真実の中国史【1840-1949】

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  • Amazon.co.jp ・本 (337ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784828416489

作品紹介・あらすじ

歴史とは勝者によってつくられる。毛沢東によって書き換えられた歴史を鵜呑みにしてきた日本人に、まったく違っていたウソの中国史を暴く。

感想・レビュー・書評

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  • 歴史とは勝者によってつくられる。毛沢東によって書き換えられた歴史を鵜呑みにしてきた日本人に、まったく違っていたウソの中国史を暴く。

    はじめに
    序章
    「真実の中国史」を知る前に

    第一章
    中国の半植民地化は「アヘン戦争」からではない
    1840~1860
    第二章
    中国に本当の西洋化など存在しない
    1861~1900
    第三章
    国とは呼べない中華民国から初めて国家意識が生まれる
    1901~1930
    第四章
    歴史上一度もまとまったことのない中国
    1931~1949
    あとがき
    年表

  • ちょっと口が悪いというか、あまりにボロクソに言うので、余計に真実が分かりにくい所もある。
    中国人が平気で嘘をつく事、歴史を大事にしない事は分かった。
    特に満州事変のあたり、少し見方が変わった。日本の関東軍と国民党と共産党の三つ巴の感じ、そして戦後、日本の兵器と軍人が、国民党、共産党、さらにはソ連に奪われて働かされた事、あまり知らなかった。

  • 中国嫌い・モンゴル好き視点で評する所は、ちょっと気になるものの、なるほどなと思う説が一杯あって興味深く読むことが出来た。

    アヘン戦争は、中国大陸南方で起きた、地域紛争で、北京にある清朝政府からみたら、しょうがないから、港を解放するか程度のレベルであって、全く影響はなかったようだ。

    そもそも清朝の影響力は、どんどん縮まっていて、地方には、それぞれの地域を代表する豪族、当時の言葉で言えば軍閥が、それぞれの地域を支配し、守っていたような状況のようだ。したがって、それら軍閥と西欧や日本・ロシアなどの国が、くっついたり離れたりで、影響力を与えながら、それぞれの地域で好き勝手なことをしていたというのが実態のようだ。

    日本の傀儡国家、満州国も、そんな感じで植民地国家というイメージではない。そもそも、満州は歴史的に北方遊牧民族の闊歩していた地域で、北方民族の支配する中国国家の領土になったことはあっても、一度も漢民族の支配する国家の領土になったことはないことから、中国人=漢民族と仮定すると、侵略云々の概念はあてはまらないだろう。

    あと、面白いのは、中国共産党の毛沢東の話。特に毛沢東の長征。コミンテルンやモスクワ帰りの共産主義エリートを蹴落とすために、わざわざ実行したとのことらしい。そうすることで、自分のライバルたちを蹴落とし、実権を把握したというのが真相。

    でも中華人民共和国建国後の毛沢東は、解放後にたくさん出版された中国関連の著作を読むと、本当にそうだろうなと思う。毛沢東って、権力闘争インマイライフって人だから。。。

    中国人民のために、農民を主役にした共産革命をってのは、タテマエで、自分が死ぬまで権力を維持するためにナンバー2を次々に失脚させて、自分の権力を維持したわけだから。

    毛沢東の究極のイエスマンたる周恩来まで、死ぬ間際まで、失脚させようとした訳だからね。そんな彼の生き様を知れば、戦中の共産党における権力掌握方法も、納得がいく。どんな手段を使っても徹底的にライバルを排除したことだろう。

  • 初めてまともな中国に関する歴史書を読んでいる。
    著者の見識もすこぶる高い。

  • 2018/10/05:読了
     少し、バイアスはかかっている感じはするが、でも、だいたいこんなだろうと思える本。
     この本に記載されていることが、日本の共通認識、というよう状況になって、中国と向き合える気がする。
     

  • アヘン戦争から中華人民共和国建国までの中国史がどういうものかを丹念に解説した一冊。

    日本でも通説とされてるものがいかにいい加減かがよくわかった。

  • 最近とりかかった、支邦事変以降の歴史
    こいつら、人間の出来損ないだわww
    自分が嘘つきだから、日本も歴史問題含め
    嘘の対応してると思うんだ・・・

  • 中国語の勉強を始めてそろそろ3年になります。発音が難しくて、まだまだマスターしたとは言えないのですが、勉強が進むほどに、中国の歴史についても興味を持つようになりました。

    私が知っている中国の歴史とは、4000年以上もの歴史がある日本にとっては先輩の国、というイメージと、明治以降に関わった戦争の歴史です。日清戦争から太平洋戦争まで、常に中国と関わっていたと思いますが、現在との政権とも異なっていて、本当はどうなっていたのかが理解できていませんでした。

    今回、インターネット上で、大部のこの本「真実の中国史」という本を見つけました。これは、特に近代から現代(1840-1949)に絞っての歴史が解説されてます。私にとって、初めての中国の近代以降の「通史」を学んだ、記念すべき本となりました。

    以下は気になったポイントです。

    ・歴史を学ぶことは、日本を外からよりよく見る、つまり、あなた自身をよく理解するための手助けになる。(p3)

    ・中国とは、時代によって意味する大きさ(土地の広さ)が全然違う。その時々の皇帝の血筋、支配階級の出身、言葉も異なる。中国史を考える上では特に気を付ける必要がある(p18)

    ・力で抑えつけられていた宗主国を跳ね返すためのイデオロギーがマルクス主義であり、それが正しいか間違っているかは問題ではない(p24)

    ・毛沢東は考えた末に、日本を消すためにイギリスを選んだ。イギリスなら中国の面子も少しは立つというわけ。屈辱の時代はアヘン戦争から始まるとした。本当は、日清戦争に負けて本格的な近代化が訪れた(p38)

    ・清皇帝はお金がいっぱいあって豊かだったので、国民に対して厳しい支配が不要であった、なので人口も1億から4億へ増えた(p41)

    ・キリスト教の教義は、キリスト教徒ではない祖先は地獄に落ちるというもの。祖先が大事な人々なので、中国人にとっては困る(p43)

    ・儒教とは、科挙試験に合格するため、経典を諳んじるために必須なだけで、宗教として信じているものではなかった(p45)

    ・満州もモンゴルも、大東亜戦争の終戦まで、アヘンが通貨となっていた。軍隊もアヘンで給料をもらっていた。軽くて高価なアヘンはどこへ行っても品物と換えられた(p46)

    ・アヘン戦争に敗れた後も、清朝は、モンゴル・チベット・ウイグルを管轄している、理藩院というお役所で、イギリス・フランスを朝貢国として管轄することにした(p47)

    ・圧倒的に虐げられている人達が革命を起こすことは絶対に無理で、革命はセカンドクラスが起こすもの(p52)

    ・アヘン戦争よりも、1857年に清朝と、イギリスフランス連合軍との間で起こったアロー号事件(第二次アヘン戦争:1860)の方が清朝にとっては大きな事件であった。イギリスが、北の方まで攻めてきたので(p54)

    ・科挙を中途で落ちた人が商人になるとは、漢字が使える人が商人になったということ(p56)

    ・日本人が歴史を学ぶときに、10世紀から始まっていた「纏足」を、なぜか清朝の時代で学ぶ。纏足は地方の慣習のようなもので、明の時代は軍人の家族はしない、外国人もイスラム教徒もしない(p69)

    ・中国語の「臣」には、もともと奴隷という意味がある。皇帝(国)に何もかも捧げて、自分をなくした「臣」という意味(p75)

    ・中国の歴史には基本的に2つの流れあり、北族(4分の3占める)と南族がある(p76)

    ・太平天国を鎮圧した勢力がのちの軍閥へと成長する、自警団が発展して義勇軍「郷勇」「郷団」となる。地方の税金は中央から派遣された知事が集めて中央に送るシステムであったが、自警団の軍隊が税金の徴収権を握ったのが軍閥の始まり(p81)

    ・以上により、清朝政府からみて、満州大臣の言い分より、漢人将軍の言い分を聞かなければいけなくなり、力が逆転した(p81)

    ・日清戦争では日本は国民軍ですが、清国側は李鴻章の私兵が戦ったと考えれば良い。これば日本と清国の勝敗を分けた。ナポレオン軍と欧州諸国の傭兵との戦いのようなもの(p99)

    ・中国人が日本に買い物に来て欲しがるものは、化粧品とIC炊飯器。ブランド品は見た目そっくりに作れるが、日本の化粧品は使えば、それが本物か偽物かがわかる。成分は見えない。炊飯器も中のセンサー機能は真似できない(p102)

    ・中国人は目に見えるものしか評価できない、こうなったのは、根本にモノをつくるのは下々の者がすることだという儒教の考えがある、偉い人は労働しないで頭を使う(p102)

    ・清仏戦争で敗れた清国は、ベトナムの宗主権を放棄させられた、清朝は日本に取られる前に朝鮮を取らなければというのが、日清戦争の大きな原因(p115)

    ・朝鮮は13世紀には、羊も牛乳も肉も車もあった、モンゴルを通して世界各地からモノが入ってきた。李氏朝鮮になったら貨幣経済がなくなって、時代が逆行した(p119)

    ・いまでは日露戦争が日本の存亡の危機と言われているが、日清戦争の時の方が日本は怖かった(p147)

    ・中国は日本に2億両という賠償金を払うために、外国から多額の借款を受けた。フランスの銀行から借りるために、ロシアに口を利いてもらって、それで遼東半島南部をロシアに取られた(p156)

    ・フランス革命の時もそうだが、本当に貧乏な人には反乱はできない(p165)

    ・義和団の乱の責任者の処罰や賠償を清国は全部受けざるを得なかった。賠償金は10年分が科せられて、名目上4.5億両、利子を入れると倍以上の9.8億両となった。これにより外国の勢力が強くなった。中国にとっての近現代史のスタートは、義和団の乱である(p175)

    ・義和団事変の最中にロシアは満州をすべて占領した、それで慌てたイギリスが日英同盟を結んで、満州を清朝に返せとロシアに圧力をかけた(p185)

    ・日露戦争は、列強の代理戦争、イギリス・アメリカが日本について、ロシアが出てくると困るといって戦争をさせった(p186)

    ・中国人は同じ話し言葉の人達と取引をする、十何軒並んでいてもかれら同士はギルドのような組合を作っているだけで、それぞれの商売相手は違う中国人である(p191)

    ・辛亥革命当時はまだ共通語がなくて、革命を起こした地方軍の長官たちは、お互いに日本語で連絡をしあった(p204)

    ・1915年に日本は対華21箇条の要求を出した、日本が日露戦争で勝ってロシアから引き継いだ権利等、清国と結んだ条約を、中華民国に認めさせようとした(p219)

    ・辛亥革命で独立を宣言した革命政府は、土地の者ではないからと、外省出身の官僚を全員追い出した。完全な地方分権となった(p226)

    ・読書人とは、古典の漢籍を読む人のこと、知識人とは、新しい思想にかぶれた人たち(p233)

    ・現代の中華人民共和国は、5・4運動を中国近代化のスタートとしている。なので、1989.6.4に起きた、天安門事件の場合は、1か月後の 6.4に軍隊を入れた(p237)

    ・辛亥革命のときに、孫文はアメリカにいた(p272)

    ・北京は、明代に「ペキン」と南の方言で読んだので、そのまま使われてい(p203)

    ・盧溝橋事件で始まったのは、日中戦争ではなく支那事変である。宣戦布告をしていないから。戦争になるのは、真珠湾攻撃の後に、宣戦布告をしてから(p318)

    ・アメリカは国民党と手を切ると言ったので、ついに中国はずしを発表した(p332)

    2016年2月6日作成

  • この本は読んだほうが良い。目からウロコです。

  • 中国の歴史は、毛沢東が都合のいいように、書きなおした
    中国の言い分は歴史でなく、政治 中国 歴史自体を信じていない
    中国人 眼に見えるものしか評価しない

    民主主義は実は軍備で守るものです。
    チャーチル 民主主義 そんなによいものではないが、他はそれよりも悪いものである
    アヘン戦争から近代化がはじまったわけではない
    清朝が大変な目にあったのは太平天国の乱 客家(はっか)の欄 女性の労働力が大事 纒足しない キリスト教にかぶれて乱をおこした洪秀全はこの客家 もともと貧しい山の中からおりてきたひと 沿岸の大きな農村とは関係ない。教育は大事。ネットワーク強い。孫文はそのネットワークを使った
    客家コネクション リークワンユー 李登輝 鄧小平 ネットワークが世界中に広がっている
    秘密結社 南 三合会=洪門=天地会 北 白蓮教徒=義和拳(義和団)
    天地会の系統 か老会 共産党の将軍賀龍の字版
    孫文の兄 三合会
    1759 新疆が清朝の領土にはいり、清朝が緩んだ
    日清戦争 日本は国民軍 清朝は李鴻章の私兵
    中国の洋務運動 機械類の操作はお雇い外国人がして、あとは苦力が言われたとおり働くがほとんど
    袁世凱は李鴻章の直接の子分
    孫文 政治的なやり方が上手だったわけでもなく、地盤もなく、漢籍の教育を受けているわけでもなく、客家だから中央にも食い込めず、外国の援助をうけてちょこちょこと革命運動をやっては逃げ帰った
    孫文の三民主義と清朝を倒すことは無関係
    ヨーロッパ人は現実主義者で、契約というかきっちり話をして最後まで詰めないと何事も進めない民族です。かれらは何かがあったら責任を取らせるつもりで、相手の善意に期待しないでそういうものをとっておくのです。多くの異なった言語を放す人たちが隣同士ですむ社会の基本です。しかしそれが日本にはないのです。日本人も現実主義的な部分を育てないといけないのです。
    袁世凱の死後、軍閥時代に突入。日本は段祺瑞(安徽派)、欧米は
    直隷派を支援 張作霖は日本の権益のある満州にいる軍閥なので仕方なく仲良くした
    五・四運動 コミンテルンの指導した陰謀 中国のナショナリズムのスタートだと教育している
    ロシア革命がおこってコミンテルンが入ってきた時、他から金がとれなかったので孫文はコミンテルンとくっついて、その金で動くようになる。日本があきれて金をださなくなったから。
    五・四運動の主役は陳独秀と李大しょうで毛沢東は無関係
    段祺瑞は袁世凱の後釜だが、袁世凱が生きている間にすでに対立していた
    蒋介石は日本の振武学堂(武官に日本を教える予備校)に留学するが、陸軍士官学校に入れなくて、新潟県高田市の砲兵連隊で見習い士官をととめる
    軍閥だった国民党と、軍閥だった共産党が合作して一番強い軍閥になった
    中国国民党は最後まで南京が首都。北京を北の都といわないように北平と呼ぶ
    張作霖爆殺 張学良は張作霖の子で国民党の蒋介石の下につく 河本大作が橋の下に爆薬をしかけたことになっているが、車両の上半分はふっとんでいる
    日本の満州事変は、共産党プラスコミンテルンの脅威に対抗したもの
    満州事変時、アメリカ、イギリスは世界恐慌からまだ回復していない。1929年満州事変時、世界中が自国のことに懸命
    満州、遼東半島は日本の権益。現地にいた邦人の保護目的
    市古宙三 中国の近代 河出書房
    毛沢東の長征 ライバルを殺すたび ロシア留学組から毛沢東に中央指導部が変わった

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著者プロフィール

1952年和歌山県生まれ。京都大学文学部卒、大阪大学大学院博士課程修了。博士(学術)。東京外国語大学・常磐大学・国士舘大学・東京大学などの非常勤講師を歴任。最近は、ケーブルテレビやインターネット動画で、モンゴル史、中国史、韓国史、日本近現代史等の講義をしている。
著書に『モンゴルの歴史』(刀水書房)、『最後の遊牧帝国』(講談社)、『世界史のなかの満洲帝国と日本』(以上、ワック)、『真実の中国史』(李白社)、『真実の満洲史』(ビジネス社)など多数。

「2016年 『教科書で教えたい 真実の中国近現代史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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