信長 ー近代日本の曙と資本主義の精神ー

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  • ビジネス社
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  • / ISBN・EAN: 9784828415857

感想・レビュー・書評

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  •  織田信長こそが日本に近代資本主義の精神を植え付け、一気に根付かせた画期である、というのが本書の主張。
     さすがにちょっと極端だろう…と思いつつ読み進めていましたが、読み進めると止まらなくなる面白さでした。

     「第1章 「本能寺の変」が近代日本を創った」「第2章 信長なくして、明治維新なし」という章題から、もう大胆きわまりないです。
     が、本能寺の変において信長の近習がその身分の上下を問わず最期まで信長と共に戦って死んだことを指摘し、これが日本の戦国時代の常識から如何にかけ離れていたことであるかを説明されると、次第に著者が強調する信長の特異性が浮かび上がってきます。
     光秀と信長に、それぞれ前近代的な日本らしい集団と、近代資本主義の精神に通じる革新的な意識改革がなされた集団と見立て、本能寺の内外で全く別の価値観に基づく集団が存在していたと喝破する辺りはスリリングでした。
     この辺りは、あるいは著者の真骨頂と言えるかもしれません。いくつもの学問に通じた知の巨人たる著者は、その学問から抽出したエッセンスをモデル化して、構築したモデルを通して各事例の内にある構造を鮮やかに描き出すということを繰り返し書いて来ました。その著者による、モデルを用いた事例分析としての「信長」ですから、面白くて当然と言えます。

     また、他に驚かされたのが著者の文献渉猟の範囲の広さ。
     第1章で、信長が本能寺の変において自分の首級を残さなかったことが、後々まで信長の威光を保つと同時に、光秀に精神的なプレッシャーをかけ続けたと指摘する箇所で、比較としてヒットラーの話を持ち出します。

    《死体の行方不明。
     是れほど、死体が保持するカリスマを高揚することはない。
     ヒットラーは、一九四五年(昭和二十年)、ベルリンの地下壕でピストル自決したことになっているが、ヒットラーは本当に死んだのか。
     となると、まだ、確証は何処にもない。
     是れが間違いなくヒットラーの死体である。
     こう確証される物は、まだ、何処にも存在しないのである。
     だから、色んな風雪も流れる(例。落合信彦著『20世紀最後の真実』)》(58頁)

     まさか知の巨人たる著者の本で、あのノビーの書名が指摘されるなんて!(笑)

     「第3章 桶狭間は奇襲などではない」も面白かったです。藤本正行『信長の戦争』や宮下英樹『センゴク外伝 桶狭間戦記』を読んでいたので、信長が全てを見通していたかのような書きぶりは少し引っかかったものの、上記二冊とも共通する、桶狭間の戦いに関する通念を否定する考え方をこれだけ打ち出していたのにビックリすると同時に、著者の物の見方の鋭さに改めて感服しました。
    (ちなみに本書の初出は1992年)

     本書については、歴史の細かい点についてよりも、モデルを通して巨視的に見たときの信長の卓抜性を楽しむべきでしょう。ダイナミックな歴史解釈を堪能したい方にオススメする一冊です。

  • 桶狭間の戦いで圧倒的大軍の今川軍に劣勢な中なぜ信長軍が勝てたか。信長の情報戦術。

  • 小室直樹の信長論。
    戦国時代の武士は強い武将に着く風見鶏だったが、信長の家臣団は、信長という空気に支配され忠誠を誓った家臣団だった。これは日本軍に繋がる。
    桶狭間は奇襲ではなく、正面切っての強襲であった。奇襲、ミラクルに頼ることがなく、合理的戦争方法に徹した。
    信長は傭兵制度を初めて導入した。
    なるほど。信長は日本資本主義の元祖であったというのが本書の中心の論。小室本はいろいろ読んでますが、本書も論が明快で読み応えあり。

  • 面白かった
    信長がもっと生きていたら
    もっといろいろなことを変えていたのだろうか
    それともすでに才能はさっていたのだろうか

  • 日本史だけで無く世界史からも信長を考察したスケールの大きな本。
    信長が天才かどうかは別にして不退の精神力は尊敬。

  • 後半が面白い。もっと本格的に論じたものが読みたい。口述筆記でざっくり書いたという感じがする。

  • 【紹介】
     信長なくして近代なし。「天下布武」を目指す信長の行動様式には伝統主義のしがらみを刷新し、日本近代化のために目的合理の精神を日本に植え付けようとする世界史上の役割、すなわち世界精神がみられた。古今東西の古典を参照し、比叡山焼き討ち、楽市楽座、桶狭間の戦い、兵農分離、本能寺の変を、小室氏独自の社会学的視点から読み直すことで、読者は全く新しい信長解釈に瞠目させられるだろう。
     

    【評価】
     レビュワーは歴史に詳しくもなく、信長についても恥ずかしながら一般的知識しかなく、いやそもそも歴史学という学問自体に明るくない。本書で参照されている徳富蘇峰の『近世日本国民史』、参謀本部編『大日本戦史』や太田牛一の『信長公記』も読んだ事はない。従って本書をその歴史解釈を軸に評価する事は出来ない。ただ、著者小室先生の主張は然もありなんと、大変面白く読む事が出来た。
     本書は歴史上、論争的な問題をも扱っている。例えば、本能寺の変直前の明智光秀が腹心に信長への謀反を打ち明ける会談において。歴史家によって若干の食い違いがある事に触れつつ、歴史的な細目の穿鑿より行動様式の分析こそが大事であるとしているからだ(p82)。従って、本書の視点は歴史を社会学的に再構成されたものとして読まれるべきだろう。他にも、桶狭間の戦いに見る、善照寺から中島砦に向かった信長の常軌を逸した行動が論争的であるという。
     小室先生は織田信長を世界史のなかで位置づけ、近代化をなすべく日本に遣わされた存在と主張する。あくまで大事なのは、信長本人ではなく信長のやろうとしたことであるとの立場から、信長の政策が近代化の端緒を開いたとして高く評価する。歴史家であればいずれの政策も不十分であったと解すであろう兵農分離や楽市楽座などをいかに革新的政策で近代化のために不可欠であったかを分かり易く示している。小室先生独自の解釈を交え、学際的に読み解く姿勢は、学者が陥り易い門閥、学閥の壁を突き破ろうとする生き様にいたく感銘を受ける。
     
    <以下ネタばれ>
     例えば、兵農分離は当時完成しつつあった農民兵と大名との「農民共同体」を壊し、大名や武士のの権力基盤を農民から切り離すのに役立った。これは幕藩体制下でにみられた「お国替え」のように諸大名を官僚化することに繋がり、引いては廃藩置県を比較的スムーズに実行し得る為に不可欠であった。また、この兵農分離によって信長は伝統主義(伝統的共同体)から除かれた無頼漢などから人材抜擢、傭兵部隊を作り上げた。彼ら傭兵はある種、英国の囲い込み政策時における労働者のごとく、近代的なエトスを以て、桶狭間の戦いで活躍した。
     その桶狭間の戦いは、筆者によると通説の「迂回奇襲説」は間違いで、強襲と解釈するべきだという—歴史家や軍人は『信長公記』の突飛で説明の付かない信長の行動についての記述を意図的に論理的に説明出来るように曲げていると主張する。そして、運命を僕にした奇蹟だという。
     桶狭間の戦いは「分捕なすべからず。打捨てになすべし。」(『信長公記』)にみるように、今川義元の頸を取る事だけを目的した戦であり、前近代的な略奪、強奪という「私闘の積み重ね」としての戦闘からの画期的転換であった。「軍に勝ちぬれば、此の場へ乗りたる者は、家の面目、末代の高名たるべし。ただ励むべし」(『信長公記』)を取り上げ、筆者は桶狭間の戦を、戦争における各自の役割を徹頭徹尾重視した近代戦争の萌芽的戦いと解し、信長をナポレオンやモルトケと並べる。
     さらに信長は死の間際まで世界精神としての使命を全うした。本能寺の変は、戦国「武士道」を抽象化、絶対化した。「旧主人に仕えた如き忠義を以て新主人に仕える」を恥としない浮気な行動様式であった戦国「武士道」が絶対的忠誠にまで高められた。社会的階級の違いから来る差別規範を越え—すなわち腹心から馬夫まで—主君のために玉砕する勤王の精神にまで高めた出来事であった。また信長の死に様は信長のカリスマ性をもっとも保存する形の死であり、秀吉に意志を継ぐ世界史上の重要な事件であったとする。

  • 小室氏は昔から織田信長を賞賛していますが、以前1992年に「信長の呪い、かくて近代は生まれた」という本で出版されたものに加筆された本のようです。確か読んだことがあると理解していますが、およそ20年振りに読んだ本ですが、信長が近代日本に導いた素晴らしさがよく解説されていたと思います。

    以下は気になったポイントです。

    ・彼の時代以前において、教義なき仏教や戒律なき仏教を支配していたのは、比叡山の坊主が唱える説であった、中世の日本においてはヨーロッパの中世期におけるカトリックと同じように仏教が国家の代用品であり、全ての節目行事は寺院に届けられて承認された(p7)

    ・平安時代は、貴族専制の門閥主義の上に、政治官職も世襲制、門閥にない人間が立身出世を望むには、出家僧侶という形を取る以外に無かった(p10)

    ・信長の楽市楽座は不徹底であり、市場の自由化を推し進めると同時に、他方で特権的独占資本(朱印状)を作り上げていった(p15)

    ・昭和16年真珠湾攻撃で米太平洋艦隊全滅を聞いたときルーズベルトは真っ青になっていた、同12月10日にチャーチルはプリンス・オブ・ウェールズとレパルスが撃沈されたとき泣いた(p30)

    ・信長が金ヶ崎から逃げて朽木谷の朽木元綱のもとに数騎の供をつれて向ったとき、松永久秀が動いたので、元綱は信長を殺さなかった(p44)

    ・死体の効用は役に立つもので、もし信長の首が明智光秀の手に入っていたら、光秀の勝利は完全なものになっていた(p59)

    ・中国では何十万人でも穴埋めにする、ローマでは奴隷にするが元のまま戦士として使う例は少ない、敵の捕虜をそのまま戦士として使うのが日本的やり方(p78)

    ・信長は信長直属の専門武士を、必要に応じて秀吉、光秀等の方面軍司令官に貸し与えた(p95)

    ・光秀に従っていた信長の家来の忠誠の方向は信長に向いていたはずであるが、「敵は本能寺にあり」と宣言してからは、そうではなくなった(p96)

    ・本能寺から脱出したものは、宣教師から進呈された黒人くらいで殆ど、全員玉砕であったが、信忠の妙覚寺は大混乱、逃亡者が続出して、約二千のうち踏みとどまったのは400程度(p106)

    ・信長の定石外れの強襲が成功した理由の一つは、義元の大軍を、信長方の砦攻撃と、味方の支城攻撃に分散させて、本陣を手薄にさせたこと(p150)

    ・前近代的軍隊においては、涼奪、分捕を含む戦闘個人主義であったが、信長はこの原則を否定して、個人よりも各自の部署における任務の遂行に重きをおいた(p160)

    ・毛沢東の共産党軍が中国の民心を得た大きな理由の一つは、涼奪をしないから(p165)

    ・日本には篭城(包囲攻撃が1年以上)はない、小田原城攻めで100日程度、鳥取城で4ヶ月、その理由は日本の城は都市城でないために生活持久力が乏しいから(p213)

    ・日本の戦国時代に人口が増加して生産が上昇した理由として、技術革新もあるが、大大名内の領国内では本格的平和が保たれていた(p224)

    ・戦国時代末期においては、大名とその家臣が、農民全員に重武器(弓、鉄砲、鑓)をもたせるほどまでに信用していたことが特筆すべきこと(p229)

    ・日本には、中国における父系集団である宗族や韓国での本貫に相当するものが無い、血縁ではなくて協働(一緒に働くこと)が共同体を作る(p230)

    ・成り上がりの北条早雲でさえ彼が連れてきた6人と相模の土豪(松田)で草創の7手家老を作るなど、伝統主義的秩序を作ったが、信長のみが例外である、その理由は、大名→家臣→農民という支配関係を軸とする共同体が形成されてきたから(p245)

    ・大名のお国替えが日本の幕藩体制下に限って自由に行なえたのは、徳川時代における諸侯が、政府任命にかかる官僚としての性格に転換していたから(p250)

    2010/08/16作成

  • 今何故、信長か―新たなる焼き討ちのすすめ?!《赤松正雄の読書録ブログ》

     俗に、なんとかと天才は紙一重という。まことに失礼ながら、小室直樹という人は、そういう言い方が当てはまる好例として、いわゆる論壇の世界では見做されてきたのではないか、と勝手に思っている。型に嵌らぬ自由奔放な文章の書き方から始まり、奇想天外な着想など、ちょっとこの人おかしくない?と思われてきた(正直、私などそう思ってきた)。しかし、かつてソ連が崩壊するなどということが未だ夢想だにされていなかった頃に、『ソビエト帝国の崩壊』を書いて、その後におけるロシアの復活を見事に予言した。このことをきっかけに、ちょっと変わってはいるが、小室さんはある種天才に違いないと位置づけられてきたように思われる。『痛快!憲法学』『日本人のための経済原論』など、いろいろとその著作は読んできたが、その都度そういった思いは募る。

     平成3年だからほぼ20年前に書かれた『信長』がこのほど再刊行された。一読、いまなぜ信長か、と考えさせられることは少なくない。巻頭には「革新とは、信条の為に身命を賭して成すことである」とある。新たに書き加えられたまえがきには、「政治家・織田信長が生きた時代背景」と「比叡山の焼き討ちはなぜ行われたのか」と題した興味深い小論が掲げられている。世の中を改革するために、現在の世を支配している不都合で間違った考え方の全てを拒絶することであるとして、「信長は比叡山の腐敗に対する憤りのみで焼き討ちを行ったのではない」と強調している。なんだか、今の政治状況でこれを読むと、新たなる焼き討ちのすすめを突きつけられたかのように思われるのは考えすぎだろうか。

  • 比叡山焼き討ちや朝倉・浅井の当主を金で塗った髑髏で酒宴等、残虐性から嫌われている面も持つ織田信長は、一方で最も人気がある戦国武将の一人である。
    私は、この織田信長を尊敬する歴史上の人物として挙げている。
    それは、彼の当時としてかなりの水準である発想力に全てがある。
    よくいわれる長篠の3段鉄砲のことではない(だってそれは嘘だし)。
    楽市楽座や兵農分離といった面である。

    今までは、彼のその発想力、といって説明がそれ以上深くはできなかったが、楽市楽座や兵農分離の持っていた意味、そして(宗教問題が関わるため書くのを控えるが)南蛮文化への理解といった面で、どのような影響があったのか、という点を説明してくれる一冊といえる。

    一方で、信長を多少神格化しているような書き方は、そもそも本書は信長の素晴らしさを伝える本なので仕方ないとは言え、あまり好きになれない。
    確かに武田・上杉両家に比べれば、上洛という目的に率直で合理的であったが、それは尾張という肥沃で京にそれなりに近いが故にできている点があるはずである。

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著者プロフィール

1932年、東京生まれ。京都大学理学部数学科卒。大阪大学大学院経済学研究科中退、東京大学大学院法学政治学研究科修了。マサチューセッツ工科大学、ミシガン大学、ハーバード大学に留学。1972年、東京大学から法学博士号を授与される。2010年没。著書は『ソビエト帝国の崩壊』『韓国の悲劇』『日本人のための経済原論』『日本人のための宗教原論』『戦争と国際法を知らない日本人へ』他多数。渡部昇一氏との共著に『自ら国を潰すのか』『封印の昭和史』がある。

「2023年 『「天皇」の原理』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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