新聞という病 (産経セレクト)

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  • 産経新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784819113670

感想・レビュー・書評

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  • 学生時代の同期にも後輩にも、某A新聞に就職したのがいる。
    少なくとも当時は、彼ら自身は自身を就職活動の勝ち組と考えていたように思う。
    官僚や商社マン、金融などではなく敢えてA新聞を選んだ自分だからこそ、「権力を監視」する権利がある、くらいには意識は高かったのではなかろうか。
    ご苦労なことだ。

    今も記者を続けているその中のひとりは、何年かに一度、同窓会で顔を合わせる度、覇気が消えていっている。
    先日などは、「よっ、売国奴!」と声をかけても、深いため息とともに、「もう言われ慣れました。」とこぼすだけで、反論もしてこない。
    「ボーナスが減るんです。」とか愚痴をこぼすが、会社を経営する人間からすると、もらえるだけいいじゃん、としか思わないし、まったく外部の人間からすれば、なんでジャーナリストがボーナスを気にしてるんだ、となるだろう。
    だが、結局のところ彼はサラリーマンで、ジョブローテーションで数年ごとに配置換えされるがまま、何らの専門性を蓄えることもなく、徹底してツブシが利かない全国紙記者という職業を選んでしまった以上、生活のために会社にしがみつこうとしているに過ぎない。
    そこに志だの国益だのを求めても詮無きことで、活動家上がりのデスクに言われるがまま、角度をつけた文章を書き続けているだけなのだろう。

    本書では、司馬遼太郎さんの話を引きながら、「抜くか抜かれるかの勝負」を挑み続ける新聞記者が絶滅し、「偉く」なった新聞記者の登場が「病」の原因ではないかとしている。
    半分は当たっていると感じる。
    でも、もう半分は、就職活動のとき、アウトサイダー的な立ち位置を享受できる、だけど待遇はよろしい、新聞記者という職業を選んで数十年、こんな人生が待っているとは思わなかったー、的なルサンチマンをぶつけるべく、驚くほど疲弊した現場記者が、上の目を気にしながら反日の様式美に則った文章を吐き出しているに過ぎないような。

    無論、それによる国益の損失、日韓・日中関係の悪化は計り知れず、こちらにとってはいい迷惑なのだが。

  • 門田は、東日本大震災で大事故を起こした東京電力福島第一原発の吉田所長に長時間の単独インタビューをした唯一のジャーナリストだと思う。朝日新聞の「吉田調書」報道があったとき、門田がどう評価するのかがまっさきに気になった。その第一声が「朝日の誤報」である。この本を読むと、朝日がどうしてあのような誤報に至ったのかよくわかる。本当の世論を無視して、朝日が自分で世論を作ろうとし、物事を捻じ曲げて書いているからだと解説する。自分たちが世論を作っているという思い上がり、いまだに五十五年体制から抜けられない硬直した視点、加えて取材力の低下。恐ろしい病だ。

  •  なぜ、日本を貶めるような記事を日本の新聞が書くのかがよくわかる一冊。

     その新聞を過去に取っていたことがあるので、この筆者の主張がよくわかりました。

     そして、その理由もこの筆者の考えを読んで、とても納得できました。

     「権力を監視する」という表現は新聞にとっては都合のいい言い分であることを強く感じました。

     偏った見方ではなく、フラットな見方で報道できる、そして、読んだ人がしっかりと考えることができるような新聞であってほしいと強く思います。

  • 表題の新聞とは、ほとんどの場合、朝日と毎日です。
    確かに、A新聞の反政権振りはデマでもねつ造でもOKという隣国の反日無罪を彷彿とさせるものがあります。
    とはいえ本書全般を通じて、門田氏は新聞の復活を心から願っているテイをとりながら、現状のままでは不可能だということをさりげなく、しかし読めばそうなるとしか思えない不可避な現実として明らかにしています。
    7章立ての本書は、捨て章なしの絶品ぞろいですが、特に6章と7章は必読です。
    それにしてもA新聞がなぜこれほど日本を貶めようとしているのかという1つの回答は、「記者には日本を貶めているという意識はなく、まして中国や韓国を喜ばせるためではなく、過去の日本を糾弾することで平和を愛する自分や国家権力に勇敢に立ち向かう姿に陶酔している」としか思えないのだが、そんな小さな自己満足だけで日本の足を引っ張られてははた迷惑です。
    何かといえば「言論の自由」を標榜する新聞ですが、「異論には耳を貸さず、力で踏みつぶせばいいのだという考えは許されないといいながら、自分と異なる意見や質問を無視し牙をむく姿勢、果たしてあなた方に言論の自由を守る意思はあるのですかと聞きたくなる」(P264)
    そうしたA新聞の姿勢を、既にビラ活動家であり、倒閣運動家であり、ご注進ジャーナリズムでしかないと喝破しています。
    また、「児童虐待死事件と嘆き記事」では、親の権利やプライバシー侵害という人権の壁や児相の職員の意欲と能力の問題という本質をみない議論を繰り返すことで、同様の事件が繰り返される愚を指摘しています。
    「就活ルール廃止」では、自分たちはルールを守っているのにそれを破る企業があるから、そのルール自体を廃止する経団連、そもそも大学とは教育研究の場であって、企業の下請け機関ではないという見識をなぜ示せないのかとあきれる。
    ドラマ「相棒」で薬物依存症の女性が殺人をおかすシーンがあったのだが、A新聞は「中毒患者への差別を助長するもの」とし、精神的な病を抱えた障害者で、依存症の人に対する差別意識だけを高めることになると批判した。覚せい剤は禁止薬物で犯罪であり、暴力団の資金源ともなり、覚せい剤の恐怖の実態をドラマ化しただけで、「差別だ」と抗議する歪んだ正義、独りよがりな人権意識を笑っています。
    このように門田氏は終始激昂することなく、穏やかな書きっぷりですが、言うべきことはきちんと表現している匠の技をぜひ堪能してください。

  • 一部野党や一部マスコミの報道には、最近、非常に腹だしさを感じていたので、とても共感できる内容でした。

  • 現在における新聞報道に対する苦言を呈している。というかほとんど朝日新聞への悪口かな。
    昔の記者はジャーナリズムの精神に基づいて取材を行っていたが、昨今ではイデオロギーの表現が先に立って、事実でない事も歪めて伝えてしまっていると嘆く。
    政府の権力に屈しないという精神がどこか歪んでしまって、倒閣のためなら何を書いてもいい、それが時には日本を貶めることになろうともそれが正しいと信じている。どこか狂気じみた感じがした。
    従軍慰安婦や福島原発の吉田調書についての世紀の大誤報は、日本全体を貶めるばかりか、他国へも間違った印象を植え付けてしまっている。今も続く日韓関係の悪化の原因でもあるように感じる。
    また、杉田水脈議員のLGBT発言により休刊という決断をしてしまった新潮社に対して、ジャーナリズムの弱体化を嘆く。いろんな角度の意見があっていいし、同じ記事でも感じ方は人それぞれであるのに、一方的な見解にジャーナリズムが屈してしまったとの事だ。
    全体的に新聞に対して厳しい論調で書かれているが、裏を返せば、もっとまともに戻って欲しいという筆者の思いが込められていると感じた。
    マスコミも政治家ももう少し未来を見据えた行動を期待したい。その警鐘を鳴らす良書だと思う。

  • 本書が伝えていることとは、
    新聞をはじめ、マスコミュニケーションの世界では、印象操作といわれる作為的な記事・報道により、事実とは異なる印象を与えて、ある思想を押し付けることを主目的に世論形成をしようとしていることがある。情報の取捨選択がとても大事だということ。
    はやりの言葉で言えばフェイクニュースとでも言えばいいか。
    あるニュースを耳にし、興味を持った時に取るべき行動とは?
    どの新聞の記事なのか?
    どのテレビ局からの情報なのか?
    元のソース(情報源)はどこからなのか?
    事件であれば、加害者のコメントなのか?被害者のものか?第三者?
    等、比較したり、さらに調査することで掘り下げないと、ミスリードされかねない。長年の経験、また本書を参考にとりあえず信頼できそうな媒体を探しておくこと。
    そのうえで、うのみにしない気概。

    本書は、新聞記者への応援・叱咤激励であると著者は言っている。
    新聞記者という職業の矜持がどこにあるのかを、今一度見つめなおせ。
    こんな新聞にしていいのか!と。

  • 私は高校生くらいの頃から新聞が大好きだったんです。
    朝刊と夕刊を毎日かかさず読む習慣が当時から出来ていました。

    昔はどんな話題でも「新聞に載っていた!」って言うのが
    何をおいても一番信頼できる事だったんですね、
    「だって新聞に載っていたもの~!」って言えば
    もう周りはそれにひれ伏すしか無い正しい情報だと信じられていました。
    「新聞は社会の木鐸である」と言われていた時代です。

    新聞を読んでいると自分の全く興味が無い事柄でも目に留まる記事があって
    へ~~~って思わず得した気分になる事も良くありました。
    ネットでニュースが読める時代になっても
    「新聞は読んだ方が良いよ!」ってずっと思っていました。

    長年大手新聞社を購読していたのですがそれは
    「文芸欄が充実している新聞だから」というのが唯一の理由だったのです。
    書評欄を読むのが楽しみで、それを参考にして自分が読む本を探したものです。

    この春から色々思う所があって地元地方紙に乗り換え、夕刊は購読を止めました、
    新聞はそこにある事実を正確に掲載する事が本意なのに
    新聞社の思惑に沿って都合の良い所だけを敢えて切り取って掲載する事が数多く見受けられます。

    昔はそんな裏事情を知るすべは無かったのですが今はネットニュースの時代、
    一社だけの記事ではなく類似のニュースがたくさん公開されているので
    判断の材料には事欠きません。
    新聞が来るのを待つ事なく、リアルタイムで情報が得られる時代になったんです。

    また個人の多くがSNSをやる時代、
    右も左も善も悪も個人の意見表明が簡単に出来る世の中です。
    フェイクニュースや出所不明ないい加減な記事も数多あふれていますが
    それも含めて自分で考えるための拠り所はネットで検索すれば豊富に出てきます。

    この本は8月に図書館へ予約を入れたのですが
    12月になってようやく回ってきました、こんなに長く待った本は初めてです。
    新聞の現状に不満のある人がいかに多いかという現れなんでしょう。


    そしてもう一つの大きな不満は、
    大手の新聞の時も地方の新聞に変えてからもそうですが
    最近の新聞広告の多さに辟易するのです。
    全面広告が増えてまともに読む記事が少ない、
    お金を払って読んでいるというのに、
    めくってもめくってもうんざりするほど広告が出てきます。

    新聞を読むのが好きという私の50年続いた習慣は
    そろそろ見直す時期なんでしょうね、
    本は紙で読みたいけど、
    新聞はもうネットでいいかも!

  • 朝日や毎日の報道がいかに偏向しているかという話が、これでもかというくらい事例を基に書かれている。
    なかでも朝日の慰安婦や福島第一での吉田調書の件では誤報というより虚報ではないかという感想を持つ。
    いずれにしても安倍政権や日本を貶めるという結論ありきの姿勢が記事から明らかにしている。

  • 〝消え去る新聞〟とは、都合のいい一方の情報を伝えて、都合の悪い情報は決して報じない、執筆者の自己主張やイデオロギ-を先行させた編集記事によって、国民感情を煽るだけの新聞のことを指しています。「慰安婦報道」と「吉田調書報道」は、イデオロギ-に凝り固まった記者たちによって、日本人を貶める極めて悪辣なジャ-ナリズムの様相を露呈してしまいました。著者のいう〝健全な姿をした新聞〟の存在に、大きな期待が掛けられるのも当然の成り行きでありましょう。

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著者プロフィール

作家、ジャーナリスト。1958年、高知県生まれ。中央大学法学部卒業後、新潮社入社。『週刊新潮』編集部記者、デスク、次長、副部長を経て2008年独立。『この命、義に捧ぐ─台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社、後に角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。主な著書に『死の淵を見た男─吉田昌郎と福島第一原発』(角川文庫)、『日本、遥かなり─エルトゥールルの「奇跡」と邦人救出の「迷走」』(PHP研究所)、『なぜ君は絶望と闘えたのか─本村洋の3300日』(新潮文庫)、『甲子園への遺言』(講談社文庫)、『汝、ふたつの故国に殉ず』(KADOKAWA)、『疫病2020』『新聞という病』(ともに産経新聞出版)、『新・階級闘争論』(ワック)など。

「2022年 『“安倍後”を襲う日本という病 マスコミと警察の劣化、極まれり!』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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