文学がこんなにわかっていいかしら (福武文庫 た 701)

著者 :
  • ベネッセコーポレーション
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本棚登録 : 170
感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784828832418

感想・レビュー・書評

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  • 尾辻克彦のそんな同じことばかりつづけていて、面白いのか、という問いかけ。詩の同人誌「ト、ヲ」の限定読者という試み。ひとりひとり手書きの読者名が書かれた一冊一冊の同人誌。推理の結果予想を出すのではなく、自分の好みの結果を出すために、必要なデータを探してくるって太い野郎だ、と書かれる井崎脩五郎。そしてドラクエⅢに一章をさいたところ、なかなか読み応えあった。「我々に必要なのは「善意」にみちた「物語」ではなく、底が抜け、その抜けた底から冷たい風が吹き上がる「ゲーム」そのものなのだ」

  • 著者が雑誌『海燕』で担当していた文芸時評をまとめた本です。

    とりあげている対象は、文学作品のみならず少女マンガや『ドラゴンクエストⅢ』にまでおよんでおり、文体にもさまざまな試みがなされていて、全編にわたって興味深く読みました。

    とはいえ、著者の関心の向かうベクトルは、あまり拡散することなく、むしろ一つの方向へと収斂しているように思います。たとえば、尾辻克彦と赤瀬川原平の関係について論じ、鈴木志郎康の刊行している文芸雑誌を通して文学における「読者」とはなにかという問いを差し向けるなど、「文学」という制度に対する批評的なまなざしが随所にみられるように感じました。

    それは、ドラクエについて論じているときにも変わらず、著者は『ドラゴンクエストⅢ』が「物語」を要求してしまうことの是非を問うというしかたで、蓮實重彦が『物語批判序説』であつかっていたテーマにアプローチしているといえるように思います。

    著者の問いかけようとしていることは理解できないでもないのですが、FC版『ドラゴンクエストⅡ』で挫折を経験したプレイヤーとしては、あのゲームの「理不尽さ」は、そうした「問題」のうちに回収されることを拒んでいる、などといってみたくもなります。

  •  1988年3月から1989年2月の一年間、文藝雑誌「海燕」に掲載された「文芸時評」をまとめたもの。
     文芸といっても、小説から漫画からドラクエまで多岐にわたっている。
     時評といっても、きちんとした論文風あり、小学生の読書感想文風あり、講演風あり、と多岐にわたっている。
     ということで、あちらこちらで多岐にわたっていて、飽きることはない
     単行本として発売されたのが1989年であり、20年以上も前のことなので、既に入手困難な作品への評論も含まれている。

  • 特に刺激的な内容も、膝を打つ内容もなく。

    13.01.11

  • わかっていいですよ。そりゃ。

  • 競馬のコラム欄を文学作品として解説する章は秀逸だった。
    それにしても、高橋さんの文芸時評の良いところでもあり悪いところでもあるのだが、時評自体が面白いがために、言及している作品を読んでみようというところまでいかない。ぐぬぬ。

  •  文芸時評。
     ところどころ面白い箇所を拾い読みした。ところどころ退屈なところは読み飛ばした。

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著者プロフィール

作家・元明治学院大学教授

「2020年 『弱さの研究ー弱さで読み解くコロナの時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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