歴史主義の貧困 (日経BPクラシックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784822249663

作品紹介・あらすじ

「歴史的運命への信仰は迷信であり、歴史の行く末は予測できない」。全体主義批判で知られる哲学者による「歴史法則主義」批判。

感想・レビュー・書評

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    本書はなぜ国が全体主義に傾いてくのか、その一つの要因を提示し批判する本です。

    ■ヒストリシズムの貧困
    歴史には不可避的な「進化の法則」や「発展の法則」はあるのか。
    不可避的なというのは無条件的なもの、つまり「物は落下する」「生物は血を流し続けると死ぬ」とかこういう類のもの。
    そのような法則として、歴史には必然的な法則があるのかないのか。
    ポパーはないという。
    そういう必然的な歴史の法則、抗いえない歴史的傾向、人々を動かす運動はない。
    無いなら無いでいいじゃないか、なんでそんなに目くじら立てて法則があると言ってる人達を批判する必要があるのか。
    それは法則がると言ってる人達が私達の視野を狭め、不可避の法則なんだ大人しく従えと脅迫に繋がり、法則を制御するために政府に巨大な権力を集め、私達全員の社会生活を規制することを強要し、つまりユートピア主義的計画を避けがたいものにしている「歴史的な力」を持って私達を脅迫する試みに繋がるからです。

    ■批判を逃れるものこそ批判しなければいけない
    ポパーが再三主張してるのが「批判」です。
    何者も批判を逃れられないし、逃れているとみなされるべきでもない。
    なぜなら批判こそが誤謬を発見し、そこから体系的に学ぶことに至る唯一の道だから。『開かれた社会とその敵』
    本書では歴史には法則がありそれを発見すべきだというヒストリシズムと、ヒストリシズムに染まった大規模計画・ユートピア社会工学という全体主義も批判されます。

    どういうわけか「独裁権力に近い権威が与えられているが、ユートピア主義的な計画を練っている人」の基本的な善意には、私達は疑いを持つ必要はない、という暗黙の前提が働いている(今でもそう)
    このヒストリシズムも批判をしないとけないのですが、やがて全体主義独裁に陥り、批判ができなくなってしまうのです。
    特に内部からは批判が不可能になり、誰もそのユートピア主義的な計画を練っている人の批判ができなくなる。
    もしその人が道を間違えても誰もそれを訂正できない。
    地上に天国を作る試みですから、計画も膨大だがもし間違えてたらとんでもないことになる。

    別の問題点として、社会の変革だけでなく、人間の変革も計画しなければならなくなる、ということ。
    あらかじめ完全な社会の再構築が可能であり必要であると決めてかかっている全体論的工学者は、個人的要素「ヒューマン・ファクター」による不確実性も、制度によりコントロールし克服しようとする。
    最初に社会全体を描いてしまったので、エラーを許さない。
    これがどういうことになるかというと、そのユートピア社会が気に入らないという人は「その気持ちにより、まだユートピアに適合しておらず、「矯正」する必要がある」ということになる。
    人々が暮らしやすい社会を作るという計画が、社会に適した人々を形成する、という要請に置き換わってしまう。
    しかもそれが計画が多すぎていつまで経っても完成しない。数十年経っても達成できない政策に怨嗟の声が巻き起こるが、民主主義とも相いれないヒストリシズムは、民との話し合いなど最初から拒否している。
    ポパーが本書を執筆してた後の方がこの例が世界中に生まれたし、今でもやってる人達がいる。

    なんでこうなってしまうかというと再三言ってる「批判」がなされなかったから。
    理論の科学的性格ないし身分の判定基準としてポパーが提唱したのが「反証可能性」でした。
    科学にはみんなが実験できて反論できる余地がなければならない。
    しかしこのユートピア社会工学は批判ができない。
    なにしろ批判をしたら「お前はまだユートピアに適合していない」として強制収容所に入れられるか、秘密裁判に送られ消されるかするだけだ。
    このような状況で、新しく形成された社会の成否をどのようにして検証すればいいのか。

    ■トレンドと法則の混同
    ヒストリシズムの誤りの中心は、初期条件に依存するトレンドと、初期条件には依存せず私達を不可避的に導いていく法則とを混同していることにあるという。
    歴史的トレンドを科学的理論にしようとするなら、条件が充たされれば特定の結果が生じると予測してるにすぎない。
    それは無条件的な進歩の法則ではない。
    そしてトレンドが初期条件に依存するなら、その条件が変化してしまえばトレンドも存続しなくなる。
    ここにマルクスの予言の批判の余地と、彼の予言がなぜ外れたのか答えがある。
    (なぜマルクス理論が法則ではなくトレンドなのか、ある事実が特定の事実を引き起こしたと歴史で記述することは、継起の法則の存在を証明するものではないから 第4章28)
    ポパーは、トレンドが条件に依存していることを理解し、トレンドが存続する条件を可能な限り探求し決定しようとする人達とは自分は対立しないと言っている。
    トレンドが初期条件に依存するなら必ずしなければいけないことがある、それは問題のトレンドが消滅する条件を常に想像する努力。要するに自分を自分で批判し続ける必要がある。しかしヒストリシストにはこれができない。彼らはお気に入りのトレンドを固く信じ、それが消滅するような条件など最初から探求しない。
    結果、トレンドが無条件的な法則と同一視され、別物であるが故に「絶対的トレンド」という性格の予言と化す。
    ここで「反証可能性」とポパーが提唱した科学的身分の基準の一つ
    「理論は、どれほど多くの例で検証されたとしても、客観的に真理らしさを高めることにはならない」
    が生きてくる。
    肯定的証拠をいくつ積み上げても理論を確立することはできない、というもの。
    (北海道でふる雪は白い、青森で降る雪は白い、秋田で降る雪は白い、今までの観測結果から「すべての雪は白い」という論理的言明の肯定的証拠がたくさん得られた、よってこの論理は正しい。さらにカナダで降る雪は白い、ロシアで降る雪は白い、フィンランドで降る雪は白い、ほら、これで完全にすべての雪は白いと証明された。しかし「福岡などでは黄砂の影響で赤い雪が降ります」この否定一つでいままで積み上げた肯定証拠が全て崩れてしまう)
    批判的に見れば誤りであることが証明される理論でも、それを支持する証拠はあまりにもたやすく手に入る。
    「科学的理論は帰納法に基づいているわけではなく、反証されたものが排除されていくだけであり、反証されるまで暫定的に受け入れられているに過ぎない」
    「およそ反証されえないような理論は科学的理論ではない」(反証可能でない論理は現実とは関わらない)
    (マルクスを擁護しておくと、彼の理論には反証される余地もあったが、彼の後継者たちがその場しのぎの修正をしてマルクス理論の科学性を低下させた)
    「マルクス理論における変化の条件」が変化して理論が成り立たなくなる具体例は『開かれた社会とその敵』に詳しい。こっちでみっちりと語られている。
    答えはマルクスの法則は普遍法則ではなく、トレンドだった。例えばプロレタリアの絶対的窮乏という初期条件は、国家が弱者に介入して(最低賃金法や社会保障制度)救済したことで、窮乏は大幅に緩和され、変化してしまった。
    階級間の必然的対立はどうか。これは民主的な話し合いで自分らの運命が変えられることに人々が気づいたことで、ブルジョアと妥協し、プロレタリアの利益を保護することが可能になった。暴動ではなく話し合いで平和裏に解決出来るならそれに越したことはない。この方法を労働者が廃棄するはずもなく、階級間の対立は減衰していった。
    よってこれらの階級闘争としての初期条件が変化し、革命などという一か八かの賭けに全てを託す必要性がなくなり、革命も起きなかったし、マルクスが名付けた改革不可能なので破壊するしかないとした資本主義社会も存続した。
    『開かれた社会とその敵』でポパーは、マルクスの人々を救いたいという熱意は疑わないが、彼は民主主義の可能性を考慮せず人々にも不信感を抱かせ、間違った方向(暴力とテロ、権力の暴走)に誘導したニセ預言者として批判している。

    ■進歩の法則など無い、進歩するかどうかは私達次第
    ポパーは、人間が人間である以上客観性を目指し、選択的観点を完全に避けることは不可能だという。
    つまりどのような理論だろうと、自分の観点であり、その他いくつもある観点のうちの一つの解釈であるということ。
    例えば歴史を、階級闘争の歴史と解釈することも可能だし、民族間の覇権の歴史、宗教的観念の歴史、開かれた社会と閉ざされた社会の戦いの歴史、科学と産業の進歩の歴史と解釈することも可能だ。
    重要なのは、解釈は必然的に複数あり、それらは同等であるということ。
    しかしヒストリシズムはそうではない。
    (客観的に)「今日まですべての社会の歴史は階級闘争の歴史である」と解釈を学説または理論として提出する。
    こうなると多くの事実がこの階級闘争理論を裏付ける肯定的証拠とみなされ、つもればつもるほど理論は証明されたと勘違いする。
    しかし繰り返すが、科学にとって大事なのは肯定的証拠を集めることではなく、自らが自らに批判的になり、理論の間違いを探すこと。
    そして人間的要因という不確定要素を制度でコントロールしようとしないこと。
    そうした要素をコントロールすることは必ず独裁につながる
    必然的に複数あってそれらは同等でしかない解釈の一つに、数人かもしくは一人の気まぐれという人間的要因を特別視して巨大な権限を与えることになるのだから。
    (すべての歴史なんて人間が記述できるのか、という問題もある。今まで地球上で生まれてきたすべての人間の因果関係の系列をとらえて分析し、人類の具体的な歴史という意味での普遍的な歴史を記述することは可能か。ポパーは不可能だという)

    「私たちはみな、自分が常に正しいと、非科学的に考えたがる。この弱点は、特に政治家によく見られるようだ」
    「政治における科学的方法とは<何の間違いも犯してないと自らを納得させ、間違いに目をつむり、人の目から隠し、他人のせいにする>という芸術的な技の代わりに<過ちの責任を認め、そこから学ぶ努力をし、その知識を将来に活かして同じ過ちを繰り返さないようにする>という、より偉大な芸術的方法を身につけることを意味する」
    第3章24

    本書の解説で黒田東彦氏が、本書は今でもおおいに読む価値があると述べているが、至極最もだと思われる。
    「私の科学理論には一点の曇りもない。従って批判など不可能。話し合いも不要だし、というか批判など許さん。私を批判した奴は「反科学」だからな!」
    この手の宣言一見強そうなんですが、ポパーからすると弱いんです。
    こういう偉い人が言ってるから正しいんだろうと無批判に後ろにくっついて行き、私達の精神的な独立性をたった一人の人間などに明け渡さないようにするということ。
    何しろ進歩の法則がないなら、進歩するかどうかは私達自身にかかっている。
    人間は自動的に進歩していくと思い込んで、退歩させようとるする人々に無関心になれば、容易に逆方向に連れていかれる。
    歴史法則を暴いた偉大な指導者というのもなんてことはない、自身の観点から見たにすぎないトレンドを、絶対的な法則と思いこんでる不確定要素ときまぐれの多い人間の一人にすぎないのだから
    人類の普遍的な歴史の法則を発見したと喜んでいるこの一人ないしは数人の支配者の全体論的きまぐれに身をゆだねた場合、そのユートピア主義的計画を避けがたいものにしている「歴史的な力」(繰り返すが人間の観点からみた解釈の一つにすぎない)によって脅迫され、個々の人間の違いは無視され、人々の心が統制される。他人の心に権力をふるうなどという不可能なことに手を出したが最後、それは知識を破壊する。
    (私は、君達を搾取から守ると主張する全体主義者こそ、人々の知性を搾取していると考えている。カントの言葉を借りるなら、心を統制することにより、民に自分で自分の理性を使わせず、いつまでも囲われた家畜のままにしておく。知る勇気を奪う。また検閲と弾圧に苦しめられたスピノザも、国とは人間を理性的存在から獣や自動人形におとしめるためにあるのではない。人を支配することでもなければ、人々を怖れによって縛りつけ他人の権利の下に置くことでもない。国というのは実は自由のためにある、と『神学・政治論』の中で述べている)

    「手にする権力が大きくなればなるほど、失われる知識も大きくなる」

    進歩が止まるどころか、人間の尊厳も自由も平等もなかった、暴力と迷信が支配する原始的な閉ざされた社会(檻)に戻される。

    以上のような理由により、ヒストリシズムを拒否し、それをしかと批判する必要があり、一旦すべてを破壊して社会全体を一から描きなおす全体論的な工学ではなく、自由と民主主義を支持し、少しずつ改革していくピースミール社会工学をポパーは提唱する。

  • なかなか難解。
    歴史主義の誤り
    1人間の歴史の道筋は知識の成長による
    2合理的・科学的方法により将来の知識は予測不可能
    3従って人間の将来の歴史の道筋は予測不可能
    4これは理論歴史学が成立不可能であることを意味する
    5歴史的発展の理論を構想する歴史主義は破綻する

  • 書店でふと目に入ったので深く考えずに購入しました。結論から言うとマルクス主義者の主張やヘーゲルの歴史哲学、あるいはジョン・スチュワート・ミルの論理学などの知識がある程度ないと理解が難しいのではないかと感じました。逆に言うとこの辺りの議論全盛期の時代背景を理解しながら本書を読み進める必要があると思います。

    本書の特徴は、まず前半でポパーが呼ぶところの「歴史主義(ヒストリシズム)」とは何かの解説をし、後半はそれに対するポパーの反論をしていくと言う構成です。まずヒストリシズムですが、実はこの定義自体が単純ではありません。一例を挙げると、歴史は必然的な流れがあり、人類はその「正しい」道筋から逸れることはできない、と言う意味で運命論者的ですが、かといって受け身的ではなくむしろ能動的だったりします。つまり「正しい」道筋への動きを加速化させるために我々は能動的に動く必要があると言う主張です。そのため前半で歴史主義とはなんぞや、と言う点を理解するのにやや四苦八苦します。ただマルクス主義者の主張をある程度知っている人でしたら、それを念頭においておけばイメージはしやすいかと思います。

    後半は打って変わってポパーによる歴史主義への批判です。こちらも様々な視点から批判がなされていますが、私が一番印象に残ったのは28節に記載されている『歴史主義者の貧困とは、想像力の貧困であると言って良いだろう。歴史主義者は常々、自分たちが生きている狭い世界の中で変化を想像できない者を非難するが、想像力を欠いているのは、変化の条件が変化することを想像できない彼ら自身であるように思える』と言うくだりでした。それを端的に表しているのが、歴史主義者は単なる「トレンド」を「法則」と大仰に呼んでいることでしょう。この指摘は非常に鋭いと感じました。本書、全体的には非常に偏った見解であるような印象も強く個人的には納得できない箇所もいくつかありましたが、それを超えて全体主義批判、歴史主義批判書としては必読書だと思います。

  • カール・ポパーの本を読むのは初めて。

    「科学と反証可能性」については概要を知っていた程度だが、本書を読んでカール・ポパーの主張について理解が進んだ。

    我々が普段信じている「普遍法則」というのは、日頃当たり前としている特定の初期条件(宇宙が膨張している間や太陽系の地球に住んでいる状態)が続く限りにおいて成立するのであって、全ては「トレンド」に過ぎない。

    ブラック・スワンのように、1つの反証によって否定される可能性が常にあるのが科学であって、いくら検証を重ねたところで真理にたどり着くことはない(蓋然性だけは高まっていく)。

    自分も普段、科学や自然法則を絶対的なルールとして信じたり、アナロジーを通して他分野でも同じように考える人間であったので、本書を読んで批判的に検証することの有用性、「知識は引き算」であることを感じられて良かった。

  • カール・ポパー(Karl Popper)は、広く影響を与えた割には、一般的知名度が低い哲学者だ。

    本書では、「歴史主義(historicism)」者に対しての批判を容赦なく繰り広げているが、この批判の現代的な意味について、考えてみる。

    先ず、ここで言う「歴史主義」とは何か?について、凡例を参照してみる。

    歴史主義という用語は多様な意味で使われる。ポパーのhistoricismの訳語としても、決して定訳ではない。historicismの訳語はさまざまに工夫されてきた。本書の旧訳、1961年の中央公論社版(久野収・市井三郎訳)は括弧付きで≪歴史主義≫としている。内容の解釈を含めて「歴史法則主義」、「歴史信仰」と訳されることもある。研究書では「ヒストリシズム」とカタカナ書きされることも多い。(凡例より抜粋)

    何かを語り、主張するとき、その事の再現性や反証可能性を説明するのが難しい場合、往々にして過去の歴史法則のようなものを頼りに、我々は説明することがある。曰く「過去、Aが起きた後はBが起きている」などなど・・・

    ここで肝心なのは、BがAを惹き起こすという説明、立証(同じ条件を整えれば再現すること)出来るか?だけではなく、それらが反証が可能であるか?ということも問われる、ということだ。

    反証可能、とは「どのような手段によっても間違っている事を示す方法が無い仮説は科学ではない」(Wikipedia ”反証可能性"より)という考え方であり、批判や反証を受け入れない言質は科学ではない、という考えだ。

    が、歴史学や、歴史を援用して何か事を為そうとする人は、往々にしてそこを「自らの信ずる解釈」に頼ることが多く、かつ、その人の信念に悖る反論を赦さない姿勢を取ることが多いのだが・・・。

    ポパーの主張する「歴史主義」を、極めて簡略な説明すると、こういうことになろう。その上で、次の引用を見ていただきたい。

    ---
    社会の全体的で具体的な状況が科学的に記述された事例というのは、過去に一つも存在しない。そのような場合、必ず<そこでは無視されているにもかかわらず、何らかの文脈においては最も重要になりうる側面>を容易に指摘できるため、そのような記述は不可能なのである。(p.138)
    ---

    ポパーが言いたいことは、歴史から教訓を得るにあたって、恣意的、かつ反証が不可能な解釈を戒めているのだ。序言でも明確に挙げている。

    ---
    (1)人間の歴史の道筋は知識の成長に大きく影響される、
    (2)合理的または科学的方法により、人間の知識が将来どのように成長するかを予測することはできない、
    (3)したがって、人間の歴史の将来の道筋を予測することはできない、
    (4)このことは、理論物理学に対応するような理論歴史学が成立不可能であることを意味する。歴史の発展に関して、歴史的予測の基盤となりうる科学的理論というものはありえない。
    (5)それゆえ、歴史主義の方法の根本目的は、誤って構想されている。歴史主義は破綻する。
    (p.12 はじめに)
    ---

    ポパーに大きく影響を受けたと言われるナシーム・ニコラス・タレブも「ブラック・スワン」の中で『人間は将来を予測するのが極めて苦手である』と書いているが、まさにそういうことだ。

    ---
    歴史主義者は自分のお気に入りのトレンドを固く信じており、そのトレンドが消滅する条件など考えられないのである。歴史主義の貧困とは、想像力の貧困であると言っていいだろう。歴史主義者は常々、自分たちが生きている狭い世界の中で変化を想像できない者を非難するが、創造力を欠いているのは、変化の条件が変化することを想像出来ない彼ら自身であるように思える。(p.212)
    ---

    ポパーは、では何故、これほどまでに「歴史主義」を憎むのか?本書の巻頭には、ポパーの想いが短く書かれている。

    『歴史的運命の不変の法則というファシズム的、共産主義的信念の犠牲となったあらゆる信条の、あらゆる国の、あらゆる民族の無数の男たち、女たち、子どもたちを偲んで。』

    そう、いわば「御都合主義」的かつ「独善的/反証を赦さない」歴史認識と解釈が、共産主義や全体主義、ファシズムを生み出し、その結果として、ホロコーストなどで多くの犠牲者を生んだことに対する、反省と怒りがあるからなのだ。

    巻末の解説(現日銀総裁の黒田東彦氏)に、次のようなポパーの本書執筆の背景の説明がある。

    ---
    彼の「反証主義」自体がマルクス主義哲学などな対する批判から生まれたことを見逃すわけにはいかない。すなわち、両大戦間の混乱期に、ウィーンでは、マルクス主義者たちが毎日のように起こる事件すべてマルクス理論の正しさを立証するものと主張していたが、これに違和感を覚えたポパーは、そのころ有力だった理論の「検証主義」を疑うようになったのである。(p.259 解説)
    ---

    さてどうだろう。

    昨今の保守、右翼、リベラルや左翼、メディアから何から皆、「毎日のように起こる事件すべて"自説"の正しさを立証するものと主張」してばかりいて、現実には何も説明していないものに溢れているのではないのか?

    そう、ポパーの「批判的合理主義」と言われるこれらの考え方は、絶対的な真理を前提とした組織は、必ず腐敗して人を不幸にする、という、ポパーの強い信念があるからだ。それは、彼がナチスのオーストリア併合を逃れて、生まれ故郷のウィーンを追われたこともあるのだろう。

    コロナによる自粛などで、他者に対して不寛容になってしまっている今こそ、学ぶべきは、このことではないだろうか?

  • 社会科学をかじった人間なら知らない人はいないであろう、カール・ポパーさんの古典的作品。

    本書は社会科学における仮説+検証によってその仮説の妥当性を検証していく重要性を主張している。

    しかし、私の知識ではなんとなくは分かったのだが、やはり理解するのが難しかった。

  • 歴史の行く末は予測できないことを論理的に証明した書

    ビックデータへの期待が高まる中、未来を予測できないことを過去に証明した本書の存在価値はいま、またも高まっていると思われます。

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