場末の文体論

著者 :
  • 日経BP
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784822249533

作品紹介・あらすじ

オダジマはいかにしてオダジマになったのか?ネットで大人気コラムを連載する著者が、その心の故郷を初めて明かす。激論を巻き起こした数々の名コラムを生み出した「文章の職人」の秘密に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • やっぱり小田嶋隆さんは天才コラムニストであることを再確認した次第です。
    世間の耳目を集める論件があって議論百出したとします。でも小田嶋さんが書くと、パッと全く異なる風景が立ち上がり、思わず膝を打つ。
    コラムニストではありませんが、内田樹さんは同じタイプでしょう。実際、お二人は共鳴していて共著も出しています。
    コラムといえば、私は新聞で読むことが多いのですが(世間一般からするとかなり精読している方かと…)、正直言って心を動かされたという経験が数えるほどしかありません。
    ひねくれているためか、真っ当なことを大真面目に書かれると辟易し、甚だしい場合に至っては「このコラムニスト、これ書いた後、呑みに行って、全く違うことをしゃべっているのだろうな、むしろ、そっちが聞きたい」などと考えてしまいます。ある意味、すれっからしと言ってもいいかもしれません。
    それが小田嶋さんのコラムを読むと、感動で胸が震えることさえある。なぜか。本書を読んで理由が分かりました。
    「コラムというのは、利口な人々の考えではなくて、馬鹿な人たちの存念を代弁する枠組みであると考えるからだ」
    なるほど。自分はやはり馬鹿だったのか…。
    いえ、自分の名誉のために言うと、小田嶋さんは正直だと思うのです。だから読み手は小田嶋さんのコラムを刮目して読み、心を動かされるのではないでしょうか。
    世間一般で「常識」とされていることに対しても、小田嶋さんは違和感を覚えたら、徹底的に自分の頭で考え抜いて、「こう考えました。批判はご自由に」と私たちの前に差し出してくれます。私自身は批判どころか、我が意を得たりという思いです。
    たとえば、「国民は選挙で投票へ行くもの」という常識。
    これに異を唱えることは、少なくとも公の場では憚られます。フェイスブックで「投票なんて行かなくてもいいじゃん」などと軽率にも書こうものなら、恐らくかなりの数の批判が寄せられ、甚だしい場合に至っては人格を疑われ、信用失墜して孤独の森の中を森田童子の「ぼくたちの失敗」を口ずさみながら永遠にさまようことになります。
    ちなみに私は投票を欠かしたことがありません(わざわざ書くあたりが姑息です)。
    でも、小田嶋さんは違います。
    「告白すれば、私は生まれてこの方、有効投票をしたことがない。」
    パチパチパチ。これだけ有名なコラムニストがこの一文を書くだけでも相当な勇気だと思います。そして、そこからが天才コラムニストの真骨頂。
    およそ想定される批判、非難の数々を羅列して全て被弾、これは敵わぬと平身低頭したかと思いきや、「この国で一貫して勢力を増大している」のは「政治不信党のわれわれである」という紛れもない事実を(開き直り気味に)突き付け、余勢をかって政治について熱く語る人を「頑迷で戦闘的で底意地の悪い理屈屋」と断じ、思考に思考を重ねて次のような鋭い指摘を導き出します。
    「私は、現状の、知名度を持った人間ばかりに有利な選挙制度に疑問を感じている(中略)しかも、候補者の知名度の質は、その内実が、どんなに悪質であっても、良い方向にしか作用しない。どういうことなのかというと、つまり、ある候補に対して『好き』が30パーセントで『嫌い』が70パーセントであっても、『知らない』が100パーセントである候補よりは、ずっと得票が多くなるということだ」
    「選挙に行かないなんてケシカラン」と口角泡を飛ばして批判する人が、ここまで緻密に考えたことはあるでしょうか。少なくとも私はありません。
    余談かもしれませんが、小田嶋さんは最高裁判事の国民審査について「こんなにバカげた制度は無い」と一刀両断しています。「×をつけなかった場合、承認したと見なす」というあの国民審査ですね。
    「『×をつけなかった商品』が『購入に不賛成を表明しなかった以上、購入への意欲を示した』と見なされて送りつけられてきたら、それこそ通販業者の思う壺だし、『あんたのコラムはつまらん』と言ってこなかった読者を自分のファンと見なす考え方を採用するなら、オダジマには、数百万人の潜在読者がいるという計算になる」
    吹き出しました。でも、その通りですね。小田嶋さんはやっぱり天才コラムニストです。

  •  自らと世の中の過去を振り返って書かれたコラム集。青少年の頃に影響を受けたという北杜夫や立川談志。ソニー製品、大学、タバコ。最後は津田大介との北区をめぐる対談で終わる。集団は野蛮さを内包しているという指摘のあと、「早い話、わたくしども浦和レッズのファンも、あぶない時はあぶない」(p107)と書かれている箇所は、著者の死後2023年8月2日に起きた出来事と照らし合わせたとき、更に苦味を増す。

  • 「体罰、是か非か」誰しも一度は議論したことがあるテーマ。氏曰く巷間交わされている議論はどれもこれも空疎、あるいは既視感漂うものばかり。論敵の反駁が凡庸だし、自分の意見も誰かの焼き直し。何より虚しさを際立たせているのが現職の教諭が議論に加わっていない。そもそも体罰は法律で禁じられている。言ってしまえばそれまでなのだが、議論はやまない。いろんな生徒がおり先生がおり、典型だけで全体を語ることができない難しさがあるからだ。法律と現実との間には大きな乖離がある。体罰は単なる物理的暴力ではない。本質的には威圧と罰則で人間をコントロールしようとする思想の顕現。学問とコミュニケーションの場である学校を支配と服従の組織に変えてしまう破壊的な原理であることを心に深く留めておかなければならない。

  • 著者のエッセイ3作目を読み飛ばして先にこっちを手に取ってしまった。
    相変わらず面白い。
    特に、著者の子供~学生時代への郷愁や、ご両親についての言及は非常に感慨深いものがあった。

    大学で学ぶべきものは仕事に役立つものだけで良いのか、という疑問は歴史学選考の私にはいたく共感できた。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「大学で学ぶべきものは」
      学び方ですよ。
      「大学で学ぶべきものは」
      学び方ですよ。
      2014/07/29
    • 虹風 憂璃さん
      確かに「学び方」は何を専攻しても普遍的に活かせますね。
      確かに「学び方」は何を専攻しても普遍的に活かせますね。
      2014/07/29
  • タイトルから前著「小田嶋隆のコラム道」のような文章論の中身をイメージしていたが、そうではなく王道のコラム、あるいはエッセイといった内容だった。
    「~コラム道」を読んだ直後の感想では「原稿をかけない言い訳をこねくり回して字数稼ぎすぎ。ラジオのほうが面白いね。」なんて言っていたのだが、本作では読むものを飽きさせない見事なコラム展開を見せてくれて、改めて「いやいや先日は失礼しました」と思うのであった。

    談志のくだりやソニーの話なんかは内容的にグッとくるものもあったし、多用される会話文あるいはネットでの書き込みを模した本文に対するコメントには技巧的にも「上手いなー」と感服するばかりである。
    でも巻末の津田大介との対談は、逆に中身がなさすぎてビックリ。狙ったのかそうでないのか、地元のヤンキー話だった。そーゆーコーナーだったのか、正直、なんの脈絡もないつけたしのおまけコーナーのようなポジションでその部分だけ妙に浮いていた。

    装丁はクラフト・エヴィング商會。シンプルでありつつも個性があって結構素敵で、小田嶋氏も巻末やラジオで褒めていた。

    以下、印象深い内容についてのまとめ
    ・談志の死と亡くなった友人の話を絡めて(P32)
    [引用]Yの話は一方的で、要領を得ず、長かった。その、うっかりすると二時間近く続く自分語りを聞くのが億劫で、私は道を避けたわけだ。私以外に、同世代で懐かしい話のできる人間を持っていなかった彼に対して、あの仕打ちはなかったと思う。

    男の子が100人いれば、そのうち2人か3人は、どうやっても社会にうまく適応することができない。それは、システムとか、心構えとか、教育の問題ではない。言わば、社会的な歩留まりの問題で道しようもない話だ。

    ・ソニーと君が代と愛国心の話(P38)
    [引用]われわれの愛国心は、自国の自然、文化あるいは生産物に対して尊崇の念を抱くという、至極まっとうな道筋を通じて獲得されるものだ。ということは、身の回りの自然を守り、優秀な製品を生産するべく努めていれば、愛国心は誰が強要するまでもなく、ごく自然に、国民一人一人の精神のうちに醸成されていくはずのものなのである。
    私のケースで言えば、ソニーは、いつでも私の愛国心を支える重要な柱だった。

    領土や軍隊が愛国心を鼓舞していたのは19世紀までのことだ。20世紀以降の愛国心は、ブランドが作っている。

    ・男のオタク心の話(P52)
    (アグネス・ラムの写真集を買った面々とウルトラQのDVDボックスを予約購入した面々が被っていることについて)
    過去を買い戻せると思っている男を改心させることは誰にもできない。
    業界の人間がおっさん層に狙いをつけている理由の一つは、中高年が金を持っているからなのだろうが、より本質的には若い世代がそうしたもの(つまりコンテンツ)に金を使わなくなったからだろう。
    若い世代はネットで検索に引っかかった解像度の低いデータで満足している。そんな程度の低い無料データで知的好奇心を黙らせるのは、文化的な退廃ではないか?と、おっさん連中は寄るとさわるとそんな話をしているが、かと言っておっさん世代が自分達の半生を投じて収集したブツが、果たして「文化」なのかと正面切って問われると、実は自信が持てない。
    もしかしてオレらは、集めたブツの量を競っていただけで、その心理はもっと幼かった時代に、メンコやベーゴマの数を誇っていた気持ちと同じではなかろうか。

    思うに、コンテンツは、デジタルに化けた瞬間にコレクターズアイテムであることをやめる。

    ・デモの話から(P99)
    [引用]その時のオレは、何も知らなかったとかなんとか、あとで笑うことになるかもしれないが、そこはそれだ。何も知らなかった時に考えていたことは、それはそれで価値を持っている。というよりも、もしかしたら、われわれの判断は、経験に毒される前の方が、純粋であるのかもしれない。

    ・朝日と橋下市長の記事の話から(P145)
    [引用]文章において、書き手の真意は、どんなに技巧的に書いても、最終的には必ず読者に伝わることになっている。…書き手が、ニセモノの感情を描いたり、ウソの理屈を並べたところで、読者は、必ずやそれを見破るということだ。好き嫌いは、特に隠せない。

    ・総選挙の話から(P171)
    [引用]新聞もいつの頃からか、選挙となると「有権者の厳粛な審判が」という常套句を使って、選挙民をおだてあげ、政治家を下に見る設定の記事を配信するようになっている。
    それが一概にいけないというのではない。
    が、叩いた犬は叩かれたようにしか育たない。

  • 日経ビジネスONLINEに連載されている「ア・ピース・オブ・警句」というコラムの書籍化です。

    http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081022/174784/
    自分が持っていない角度からの考察が読めるので大好きです。

    # 表紙の黒い犬を見て『笑う大天使』のダミアン(ムギチョコ食べて活躍したヤツ)を思い出してしまいました。

  • p.77
    でも、その、ほとんど何も学ぶことなく、なにひとる成果を上げられなかったあの4年間は、私の心の中では、故郷のような場所になっている。
    たいして素敵な思い出があったわけでもないのに、いまでも学校があった場所を通りかかる時には、独特の感慨に襲われる。つまり、大学というのは、卒業してずっと時間がたってから思い出した時にはじめて価値を持ち始める、そういう場所なのですよ。

    p.78
    大学は、社会の役に立つべきなのかもしれない。
    でも、通う身からすれば、大学の魅力は、役に立たない生き方が許容されているところにある。

    p.107
    私は、群衆を信用していない。集団を形成している人間は、その成員の一人一人が、いかに立派な人間であっても、集まっているという事実において、野蛮さを内包しているものだからだ。

    p.161
    人々が政治的になることは、私の側から見ると、裏切られた気持ちになるタイプの出来事なのだ。
    政治的な話題に言及しはじめた人間が、ほぼ必ず偏狭になることに、私はかなり強い忌避感を持っていて、だから、時に、政治という話題そのものを無効化したくなる気持ちを抑えがたくなる。

  • 日経BPのコラム。巻末の津田大介氏との対談が面白い。第4学区の雰囲気は良くわかる。

  • 2013年に出た本
    北杜夫と談志が亡くなって、アグネス・ラムの
    写真集が売り出される
    田中真紀子文部大臣の大学不認可
    すべからくを巡る校閲問題(週刊朝日の佐野眞一、橋下市長)
    ソニーの没落などなど
    亡くなった2人の小学校時代の友人について
    著者も鬼籍に入った

  • 小田嶋さんのコラムをまとめた本。場末というのは赤羽のことらしい。巻末には津田大介氏との北区対談が収録。北区は中途半端だけど、JRと地下鉄の駅が多く交通の便はいいとのこと。小田嶋氏が小学5年のときに岩渕から梶原まで都電で英語塾に通っていた話に親近感を感じた。

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著者プロフィール

1956年東京赤羽生まれ。早稲田大学卒業。食品メーカー勤務などを経て、テクニカルライターの草分けとなる。国内では稀有となったコラムニストの一人。
著作は、『我が心はICにあらず』(BNN、1988年、のち光文社文庫)をはじめ、『パソコンゲーマーは眠らない』(朝日新聞社、1992年、のち文庫)、『地雷を踏む勇気』(技術評論社、2011年)、『小田嶋隆のコラム道』(ミシマ社、2012年)、『ポエムに万歳!』(新潮社、2014年)、『ア・ピース・オブ・警句』(日経BP社、2020年)、『日本語を、取り戻す。』(亜紀書房、2020年)、『災間の唄』(サイゾー、2020年)、『小田嶋隆のコラムの向こう側』(ミシマ社、2022年)など多数がある。
また共著に『人生2割がちょうどいい』(岡康道、講談社、2009年)などの他、『9条どうでしょう』(内田樹・平川克美・町山智浩共著、毎日新聞社、2006年)などがある。
2022年、はじめての小説『東京四次元紀行』(イースト・プレス)を刊行、6月24日病気のため死去。

「2022年 『諦念後 男の老後の大問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

小田嶋隆の作品

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