- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784816709883
作品紹介・あらすじ
中村哲 一周忌追悼。
飽食・不寛容・気候変動。
この世を生きる日本人が読むべき1冊。
アフガンの暮らし・自然を感じる写真をふんだんに掲載。オールカラー。
アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師の絶筆を収録。
沙漠化した大地に緑をよみがえらせた記録と、豊かな日本の
私たちに生き方を問 う 言葉が綴られる。
干ばつと戦乱で荒廃したアフガニスタンの復興支援に力を尽くしていた
中村哲医師が、現地で凶弾に倒れたのは 2019 年 12 月 4 日。
本著は、死の2日前の西日本新聞朝刊に掲載された原稿を含め、
2009 年から続く寄稿連載「アフガンの地で」を再編集したものです。
銃撃事件2日前の掲載原稿を収録!
「見捨てられた小世界で心温まる絆を見いだす意味を問い、近代化のさらに彼方を見つめる」
-2019年12月2日朝刊より-
感想・レビュー・書評
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中村哲(1946~2019年)氏は、九州大医学部を卒業後、1984年にパキスタンのペシャワールに赴任し、ハンセン病の治療やアフガニスタン難民の診療に従事、その後、長年、戦乱と旱魃に苦しむアフガニスタンで、井戸・水路建設などの復興事業を行ってきた医師。NGO「ペシャワール会」現地代表。2003年にマグサイサイ賞、2018年にアフガニスタンの国家勲章を受章。2019年10月7日には、アフガニスタンでの長年の活動が認められ、同国の名誉市民権を授与された。2019年12月4日、アフガニスタン東部のジャララバードにおいて、車で移動中に何者かに銃撃され、亡くなった。享年73歳。
本書は、西日本新聞社が、生前の中村医師本人の寄稿などを、中村医師やスタッフが撮影した多数のカラー写真とともにまとめたもので、構成及び初出は以下の通りである。
第1部:最期の言葉・・・西日本新聞朝刊の寄稿連載「アフガンの地で」(2018/6/4~2019/12/2)
祭2部:73年の歩み・・・西日本新聞朝刊・夕刊
第3部:農村復興への道のり・・・西日本新聞朝刊の寄稿連載「アフガンの地で」(2009/5/25~2015/7/12)、ペシャワール会報号外(2009/5/27)、同116号(2013/7/10)
第4部:水のよもやま話・・・ペシャワール会報135~142号(2018/4/1~2019/12/4)
中村医師は、パキスタン・アフガニスタンに赴任当初、医師として患者の治療にあたっていたが、医学の恩沢から完全に見捨てられている現地の村々を歩き、わが目でその惨状を確かめるに至り、遂には白衣と聴診器を手放し、「百の診療所より一本の水路を」と現場で井戸掘り、水路建設の陣頭指揮をとることになる。以来現地人と協力して、1,000本を超える井戸を掘り、27㎞に及ぶ用水路を建設し、それらは1万6,500ヘクタールの農地を潤した。
そうした中村医師だからこそ、現地の人びとに心から信頼されると同時に深く愛され、その存在は、日本よりもアフガニスタンでより多くの人びとに知られ、その死は、より多くの人びとに悼まれたのだ。。。
本書には、中村医師の信念を示すいくつもの印象的な言葉が記されている。「提唱するのは、人権や高邁な理想ではなく、具体的な延命策である」、「我々人間は地獄の淵に立っているのか、終末的なアフガンの現状が世界に及ぶかは、その時になってみないと分からない」、「まるで賽の河原のように、造っては崩れ、崩れては改良した」、「必要なのは思想ではなく、温かい人間的関心であった」、「経済的な貧困は必ずしも精神の貧困ではない。識字率や就学率は必ずしも文化的な高さの指標ではない」、「見捨てられた小世界で心温まる絆を見いだす意味を問い、近代化のさらに彼方を見つめる」。。。
世界の分断が広がる今、中村医師の意志と行動を改めて心に刻みたいと思う。
(2020年12月了) -
「一遇を照らす」
「目の前に困った人がいれば手を差し伸べる。それは普通のことです」 -
ふわっとしか知らなかった中村先生の活動や思想がとてもわかりやすく記載されておりとても勉強になった。
なんども、そうか…と改めて感じることが多すぎた。
人間が強欲に追いかけてるものの虚しさ。
もっと自然に対して謙虚であるべき理由。
すとんと胸に落ちてきた。
これこそ、現代人が今からでも変えていかないといけない考え方の根底なんやな…と感じた。
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(『医師、用水路を拓く』を過去に読んでいたが、改めて感じることの多い一冊だった。写真も印象深いものが多い。よい写真の多さでは『水を招く』も欠かせないが。)
用水路の建設にあたり、現代土木技術ではなく、単純な手作業を多く盛り込み、現地で維持補修が可能となるようにした。
機械を使わず人力に頼る方法、そのヒントとなったのは、現地と日本の古い水利施設であった。
アフガン山岳地帯における安定した取水のために、筑後川沿いに残る石貼り式斜め堰「山田堰」を参考にしたり、写真のなかに多く出てくる蛇籠、さらに緑川を参考にしたという石出し水制といった、日本の先祖の知恵に多く拠っている。
信玄堤しかり、そうした古来からの日常の中で生まれた「生きる技術」が活きるのだ。
さらに用水路の脇(上流)からの洪水や鉄砲水の処理についても、(大規模のものはサイフォンでくぐらせるが、多くの小規模なものは)大抵は取り込むようにしたのだとか、流水の速度を落とすために防風・防砂林を造成したのがとかも、基本に忠実あり、学ぶところが大きい。
建設過程でも、エンジニアを立てるのでなく、近隣農民や教師やムッラー、医療関係者らが自ら施工したという点が、彼らの誇りともなり、維持管理をも担保するのだろうと思った。
そうした水について国際協力は、声高に叫ぶことなくもともと結ばれているとも指摘。
それに、「協力事業」といっても、他人さまを「助けてやる」ために水路事業をやるのでなく、何かの思想や信念があったのでもなく、「自分たちをも支える何かを見出したから」というのも意味深いこと。
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女性がでてこないことについて、アフガンの血縁・地縁社会のなかでいかに「権利より目の前の生存」のほうが重要だったのだろうという指摘にも考えさせられる。
9・11後の、米軍によるアフガン攻撃に、自衛隊が後方支援を可能とする特別措置法案に対して、国会で参考人として「自衛隊派遣は有害無益」とまで述べたというのも姿勢が一貫している。
そして用水路ができることで、水をめぐる対立が止まる。これこそがむしろ平和の礎だとも思った。 -
NHKで中村医師のドキュメンタリーを見て、本書を手に取る。1984年パキスタンにハンセン病の診療から始まり、アフガンの大干ばつで灌漑事業を決意し、井戸堀りから始まり、用水路建設に着手。世界の温暖化の前哨戦がアフガンの大干ばつ、そこから農業破綻による貧困、難民化、紛争。そこには、経済支援や先進国の思想の押し付けでなく、温かい人間的関心であるとの指摘や先進的な土木工学でなく、故郷の筑後川の山田堰の知恵を用いて、試行錯誤を経て、死の谷と呼ばれていた砂漠を貫き、緑の沃野を復活する過程は、驚愕である。紛争に明け暮れていたアフガンの人にもやっと理解され、支持され、頼られ、さらに事業が拡大の矢先に凶弾に倒れる。ペシャワール会と技術を習得した現地の人の手で更に事業が引き継がれ、広がることを祈ります。
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アフガニスタンで活動したペルシャワール会代表の中村哲さんの最後のメッセージ。
アフガニスタンの復興を、長年にわたって支援してきた彼のことは忘れられない。 一人の人間が多くの人達を動かして支援する。 これは言葉だけではない。 危険を顧みずに、多くの人達のために行動で示したことが偉大だと思う。200ページ足らずの薄い本だが、この本には彼の人生が集約されていて、写真も文章も大変素晴らしかった。 最後の言葉はしっかりと記憶に留めておきたいと思った。 -
クリスチャン医師としてアフガンに身を捧げつくした中村哲氏の素晴らしい情熱が、アフガンの美しく、また不毛に見える土地をいかに愛し、緑に変えていったのか!中村氏の言葉はクリスチャンとしての暖かさを感じさせる。アフガンの悲惨な現状に詩編23編の引用により「平和は言葉ではない」との言葉までが語られる!そしてところどころに出てくる日本社会の将来への不安はアフガンで純粋な気持ちで日々送っている彼にとっては日本の政治の動向が危険に見えて仕方なかったのだろうと思われる。
次の言葉は正にそうではないだろうか。(P124)「自然はしゃべらないが、人を敷かない。高く仰ぐ天が、常にあることを実感せる。絶望的な人の世とは無関係に、与えられた豊かな恵みがあることを知らせる。物騒な電力に頼り、不安と動揺が行き交う日本の世情を思うとき、何か現地と似たものを感じ、人ごととは思えない。だが、暴力と虚偽で目先の利を守る時代は自滅しようとしている。今ほど今ほど切実に、自然と人間との関係が問い直された時はなかった。決して希望なき時代ではない。大地を離れた人為の世相に欺かれず恵みを見い出す努力が必要な時なのだ。それは、生存をかけた無限のフロンティアでもある。」(P138)「天与の恵みをおろそかにせず、いのちを大切にする。それが国を守ることだ。あれから六十余年、 山林が荒れ農漁村がおろそかにされ、産業廃棄物や放射能に怯える世相は、とうてい次世代に引き継ぐべきものではない。郷土とは領土ではない。寸土の問題を煽る前に、もっと果たすべき道があるような気がしてならない。」(P145)「誤りと向き合って教訓にする勇気を、我々は欠いていないだろうか 国の威信の神髄は、武力やカネではない。利に惑わされて和を失い、先祖が営々と築いた国土を荒廃させる。豊かな心性を失い、付和雷同して流されるさまは危機的である。戦乱のアフガンから日本の行方を祈りたい。」
10歳の次男を病気で喪ったあまりにも辛い経験が彼の中では、アフガンの方への感謝の気持ちになっていることが凄い人である。
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