『GHQ日本占領史(5) BC級戦争犯罪裁判』
<要約>
日本に対して行われたBC級戦争犯罪裁判には、いくつか疑問点が存在した。まず、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」が、罪刑法定主義に反する事後法であるとの疑念であった。また、そのカテゴリーの不透明さであった。アメリカ以外の各国裁判の根拠となった個々の法令における戦争犯罪の概念規定には「BC級」なるカテゴリーは存在しなかったのである。
最終的に、BC級戦争犯罪裁判は1945年12月18日に始まり、1949年10月19日に終結した。軍事委員会が審理した裁判は319件を数え、996人の戦犯容疑者が起訴された。
<抜粋>
p.<2>
「平和に対する罪」と「人道に対する罪」については、主として弁護側から、罪刑法定主義に反する事後法であるとの異議が提唱された。とくに、「人道に対する罪」の適用については、これが戦前・戦時中におけるナチスのユダヤ人迫害や、ドイツ自国民への非人道的行為の訴追を前提にしたものであったことから、日本人戦争犯罪人への適用は疑問視された。
p.<4>
アメリカ以外の各国裁判の根拠となった個々の法令における戦争犯罪の概念規定には「BC級」なるカテゴリーは存在しない。
p.<6>
末期における本土空襲の体験を通じて「内地」の一般人も戦禍を実感せざるを得なくなると、軍や大政翼賛会等の宣伝を待たずとも捕虜に対する一般的感情は侮蔑から憎悪へと激変する。
p.37
開戦に際して、スイス政府は利益保護国となり、合衆国のために活動した。アルゼンチンは英国の利益代表国となり、スペインは日本の利益を代表した。
p.189
横浜におけるBC級戦争犯罪裁判は1945年12月18日に始まり、1949年10月19日に終結した。当該期において軍事委員会が審理した裁判は319件を数える。[...]319件の裁判によって996人の戦犯容疑者が起訴された。