【新装版】封印された中国近現代史

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  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784828420691

感想・レビュー・書評

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  • モンゴルをはじめとする東アジア研究者 宮脇淳子氏による中国史に関する本。中心は清朝以降であるが、黄河文明から近代に至るまでの中国史にも触れられており、歴史の流れがよく理解できた。欧州列強やロシアあるいは朝鮮半島の動きも押さえ、その中国に対する影響を詳しく分析しており、説得力がある。勉強になった。
    「「日中国交正常化」という言葉自体が、それまでの中華民国台湾との国交を「不正常」だったと言っているのに等しいわけですし、「日中国交回復」に至っては、1949年に誕生した中華人民共和国との初めての国交樹立にもかかわらず、言葉の使い方が間違っています」p26
    「(中国にとっての琉球諸島)かつては、国際社会にいち早く参画した日本に遅れを取ったが、軍事力も経済力もできた今、これを取り戻そうと、中国人は本気で考えています」p29
    「中国人にとっての歴史認識は、力で奪い取ったものを正当化する、という意味に過ぎませんから、日本人がどんなに理路整然と、尖閣諸島の領有権は日本にあると論じても、中国相手には何の役にも立ちません」p34
    「「中国」ということばが現在のような国家の意味に使われるようになったのは、1911年の辛亥革命の翌年、1912年1月に建国された中華民国が最初です。中国という言葉も中国人という言葉も、実は19世紀まで存在しなかったのです」p36
    「中国人にとって漢字とは、発音よりも意味がよほど大事です。だから戦前に使っていた「支那」を、日本人がわざと悪い漢字を使って差別したと考えて文句を言うのです」p45
    「日付のない独立宣言というのはあり得ないので、紀元前1世紀に書かれたシナで最も古い歴史書、司馬遷著「史記」が、歴代の皇帝たちの始祖として描いた黄帝という神様を探し出して、黄帝紀元と称することにしたのです」p48
    「「支那(シナ)」の語源は、チャイナと同じく、紀元前221年に戦国七国を統一した始皇帝の「秦」からきています」p50
    「日本史には餓死の記録が少ない」p66
    「(後漢時代)105年には紙が発明され、漢字が普及するようになります」p67
    「フビライは、元宗(高麗の太子)の息子の忠烈王と自分の娘を結婚させ、その間に忠宣王が生まれました。これからあと代々の高麗王はモンゴルの皇女と結婚し、元朝皇帝の側近としてモンゴル風の宮廷生活を送った後、祖国に戻って王に即位したのです。つまり、高麗王の母はすべてモンゴル人になったので、モンゴルの血がどんどん濃くなっていきました」p84
    「明の記録では、モンゴル高原の遊牧民を「蒙古(モンゴル)」と呼ばずに「韃靼(だったん)(タタル)」と呼び替えて、彼らが元朝の後裔であることを、ことばの上だけ否認したのです」p88
    「文化大革命のときに古い書物はほとんど焼いてしまったので、古い漢籍は、じつは日本のほうにずっとたくさん残っています」p137
    「官による治安維持があてにならないとき、盗賊におそわれないためには、盗賊になりそうな者を手なづけて配下にするほうがてっとり早いのです」p158
    「ロシアは、清が南方で列国と争っている間に、沿海州を清から掠め取った」p180
    「国民国家(Nation State)とは、国境に囲まれた国土の中に住む人々が、同じ言葉や同じ歴史や同じ文化を持ち、国民として平等の権利を有するという、それまでの世界になかった新しい思想で、18世紀末のアメリカ独立とフランス革命によって誕生し、19世紀に全世界に波及した国家体制です」p199
    「李氏朝鮮と日本は、1875年に日本海軍の測量船の雲揚号が江華島から砲撃を受けたことをきっかけに戦争状態になります。その結果、翌年の1876年に、日本は全文12条からなる日鮮修好条規を朝鮮と結びました。この条約は、日本に領事裁判権を認めるものでしたが、これを日本の歴史教科書は、日本が欧米から不平等条約を押し付けられたのに、今度は日本が朝鮮に不平等条約を押し付けたのはけしからん、と説明しています。しかし、朝鮮と対等の条約など結べるはずがなかったのです。なぜなら、清国と日本はすでに対等の条約を結んでいるわけですから、日本が朝鮮と対等の条約を結べば、清国に対して失礼になるからです。朝鮮国王は清国に従属していたのですから」p210
    「中華人民共和国にすれば孫文は恩人です。孫文が国共合作をしなかったら、共産党は生き延びることができず、今の中国はなかったからです。コミンテルンが中国に入り込むことができたのも孫文のおかげです。中華民国も、蒋介石は孫文の部下で義弟だったのですから、国父として崇めるのは当然です。「大ボラ吹き」の孫文が、中国の歴史で大きく扱われるのは仕方ないにしても、日本の歴史で偉人のように扱われるのは、誤った歴史認識ではないでしょうか」p250
    「日露戦争の講和の仲介をしたアメリカは、1905年7月に自国のフィリピン支配を日本に認めてもらう代わりに日本の韓国支配を認めます。これが桂=タフト協定です」p259
    「日本は日露戦争の資金を、アメリカとイギリスで国債を発行して賄っていたのです。このときに発行した外債は約13億円にものぼり、日本がすべて完済するのは昭和も末期の1986年でした」p264
    「(満州への投資)1933年から36年までの日本の対満投資額は11億6000万円です。1937年に始まる産業開発五カ年計画には26億円の日本の税金を投入、朝鮮半島だけではなく、満州を近代化したのも日本人だったのです」p264
    「(国民党による「鮮人駆逐令」、1931年2月)韓国各地で排華運動が起こりました。平壌では数千人の朝鮮群集が中国人街を襲い、リットン調査団の報告書によると、127人の中国人が殺されたといいます。満州事変の直接の引き金となった事件です」p280
    「日本との徹底抗戦を避けたかった蒋介石は、長城線の南の東西200キロ、南北100キロの地域を非武装化する塘沽(タンクー)停戦協定を日本と結びました。中国国民政府は、1934年12月、満州帝国と通郵協定を結んでいますので、事実上満州国の存在を承認したわけです」p283
    「終戦時、旧満州にいた日本人は、約220万人と言われています(うち軍人65万人)。1926年には、日本人は満州全土で19万人しかいませんでした。満州国が建国された後、135万人もの日本人が満州に渡ったということになります」p291
    「(李承晩)1948年8月15日、初代大統領に就任し、大韓民国が建国されました。韓国は日本から独立したのではなく、アメリカの軍事占領下から独立したのです」p299
    「(朝鮮戦争)韓国軍の死亡、負傷、行方不明99万人。北朝鮮を含め190万人。米軍15万人。中国軍90万人。軍人の死亡、負傷、行方不明300万人。民間人200万人」p302
    「(日韓基本条約、1965年)日本から韓国に無償協力金3億ドル、有償協力2億ドル、民間借款3億ドル以上。当時の韓国の国家予算が3億5000万ドル。韓国はその資金を元に「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げました。その他、日本が朝鮮半島に残してきた財産や資産は計53億ドルあったそうです」p302

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著者プロフィール

1952年、和歌山県生まれ。京都大学文学部卒業、大阪大学大学院博士課程修了。博士(学術)。専攻は東洋史。大学院在学中から、東京外国語大学の岡田英弘教授からモンゴル語・満洲語・シナ史を、その後、東京大学の山口瑞鳳教授からチベット語・チベット史を学ぶ。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員を経て、東京外国語大学、常磐大学、国士舘大学、東京大学などの非常勤講師を歴任。現在、昭和12年学会会長、公益財団法人東洋文庫研究員としても活躍。著書に『封印された中国近現代史』(ビジネス社)、『朝鮮半島をめぐる歴史歪曲の舞台裏』(扶桑社)、『中国・韓国の正体』(WAC)、『最後の遊牧帝国』(講談社)、『どの教科書にも書かれていない日本人のための世界史』(KADOKAWA)、『悲しい歴史の国の韓国人』『日本人が教えたい新しい世界史』『満洲国から見た近現代史の真実』『皇帝たちの中国史』(徳間書店)などがある。

「2020年 『かわいそうな歴史の国の中国人』 で使われていた紹介文から引用しています。」

宮脇淳子の作品

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