トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇

  • 産經新聞出版 (2024年4月3日発売)
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  • 本 ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784819114349

作品紹介・あらすじ

「KADOKAWA『あの子もトランスジェンダーになった』」
あの“焚書”ついに発刊

世界10か国翻訳
日本語版緊急発売

「今年最高の1冊」タイムズ紙(ロンドン)
「今年最高の1冊」エコノミスト誌
ニューヨーク・タイムズ紙ベストセラー

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    「友人はほとんどがバイセクシャルです。友人グループ――人数は少ないですが――のなかでヘテロセクシャルの女の子がひとりだけいますが、ほかはレズビアンかバイセクシャルです。娘はその一歩先をいかなければならず、それで『トランスジェンダーになった』というわけです」

    上記は、トランスジェンダーを自称し始めた小学1年生の娘を持つ母親の言葉である。彼女の言っている内容が、私にはさっぱり理解できなかった。周りがトランスジェンダーだから自分もなる?レズやバイより「一歩先」を行くために、トランスジェンダーを選ぶ?いったいどんな感覚で自分の性別を変えようとしているのか。簡単に着脱できるファッションのように捉えているのか。
    だが、これが今の欧米諸国のリアルなのだ。ジェンダー教育は完全に行き過ぎており、SNSにより不安に駆られた少女がアイデンティティのために乳房を切除する。そうしたカルト宗教にも似た価値観が、初等教育の段階から蔓延しているのである。

    本書『トランスジェンダーになりたい少女たち』は、西欧諸国の少女たちの間で起こっている突発的な「トランスジェンダー化」の実態を描いた一冊だ。思春期に突然「性別違和」を訴える少女が、この数年で数十倍に爆増している。今まで性別違和を訴えていたのは2歳から4歳の男児が多かった。しかしここに来て、思春期の少女が罹患者の大半を占めるようになった。それはいったい何が原因なのかを、SNSや教育、医療の観点から深掘りしていく一冊となっている。

    トランスジェンダーになろうとする少女たちにはある一定の傾向がある。
    まず、彼女たちは幼い頃には性自認になんら問題がなかった。しかし中学・高校に入ってコミュニティが変わると、一定の生きづらさや不安をかかえるようになる。そのときに「トランスジェンダー」をおおやけにしている子どもが多いグループに関わる。そして自らも同様に「実はトランスジェンダーだ」という告白をする。親からすれば寝耳に水であり、気の迷いだと説得するも、不理解から家族との間に溝ができ始める。少女たちの精神状態は悪化し、怒りっぽくなり、いつも不機嫌で、抵抗しだす。そして自身の性に対する違和感が強まるにつれ、救いの手を差しのべてくれそうな人とますます距離をおくようになる。
    彼女たちはトランスジェンダーのインフルエンサーからが大きな影響を受ける。「トランス少年」あるいは「トランス男性」を自称する生物学的少女たちが、テストステロン補充療法を受けはじめてからどのように日常生活が改善されたかを誇らしげに語る動画やコメントを見る。テストステロン補充療法でもたらされた高揚感、下腹部に黒っぽい毛が生え、俗に言う「ハッピー・トレイル」ができたときの身震いするほどの喜び、社会的な不安の消滅について語られる。
    少女たちをさらに後押しするのが精神科医だ。性別が違う、反対の性になりたいと主張する子どもたちに対し、精神科医は簡単に「トランスジェンダー」と診断を下す。親や学校に男子生徒扱いすることを求め、外堀がどんどんと埋まっていく。
    これが少女たちがトランスジェンダー化する典型的なルートであり、そのうち乳房切除、子宮と卵巣の摘出という取り返しのつかない行為にまで踏み込んでいくのだ。

    ――「『わたしはトランスジェンダー』と宣言するだけで、ジャーン、あなたはもうトランスジェンダー。進歩的な山を登っていけば、このインターセクショナルな世界観でさらに信用される」
    ――――――――――――――――――――――――
    以上が本書の部分的なまとめである。
    読んだ感想だが、衝撃的な事実の数々にただ絶句するばかりだった。確かに性的マイノリティへの理解と配慮は必要不可欠だが、本書で描かれる内容はどう見ても歪みすぎである。男or女に生まれ変わりたいという気持ちは、本来なら思春期特有の一過性の熱病であり、そのうち自然と治癒される。しかし、今の西欧社会ではそれを「病気の一種」とみなし、後戻りのできない治療に進ませている。Instagramを開けばトランスジェンダーのインフルエンサーが乳房切除手術を推奨し、性的違和のカミングアウトに万単位のいいねと励ましのコメントが来る。それを疑問に思わず真似してしまう子どもたち、そしてそれを増長する大人たちがこれほどまでに存在するとは、いよいよ社会全体がおかしくなっていると寒気がしてしまった。

    本書はかつて、その記述が「トランスジェンダー差別を助長する」として、KADOKAWAから発売中止を受けている。自分が読んだ限りではヘイト本というほど悪意に満ちた内容ではなかったが、一部の内容に疑問が残ったのも事実だ。特に、本書の最後に述べられる「娘を犠牲者にしないための実践論」はかなり怪しく感じてしまった。筆者の提案する方法は、子どもからスマホを取り上げたり、コミュニティから強制的に引き離したりと、かなり極端だからだ。
    正直、トランスジェンダー化問題は究極のところ家庭環境に端を発していると思う。少女たちの性別違和は「不安からの逃避行動の一種」であり、その対応策として「子どもに寄り添う」「家族の時間を大切にする」「正しいしつけをする」ということは絶対必要だと思っている。しかし、本書ではそうした親の責任を全く論じていない。偏ったコミュニティに傾倒しすぎないように親が手綱を握ることで、思春期の子どもは成長していくと思うのだが、そうした役目をなおざりにしてただ「遠ざけろ」と主張している感が否めなかった。

    朝日新聞の記事によれば、本書に使われている論文やデータに瑕疵があるとして、研究チームが原著の問題点をまとめた啓発サイトを公表する予定だという。そちらもチェックしてみたい。
    ――――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    0 まえがき
    かつては性同一性障害と呼ばれていた性別違和は、自身の生物学的な性別にはげしい不快感をいだきつづけるのが特徴だ。おおむね2歳から4歳の幼少期に発現するが、思春期にとりわけ顕著に見られる場合もある。だが、その70パーセント近くは子どもの頃に性別違和を認識する。そのような状態に悩まされるのは全人口からするとごくわずかな人々(およそ0.01パーセント)で、ほとんどが男児だ。現に2012年までの科学論文では、11歳から21歳の女児で性別違和を発現した事例は示されていなかった。
    この10年で状況は激変した。西欧諸国では、性別違和を訴えて「トランスジェンダー」を自認する思春期の少女たちが急増している。医学史上初めて、そのように自認する人々のなかに女性として生まれた少女たちが現れただけでなく、全体の大きな割合を占めるようになったのだ。
    どうしてなのか。何が起こったのだろう?性別違和に悩まされる人々のなかで常に少数派だった思春期の年代の少女たちが、なぜ多数派を形成するに至ったのか?
    それ以上に重要なのはおそらく、圧倒的多数だった男児に替わって思春期の少女が大半を占めるようになった男女比の逆転がどうして起こったのかということだろう。


    1 SNSに煽られる現代の少女たち
    今日、思春期の少女たちは多大な苦悩を抱えている。アメリカやイギリス、カナダでは、10代の若者たちが「メンタルヘルス危機」におちいっている。
    2009年から2017年にかけて、自殺を考えたことのある高校生の数が25パーセント増加した。臨床的うつ病と診断された高校生の数については、2005年から2014年にかけて37パーセント増加している。ここで犠牲になっているのは男子より女子だ。うつ病を経験した割合は男子の3倍にのぼる。10代の女子全体で、自傷行為におよんだ数が62パーセント増加している。
    2016年から2017年にかけてアメリカでは、女性に生まれついた人で性別適合手術を受けた人の数が4倍に跳ねあがった。生物学的女性が性別適合手術全体の70パーセントを占めるようになったのだ。2018年、イギリスではジェンダー医療を望む10代の少女の数が、過去10年のあいだに4,400パーセント増加したとの報告があった。プリンストン大学の「あなたはLGBTQですか?」という大学の調査に対して、学生の40パーセントが「はい」と答えている。

    少女たちが不安定化している原因はSNSだ。TikTok、Instagram、YouTubeでは、拒食症やリストカット、自殺など、自傷行為を促すコンテンツが投稿され、実際にスマートフォンの登場以来そうした自傷行為の件数は劇的に増えている。トゥエンギによると、今日の18歳は情動面の成熟度がX世代の15歳と、今日の13歳はX世代の10歳と同程度だという。
    現代の10代は長いときで1日9時間、カスタマイズされたインターネットという土牢にひとりではまり込んでおり、友人やセレブリティ、インターネットのインフルエンサーたちの生活が垣間見え、修整がくわえられた写真が載っている魅力的なページを見ている。YouTubeやTikTok、Instagram、Reddit、Tumblrにもぐり込み、そこで彼女たちを待ちかまえている住民から、人生に関する助言をもらう。Z世代の若者は、もしたとえば自分の性的指向に疑問を持っているとすれば、時間をかけて「誰に恋をすればいいのか?自分はこの女の子の手を握りたいのだろうか?」と考えず、すぐにインターネットへ向かう。すると無数の赤の他人が喜び勇んで、性的指向の手引きを提供する。

    今日、アメリカにかぎったことではないが、8歳から19歳の若者は、性スペクトラムにおいて自分がどこに位置するかを明確に示すよう強いられている。まだ性的にじゅうぶん発育しておらず、自分が何者で何を欲しているか自分でもはっきりとわかっていない時期だというのにだ。まわりから女らしさに欠けると思われた若い女性は、臆面もなく訊かれるようになった。「あなたはトランスジェンダーなの?」

    ジュリーも、SNSの犠牲になった少女のうちの一人だ。ジュリーはバレエを習う典型的な少女だった。しかし高校に上がり、ゲイ・ストレート・アライアンスやトランスジェンダーのインフルエンサーに触れ始めると、性自認に対して疑問を持つようになった。女性と付き合い、乳房切除手術の動画を見たり、男性になることを夢見るようになった。
    ジュリーはセラピストのもとでカウンセリングを受けるようになった。セラピストはまずジュリーに、彼女の好きな名前と人称代名詞を決めさせた。そして髪の毛を短くし、母親たちに新しい名前と人称代名詞を使うよう求めた。ジュリーの学校の教職員や友人たちはジュリーを男子生徒として扱い始めた。次第に家族とそりが合わなくなり、家を出て、やがて連絡が取れなくなった。

    本来であれば、思春期の恋の悩みやストレスは毒ではない。それを乗り越えれば人間的に成長できる。思春期にストレスを感じるのはいまも昔も変わらないが、変わったのは、ストレスに対処する力がなくなったこと、そして「手っ取り早く解決する」という選択肢が存在することだ。どんな不快感であれ、それに耐える必要はない。注意欠如障害のためのリタリン、鎮痛剤のオピオイド、抗不安薬のザナックス、抗うつ薬のレクサプロ、思春期の少女用のテストステロン。常にスクリーンを眺めている10代の若者は忍耐力が低下している。そして社会の「その症状には薬があるはずだ」「その悩みは違う性別を押し付けられているせいだ」という通念が、彼女たちを誤った方向に後押ししているのだ。


    2 急速発症性性別違和
    リットマン博士は2つの発見をした。ひとつは、思春期になってからトランスジェンダーを自認した10代の女子のうち、明らかに過半数(63.5パーセント)が、長い期間にわたってSNSに熱中したあと、突然自分はトランスジェンダーだと言いだしているということ。もうひとつは、女子の友人グループ内において、トランスジェンダーを訴える子の割合が予想される割合の70倍以上になっていることだ。
    リットマン博士はこの非定型の性別違和を「急速発症性性別違和(ROGD)」と名付け、「トランスジェンダーの急激な増加の理由は友人間での伝染」という仮説を立てた(その後、彼女の論文は物議を醸し、「偏見の塊であり弱者を虐げる人物だ」という汚名を着せられた)。

    リットマン博士は、SNS上での3つの考えが伝染を広げているという。
    ①特異的ではない症状も性別違和とみなされるべきであり、性別違和はトランスジェンダーの証拠だという考え
    ②幸せに通じる唯一の道は性別移行だという考え
    ③トランスジェンダーだという自己認識に異をとなえたり、性別移行の計画に反対したりする人はトランスジェンダーを嫌悪し侮蔑的だから、縁を切るべきだという考え

    リットマン博士の研究は、「精神的に傷つきやすい年齢で診察を受けにくる少女全員が、自分の症状の原因について正しく判断できているわけではない」ということを示唆している。

    調査によれば、急速発症性性別違和者の90パーセント以上が白人である。つまり、今日の大学でもっとも悪く言われているアイデンティティだ。少女たちは有色人種にはなれない。大半は同性愛者にもなれない。
    「あらゆる被害者の立場のなかで、現実で選べる唯一のものが『トランスジェンダー』なのです」。プリンストン大学客員研究員ヘザー・ヘイングはそう指摘した。「『わたしはトランスジェンダー』と宣言するだけで、ジャーン、あなたはもうトランスジェンダー。進歩的な山を登っていけば、このインターセクショナルな世界観でさらに信用される」


    3 学校がトランスジェンダー化を肯定している
    2020年1月、カリフォルニア教員組合は、シスジェンダー、トランスジェンダー、ノンバイナリーの生徒が平等かつ内密に、身体面や精神面、行動面についての幅広い診療を受けられるよう、学校が基盤のヘルスケア・クリニックの創設に向けて動きだした。うまくいけば近々、カリフォルニア州において性別移行目的のホルモン療法を望むマイノリティの生徒は、親への通知や親の同意なしに、ホルモン療法を受けられるだけでなく、学校を早退しないで受けられるようになるかもしれない。
    ニューヨーク州、ニュージャージー州、コロラド州、イリノイ州、バージニア州の北バージニア、オレゴン州の公立校では、ジェンダー問題への急進的なジェンダー教育がすでにカリキュラムや方針に組みこまれている。
    カリフォルニア州は性自認と性的指向に関して、どの州よりも包括的な教育を誇っており、幼稚園から高校3年生までの全生徒を対象に、性自認と性表現および性的指向に関して、親へのオプトアウト(生徒に関する情報を親に伝えること)を明確に禁止している。同性愛者やトランスジェンダーを理由とするいじめを防ぐ、という建前だ。
    教師たちによると、トランスジェンダーの生徒の性自認を肯定するのはその子の幸せや安全にとって非常に大切なことなので、カミングアウトをしても「親には知らせない」方針をとっている。内密に学校の記録簿に記載されている生徒の名前と人称代名詞を書きかえ、反対の姓のトイレの使用を認められるのだ。

    公教育でキーワードとなるのは「ジェンダー・ノンコンフォーミング(性に関する旧来の概念に合致しない人)」だ。過去の例を挙げると、ジャンヌ・ダルク、エカチェリーナ二世、サリー・ライド(アメリカの宇宙飛行士)である。この女性たちは誰ひとりとして、男性の役割と考えられてきたことをしたからといって自分を女性らしくないとは思っていなかっただろうし、自分はほんとうは男だと主張もしなかった。しかし、アメリカ中の学童が教わっているのは、彼女たちが実は「同性愛者」であり、それがゆえ男性が得意な分野で秀でることができた、という歴史である。

    未就学児から始まるLGBTQ教育の累積効果はどれほどのものだろうか?
    「教育によって、わたしたちを標準化しようとしているのだと思います」とLGBTQに属するチアソン博士は言う。同性愛者の生徒を平然と無視したり、大勢の目のまえでその性的指向をからかったりすることはもはやできない。
    しかし、またべつの側面もある。教育という名のもとで思春期の若者たちに、否応なく自分の性や性的指向を突きとめさせようとしている。常に強い感情や衝動、ジェンダーフルイドかクィア、アセクシャル、またはノンバイナリーのほうに向かせるかもしれない何かを意識するよう仕向けているのだ。それに、ふたつの集まり――『自分たちとそれ以外の人たち』の漠然とした形成をうながしてもいる。実際、かなり多くの学校のスクールカレンダーには、LGBTQの生徒を平等に扱うだけでなく、その生徒たちの勇敢さをたたえるための、年間何ヶ月にもわたって行われるイベントがある。


    4 肯定ケア
    現在の精神科医は「肯定ケア」を軸とした診察を行い、トランスジェンダーの診断を下している。肯定ケアとは、性別違和に対する診察の根拠について、患者の自己診断および患者の認識を「全て正確である」と肯定することである。たとえ多くの証拠に反し、ときには問題に対する医者自身の考えと逆であっても。つまり、性別違和で自分を女性だと思っている男性患者は、例えどこからどう見ても妄言だとしても、ほんとうに女性だと認めなければならない。「自分のことは自分が一番知っている」というわけだ。
    米国心理学会のガイドラインは医療従事者に対して、トランスジェンダーのコミュニティにおいて『味方として肯定的な関わり』を持つことを推奨し、「トランスジェンダーとされる患者が必要としているのは肯定的な方法で性自認に対処する敬意ある治療だ」としている。

    ジェンダー肯定療法は、次のような主張に基づいている。
    ①思春期の子どもたちは自分のことをわかっている
    ②社会的性別移行とジェンダー肯定は「成功確実」な提案である
    ③肯定しなければ、あなたの子どもは自殺するかもしれない
    ④性自認は不変。子どものトランスジェンダー自認は変えられない


    5 女性の役割の剥奪と、男性の役割の神格化
    すでにアメリカじゅうの高校で最高水準にある女子スポーツ選手が、女性を自認する生物学上男子の選手に圧倒されている。女性の陸上競技選手も、水泳選手も、ウエイトリフティングの選手も、トランスジェンダーを自認する選手に追いやられた。その多くは男子チームでは月並みの選手だったのに。不公平さに異議を唱えても、簡単にかたづけられるか、偏見だと非難されるかのどちらかだ。

    もはや女性を身体の特徴や生物学で定義できないのであれば、どう定義したらいいのだろうか?著名なトランスジェンダーの作家であるアンドレア・ロング・チューには答えがあった。「女性とは他者の欲望によって定義される普遍的な存在」だ。
    女性についてこれ以上不快でおもしろみのない定義は想像できない。だが、トランス女性をふくむ女性を再定義するためには、この種の解答が標準になっている。女性とみなされる人物を説明する生物学的な指標を奪われたことで、トランスジェンダー活動家はステレオタイプな女性像に頼った。その多くが古めかしく侮辱的だ。

    確かに、大人の女性への道のりは優雅にとはいかないし、簡単なものでもない。性別違和を覚える若い女性たちのうちで「男の子になるほうがはるかに得かも」と思っている人は少なくない。女性が大きな割合を占める職業は、男性の占める割合が多い職業よりも低く見られがちだ。
    しかし、男性たちのほうが有利で、彼らの求めるもののほうが何でもいいに決まっていると考えてはいけないし、母性を傷つける行動を推奨してはならない。少女たちはジェンダー論にまつわる大人たちの被害者意識や妬みを見ており、それに影響されてしまうからだ。地位の低い危険な仕事を担っているのは圧倒的に男性のほうが多く、絶え間ない競争にさらされ続けて生きているのも男性のほうが多いことを忘れてはいけない。


    6 少女たちに施される改造手術
    ●思春期ブロッカー
    思春期ブロッカーとは、リュープリンなど、下垂体の一部の働きを抑え、第二次性徴の進行を遅くする薬である。
    ジェンダー問題の医師は思春期を開始時に止めるのは中立的な介入、すなわち一時停止ボタンだと主張したがる。思春期ブロッカーの投与をやめれば、正常な思春期がはじまるのだからと。しかし、身長や体重の成長を阻害する薬の投与を中立的な医療介入とは呼べない。
    たとえ人工的にトランスジェンダー・アイデンティティを得たとしても、異なる性別の体をしているという根本的な苦痛は無くならない。治療という名の医療的手段は続いていく。

    ●テストステロン
    テストステロン(T)は代表的な男性ホルモンだ。アメリカのジェンダークリニックは現在ゆうに50箇所を超え、紹介状もセラピーも必要なくテストステロンを打てる。

    トランスジェンダーを自認する少女にとって、テストステロンは麻薬のようなものだ。テストステロンは不安を抑え、抑うつした気持ちを引きあげさえする。若い女性は大胆になり、心配がなくなる。人付きあいが苦手な人にとって、テストステロンが与える自由は奇跡に等しい。注射を打って最初の数週間で身体や顔に毛が生えはじめ、腿と腰と尻から肉が落ちると、これまで自分は笑われるために身体を差し出してきたのだと明らかになる。もう美貌の無さに一喜一憂する心配はなくなる。
    テストステロンを投与しつづけて数か月たつと、少女の声はかすれはじめる。ニキビができる。男性型脱毛症になる場合もある。鼻は丸く、あごは四角く、筋肉はたくましくなる。神経性無食欲症の人がやせていく姿を見つめていたように、彼女はこの変化を鏡で観察する。だが、無食欲症と違い、彼女は次第に強くなっていく。それを実感する。

    テストステロンは血液を濃くする。トランスジェンダーを自認する女性は希望する身体の変化を起こすために、通常の10倍から40倍のテストステロンを投与される。この量のテストステロンを投与された生物学上の女性が心臓発作を起こす危険性は通常の女性の5倍近く、男性の2.5倍だという指摘がある。
    また、男性ホルモン投与後まもなく、永久的な変化が起こる。生物学上の少女が決断を後悔してテストステロン投与を中止しても、大きくなった身体や顔に生えた毛は残り、肥大したクリトリスと低くなった声、おそらく男っぽくなった顔の造作さえ変わらないだろう。性別移行の効果を完全に残すためには大量のテストステロン投与を継続する必要があるが、そのいっぽうでテストステロンを除去しても思春期はもとには戻らない。月経不順による子宮頸がんの可能性が増し、その結果予防措置として子宮と卵巣の摘出手術の必要を考える人も出る。

    ●乳房切除手術(トップ手術)
    カリフォルニアでは13歳の少女がトップ手術を受けられる。しかし、テストステロンの投与と違い、一度取り除いた乳房はもとに戻すことはできない。授乳機能も失われる。
    「いちばんうれしいのは、みんなの笑顔を見たときでしょうね」トップ手術で有名なトロントのヒュー・マクリーン医師は言った。「どうしても手術を受けたいという患者たちがいるのはご存じでしょう。患者さんたちの望ましい結果や、幸せや、安寧がうれしいのだと思います」。マクリーン医師は個人として合計「1000件以上」のトップ手術を行ない、16歳の患者にも行なったと話した。
    支持者によると、こうした手術だけが患者を性別違和から救える有効な方法らしい。若い女性たちに男になる機会を――少なくとも、男に見えると確信をいだける機会を――与えなければ、患者たちは悲しみに負けてしまう。
    信じられないことに、マクリーン医師もほかのトップ手術を行なう外科医たちも、男だと自認すらしていない生まれながらの女性にも、男になるための両乳房切除手術をしていた。『ノンバイナリー』を自称する人々にも手術を施したのだ。もはや手術の目的は「女性を男性と思わせること」ではない。患者の意思を(たとえ13歳の未熟な子どもの判断でも)をすべて肯定し、違和感を解消してあげることなのだ。


    7 わたしたちが子どもにできること
    ・スマホを持たせない
    ・親の権限を放棄してはいけない
    ・子どもの教育の場でジェンダー思想を支持してはいけない
    ・家庭のプライバシーを取り戻す
    ・子どもを今のコミュニティから引き離す

  • 『Irreversible Damage: Teenage Girls and the Transgender Craze』のレビュー AbigailShrier (猫丸(nyancomaru)さん) - ブクログ
    https://booklog.jp/users/nyancomaru/archives/1/180075034X

    邦題は「トランスジェンダーになりたい少女たち」 4月3日発売決定 出版社には賛否の声 - 産経ニュース(2024/3/19)
    https://www.sankei.com/article/20240319-KGJ7UGHRHFAMHBYVHZBMOYBU5Q/

    書籍『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』|産経新聞出版
    http://www.sankei-books.co.jp/m2_books/2024/9784819114349.html

    岩波 明(いわなみ・あきら)監修の記事一覧 | NHK健康チャンネル
    https://www.nhk.or.jp/kenko/doctor/dct_3276.html

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「報道しない自由」にもほどがある トランスジェンダー本脅迫事件を無視する同業他社 - 産経ニュース(2024/4/7会員記事)
      https...
      「報道しない自由」にもほどがある トランスジェンダー本脅迫事件を無視する同業他社 - 産経ニュース(2024/4/7会員記事)
      https://www.sankei.com/article/20240407-MEXKIOLSIBBMVC3FBX6XNNCFUM/

      産経の記事には賛同しない。記録として掲載。

      2024/04/08
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      物議だけは醸したトランスジェンダー否定本の原書や著者について書いておきたいこと|りんがる aka 大原ケイ(2024年4月14日)
      htt...
      物議だけは醸したトランスジェンダー否定本の原書や著者について書いておきたいこと|りんがる aka 大原ケイ(2024年4月14日)
      https://note.com/lingualina/n/nae2d51392d0a
      2024/04/15
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      脅迫メールも送られた「トランスジェンダー本」 “書店に置かない”は「表現の自由」の侵害か? | 弁護士JPニュース(2024年05月09日)...
      脅迫メールも送られた「トランスジェンダー本」 “書店に置かない”は「表現の自由」の侵害か? | 弁護士JPニュース(2024年05月09日)
      https://www.ben54.jp/news/1132
      2024/05/10
  • 日本での刊行にあたり発売が、反トランスジェンダー本で有害だからという理由で抗議があがり、一旦中止に追い込まれた本書。反トランスジェンダー本でもなんでも無かった。アメリカでも日本でもどこでも有害な活動家(医者をはじめとする専門家も含む)はいるし、彼らを信じて感情的になり事実に目を背ける大衆がいる。本書が日本でも刊行され書店で手に取ることができ、読むこと、知ることの権利が奪われなくて本当に良かった。性別違和、急速発症性性別違和(RODG)に悩み性別適合手術(乳房を切除するトップ手術)を受けた後に、自らの選択、行動を後悔している彼女(少女)らの心のケアは誰が行うのだろうか。日本での本書刊行に反対した人たち(書店員もいたそうだが)は本書を読んでどのような感想を持ったのか?お聞きしたい次第である。まあ、彼ら彼女らが全うな理性を持っているとは思えないのだが…自らもこのような態度を改めて戒めなければならないとつくづく思いました。

  • KADOKAWAを脅して一度は焚書に!
    次に産経新聞出版や全国の書店にテロ予告までして葬り去ろうとされた話題の本
    この本が出版されてそんなに都合が悪い人は誰なの?って考えてしまう
    全く差別本ではありません
    当事者への非難はありません
    社会を揺るがす悲劇を克明に綴り、社会の歪みに警鐘を鳴らすルポルタージュです
    米欧の少女達の中での"流行"がトンデモナイ事態に
    アメリカではジェンダーイデオロギーの浸透に「いじめ防止」というレトリックが使われたらしい
    しかもそれは(活動家にとって)上手く行き、学校が治外法権の洗脳場となったらしい(怖い)
    日本も対岸の火事ではない

    この本はトランスジェンダー当事者を1ミリも差別してないどころか、そのことについてよく理解できる内容です
    あわせて"'活動家"の手口とレトリックを一つ一つ明瞭に説明されています
    このことから"焚書"事件が起こったのだと納得しました
    活動家にとってはチューチューモデルの手口がバレてやりにくくなるから死活問題です
    そのためテロ予告をしてまで出版を止めたかったのでしょう
    そして一番忘れてはならないことは、こうした活動家が騒ぐことで一番迷惑しているのが本当の当事者達であるということです

  • 話題の焚書。書店に寄るたびに軽く探していたが見つからず(10店舗ぐらい?)、結局アマゾンで購入。
    思春期の少女たちの間で急増する性的違和感に対して疑念を呈する内容で、「性転換の失敗例を恣意的に抽出することにどれほど意味があるのか」とか「無用な偏見を助長するのではないか」とは思うし、本書への反発はさもありなんと思うのだけど、感じやすい思春期に社会から先進性の象徴としてトランスジェンダーの概念が提示され、性的違和感の自己診断さえあれば保護を名目としたトランスジェンダーまっしぐらのベルトコンベアーが用意されている(ただしカウンセリングの実態は本書でしか読んだことがなく、バイアスはあると思う)今日の社会情勢を考えると、こういったアンチテーゼが存在するべきなのも事実。本書に対する批判として「科学的でない」というものがあるが、本書を読む限り少女たちの自己診断の肯定が科学的だとも思えない。第三者のいちCis Maleとして、乱暴を承知でいえば、性的自認が政治問題化している今日、否定派vs肯定派はどちらも同レベルの非科学の殴り合いに見える。一点確からしいのは、今日ではLGBTQの権利保護をあまりに急速に進めてしまったためにこういった疑念の提起さえも誹謗中傷として過剰反応されるという点で、本書の出版に対する反発がその証拠になっているのがなんとも皮肉。
    個人的な見解をいうと、性転換は結局自己決定の範疇なので、本書のようなマイナス面が自由に発信できる土壌は整えたうえで、身体に対する不可逆的な治療は年齢制限を設けるような形で落ち着ける必要があると思う(アメリカ人って性的同意年齢を絶対視して未成年の性的選択をタブー視するけど、不妊にも繋がる不可逆的な身体改造って性的関係の選択よりよっぽど大きな決断なわけで、未成年が成年とセックスしようとする意思決定は認めないけどテストステロン注射はご自由にどうぞってどう考えても歪だと思う)。
    で、本書がなんらかの着地点を提唱しているかというとそうとも言えず、今日の情勢に対するいちアンチテーゼとしての存在価値はあるのだけど、社会のオーバーコレクションに対するツッパリでしかないと思うので、主張自体には同意できるけど、あまり価値のある書籍ではないのかなというのが最終的な感想。(スマホ取り上げろ云々は論外)

  • 話題の本なのでとりあえず読了。
    正直な感想としては「焚書」と呼ぶほどのものか?といったところ。
    話題かどうかを気にせずこの本を手に取ろうとした多くの人はおそらく「トランスジェンダー」という言葉に惹かれたのだろうと思う。実際に私もそうである。だが、この本のメインは「トランスジェンダー」ではなく「少女」であるということをこれを読もうとしておる人は頭に入れておいた方が良い。なぜなら、この本ではトランスジェンダーであること自体を批判しているわけではないからだ。著者がこの本でターゲットとしているのは「幼い頃は女の子らしい女の子で性別違和などなかったのに思春期になってからSNS上の誰かに感化され自らもトランスジェンダーだと名乗るようになった少女たち」である。それ以外である大人のトランスジェンダーや小さい頃から違和感を感じていて周りもそれを認知していた子は最初からこの本の対象ではない。

    私がこの本を読んで感じたことは思春期というものは実に厄介であるということだ。身体と精神の両方が大人に向けて成長していくこの時期は「何者かにならないといけない」という気持ちが常に少年少女を苦しめる。それは職業や大人への成長という意味合いもあるが男女のどちらかの性別に体が変わっていくという意味もある。髭が生えたり胸の膨らみがでたりと身体的な性別にそった成長が子供というあやふやな性別から男性・女性というハッキリとした性別へと変わっていく。そうした中で突然「何者でもない人気者」が自分の前に現れ、自分もそれになれるかもしれないとわかればそれに飛びついてしまうのも無理はないだろう。
    これらの解決策の一つとして「SNSを強制的に辞めさせる」を著者は挙げていたが情報社会となったこの世の中で周りに取り残されたくない、孤独でありたくない若者には難しいのではないかと思う。

  • ある日突然、自身はトランスジェンダーだと主張する10代の女性が増えている。
    そうした少女たちを取り巻く問題について、様々な証言を通して、取り上げている。

    読んでいて、決して差別的な本でもないし、むしろ、公平な立場から、問題は問題であると主張している本だと感じた。
    実際、10代の少女にとって、テストステロンやトップ手術などは身体に与える健康リスクも大きく、その決断が取り返しのつかないものとなりうることは確かだろう。
    (原題の通りIRTEVERSIBLE DAMAGE となりうる)

    権利を求める活動は別に悪いことばかりでもないだろうが、
    それにより起きている医療的な問題を棚上げにして、それを問題として指摘する本書のような主張が迫害されるというのもおかしなことだと思う。

  • 本書の刊行に関する政治的なゴタゴタはともかく、帯にあるとおりヘイト本ではなかった。むしろ、都市化による個人の孤独化やSNSによる子供への精神的な影響、実体を無視して暴走する観念、ネット上でカルト化する人権運動、資本主義経済が倫理を踏み潰して暴れている様などが読み取れるアメリカ現代社会の病理を描いたルポとして非常に興味深い内容だった。トランスジェンダリズムの流行とは現代社会の問題点が集約された社会現象だったのだなと改めて思わされた。

    現在アメリカで「トランスジェンダー」を自認する人の多くが、かつて性同一性障害と診断されてきた人々とは違って、思春期に突然性別違和を感じはじめた少女たちだと言う。本書は彼女たちがそこに至った経緯を多数の専門家や証言、データにより分析している。読んでいるとこれは一部の子供だけの問題でないのがよく分かる。

    現代の子供達は思う以上に孤独だ。だからこそSNSやインターネットで見聞きしただけの「望めば異性になれる」などというファンタジーにも容易にかぶれてしまう。

    大人の自分なども、デバイスのモニターを見つめていると体も周囲の世界も消えてなくなるような感じがある。存在するのは観念ばかりだ。だから誰でもその気になれば犬にも猫にもなれるし、バーチャル・アイドルや老婆にだってなれる。そんな環境にどっぷり浸かれば、自我の危うい子供たちが現実と仮想現実を混同するのも仕方ない気はする。

    しかもモニターの向こうにあるSNSとは終わりなきバーチャル戦争の最前線でもある。少しのスキも見せられない。どこかのグループに属して安心を得たくなるのも分かる。共通の「敵」を攻撃することで絆(オキシトシン)は強まるし、快感(ドーパミン)も得られる。

    これが現代の子供たちが置かれている生存環境だ。体を動かしていないから一見楽そうに見えても、メンタルヘルスの面から考えるとかなり過酷ではなかろうか。現実から遊離しているせいで確固たる自分は永遠に掴めず、自分が何ものなのかも分からない神経症的不安を生き続けねばならないのだから。

    大人にしても状況は似たようなもので、子供時代に泥まみれになって走り回ったり、青年期に他者と肉体を通じて交流した経験がある分だけましとはいえ、カルト的なものにハマる孤独な中高年も多い。インフルエンサーや活動家が唱える教義に熱狂し、大金を吸い取られ、手術の傷跡を誇る「トランスジェンダーになりたい少女」は過酷な社会状況を生きる大人たちの縮図でもある。

    本書にある、娘が突然「トランスジェンダー」になってしまった親たちの苦悩はカルト教団に娘を取られた人と全く同じで色々興味深かった。敵と味方しかいないカルト的世界観に洗脳されると人は家族や友達を毛嫌いするようになり、グループにとじこもる。積極的に家族と縁を切らせるのからしてまんまカルトのやり方であり人権運動とは異質な力学を感じる。

    昔は、思春期の少女たちが自分の体を否定したくなるのは特別な証拠でもなんでもない、ごく普通の成長過程だった。ただでさえ肉体の変化が激しいうえに性暴力の被害者になりやすい年代でもあるから「女でなくなれば安全かもしれない」「女になりたくない」と思っても不思議ではない。

    その上、自我が成長する時期というのは、人と違った自分というものに価値を見出しがちな物でもあるから、自分という人間は他の平凡な女の子たちとは違う進歩的な「トランスジェンダー」「LGBTQ」なのだ、と言いたくなる気持ちも充分共感できる。

    ただ、昔から、「私」ではなく「僕」と自称しはじめる思春期の少女は一定数いたものだし、それで差別されるわけでもなく、それぞれ社会となんとか折り合いをつける過程でいつのまにか消えている一過性のものだった。おばさんになってまで「僕」で押し通している人なんて見た事も聞いた事もない。

    そうしたありふれた揺らぎの中で悩む子供たちを、周囲の大人や、ちょっと年上の子たちが軌道修正してやれないというのはコミュニティの弱体化の現れではないかと思った。共同体が個人にもたらす情報は言葉だけではない。他人の背中からも人は学べる。そうした言語化不可能な学習の機会を子供たちは失っている。子供だけでなく、今や孤独な都市生活者が見つめるのはデジタル情報だけだ。だからそれらを本物の友達や家族のように感じてしまう。これはカルトが蔓延ってしまう要因でもある。

    しかも今は一過性の「僕っ子」ではすまされないから事は深刻だ。

    本書が書かれた当時のアメリカでは、少女が「僕は男だ」と言って男服に身を包んだら、「トランスジェンダー」とか「ノンバイナリー」などという輝かしい名札が速攻でつけられ、医師やセラピストや教師といった現実の権威からお墨付きをもらえるという。

    そのまま「ジェンダー肯定治療」という名の、一生終わらない医療ルートに乗せられたら最後、身体の永続的な損傷と高額な支払いという高い代償を払うことになるが後戻りはできない。後悔しても泣き叫んでも誰も責任は取ってくれない。切り取られた乳房も子宮も、女性らしい声すら当然ながら戻ってこないのに。

    そうした囲い込みとルートがすでに教育、医療、経済、政治システム上に出来上がっているというのだから、現代アメリカで思春期を過ごすのは大変なことだなと思った。とんでもないなと。

    もちろん当事者にとっては一種のコーピングとして一定期間は機能するのだろうが、払う代償があまりにも高すぎる。ボディーピアスやタトゥーどころの話ではない。たかが思春期のゆらぎで不妊手術をするなどあってはならないことだ。

    本書では何度も「ヒポクラテスの誓い」という言葉がでてくるけれど、これは医療倫理の問題でもあるだろう。

    幼少期から続く強い性別違和に苛まれ、ホルモン剤や手術によってしか緩和できない苦痛を感じている人たちと、思春期に突如「性別違和に目覚める」少女たちは別の苦境にいる。同じ治療法で良いわけがない。人権問題についてもまた然りである。

    そこをしっかり判断するのが専門家の仕事なのに、本来責任を取るべき専門家が集団でほっかむりしている。得をするのは誰なのか。少女たちをお金儲けのネタとして切り刻むベルトコンベアーに乗せたいのは誰なのか。これは一般に言われるような人権問題ではなくて、都市化がもたらす孤独と行きすぎた資本主義が生み出した悲劇ではなかろうか。

    トランスジェンダリズム思想の活動家たちが本書を激しく攻撃したのもむべなるかなという内容だった。

  • 『トランスジェンダー』がアメリカのティーンエイジャー、とくに少女達の間で"流行っている"という衝撃の書籍。

    昨今、急激にポリコレやLGBTQへの理解を深めよう!という世相になってきているのは分かりますが、自分を受け入れてくれる場が欲しい、優しくされたい(チヤホヤされたい、人気者になりたい)→トランスジェンダーになる!という訳のわからなさ。

    慎重に、本当にトランスジェンダー?別の心理的要因では?と誠実に進めようとすれば、バッシングの的になるという地獄。
    身体的な手術を行なった後では、もう引き返せないというのに。
    大学の友人にも、何人かLGBTQの人は居ましたが、決して周囲と同調したとか、そういうことではなかったと思います。
    日本は遅れてる!と声高に言われることもありますが、外政の良い面と悪い面どちらも、みていくことは大事ですね。

  • 多様性を標榜する某界隈からの執拗な抗議に屈して発行すら断念したKADOKAWAのお陰で、発売前から出版が待ち望まれ、強力な宣伝効果があったその本。

    この本が「差別」だと言う方々が、LGBTQ活動の中心であると言うことが、答えだと思った。

    どこが差別なのか、さっぱり理解できない。
    どこを差別と言ってるのか、全く分からない。

    いわゆるLGBTQは、昔からその個人の問題を抱えて来た人たちと、今大騒ぎしている活動家界隈と、この本が対象にしている思春期の女性と、全く問題が異なる。

    そもそも、生まれながらの性とジェンダーが違うんだと、何十年も前から言い出して来たことが、ここに至る罠ではなかったのかとすら思う。

    ヒトの性は、男性と女性しかない。
    つか、その男性と女性を、極めて狭い定義に押し込めてるのはその多様性を謳っている方々やろうに。

    ヒトの性は、生まれながらに決まるが、社会によって育っていく。

    思春期がやばいと言うのは太古の昔から言われてるわけで、疾風怒濤とかなんとか言うわな。

    大半の人は悩みながら、答えを見つけてきた。

    なのに今は、それを逃げることができる。逃げることを推奨する。

    自我が芽生えて来た子供が、色々悩むのは当然だが、今は、簡単に、安易に、知識だけが目に入る。経験も、思慮もなく、最初に見たものに飛びつく。そこで賞賛される。ああ私は間違ってないと思う。
    否定されれば、頑なになる。

    それを、そうだよ、君は間違ってないよ、こっちにおいでという。出て行ってはいけないよと言う。

    カルト宗教と変わらん構造やんか。

    判断力が無いうちに、取り込んでしまう。
    いわんや、肉体的な施術や投薬で、気がついても帰れない状況に追い込んでしまう。

    それを問題視している。
    本当の「性同一障害」で悩む人を一言半句も否定していないし、活動家の「活動」自体にも、一言も言及していない(と記憶しているが)。

    問題提起として、極めて良書だと思います。

    それが困るんだろうが。

    なんで困るんだろう。

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