- Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
- / ISBN・EAN: 9784831872067
作品紹介・あらすじ
本書は岩田慶治文化人類学の一つの到達点である。いま、文明の転換期にあってきたるべき「宗教」の可能性を問う。南の森の思想、魅力あふれる草木虫魚教の世界-。
感想・レビュー・書評
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表面を撫でることに終始して、核心への言及が少ないように思った。導入書として適した本だと思う。
●以下引用
アニミズムと呼ばれる宗教には、いうまでもなく、教義委も、教団もなく、宗教的職能者もない。だから、もともと、一人ひとりの宗教なのだ
おどろきとやすらぎが同時におとずれる。そういう経験を反芻してカミと呼ぶ。
ロマン・ロランによる「大洋感情」
「わたしは川の多い国の生まれである。わたしは川を生きたもののように愛する。先祖の人々が川にぶどう酒や乳を注いでやった意味がわたしにはわかる。ところで、すべての川の中でもっとも神聖な川は、魂の奥から、玄武岩の岩間から、砂地から、氷河から湧き出る川である、それは芸術にも、行動にも、科学にも、宗教にも、はかり知れぬ千尋の闇を黒々と堪えるところから、やむにやまれぬ傾斜に沿うて、意識され、実現され、支配された『存在』の大洋に流れて行くこの河に共通なものである。そして、水がふたたび水蒸気となって、海から立ち昇り、天井の雲にいたり、河川の源を養うように、創造の輪は間断なくつながりつづくのである。源から海へ、すべては同じ『力であり』、『存在』である。始まりもなく終りもない」。
海中に入る、つまり泳ぐのだ。魚になって海を感じる。海との一体感、そして宇宙との一体感を感じ取ることができるだろうか。
限りない水のなかを、いま、魚がどこまでもどこまでも泳いでいく。どこかの目的地に到着しようというのではない。水の広さ、深さ、水のかたちを明らかにしようとしているのでもない。水とともに生きる。水とともに目覚める。そのとき、魚も、水も自由なのだ
ドゥズン族の生活の場は、天と地のそのあいだである
生活の場は地表であって、天と地はそのまわりの、それぞれの報告における境界あるいは界面にしかすぎない
自分自身の内部に純粋に集中しきることによって、かえって外部に衝撃をあたえつづけている存在
シャーマンは天と地をむすびつけるものである。
わがこころ深き底あり喜も憂の波もとどかじと思う/西田幾多郎
自然のなかの生活と、生活のなかの自然とがたがいにその境界線を失いながら、そこで表出される人間行動と人間関係のゆらぎが歌となり、リズムとなって表現されている
植物のリズムと季節のリズムと人間行動のリズムが同調し、合体していた
こころ/からだ/たましいの一致ー自分からの自由を実現して軽やかな舞踏を始める-ほんとうの言葉詳細をみるコメント0件をすべて表示