- Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
- / ISBN・EAN: 9784902373165
感想・レビュー・書評
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彼は必ず「ジャーナリストの田原総一朗です」と名乗る。やはり言論をプロレス化しただけのテレビ屋という自覚があるのだろう。テレビマン時代には衆人環視のもとで性行為をやってのけた人物である。映画監督にも作家にもなることができなかった劣等感を「過激さ」で撥(は)ね退けようとしたのだろう。
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双方の意見、どちらにも納得する点があり、共感できる点があり、
歴史に白黒はつかんなぁ、と、改めて思った。
昔、読んだときは、小林氏の意見を面白く感じ、
田原氏の言葉を、なんとなく古臭く感じた記憶があるが
今、読むと、田原氏の視点の方が、広いんじゃないか、という気がした。
もちろん、理想的すぎるきらいはあるかもしれないけれど
広くとらえている。
もちろん、小林氏のいうように、日本は日本としての立場に立った見解をする必要もあるのだろう、とも思うけれど。
本当に、何が正しい、なんていう答えなんて、ない。
歴史って、むずかしいね。
それ以上に、現在に何をチョイスするかって、むずかしいね。
一般小市民は、主権者であって選択権がある、らしいけれど
たいして選択権はないからね。
特定秘密保護法案も可決しちゃうしね。
よい国に、なんとか、よい国にしていきたいね。
じゃないと、次の世代が辛いよね。 -
現在の視点から歴史を評価する田原さんと、価値観は相対的なものだから、その時代に沿った視点から歴史は評価しなければいけないと語る小林氏。これは当事者の視点ではなく(それでは当事者に肩入れすることになってしまう)当時の国際常識から評価するということだろうが、価値観が相対的なものであるからこそ、"いま"の視点から見る必要があると僕は考える。つまり時代に囚われない普遍的な視点がないからこそ、いまの私たちの視点からしか歴史は評価されざるを得ない。その点で歴史を切り取る視点をどこに置くかというのは、主張に対する付随的なものでしかない。しかし国という範囲を越えた公は形成できるか、という二人の対立点で、僕は田原氏のロマンに共感する。ゆえに僕は"いま"の視点から歴史を評価するべきだと考える。そのほうが主張するのに都合がいいからだし、そうならざるをえないからである。歴史認識は将来設計と対になっている。目指すべき価値から見て判断するしかない。
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2002年10月30日
非常におもしろい。特に後半の議論が” -
小林=右、田原=左というなんとなくなイメージがあったけども、これだけ密度の濃い対談を読むと単純にそうとも言えなくなる。(といってもやはり、その傾向が強いようだが)
特に田原に関して、実はテレビのイメージだと嫌いだったりしたのだが、本にして読んでみると、鋭い洞察に加え議論の上での攻め方と交わし方を完全に心得ている、小林にとってもかなり手ごわい対談相手だった事だろう。
最後の方はなんかよく分からなくなっちゃうけど、どちらか片方に興味ある方には楽しめる内容ではないだろうか。 -
知識の上に倫理や心理がやはりあるんだな
でないと幾らでも頷いてしまうか、もしくは罵倒するしかない
武装するしかないのかもしれない、論理による武装が必要だ