- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784822249663
作品紹介・あらすじ
「歴史的運命への信仰は迷信であり、歴史の行く末は予測できない」。全体主義批判で知られる哲学者による「歴史法則主義」批判。
感想・レビュー・書評
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なかなか難解。
歴史主義の誤り
1人間の歴史の道筋は知識の成長による
2合理的・科学的方法により将来の知識は予測不可能
3従って人間の将来の歴史の道筋は予測不可能
4これは理論歴史学が成立不可能であることを意味する
5歴史的発展の理論を構想する歴史主義は破綻する
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書店でふと目に入ったので深く考えずに購入しました。結論から言うとマルクス主義者の主張やヘーゲルの歴史哲学、あるいはジョン・スチュワート・ミルの論理学などの知識がある程度ないと理解が難しいのではないかと感じました。逆に言うとこの辺りの議論全盛期の時代背景を理解しながら本書を読み進める必要があると思います。
本書の特徴は、まず前半でポパーが呼ぶところの「歴史主義(ヒストリシズム)」とは何かの解説をし、後半はそれに対するポパーの反論をしていくと言う構成です。まずヒストリシズムですが、実はこの定義自体が単純ではありません。一例を挙げると、歴史は必然的な流れがあり、人類はその「正しい」道筋から逸れることはできない、と言う意味で運命論者的ですが、かといって受け身的ではなくむしろ能動的だったりします。つまり「正しい」道筋への動きを加速化させるために我々は能動的に動く必要があると言う主張です。そのため前半で歴史主義とはなんぞや、と言う点を理解するのにやや四苦八苦します。ただマルクス主義者の主張をある程度知っている人でしたら、それを念頭においておけばイメージはしやすいかと思います。
後半は打って変わってポパーによる歴史主義への批判です。こちらも様々な視点から批判がなされていますが、私が一番印象に残ったのは28節に記載されている『歴史主義者の貧困とは、想像力の貧困であると言って良いだろう。歴史主義者は常々、自分たちが生きている狭い世界の中で変化を想像できない者を非難するが、想像力を欠いているのは、変化の条件が変化することを想像できない彼ら自身であるように思える』と言うくだりでした。それを端的に表しているのが、歴史主義者は単なる「トレンド」を「法則」と大仰に呼んでいることでしょう。この指摘は非常に鋭いと感じました。本書、全体的には非常に偏った見解であるような印象も強く個人的には納得できない箇所もいくつかありましたが、それを超えて全体主義批判、歴史主義批判書としては必読書だと思います。 -
カール・ポパーの本を読むのは初めて。
「科学と反証可能性」については概要を知っていた程度だが、本書を読んでカール・ポパーの主張について理解が進んだ。
我々が普段信じている「普遍法則」というのは、日頃当たり前としている特定の初期条件(宇宙が膨張している間や太陽系の地球に住んでいる状態)が続く限りにおいて成立するのであって、全ては「トレンド」に過ぎない。
ブラック・スワンのように、1つの反証によって否定される可能性が常にあるのが科学であって、いくら検証を重ねたところで真理にたどり着くことはない(蓋然性だけは高まっていく)。
自分も普段、科学や自然法則を絶対的なルールとして信じたり、アナロジーを通して他分野でも同じように考える人間であったので、本書を読んで批判的に検証することの有用性、「知識は引き算」であることを感じられて良かった。 -
カール・ポパー(Karl Popper)は、広く影響を与えた割には、一般的知名度が低い哲学者だ。
本書では、「歴史主義(historicism)」者に対しての批判を容赦なく繰り広げているが、この批判の現代的な意味について、考えてみる。
先ず、ここで言う「歴史主義」とは何か?について、凡例を参照してみる。
歴史主義という用語は多様な意味で使われる。ポパーのhistoricismの訳語としても、決して定訳ではない。historicismの訳語はさまざまに工夫されてきた。本書の旧訳、1961年の中央公論社版(久野収・市井三郎訳)は括弧付きで≪歴史主義≫としている。内容の解釈を含めて「歴史法則主義」、「歴史信仰」と訳されることもある。研究書では「ヒストリシズム」とカタカナ書きされることも多い。(凡例より抜粋)
何かを語り、主張するとき、その事の再現性や反証可能性を説明するのが難しい場合、往々にして過去の歴史法則のようなものを頼りに、我々は説明することがある。曰く「過去、Aが起きた後はBが起きている」などなど・・・
ここで肝心なのは、BがAを惹き起こすという説明、立証(同じ条件を整えれば再現すること)出来るか?だけではなく、それらが反証が可能であるか?ということも問われる、ということだ。
反証可能、とは「どのような手段によっても間違っている事を示す方法が無い仮説は科学ではない」(Wikipedia ”反証可能性"より)という考え方であり、批判や反証を受け入れない言質は科学ではない、という考えだ。
が、歴史学や、歴史を援用して何か事を為そうとする人は、往々にしてそこを「自らの信ずる解釈」に頼ることが多く、かつ、その人の信念に悖る反論を赦さない姿勢を取ることが多いのだが・・・。
ポパーの主張する「歴史主義」を、極めて簡略な説明すると、こういうことになろう。その上で、次の引用を見ていただきたい。
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社会の全体的で具体的な状況が科学的に記述された事例というのは、過去に一つも存在しない。そのような場合、必ず<そこでは無視されているにもかかわらず、何らかの文脈においては最も重要になりうる側面>を容易に指摘できるため、そのような記述は不可能なのである。(p.138)
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ポパーが言いたいことは、歴史から教訓を得るにあたって、恣意的、かつ反証が不可能な解釈を戒めているのだ。序言でも明確に挙げている。
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(1)人間の歴史の道筋は知識の成長に大きく影響される、
(2)合理的または科学的方法により、人間の知識が将来どのように成長するかを予測することはできない、
(3)したがって、人間の歴史の将来の道筋を予測することはできない、
(4)このことは、理論物理学に対応するような理論歴史学が成立不可能であることを意味する。歴史の発展に関して、歴史的予測の基盤となりうる科学的理論というものはありえない。
(5)それゆえ、歴史主義の方法の根本目的は、誤って構想されている。歴史主義は破綻する。
(p.12 はじめに)
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ポパーに大きく影響を受けたと言われるナシーム・ニコラス・タレブも「ブラック・スワン」の中で『人間は将来を予測するのが極めて苦手である』と書いているが、まさにそういうことだ。
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歴史主義者は自分のお気に入りのトレンドを固く信じており、そのトレンドが消滅する条件など考えられないのである。歴史主義の貧困とは、想像力の貧困であると言っていいだろう。歴史主義者は常々、自分たちが生きている狭い世界の中で変化を想像できない者を非難するが、創造力を欠いているのは、変化の条件が変化することを想像出来ない彼ら自身であるように思える。(p.212)
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ポパーは、では何故、これほどまでに「歴史主義」を憎むのか?本書の巻頭には、ポパーの想いが短く書かれている。
『歴史的運命の不変の法則というファシズム的、共産主義的信念の犠牲となったあらゆる信条の、あらゆる国の、あらゆる民族の無数の男たち、女たち、子どもたちを偲んで。』
そう、いわば「御都合主義」的かつ「独善的/反証を赦さない」歴史認識と解釈が、共産主義や全体主義、ファシズムを生み出し、その結果として、ホロコーストなどで多くの犠牲者を生んだことに対する、反省と怒りがあるからなのだ。
巻末の解説(現日銀総裁の黒田東彦氏)に、次のようなポパーの本書執筆の背景の説明がある。
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彼の「反証主義」自体がマルクス主義哲学などな対する批判から生まれたことを見逃すわけにはいかない。すなわち、両大戦間の混乱期に、ウィーンでは、マルクス主義者たちが毎日のように起こる事件すべてマルクス理論の正しさを立証するものと主張していたが、これに違和感を覚えたポパーは、そのころ有力だった理論の「検証主義」を疑うようになったのである。(p.259 解説)
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さてどうだろう。
昨今の保守、右翼、リベラルや左翼、メディアから何から皆、「毎日のように起こる事件すべて"自説"の正しさを立証するものと主張」してばかりいて、現実には何も説明していないものに溢れているのではないのか?
そう、ポパーの「批判的合理主義」と言われるこれらの考え方は、絶対的な真理を前提とした組織は、必ず腐敗して人を不幸にする、という、ポパーの強い信念があるからだ。それは、彼がナチスのオーストリア併合を逃れて、生まれ故郷のウィーンを追われたこともあるのだろう。
コロナによる自粛などで、他者に対して不寛容になってしまっている今こそ、学ぶべきは、このことではないだろうか? -
社会科学をかじった人間なら知らない人はいないであろう、カール・ポパーさんの古典的作品。
本書は社会科学における仮説+検証によってその仮説の妥当性を検証していく重要性を主張している。
しかし、私の知識ではなんとなくは分かったのだが、やはり理解するのが難しかった。 -
歴史の行く末は予測できないことを論理的に証明した書
ビックデータへの期待が高まる中、未来を予測できないことを過去に証明した本書の存在価値はいま、またも高まっていると思われます。