宇宙となかよし―天命につながる幸せ法則

著者 :
  • 評言社
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感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784828205434

感想・レビュー・書評

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  • amazonでの評価がとても良く、期待して読んだんだけど・・・
    前半は物語形式で入り易く、全体的に初心者向けの悟りの本という印象。
    筆者の体験に基づき、架空の主人公を作り物語形式で読ませるアイデアは非常におもしろく良いと思ったのですが、物語では旅の舞台のインドの描写が細かく、個人的にはそこに少し飽きてしまい、斜め読みしてしまった。
    著者の人を思いやる優しい性格や、日頃の公演などでの話ぶりからのことだと思うけど、わかりきってることを何度も説明したりと、親切というより基本的には少しクドイ。
    ただし、伝えようとしている内容は、とても良いことだと思う。
    ただ、個人的な新鮮さや目覚め気付きもなく、期待した分すこし退屈な内容だった。
    わたしのまわりにこの本が必要な人も思いつかないので、手放して誰か他に必要な人のところへ旅立ってもらおう。

  • ブログのファンで、書籍が出版されるとのことで
    迷わず購入しました。

    ブログタイトルも「宇宙となかよし」で、
    その意味合いと深さ、根底の想いがよくわかり、
    文章は非常に読みやすく、あっという間に
    読み終わってしまいました。

    ブログからの情報で予備知識があったからかも
    しれませんが、非常に読みやすくなっているからか、
    内容も究極のシンプルさもあいまって、
    具体的に「使える」というような、実用的な感じは
    ありませんでした。
    しかし、読み終わった後の後味の良さは格別で、
    「理解」すると言うよりも、「感じる」本だと思いました。

    「天命」につながっている際の心的感覚など、
    体験談として、読み手への参考知として、
    もう少し記述があると、読み手の状況にも
    よりフィットするのかなと思いましたが、

    ・やりたいことをやれていないと思う人
    ・困難や問題に直面して疲れ気味の人

    には、確実にオススメの本です。

  • ブログを毎日読んでいるので、この本の内容は特に目新しいこともなく、『ブログのダイジェスト版』という感じ。
    でもこの人の本でもブログでも、読んでいると前向きになれます。
    厳しいことも言うけれど、だからこそいいのでしょう。

  • 本屋でP198,199,200をちら読みし、買うことを決めた。翌日には読了したが、エッセンスはこれらのページにほとんどあった。忙しかったり、困難に直面した際に読むと、自分の人生や日々の行動を見直すことにつながる本です。

  • ちなみに「スプーン曲げ」の手順はこうです。

    1.身体の力を思いっきり抜く

    2.スプーンを手にして「ぐにゃぐにゃに曲がった状態」をイメージする

    3.その際、「スプーンが曲がりました」と「完了形」でイメージする

    4.イメージができたら「曲がって頂きありがとうございます(感謝します)」と言う(思う)

    5.そこで力を入れずにスルっと曲げる




    これでOKです。これを「雲消し」に応用するとどうなるか。

    1.身体の力を思いっきり抜く

    2.空に浮かんだ雲が「散り散りになった状態」をイメージする

    3.その際、「雲が消えました」と「完了形」でイメージする

    4.イメージができたら「消えて頂きありがとうございます(感謝します)」と言う(思う)

    5.すると自然と消えていく




    さらに「願望実現」に応用するとどうなるか。お金でいきましょうか。

    1.身体の力を思いっきり抜く

    2.お金が「十分に(〇〇円)入ってきている」イメージをする

    3.その際、「お金が〇〇円入ってきました」と「完了形」でイメージする

    4.イメージができたら「お金が〇〇円入ってきて頂きありがとうございます(感謝します)」と言う(思う)

    5.するといつの間にか〇〇円の収入が入ってくる

     そもそも私たちは、その「存在」そのものが矛盾に満ちています。その一番の矛盾は、私たちは「死」に向かって「生」きているということ。ハイデガーはそんな私たちのことを「死への存在(Sein zum Tode)」と呼んだわけですが、自明のことながら、私たちは100%の確率でいつか死にます。それだけは自由意思の介在が一切許されない「決定論」であることは間違いないです。もちろんその時期はわかりませんが、いつか死ぬことだけは確か。

     およそこの世のすべての宗教、思想、哲学は、この「生」と「死」の矛盾を超越するために存在すると言っても過言ではありません。私たちの「苦」や「恐れ」の根源は「死」であり、どうにかしてそれを超越することだけが、ひょっとしたら私たちが生きている意味なのかもしれません。

     その「超越(メタ)」としての道がもしかしたら「悟り」なのでしょう。「悟り」の本質は何かと問われれば、様々な解答を用意することはできるのでしょうが、究極の一言を言うならば、それは「死を待たずして死ぬこと」なのです。もちろんそれは仮死状態になることでも、幽体離脱することでも、瞑想などで変性意識を体験することでもありません。

     「死を待たずして死ぬ」とは、「人間は必ず死ぬ」ことを覚悟すると同時に、「人間は絶対に死なない」ことを知ることに他なりません。つまり「人間」は「死ぬ」と同時に「死なない」ってことを知ること。それが究極の「悟り」なのです。

     別の言い方をすれば、私たちは今この瞬間にも、、、「生」と「死」を同時に体験しています。誤解が生じそうなのを承知で書くと、「生」が「有」であり、「死」が「無」であるとすれば、私たちはまさに「有」と「無」を同時に体験しています。本質的にはこの世に「時間」などは存在しません。なぜなら「時間」の正体は「記憶」であり、「記憶」とは「実在」ではないからです。「記憶」とは前頭葉が生み出す、単なる脳内現象に過ぎないのであって、正真正銘のリアルな「現実」ではないからです。

     そこで「時間」が存在しないとすれば、あるのは「時間」を超越した「今」だけ。しかし「今」とはその概念があるだけで、それの実態を示すことは不可能です。ユークリッド的な言い方をすれば、0次元こそが「今」であり、そこには長さも面積もなく、ただ位置(存在)があるだけ。つまり「無」なのです。私たちは常に「無」にしか生きるところはなく、別の言い方をすれば、私たちは「無」を「有」していると同時に、「有」など「無」いってのが「存在」の本質なのです。

     段々とわけわかんなくなってきたと思いますので、この辺で元に戻りたいと思いますが、とりあえず今を生きようよってことですよね。私たちが生きられるのは「今」しかないわけで、その瞬間瞬間に最高の「オレ」を生きることだけが、宇宙から求められている一つの「生き方」なのかもしれないってね


    毎日の行動計画を5つばかり決めて、実行したら「○」、実行しなかったら「×(または空白)」にしておく方法。ただそれだけなんですが、やったら確実に生活パターンが変わります。これは何度も何度も実証済みですが、私の場合、生活がマンネリになってきたり、ちょっと流れを変えたい時にやるようにしています。中には完全に習慣化するものもありますので、そんなのまでわざわざ「○×」つける必要もないのでね。


    何度も言いますが、これほど「確実」に変わる方法もないわけで、私の場合、年に何度かこれをすることで自分自身を律するようにしています。数日でその変化がわかるので、これまた面白いのです。

     人間ってのは、ほっておくとすぐにマイナスの方向に進んでしまう性を持っています。エントロピー増大の法則とでも言いましょうか。ですので、時には意図的に「プラス」の方向に持っていくことも重要。この「○×」だけで確実に変化するのだから不思議。

    何度も言ってきたと思いますが、「願望実現」ってのは一言で言うと「内的世界」の書き換えです。そして実際に書き換える際に、「行動」>「言葉」>「思考」の順に強くなるので、単に「思うだけ」よりも「言葉にするだけ」よりも「行動」すれば、その「内的世界」の変換率も格段に上がるってこと。理屈は簡単。

     そのためにはまずは「できること」をする。私で言うと、突然、「断食」なんてできっこないので、まずは「夜に米を食べない」なんてハードルの低い項目を設定するわけです


    「いまここ塾」の質疑の中で、「今」に生きるのだから目標や計画は立てる必要がないのか、それとも多くの成功哲学が言うように、目標は立てた方がいいのか、どっちですか?って質問が上がっていました。阿部さんの前提としては前者なんだけど、目標や計画を立てて実行することは、人生をよりよく生きる手段でもあるので、それを利用しない手はない、、、って話でした。まったくの同感です。


    例えば今月やっているような「○×計画」なんてのは、最も「いまここ」に反するあり方に見えるかもしれません。10月で○が付くのを7割目指すなんて。ただ、実践されている方は実感されていると思いますが、「○×」なんてのは、結局のところ「今」を生きるための手段にしか過ぎないわけです。

     なぜならそこには「実行」が伴っているから。例えば項目に「筋トレをする」ってのがあったとします。そもそも「筋トレをする」って項目を掲げるのは、それが必要だと思っているからでしょう。しかし「必要」だと思っていながら、それをしないってのは、まったくもって「いまここ」を生きてないことになります。「最近身体がなまってきたしな~、太ったらやだな~、でも筋トレきついしな~」って思考するだけ。


    ではこの「思考」をストップさせるにはどうすればいいのか。簡単なこと。実際に筋トレをすればいいのです。少なくとも筋トレをしている間は「筋トレしなきゃな~」とは思えないはず。そしてやってしまえば、それだけでスッキリする。結局のところ「○×計画」ってのは「やらないといけないと思っていながらやってなかったことを実行する」ための最大の方法論なんですね。

     つまりは思考による「内的対話」を止めるには、行動することが一番。ディール・カーネギーのエピソードだったと思いますが、ある男性の話。家族に不幸があって、気持ちがどん底で何も手につかない状態が何日も続きました。食べるものもろくに食べずに体重も減り、気力も体力もどんどんなくなっている時、残された幼い長男から「船の模型を作って欲しい」とせがまれます。そんな気分じゃないと突っぱねるものも、長男があまりにもせがむので作り始めたのですが、それが出来上がる頃、あることに気が付いたのです。船を作っている間、とても気持ちが安らいでいたことに。

    そのことに気が付いたその男性は、とにかく仕事を入れ始め夢中になって没頭したそうです。なぜなら仕事をしている間は思い悩むことがないから。それによって気持ちの落ち込みから立ち直り、元の生活に戻ることができたとのこと。

     結局のところ、あらゆる悩みから解放される最も初歩的な手段が「行動」することなんです。ですので、今まで何度もやろうと思っていながら、様々なブレーキによって未完了だったこと。それらをこの際、「○×計画」でも立てて一気に片付けてしまおう、、、ってのが今回の主旨であると同時に、この世でただ一つのリアリティである「いまここ」を生き尽くそうじゃないかって意味もあるんです。


     とにかく「筋トレしなきゃ」と思考するだけの状態が、実際に行動している状態に移った。何度も言いますが、筋トレしながら、「筋トレしなきゃ」と思考することは本質的に不可能です。歩きながら「歩かなきゃ」って思えないでしょ。だって歩いてるのだから。少なくとも歩いている間は「歩かなきゃ」って思考からは解放されます。


    ちなみに今回の皆さんの「○×計画」で多いのが「瞑想」でしょうか。瞑想も習慣になればいいのでしょうが、慣れないとなかなか座る気になれませんものね。でも、「○×」でやると決めてしまえば、とりあえず「瞑想しなきゃな~」って思考からしばらくは解放されるでしょ。思考から解放されること。それがまさに「いまここ」を生きることなんです。

     そんなわけで「○×計画」もやってみれば実感できること。効果的なのはもちろんのこと、すごく奥の深い行為であることを。ただ、ずっと○×に頼っても窮屈ですので、習慣にできるものは早いとこして、宇宙の流れに乗ってしまう。するとシンクロニシティが起こって、あるべき道へと導いてくれる。○×計画とは、言ってみれば、宇宙の流れに乗るための予行演習なのかもしれません。

     やったことないけど、サーフィンだって、いきなりボード持って波に挑むことはないでしょ。おそらくはボードに腹ばいになって、波が何たるかを体感するところからスタート、つまり練習するでしょ。宇宙の波も同じように、まずはいろいろ行動して見て、そこから徐々に軌道修正しながら、宇宙サーファーを目指せばいいのです。

     あの波に乗れるかな~、高そうだな~、どうしよう~なんて「思考」する暇があったら、まずは海に出る。つまり「行動」すればいいのです。すると波の感触がわかって、そのうち乗れるようになるでしょう。すると宇宙という大きな流れに乗ってゆ~らゆ~ら、、、って具合だけではないでしょうが、とにかく乗ってしまえばこっちのもの。

     「○×計画」とは宇宙サーファーのための予行演習だったのか!ってことに今気が付きました。てなわけで、明日もしっかりと早起きして、充実した一日を過ごしたいと思います。ありがとうございました。


    「いまここ塾」は博多では一年ぶり。今年は3月に東京で参加して以来です。阿部さんの話を聞くと、良い意味でいろいろリセットできますので、定期的に顔出してるといいことあります。この「リセット」ってすごく大切で、普段、私たちの意識(思考)や無意識(身体感覚)ってのは、いろいろなプログラムを発動させています。24時間パソコンつけっぱなしでアプリケーションを動かしまくっている状態でしょうか。

     例えば「現象」→「心配」→「変調」みたいなプログラムですね。仕事なんかでちょっとしたトラブルが一つの「現象」として現れたら、四六時中、そのことを「心配」するわけです。それが心身のいろんな場所に作用して身体壊したりする。本来、「現象」と「心配(心的表出)」ってのは結びついてないはずなのに、長年の条件付けによって、その経路が確立されてしまう。これをプログラミングって言うわけです。


    さらに「心配」ってのゎ、言うまでもなく「仮想現実(幻想)」のこと。前頭前野が作り上げた。つまり人が「心配」する対象は常に「過去」か「未来」であって、「現在(いまここ)」を心配することゎ不可能。通常は「~なぜやらなかったんだろう」とか「~だったらどうしよう」など過去や未来に目を向けて、それを心配してるわけで、「今に心配しています」ってのは言語矛盾であり、物理的にも不可能。

     しかし人間ってのは前頭前野が発達しちゃった結果、それらの「仮想現実(幻想)」に余計なリアリティを感じちゃって、それがなぜか現在の心身状態に影響してしまいます。おかしな話でしょ。頭の中で勝手に作り上げた世界(幻想)によって、勝手に身体こわしてしまう感じ。


     本当のリアリティってのは、「現在(いまここ)」にしかないはずなのに。そう言えば先日、こんなことを聞かれました。「(阿部さんの言うように)過去や未来などの『時間』が存在しないってのは、考え方の一つなんでしょ。前世や守護霊がいるとか言うのと同じように」、と。

     言わんとしてることは「いまここ」は単なる方便に過ぎないんじゃないの?ってことでしょうか。しかし、その質問に対しては、はっきりと「NO」と言えます。逆に「過去や未来などの『時間』が存在するってのは、考え方の一つなんでしょ」ならばわかります。それは「YES」です。「時間」の本質は「記憶」ですから。

     でも、「いまここ」ってのは考え方や解釈を超越した、唯一のリアリティです。例えば赤ちゃんはそのリアリティにだけ生きていますし、前頭前野が発達していない人間以外の動物も同様。ある意味、人間(の大人)だけがそのリアリティから目をそむけ、24時間の大半を「時間」という「仮想現実」の中に生きているわけです。不思議な生き物なんですが、だからこそ今こうやってインターネットに接続できている。つまり文明や文化を発達させてきたわけです。その意味では「前頭前野バンザイ!」なのです。

     ただ、そうやって24時間を「時間」の中で生活し、様々なプログラムを発動させっぱなしだとどうなるか。パソコンならばハードが熱くなって寿命が縮むし、プログラムが次々と立ち上がったら、そのうちパンクして固まってしまいます。人間で言うと「うつ」なんかがそうでしょうか。脳(前頭前野)を使いすぎて、パニックになってフリーズする状態。そこでパソコンならば「ctrl」+「Alt」+「Del」を同時に押して再起動させますよね。

    この「再起動」に相当するのが「いまここ」に立ち戻るってことであり、その方法論の一つとして「瞑想」があったり、私ならば「滝行」とか「旅」とかがあったりするんです。先月のQ州ツアーなんてのは、まさに再起動でした。

     今日の「いまここ塾」に来られていた方からも終了後に言われましたが、「最近、(Qさんの)ブログの雰囲気が変わってきましたよね」って。その辺のことは2~3日前に書いたばかり。すぐに「批判」する癖やめましたってね。あれも実はプログラムの一つであって、自分と意見が違ってたりすると、すぐに「それはおかしい!」って言っちゃうんです。自動的に。人間なんだから違って当然じゃんってことにならず、自分の正しさを主張して、自分を優位に持っていこうとする。でも、そんなことして何も得しないじゃん・・・ってのが、最近の気づきであり、パワースポットを一気に巡ったことでの「再起動」だったのでしょうか。

     それはともかくとして、やっぱり「再起動」なんですよね。そう考えると、阿部さんの講演会があれほど人気なのもうなづけます。例えば「お金儲けセミナー」なんかとは違って、特別に何か生み出すものでもない話でしょ。「いまここ」ってのは。なに一つ「特別」な話もなく、当たり前のことをただ言葉にしているだけ。もっとも、それが逆に「特別」だと感じる人がいるのも現代的な風潮なのかもしれませんが。

     それはともかく、ある種、当たり前の話をただ聞くだけ。そこで起っていることはもしかしたら「再起動」なのかもしれません。もう、次々とプログラムを立ち上げてアッツアツになってるハードをリセットしたい。人間で言うと、様々な思考や無意識のパターンでグッチャグチャになってる意識・無意識を一度元に戻したい。そのようなニーズが阿部さんの講演やブログに集まっているのかもしれません。そして「再起動」のための日常的な方法論として「瞑想」がある。なるほどね。
     
     でもそう考えると「瞑想する人は仕事がデキル!」みたいなビジネス書のタイトルチックな話も納得できますよね。パソコン立ち上げっぱなしだと、どう考えても、効率悪いですもん。ハードは熱くなって壊れそうになるし。そこで「瞑想」の習慣をつけることで、パソコンの電源を切って頭を休めて、それから改めて起動させた方がパソコンの寿命も延びるしフリーズすることも少なくなる。仕事できて当然。

     その意味では私にとって、定期的な「滝行」が効果的なのかもしれません。ただ、私の場合は車で15分のところに滝場があるのでいいのですが、普通はそんな環境にもないので、やっぱり「瞑想」がいいのでしょうね。前置きが長くなりましたが、今日もいろいろと気づきのある2時間半でした。以上。すいません、前置きが長くなりすぎたので、その「気づき」については、明日以降に書きたいと思います。あ、そうそう。11日22:30より「第九回宇宙となかよしUSTセミナー」やります。テーマは「ハイヤーセルフ」で。ありがとうございました。 


     最近、やけに目覚めがいいね~とツレからも言われます。朝起きたらすぐにヘミシンクを聞くようにしてるからかもしれません。ヘミシンクってのは、とかく体外離脱だとかガイドだとか言われますが、実際聞いてみて、かなり「論理的」な作りがなされてるな~と感じています。

     まずその「音」については、説明される通り、左右で異なる周波数の音を流すことで、その「差」によって脳波をα波、θ派、δ派へと導くもの。これは体感でもそうですが、脳波を測定する機会で客観的に認められているようです。そしてもう一つは「誘導」です。音楽だけのヘミシンクもあるようですが、私が持っているのはナレーション付き。そしてそのナレーションを聞いていると、確かにトランス(変性意識)に入りやすい。そしてよくよく聞いてみると、「おっと!ミルトンモデルでた!」って感じなのです。

     NLPでは「ミルトンモデル」と言って、ミルトン・エリクソンの言語パターンをモデリングするのですが、その言語パターンは極めて「変性意識」をもたらしやすいもの。例えば、「目を瞑って、そして耳を澄ませていると、だんだんとリラックスしていき、意識ははっきりしながら身体は眠っていることに気が付くでしょう」などのパターン。あえて説明はしませんが、この文章だけでもかなりミルトンモデルが用いられています。「そして」とか「ながら」とかの接続詞(リンキング)を巧みに用いるのはエリクソン催眠の基礎の基礎。


    「おっと!ミルトンモデルだ!」と気が付いた時には、私自身がすでにトランスに入っていますので、あまり明確なことは言えませんが、逆から見ると、トランスに入りやすい言語パターンってのは、まず例外なくミルトンモデルが用いられてますので、実はヘミシンクとNLPも極めて親和性が高いってことになります。

     今のところ私が感じているのは、「ヘミシンク=一人でできるヒプノセラピー」ってとこでしょうか。そう言う意味においては、ヒプノセラピー一回の値段でヘミシンクCDは何枚も買えますし、しかも何度も使えるのでかなりお得かもしれません。となると、セラピストの方から怒られちゃいそうですが。

     なので、ヒプノセラピーが過去世を見られるのであれば、ヘミシンクも見ることができて当然なのです(←この文章もミルトンモデル入ってます)。しかもヘミシンクには「音」がありますから、なおさらトランスに入りやすい。しかも何度も使える。セラピストとのラポールも考える必要なし。セラピストの皆さん、ごめんなさい!!

     でも確かに、こんな安い値段で良質なヒプノセラピーを何度も受けられるのですから、どう考えてもお得。う~ん、、、いいのかな、こんなに安くて。私など初日にCD一枚聞いただけで、すでに元取っちゃいましたものね。

    とにかく「○×計画」にせよヘミシンクにせよ、10月から開始したことが確実にヒットしてますもん。ヘミシンクについてはど素人の私が言うのもなんですが、あまりハイヤーセルフとかガイドとか過去世とか体外離脱とかにとらわれずに、つまり力を抜いてリラックスして聴くのが一番効果的だと思います。それは瞑想でも同じ。なぜ瞑想を始めるのですか。その質問に答えるのは難しいでしょ。本音をズバリ言うと、「特別な存在になりたいから」、、、ではないですか?

     瞑想して何か奥深い神秘的な世界を覗いて、、、人生大逆転~!てなことを期待してはいませんか? その段階があることを否定はしませんが、そうである以上、おそらく永遠に「瞑想」の素晴らしさには気がつけないと思っています。

     私の言う「リラックス」とは「自我(意識)」はもちろんのこと「潜在意識」の働きさえもリセットする状態。もっと厳密に言うと「意識」-「潜在意識」-「超意識」が一本の軸で調和・振動している状態。もしここで「意識」が「~になりたい」などと想念をふくらませば、軸がぶれてしまいます。そうなると「潜在意識」までもが何らかのプログラムを発動させて、ますますぶれが激しくなってしまいます。


    ですのでまずは「自我(意識)」を静かに落ち着かせて、ただあるがままに「自分」を見るだけ。それ以上でも以下でもないんです。するとどんなことが起こってくるか。まず「身体」が何らかの反応を起こします。と言うか、「身体」の反応に気が付きます。すると次の瞬間、突然、あるビジョンが見えたり音や声が聞こえるようになります。

     瞑想(私の場合は滝行やヘミシンクですが)が進むと、本当に無意識的に「身体」のどこかが反応するのです。そこから突然のビジョンにつながります。この一週間、その辺のことをつぶさに観察していたのですが、なるほどとひらめきました。

     今まで何度も「潜在意識=身体」と言ってきましたが、瞑想状態に入ることで、身体反応を通して「潜在意識」の声に耳を傾けることができる。普段は「自我(意識)」の働きでそのことに気が付きませんが、自我の声を抑えることで、身体(潜在意識)の声が聞こえるようになる。

     そもそも「潜在意識」とは超高性能ハードディスクのようなもので、生まれてからこれまでのありとあらゆる体験・経験が「感覚(感情)」の回路からデータベース化されています。そこで例えばこんな質問をしてみるんです。「どうすれば~に出会えますか?」とか「~を成功させるにはどうすればいいですか?」とか、さらには「私の過去世に出会いたいと思います」とかね。



    ただし、一度質問したら、そのことをしばらく忘れる。再びただあるがままの「自分」に目を向けていると、突然、身体が反応してビジョンや声が出てくるのです。それが先ほどの「答え」となります。「ヘミシンク」の場合はその質問をナレーションがやってくれるので、自分の自我を動員せずとも、自然と身体反応が起こり、ビジョンが見えやすくなる。ゆえにこそ「ヘミシンク=ヒプノセラピー」って見解が成り立つわけです。

     実は「潜在意識」ってのは寂しがり屋なところがあって、その「反応」に気づいてあげるだけで、大人しくなることがあります。例えば願望を実現する上で、ブレーキとなっているのが「潜在意識」ですが、瞑想状態に入ることで、潜在意識の声(つまり身体反応)に耳を傾け、時には「ありがとう」と感謝することで、ブレーキが解除されるのです。何度も言いますが、これはホオポノポノ効果と同じです。
     
     まとめに入りますと、瞑想(状態)とは「自我(意識)」の声をまずは鎮めることで、「身体(潜在意識)」の声に敏感になること。すると声を聞いてくれた潜在意識さんは、そこでブレーキ解除(クレンジング・クリーニング)が働き、「超意識(ハイヤーセルフ)」の声がどんどん聞こえてくるのです。そのプロセスにおいて過去や過去世が見えることがありますが、見えたら見えたで、ただ「ありがとう」と感謝する。

     ですので、何度も言いますが、逆説的ながら「瞑想」をする時は「願望実現」や「過去世リーディング」や「ハイヤーセルフとつながる」などの「意識」を捨てることが大切。ただ、ビジョンを見えやすくするために「質問」という形を一度は取ってみることは必要でしょう。その辺もやっぱり訓練になるのかな。慣れれば簡単なんですけどね。

    一つは、やっぱり「目に見えない世界」はあるってこと。すべては人々の「内的世界」の反映であって、神も仏も霊も魂も、、、すべては「心」が作り出したって必死で思おうとしてたのが、ここんとずっと。知らず知らずのうちに苫米地英人さんの影響を受けてたのでしょうか。そしていつの間にかお釈迦様の時代の原始仏教こそが「仏教」であると信じ込むようになっていたり。つまりすべては「空(くう)」だって考え方ですね。

     もちろん「色即是空空即是色」は真理だと思いながらも、この8月に一つの疑問が出てきました。お釈迦様は確かに「色即是空空即是色」のようなことを言ったかもしれませんが、それを言うからには、その真理のさらに「メタ」なレベルがあって然るべき。となると、その「メタ」こそが「神」と呼べるものではないのか。お釈迦様は「アプリオリ(最初からあること)」を否定し、もちろんアートマンもブラフマンも「ない」という前提で原始仏教が成立したわけです。

     ただ、そのような原始仏教はまずインドで廃れ、他のアジア諸国にはかなりアレンジされた形で広がって行きました。そして日本の仏教の多くは、なぜか「霊」も「魂」も「輪廻転生」も存在する上で成り立っていますが、それ自体、お釈迦様が聞いたらびっくりなこと。しかし、現代のスピリチュアリズムを引き合いに出すまでもなく、「魂」はいつの間にか存在するってことが、多くの人に浸透した価値観になっているように思うのです。


    実際、お釈迦様以前のバラモン・ヒンズー教では「魂」なるものの存在は認めていたし、お釈迦様以降のインドの聖者も認めるようになっています。結局のところ、誰が正しくて、誰が間違ってるってことではなく、同じ「真理」をそれぞれ別の角度から見ていると考えた方がよさそうって結論になっています。私の中では。

     話がややこしくなりそうなので、簡単に言いますと、もしかしたらやっぱり人々の「内的世界」を超越したアプリオリな存在ってあるのでは、、、と思うようになっているのです。話難しいですかね。つまりは私たち人間の理性も感性も超越した、まさに「神」と呼べるような存在が存在するのでは。それを私は「宇宙」と呼んでいる。そんな考え方が支配的になってきているわけですね。

     それもこれも、やっぱりあの「秋元神社」での体験が強烈に残っていて、あの訪問からちょうど30日目に「伊勢神宮」に行くようになるのも、単なる偶然では済まされない何かがある。10月18日の「伊勢神宮」もまた、私にとって強烈な体験になるような予感がしています。今のところ参加希望者が6名。何かが起こりそうだ。

     話をさらに戻しますね。こないだのQ州ツアーでもう一つ、私にとってめちゃくちゃ重要なメッセージを頂いたのです。それは「批判をしてはならない」ってこと。このブログに親しんで頂いてる方はご存知かもしれませんが、私ってどちらかと言うと「批判的」な側面があるんですよね。もちろん「批判」自体が悪いわけでもなく、実際、「批判」が世の中の文明を進化させてきた側面は確かにあります。

     ただ、「批判」にも建設的なものとそうでないものはあると思うんです。例えば「旧体制」を批判するなどは、時として建設的な場合が多いと言えるでしょうが、批判しても何も生み出さないものってあるでしょ。特に本人のいない場所での批判とか匿名での批判とか。

     その点に関して言うと、私がブログ等で主な批判の対象としていたのが、いわゆる「スピリチュアル・ヲタク」って人たち。満月に通帳ひらひらとか、自分も昔はやってたくせに、完全に揶揄の対象になってるわけですもんね。天使が、守護霊が、前世が、、、と言う人たちも同様。

     ただ、そのようなことも含めて、よくよく考えると、「批判」してもちっともいいことないじゃん、、、って当たり前のことに気が付いたんですよね。そうなると、何だか「批判」や「悪口」を聞くのがきつくってね。自分で言うだけ言って申し訳ないんですが。そして、Q州ツアーの移動中に、助手席に座っていたMaoさんにも誓ったんです。もう批判や悪口を言うのはやめにしよう、、、って。

     するとMaoさんは優しいので、「その批判的なところもQさんの魅力だと思いますよ・・」って言って頂けるんですね。確かに時には「辛口」の記事を書いて、一部には「そうだ!そうだ!」と共感されることもあるでしょうが、その一方で傷ついてる人もいるんじゃないかと。それ思うとなんだか居た堪れなくなりましてねえ。

     自分が批判されたらやっぱり嫌な気分になるし、さらに身内のことを悪く言われたりしたらもっと嫌な気持ちになりますもんね。そんなことを深く考えるようになって、Q州ツアーから帰ってから、もうなるべく批判はするまい!と心に決めたんです。まずは素直に何事も。だからMaoさんおススメのヘミシンクなど聞いて、ものすごい気づきがあったわけですし。

     そして一つでも二つでも人の役に立とうと考えて、例えば10月から「○×計画」など呼びかけたりもして。これやると確実に流れが変わるの知ってますんで、一人でも多くの人にそのきっかけを持って頂きたいと。そしてまだまだいろいろ思うことはあるのですが、もう私は批判的なことは少なくとも書いたり話たりしない。そう決めて過ごしてるんです。今。ほんとに。

     そのおかげかどうかわかりませんが、10月に入っていいことばかり。セミナーのお申込みは増えるし、思わぬ仕事を頂いたりもして。それからこれは今日の話で、実際どうなるかわからないのですが、あるメジャーな女性誌から取材の依頼を頂いたんです。ただ、そのテーマってのが、私がとかく「批判」してきたようなこと。最初そのメールを見て断ろうかと思ったのですが、いや、まてよ、、、と思ったのです。

     これはまさにシンクロニシティではないかと。もちろん自分にウソをつくことはしませんが、私の考え方をしっかりと受け止めて頂けるのであれば喜んで協力させて頂きたいと返事を書きました。もしも私がこの取材を受けることによって、その誌面を読まれた方が一人でも多くハッピーな気分になって頂ければ、そんな嬉しいことはありませんもの。まだどうなるかわかりませんけどね。

     ちなみに今日、ミクシィでこんな文章をつぶやきました。

    実はもう何かを批判するのはやめたのです。批判して得られるものは批判好きな人からの共感くらい。あまり得することないな~ってことで、あえてやめてみたらイイことが次々引き寄せられてます。

     すると反応がものすごく多かったのです。「オマエもようやくわかったか!」ってことではなく、「そうだな、自分も批判とかするのやめよう」って共感してくれたんだと思います。それによって少しでも批判の総量が減って、幸せな気分になる人が増えれば、私の何気ないつぶやきもよかった!ってことになりますよね。

     もちろんまだまだ未熟な私ですから、何かにつけて批判的な気持ちなったり、悪口を言いたくなったりする時もあるのですが、そんな時こそ「ごめんなさい、ありがとう」って気持ちを切り替えたいな~と思うのです。すぐには変われないかもしれませんが、少しずつ変わっていきたい。今、素直な気持ちでそう思っています。

     ついでに言うと、批判や悪口ってのは、ハイヤーセルフ(超意識)へのパイプを最も詰まらせる原因だと思うのです。「ハイヤーセルフにつながる方法を教えてください」って言われたら、まずは「リラックス」って答えると思うのですが、それ以前に「人は自分のことを悪く言うのはやめましょう」って答えるべきでしょうね。


    人はほめられたがっている。これ自体は当たり前のことですが、実は芸術作品など人以外のものもほめられたがっていて、そしてその「称賛」が多ければ多いほどパワーも大きくなると言う話です。

     これはもちろん「卵か鶏か」の話的に、優れているからほめられる、ほめられるから優れているで言えば、やっぱり最初に「優れている」がありきだとは思います。ただ、今の技術では、例えばピカソの絵画なども表面の凹凸も含めて、ほぼ完ぺきに複製できるそうなんだけど、やっぱり「本物」にはかなわない。モーツァルトの音楽にしても、世界中の音楽学者が総動員して、モーツァルトらしい音楽を作ることは可能でしょう。でも、本物のモーツァルトにはかなわない。

     これはもちろん「人間」も同じことでしょう。なぜ芸能人は人気があるのか。それもまた元々の資質に加えて、人々からの「称賛」が集まったからではないかと。逆に何かしでかしたりして評価が下がると、一気に人気は下落しますからね。そもそもAKB45なども、そこそこの女の子を集めて、プロデューサーが戦略的に「称賛」したから売れているようなもので、元々の資質となると、その女の子たちじゃダメだって理由は乏しいのかもしれません。

     ま、芸能人は特別としても、例えば我が子をパワフルにしたければ、徹底的に褒めまくるってのはいいと思います。小さい頃から褒められて育つと、セルフイメージの高い大人になりますもんね。私の知人にこんな人がいました。小学生の頃、絵を描く宿題が課されて、普通に画用紙に書いたところ、親からダメ出し。「オマエはそんな小さな枠にハマった人間じゃない」と言われ、ふすま一枚に描かされ学校に提出したのだと。その人は女性ですが、それはもう、セルフイメージの高い方です(←この話はその方の講演などで知ってる読者さんもいると思いますが)。

     それもまた極端な話かもしれませんが、我が子の能力を認めて、とことん褒めあげるのは、その逆をするよりも遥かにいい結果を生みだすことは間違いないです。これをいつも援用するニューロ・ロジカル・レベルで説明するとこうなります。

     この「称賛」(又は「非難・誹謗・中傷」など)のエネルギーがチャージされてる部分が「信念・価値観」のレベルです。親や周囲からの「言葉」がこのレベルに見事にチャージされて、それがセルフイメージを構築していきます。これもまたプラスマイナスで計れるかもしれませんが、「称賛」のチャージがプラスの人は、比較的セルフイメージが高く、現実もそのように反映されます。つまり「信念・価値観」以下の「能力」「行動」「環境」もプラスに傾くって理屈です。

     ですので、人から褒められまくっている人は、それだけ能力も高まり、それだけの行動をし、それにふさわしい環境に置かれるわけです。そしてこれは逆もまたしかりで、人はなぜ能力を高めようとするのか、なぜ良い行動をすべきだと思うのか、そしてなぜよい環境を誇示しようとするのか。それはほとんどが「人から褒められたいため」だったりします。

     車やブランド品を見せびらかしたがるのは、人から称賛を浴びたいため(環境レベル)。成果を出すために一生懸命仕事をするのも、人から称賛を浴びたいため(行動レベル)。資格をたくさん取ったりして、少しでも自分の能力を高めようとするのも、人から称賛を浴びたいため(環境レベル)。

     実は給料を上げたいとか、いい暮らしをしたいとか、社会的地位を上げたとかってのも、そもそもの欲求レベルに還元して見ると、そのほとんどが「称賛」を得んがためってことに気づかされます。先日の「いまここ塾」でも似たような話が出てきました。人は「自己重要感」を求めて生きているって話。上司が部下に対して異常なまでの怒り方をするのは、たいてい自分が軽く見られた時だったりする。中でも一番腹を立たせる原因が「無関心」でしょう。「無関心」を示すのに最もよい方法は、その人に対して「無表情」で接すること。すると何もしなくても嫌われますから。もしも、会社などであまり好きでない異性から言い寄られてる場合、その人に対してとことん無表情を貫けば、勝手に嫌ってくれるでしょう

    人生を逆転させる方法を3つ示したいと思います。一つ目が今言った「能力-行動-環境」を高めること。頑張ること。でも、それって何かが空しい。そこで二つ目はいきなり「信念・価値観」を高めること。今日の話に即して言えば、人からの「称賛」をたくさん浴びること。しかし、人の心を動かすことは難しいので、待ってても誰も「称賛」してくれません。

    人から「称賛」されるのに、最もいい方法があります。それは「自分から人を称賛すること」です。例えばそれは「笑顔」でもいいでしょう。前も書いたと思いますが「笑顔」の反対は「無表情」ですので、相手に「笑顔」を見せるだけで、その人の心にパワーがチャージされます。

     お笑い芸人っていいな~と思うのが、仕事をすればするほど「笑顔」がもらえるから。もちろんスベリ芸人もいますが、10人のうち一人でも「笑顔」を見せてくれたら、それだけでやめられない仕事なのかもしれません。吉本の「リットン調査団」なんかは、キャリアはダウンタウンと同じくらいなのに、まだやってます。めちゃくちゃなスベリ芸人にもかかわらず。彼らなどは、やっぱり心から「お笑い」が好きなんでしょうね。

     それはともかく「笑顔」です。私もセミナーや講演をやっていると、「笑顔」で聞いてくれる人の方ばかり見てしまいますもんね。だってその方がパワフルになれるから。なので、普段から「笑顔」でいると、それだけで相手を「称賛」していることになります。

     するとどうなるか。「与えたものは返ってくるの法則(返報性の原理)」により、「笑顔」は自分に返ってきます。つまり「称賛」が自分に返ってきて、それが「信念・価値観」のレベルにチャージされるんです。ですので、その逆をやってもしかり。相手を批判したり誹謗中傷したりすると、見事に自分に返ってきて、セルフイメージまでもがどんどん下がってしまいます。
     
     実際どうでしょう。ランチタイムでちょっと食事に誘いたい人って、やっぱり「笑顔」の人じゃないですかね。無表情の人と飯食っても美味くないですもん。「オマエも来いや~、オマエがおらなおもんないやん!」って言われる人は、たいてい笑顔がデフォルトだし、話してても嫌なこと言いませんもんね。

     なので、この理論で言うとこうなります。


    「笑顔」=「称賛」
     ↓
    自分にも「称賛」が返ってくる
     ↓
    「信念・価値観」にエネルギーチャージ
     ↓
    「能力-行動-環境」が高まりお金持ち!

     最後は「お金持ち」で着地してますが、ま、わかりやすいからこう書いてるだけで、さらに極論すれば「笑顔は売れる」って理論も成り立つわけです。ですので、もしお金に困っている人がいれば、今からすぐに笑顔!笑顔!笑顔!ですよ!!!!

     こう書くと中には「私は笑顔だけどお金がありません」なんて言う人も出てくる。だとすれば、その人は「笑顔」と同じくらい、人をけなしたり、不平不満言ってる可能性はありますね。私の感じるところ、そのエネルギー力ってのは「称賛=非難」ではなく、完全に「称賛<非難」になってるようですから。

     つまり極端な話、人を一回だけ「称賛」したところで、一回でも「非難」することがあれば、それでぶち壊し。おそらくは10回の「称賛」と一回の「非難」がエネルギー等価のような感じがします。なので私の場合で言えば、10月から「批判」するのやめたって言いましたが、それから本当にイイコトばかりありますもんね。本当に。

     とにかく「笑顔」も大切ですが、その基本は相手を「称賛」することであり「自己重要度」を高めてあげること。それだけで相手は幸せになれますし、自分も幸せになります。間違いなく。

     それから人生を逆転させる3つ目の方法ですが、それは「信念・価値観」のレベルを突き抜けて、「アイデンティティ(自己認識)」や「本当の自分」で生きること。そうなると人から褒められようがけなされようがビクともしなくなる。すでにハッピーなんですが何か?って状況でしょうか。

     この3つ目については、かなり深い話になるのでまた後日にしますが、今日のテーマとしては、まずは相手を「称賛」しましょうってことですね。「承認」でも同じこと。褒めるだけでなく、認めてあげること。ただ黙って話を聞いてあげるだけでも、相手はハッピーになりますから。すると自分もハッピーに。簡単な理屈ですよね。

     資料にも書いたのですが、実は「悟り」には2種類あって、一つが「無意識」での悟りであるのに対し、もう一つが「超意識」での悟りです。「無意識」での悟りについては、私たちはまず例外なく誰もが体験しています。生まれた瞬間から一定年齢まではその悟りの境地にいるからです。ちびQなどを見ていても、最近は徐々に「悟り」から遠ざかってきたように思いますが、大人に比べるとまだまだ悟っています。

     しかし彼らがいわゆるお釈迦様などが言う「悟り」と違う点が、まさに「自分で悟っていることに気が付いていない」ことにあるのです。つまり私たちが目指すところの「超意識」での悟りとは、そのような「メタ」に地点から見た「悟り」のことを言うわけです。それが以下の図です。

    実はさらに続きがあります。三番目の図を見ると、「無意識-意識」にボックスがあるは言った通りですが、それを見ている「超意識」をまた「点線(ボックス)」が取り囲んでいますよね。そしてそれを見ている「あなた」がいます。今まさにこの瞬間。パソコンのディスプレイで「宇宙となかよし」のこの記事のこの図を見ている「あなた」がいますよね。

     その「あなた」はこの図の中の「超意識」よりもさらに「メタ」の地点に立っていることがおわかりでしょうか。そしてさらに「あなた」を外から見ている「メタ」の視点も存在しています。それがあなたの「超意識(ハイヤーセルフ)」です。そう、「あなた」がこの図を見ているように、あなたのハイヤーセルフも常に「あなた」を見ているのです。エロサイト見てるあなたのこともちゃんと見てるのです。


    私は「瞑想」のそれ自体を習ったりしたことはありませんが、滝行や禅によって、「瞑想」の体験は常にしていますし、その効果も常に実感しています。そしてNLPと「瞑想」もまた非常に親和性があることも知っています。だから今回のセミナーができるわけですが、今日、資料を作っていたら、一日でやる質量ではないことに気が付きました。セミナーの前半ではぐっちゃぐちゃに「潜在意識」を体験してもらうのですが、後半にようやく「超意識」が登場し、「瞑想」的な効果を生むワークも用意しています。

     きちんと着地できるかどうかは神のみぞ知るですが、とにかく貴重な一日が参加者の皆さんの人生の転換点になるよう、神にお任せしたいと思っています。てなわけで、時間がないのにいろいろ書いちゃいましたが、そろそろ資料の続きを作成して、印刷に入りたいと思います。セミナーはまだ受付けています。ありがとうございました。


    落としどころは「超意識(ハイヤーセルフ)」の声を聞くってところなんですが、これは意図的に「瞑想」の状態を作り出すことが必要。いわば「瞑想のモデリング」です。しかし、実際に「瞑想」の状態になるには、セミナーの8時間をすべて「瞑想」に費やしてもとても至りません。そこでこのように質問しました。


    「超意識さん、超意識さん、週末のセミナーで最後に「瞑想状態」を生みだすワークを考えているのですが、どうすれば簡単にその状態を作り出すことができるでしょうか?」


    と。しばらくしてNLPのやや専門的な本をぱらぱら見ていると、書いてありました。それは「周辺視野を使う」「外部音に焦点を当てる」「心理的にリラックスしている」の3つです。これを見た瞬間、「ピン!」ときて、そこから最後のワークを作りだしました。それで最後の2ページが完成し、ようやく資料の印刷となったのです。

     この3つはまさに「瞑想」のモデリングそのもの。どんなに「瞑想」をしてもその境地に至らない人は、すべて逆のことをしています。つまり「中心視野を使っている」「内的対話に耳を傾ける」「心理的に緊張している」です。この状態から解放されるのが「瞑想」であるにも関わらず、「瞑想」のポーズを取った瞬間、これら(中心視野、内的対話、緊張)へのアンカーが発火して、どうあっても至れない。

     だったら最初から「周辺視野」「外部音」「リラックス」を心がけて「瞑想」すれば、かなりショートカットして状態に至れるわけです。ちなみ「周辺視野」を使うとあるものが見えてきます。そう、オーラですね。これは私が2004年に福岡のジュンク堂で突然オーラが見えだして、そのメカニズムを解明したものですが。

     で、何を言いたいかと言うと、「ブログ」も同じってこと。「周辺視野・外部音・リラックス」の状態でブログを書いていると、それまで見えなかった小さな奇跡がどんどん見えてくるのです。一方でブログを書くのが苦痛になる人はこの逆をやっています。

     つまり「中心視野→奇跡(願望)に執着し過ぎ」「内的対話→ネガティブな反応に支配され過ぎ」「緊張→ブログに力が入り過ぎ」ってこと。ちなみに私がブログを書く時は、まさに「周辺視野→とらわれない」「外部音→ありのまま」「リラックス→力が抜ける」の状態になっています。だからこそどんなに長い文章を毎日書いても嫌にならないし、それどころかネタがどんどん見つかるんですね。

    「Qさんにとっての『悟り』とは加賀田先生に会うことですよね!」



    それを聞いて正直思いました。



    「え!!何!それが悟り?そんなもんなの、オレの悟りって?」



    もちろんその男性に悪気があって言ったわけではありません。私がどれほどに加賀田氏のことをリスペクトし、邂逅することを何よりも望んでいたことをよく知っての言葉でした。


    しかし、加賀田氏がいかにスポット営業の世界で伝説的な人物であろうと、一人の人間であり、一個人です。


    そんな一個人に会うことが「35歳8カ月を迎えた一生に一回の悟り」とは、決して思いたくありません。


    その瞬間、「別にどうでもええやん」って気持ちが芽生えたのです。


    つまり、会おうが会うまいが、そんなことは私の人生の重要な部分に何の関係もない、と思ったのです。





    その直後のこと。加賀田氏をマネージメントする会社から連絡が入ったのは。


    つまりこれも「願望実現」のセオリーそのままで、



    「願いは手放した時に実現する」



    のです。




    その意味において、あのような発言をしてくれた若い男性には感謝です。


    ただ、その後、その男性はご自身のブログに「Qさんと加賀田先生のキューピットとなったのはボクだ」みたいなことを書いて調子に乗られてましたけど。





    それはともかく、「願望実現」の秘訣はこれ。


    まずは強く強く念じて、とことんまで執着すること。やれる限りのことをやる。


    そしてすっかり忘れる。




    島田紳助氏はこうも言っています。



    「夢を叶える最大の方法は、強く強く念じ、強く強くイメージする事 そして酒を飲み語ること」




    とにかく秘訣は力を抜くことなんですね。

    10年ほど前にアルバイトで塾講師をしてた時のこと。同い年で同じアルバイトで社会を教えている男性がいました。年も境遇も似ているところから、彼とは妙にウマが合い、授業が終わるとよく飲みに行ってました。


    ただ、その彼は、言っては失礼ですがすごく不思議なところがありました。


    それは何かと言うと、まったくかっこよくないのに、女性からめちゃくちゃモテるのです。ルックスを10段階で表すと、おそらく彼は2~3くらいではないかと。もちろん10がイケメンで。


    目は細くて小太りで、髪は長くてそれが不潔感があって。


    にも関わらず、彼のモテ方は異常でした。まず、女子高生の彼女がいて、同時に40代の独身女性とも付き合って。さらに、教えている塾の女の子からも、本気で告白されたりして。それも知る限り4~5人から。


    そのうちの一人からの告白は携帯の留守電にも残されており、私も聞いてしまいました。ついで言うと、彼は女子高生彼女とのセ〇〇スを写メに撮って、それを飲み屋の席で見せびらかすような下品な男でした。


    その中学生の女の子からの告白を聞くと、「合格したら、、、〇〇をもらってください」などと、ものすごくキワドイメッセージ。〇〇はご想像ください。


    その女の子は塾で1,2を争うほどの優等生で真面目。どこのエロゲーかよ!と思う世界が彼の日常にありました。



    彼はいったいどんな催眠術を使っているのか、またはクスリでも飲ませてるんじゃないかと。だって、ルックスは下の下だし、金があるわけでもない。この男にどこにそんな魅力があるのか。とにかく謎でした。


    しかし、ある時、、、と言うか、年数を経てからわかったことがあります。


    彼はとことんまでに、徹底した「共感」の人間だったのです。


    私に対してもそうでしたが、まず相手を否定することもなければ、自分の意見を押し付けることもない。相手の話を徹底的に聞いて、ただ、うなずくだけ。


    だからと言って主張がないわけでもなく、言うべきことはきちんと言うバランスの良さも持ち合わせていました。



    飲み屋に行っても、他のお客さんの話を徹底的に聞く。それも自然な雰囲気で。


    そう言えば私も彼が「下品な男」であることを知りながらも、仲良くしてたではないですか。つまり同性ながら、彼の魅力に捕まえられていたのです。



    男ってのは(女もそうかもしれませんが)、とにかく自分のいいところを誇示しようとしますよね。でも、相手はそんなこと何も望んでいない。中途半端な自慢話など聞きたくない。


    それよりも自分の話をただ、ただ聴いて欲しい。何も言わずに聴いて欲しい。それを心から望んでいるのです。


    それは女性だけでなく、男性だってそうでしょ。


    特別美味しくもないビールがコップ一杯1,000円もする店に、なぜか何度も通ってしまう。要するに自分の話を聴いて欲しいだけ。何も言わずに聴いて欲しい。


    結局、相手の話を聴ける人間が、相手の心を鷲掴みにする。それは営業でも恋愛でも同じこと。



    ただ聴くだけ。これは相手の心を打ち砕くための、何とも悪魔的な秘術なのかもしれません。



    NLP(神経言語プログラム)のスキル一つに「アンカリング」なるものがあります。NLPの代表的スキルと言えますが、実際、日本NLPの大御所である北岡泰典氏もNLPは「アンカリングに始まりアンカリングに終わる」と言われています。私もそう考えています。



    NLPでいう「アンカリング」の手法としては、オーソドックスには以下のような手順を取ります。



    1.何かリソースフルな状況を一つ選ぶ

    2.その状況を五感(VAK)でありありとイメージングする

    3.十分にその状況になりきることができた時、身体に特定の刺激を与える→アンカリング

      (耳たぶをつねる、親指と中指で輪をつくる、など)

    4.アンカリングをしながら、リソースフルな状況をありありと体感する

    5.アンカリングをほどき、ブレークステートする

      (体感を解除するために別のことを考えるなど)

    6.再びアンカリングをして、リソースフルな状況が蘇るかチェックする

    7.蘇ってきたらアンカリング成功




    アンカリングは他にも多くのバリエーションがありますが、ようするに特定の「刺激」と特定の「反応」を結び付け、「パブロフの犬」の状態を作ること。実際にやってみると意外と簡単なことがわかるでしょう。



    ただ、上のワークでは意図的に「アンカリング」をしましたが、もっと重要なことは、私たちは生まれてから知らず知らずのうちに「アンカリング」がされている事実に気が付くことです。



    例えば道を歩いていると、ふと昔付き合っていた彼女がつけていた香水に香りを感じ、即座に付き合っていた当時のことを思い出されたり。その当時によく聞いていた音楽が突然なりだした時も当時のことをすぐに思い出すことができるでしょう。



    そして、実際はそのようなライトなものから、さらにトラウマと呼ばれるようなヘビーなところまで、私たちは無数のアンカリングに支配されているわけです。その無数のアンカリングのことを、一般に「プログラミング」と呼び、私たちは常にそのプログラムにコントロールされています。



    上手くいくのもプログラム通りだし、その逆もしかり。NLPの目的の一つがまさに「うまくいかないプログラム」を「うまくいくプログラム」へと書き換えること。例えば「人前であがる」というプログラムを「人前で堂々としている」というプログラムに書き換えるなど。



    確かにNLPを効果的に用いれば、まさにコンピューターのプログラム

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著者プロフィール

社会派スピリチュアル・ユーチューバー、ブロガー。1973年大阪府出身、福岡県在住。大学卒業後、世界を放浪。帰国後は大学院に進学するもあえなく挫折。27歳で完全ニートとなる。その後、激務と生活の苦しさから4年半で会社員生活にピリオドを打つ。退職する前年、スピリチュアルな目覚めを経験し、ライフワークとなるブログと滝行をスタート。その後、セミナー講師、作家として活躍する。2018年YouTubeチャンネル「宇宙となかよし/Qさん」を開設。瞬く間にスピリチュアル系人気No.1ユーチューバーになり、2020年9月登録者数10万人突破。ときに社会問題を論じながらも、ポジティブで愉快痛快、そして魂を揺さぶるエモーショナルなトークには定評がある。著書に『夢がかなうとき、「なに」が起こっているのか?』『運がいいとき、「なに」が起こっているのか?』『どんよくの法則』『100日の奇跡』(共に小社刊)など多数ある。

「2023年 『運がいいとき、「なに」が起こっているのか?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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