北東アジアの歴史と文化

制作 : 菊池 俊彦  松村博文  石田 肇  木山克彦  酒寄雅志  小嶋芳孝  臼杵 勲  福田正宏  天野哲也  加藤博文  長沼正樹  大貫静夫  村上恭通  林 俊雄  髙濱 秀  蓑島栄紀  東 潮 
  • 北海道大学出版会
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  • Amazon.co.jp ・本 (606ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784832967342

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  • 1.武田和哉「契丹国(遼朝)の成立と中華文化圏の拡大」/2.白石典之「イェケ=モンゴル=ウルスの成立過程」/3.村岡倫「モンゴル高原から中央アジアへの道―13世紀のチンカイ城を通るルートをめぐって―」/4.中村和之「「北からの蒙古襲来」をめぐる諸問題」、のみ読了/1.では契丹国の制度の特徴は、契丹人等の遊牧民統治と漢人等の定住民統治の2系統の管制が存在。トップに北・南枢密使があてられた。双方は完全に並立してたわけではなく、軍事面は例外であり、時代がくだると事実上北院の管轄下となった。また「遼志」によると契丹国時代の契丹人の明確に知られる姓は「耶律」「蕭」のふたつしかない。2姓しかないとは考えづらく、もともと姓がなかった契丹人に制度的に導入されたものと推定。契丹文字の利用実態は未解明部分が多いが、少なくとも記録手段としては漢語・漢字優勢で、契丹語・契丹文字の用途は限定されていたと考えられる/2.では、チンギス時代は、首長制と国家のあいだの、初期国家というべき状態だったと論じる。国家の要件としての、官僚制、法体系、徴税などの制度上不可視的なもの、都市、道路などの可視的構造物。その中で、徴税、カラコルムのような本格的な都市、道路網は未整備であったといわざるを得ない。/3.においては、チンカイの案内による長春真人の西行が、おそらくチンイギスの西征と重なるとし、それがウイグルの商業ネットワークにのっとったもので、チンカイの地はその拠点であり、ウイグル人鎮海の登用はその文脈で行われたと論じる。/4.にて、「北からの蒙古襲来」小論に加えて、元軍の行動が1264-84の20年間絶えたとされる原因のひとつに、大葉氏のアムール川水系でおきた飢饉を原因とする説をあげる。モンゴル帝国・元朝のアムール川下流域、サハリン島支配は、1280年代以降、屯田経営など長期的定住を目指す恒常的なものへ変化。サハリンに北上をくりかえした骨鬼、サハリンに住み続けた亦里于の影響も大きかったのではと。元軍からサハリンへは、1264年前後、1284ー86年には攻勢、それいがいは防御的であったと論じる。最後には、”「蒙古襲来」とは、「日本国へのモンゴル帝国の襲来」。「北からの蒙古襲来」も同様。しかし元軍は、サハリン島を経由して日本へ侵攻する意図はもってなかった。たとえサハリン島での元軍の行動がアイヌに影響を及ぼし、アイヌの変動が中世日本国家に影響したことが事実であっても、それは結果であり、それをもって「北からの蒙古襲来」「もうひとつの蒙古襲来」とはいえない”とくりかえす。このへん、個人的な雑感だが、観念的というか、筆者の前提がそうではないと突き崩されれば、その次の論も成り立たない、という危うさを孕んでるようにも思えた。また個人的には、征東招討使の塔匣刺(タヒラ)についてはもうすこし知りたいと思った。

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