いを恥ずかしく思った。そしてこの者たちに肩入れすれば、その度ごとに、くすぶっている反ユダヤ主義をあおり立て、大きな炎にしてしまうのではないかと恐れた。」もはやユダヤ人であるという意識をもたないドイツ・ユダヤ人の間では、トライチュケ流の区別にしたがい、反ユダヤ主義を一部の悪しきユダヤ人、とりわけ同化しない東欧ユダヤ人にたいする攻撃であるとし、我が身にたいする攻撃とは受けとめないという、奇妙な現象も起こっていたのである。”
(198頁より引用)
“ ハインツェらの予測どおり、第一次世界大戦の進行とともに、東欧ユダヤ人のドイツへの移動が本格化した。ドイツの敗戦によって、東欧ユダヤ人への好意的関心は消え失せる。第V章で述べたように、東欧ユダヤ人が「東欧ユダヤ人問題」という形でドイツに姿を現し、反ユダヤ主義者がそれを言いたて始めた時、ドイツのユダヤ人にとっても、東欧ユダヤ人は、もはやエキゾチックな憧れの対象であることをやめた。
東欧ユダヤ人の出現は、心理的にもドイツ・ユダヤ人を動揺させた。東欧ユダヤ人は、ドイツ・ユダヤ人がすでに克服ずみと信じていた全問題を、再燃させずにはおかなかったのである。
ドイツ・ユダヤ人の多くは、程度の差こそあれ、自分たちはもはや民族共同体ではなく、プロテスタントやカトリック教徒と同様、信仰にもとづく共同体を形成する者、すなわちユダヤ教を信仰するドイツ人であるというテーゼを信じていた。周囲のドイツ人にたいして、自分たちが愛国的なドイツ人であることを証明したいからこそ、第一次世界大戦においては、喜々として従軍したのではなかったか。だがいま、彼らが目の前にしている東欧ユダヤ人のもつ民族的性格は否定しようがなかった。ユダヤ人としてのアイデンティティになんら迷いもない彼らと、自分たちとは、ユダヤ人として同じなのか。それとも、〈←205頁206頁→〉自分たちはドイツ人であり、ユダヤ人である彼らとは違うのか。ドイツ・ユダヤ人は、自分自身にたいして、みずからのアイデンティティをはっきりさせるよう迫られたのである。
そして、自分たちと東欧ユダヤ人とをいっしょにしてほしくないという本音が、あらゆる回答に先行した。第一次世界大戦敗北後の混乱の中、あるドイツ・ユダヤ人は言う。「ドイツ民族主義を奉じるユダヤ人にとって、東欧ユダヤ人は異邦人である。東欧ユダヤ人は、感情的にも、精神的にも、身体的にも、異邦人である。……ドイツはひどく病んでおり、ユダヤ人であろうと、スラヴ人であろうと、東方からの危険な客人たちに庇護を与えることなどできない。……東欧ユダヤ人の問題は、我々にとってはユダヤ人の問題ではない。それはドイツの問題なのだ。」
この厄介者の東欧ユダヤ人を追い出す手立てとして、シオニズムの意味もまた変わってくる、ユダヤ人およびドイツ人の親ユダヤ主義者と、反ユダヤ主義者とが、声を合わせてシオニズムを推奨するという事態が起こるにいたるのである。
シオニストたちが、第一次世界大戦による東欧世界の激変と、1917年のバルフォア宣言に、シオニズムの新時代到来を見たことはいうまでもない。”
(205-206頁より引用)
“ 彼らは、ドイツ人たちと文化的な趣味を共にし、経済的、政治的な面での価値観や行動様式においても、周囲の社会の大勢に無理なく従っていた。彼らは自分たちのことを、もはや民族とは考えず、ユダヤ〈←208頁209頁→〉教を信仰するドイツ人なのだとしてきた。ユダヤ教徒であることさえ、もはやユダヤ的アイデンティティを積極的に証明するものではないというのである。東欧のユダヤ人は、彼らにとっても、同胞というより、ヨーロッパにとってのアジア人と同じくらいエキゾチックな人々として「発見」された。その東欧ユダヤ人をさして「ユダヤ的」というなら、彼らはおよそユダヤ的ではない。結局、彼らの内の「ユダヤ人としての私」とは、ユダヤ的ユダヤ人からはかぎりなく撤退しながらも、なお残存する「ユダヤ的」なあるもの、と消極的に表現するしかないのである。”
(208-209頁より引用)
といった第6章の引用文からは、ドイツ文化に同化したドイツ・ユダヤ人とイディッシュ語を話す東欧ユダヤ人の間には、同じ「ユダヤ人」という括りでは捉えられないほど、大きな差異が存在していたことが窺える。そして、多くがパレスチナに移住する意図をもたなかったドイツ系ユダヤ人にとっても、「同化論の立場に立ち、シオニズムは実現不可能なユートピアであると批判する者も、こと東欧ユダヤ人の問題に関しては、シオニズムに〈←128頁129頁→〉譲歩せざるをえなかった。東欧ユダヤ人の貧民に、西欧での早急な同化を期待することはできず、同化しなければ、西欧の国民国家において救済される手立てはない。それゆえたとえシオニズムが、彼らの困窮の根本的な解決策とはならなくとも、パレスチナ植民によって困窮が多少でも緩和されるならば、それも一つの方策だろう。」(128-129頁より引用)といった形でシオニズムは位置付けられるのである。シオニズムがユダヤ人にとっての「血と土」のナショナリズムであり右翼思想でありつつも、「労働シオニズム」という左派ナショナリストの思想が生まれた背景を東欧ユダヤ人の窮乏に求める著者の議論(127-130頁)は説得的であった。これらのことを具体的に知ることができるだけでも本書を読む価値はある。
その他、興味深かったのは、第5章だった。ドイツ・ユダヤ人は、第一次世界大戦後には既に経済的に没落過程にあったという統計的な主張であった。1912年と1924年のユダヤ人を比較すると、1912年の時点ではベルリンの年収50,000マルク以上の人の間に占めるユダヤ人の比率が4.0%なのに対して、1924年の時点ではその比率が1.2%にまで低下している(155頁の表14参照)。
“ 20世紀初めのドイツ・ユダヤ人は、人口においても経済力においても、後退期にさしかかった社会集団であった。そしてこのことは、ドイツの第一次世界大戦敗北の衝撃を経て、ユダヤ人自身が自覚するところとなる。タイルハーバーの『ドイツ・ユダヤ人の没落』が一般のユダヤ人の間に反響をよんだ1920年代には、ドイツ・ユダヤ人の経済的危機が問題とされるようになる。”
(154頁より引用)
このあたりに、当時のナチスのようなドイツの反ユダヤ主義団体の「経済を支配するユダヤ人」というステレオタイプには特に根拠がなかったことが窺え、有益である。
以上、本書は19世紀~20世紀のドイツ系ユダヤ人の葛藤と、シオニズムが第二次世界大戦前のドイツ系ユダヤ人にとって何であったかを知るために広く読まれるべき書である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ユダヤ人がドイツ国民として解放されることを要求するとき、たとえキリスト教に改宗しなくとも、キリスト教社会の価値観や風俗習慣への同化はあたかも当然の前提とされた。
ユダヤ教は宗教なんかじゃなく、1つの不幸なのです。(ハイネ)ユダヤ人はドイツに同科するどころか、ドイツの精神文化をユダヤ化しようとしているというものである。
ユダヤ人のいわゆる工場労働者も存在した。だが東欧ユダヤ人の多くは正統派ユダヤ教の敬虔な信者で、ユダヤ教の定める安息日や食事を厳格に守るためには、事実上、ユダヤ教の経営する工場でなければ働くことができなかった。しかし東欧ではそのような工場もなかった。
ユダヤ人が自営に固執するのは、むろんドイツ社会のユダヤ人差別と深くかかわっている。ユダヤ人はドイツ人との無用な摩擦を避けた以外ために、小なりとも自ら経営者になるか、ユダヤ人経営者の元で働きたかった。