大人のいない国―成熟社会の未熟なあなた (ピンポイント選書)

  • プレジデント社
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レビュー : 47
  • Amazon.co.jp ・本 (115ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784833418881

作品紹介・あらすじ

気づいてみれば、みんなで「こんな日本に誰がした」を大合唱。誰も「こんな日本に私がした」とはゆめゆめ思っていない。老いも若きも「責任者を出せ!」と騒ぐクレーマー天国で、絶滅危惧種「本当の大人」をめぐって二人の哲学者がとことん語る。

感想・レビュー・書評

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  • これはまさに大人としての自覚の無さを指摘している本である。
    成人式を迎えたら、自動的に『大人になった』となる我が国。

    しかし、中身が大人かどうかは語られない我が国。
    いくつになっても親の世話にならなきゃ生活出来ない、年齢だけは大人が多くなった。
    けれども、そんな半端な奴でも十分生きて行ける社会は、逆に十分成熟している社会なのだろうか??

    そんなこんなを考えさせてくれる一冊である。

  • なんとなく図書館で借りた本なのだが、非常に共感できる部分が多かった。
    まぁこれを読んだからと言って自分に何ができるとかは無いのだが、
    自分の中に新たな価値観が生まれたのは間違いない。

  •  対談集かと思ったら、そうではなかった。対談は1章のみで、あとは両著者のエッセイ/評論が交互に登場する本なのである。

     日本の大人たちがいかに未熟か、という指摘がさまざまな角度からなされるのだが、それが「近頃の日本人は幼稚でケシカラン!」というような紋切り型の批判にならないのは、この2人ならでは。両著者は、次のように言うのである。

    《鷲田 最近、政治家が幼稚になったとか、経営者が記者会見に出てきたときの応対が幼稚だ、などと言いますが、皮肉な見方をしたら幼稚な人でも政治や経済を担うことができて、それでも社会が成り立っているなら、それは成熟した社会です。そういう意味では、幼児化というのは成熟の反対というわけではないんですね。
    内田 官僚や政治家やメディアに出てくる人たちがこれほど幼稚なのに、致命的な破綻もなく動いている日本社会というのは、改めて見ると、きわめて練れたシステムになっているなって、いつも感心するんですよ。》

     この痛烈な皮肉こそ両著者の真骨頂で、ここが本書の肝といってよい。

     第1章の対談も、その後の両著者のエッセイも示唆に富む内容ではあるのだが、いかんせん、本文正味が115ページしかないというのは、あまりに分量が少なすぎ。
     「ピンポイント選書」(本書のシリーズ名)だかなんだか知らないが、たったこれだけのページ数でハードカバー/1200円の本として流通させるというのは、ちょっとね。いまや新書でさえ300ページ近い分量があたりまえだというのに……。
     いや、もちろん、分量が多ければいいってものではないが。
     
     「名言だなあ」と思った箇所を引用する。

    《鷲田 近代社会って生まれて死ぬまで同じ自分でないといけないという強迫観念があって、直線的に自分の人生を語ろうとするじゃないですか。昔の偉い人は何回も名前が変わった。失敗しても名前を変えるくらいの気持ちでいたらええよ、と。人生を語るときは直線でなく、あみだくじで語れ、と言いたいね。》

  • ・匿名文は利とするところがないので(所有制を放棄してもよいので)匿名なのだ。もしくはそれが呪いの言葉だから。

    ・個性化の名の下に同じような価値観だけで凝り固まり、細分化、蛸壺化したことが日本の幼稚化傾向に拍車を掛けたのではないか。それは日本のみに起きている現象ではなく、グローバリゼーションやWWWを通して世界をフラットに均一化させる。
     皮肉なことにグロバール化にNo! を突きつけた911以降、異質なモノを排斥する運動は強くなる一方だ。内田樹は独裁者と民主政治を喩えに出し、均一化された価値観からイノベイティブな発見がないことは自明だと言う。
     つまり、ノイズをもたらすべきだと言うのだ。

  • 成熟というのは「生き延びる知恵」である。

    しかし、これ程までにセーフティーネットが完備された豊かで安全な社会にあっては、もはや生き延びる知恵など全く必要としなくなった。
    故に子供のままでも十分に生きていけるようになったので、無理に大人にならなくても良くなったのだと言う。

    例えば…

    ① 直ぐに、責任逃れや犯人探しをしたがるクレーマーやモンスターな人々

    ② 「自己主張」だけで我を通す余り、誰にも相手にされなくなる「自分探し」の旅人

    ③ 全ては「金」が解決すると信じて止まない「金」全能主義者

    そう言われてみれば、似たような性癖の子供が、昔は(そして多分、今でも…)クラスに一人は存在していたように思う。

    しかし、大人と言うのは…

    ① 社会的に生きていく以上、各人がそのシステムの構成員であることを忘れてはならない。
    先ずは「自分だけはその責任から逃れられている」という錯覚から目を覚ますべきだ。

    ② 「自立」というのは「相互依存」のシステムを上手に利用し、本来"不完全"である自分を補完しながら生きていくことである。
    また、「個性」や「適正」というのは他者から認められて形成されるモノであって、自分で決定することは不可能だと気付くべきだ。

    ③ 「金」だけに限らず権力や名誉など、皆が同じ価値観を持つことは、思想統制された社会で生きていくのと同じ位に危険である。
    確かに、或る集団にとって同じ価値観を持つことはその秩序を保つ上では非常に効率的な手段である。
    しかし、集団を纏め上げることと集団を成熟させることは異なる事項である。
    あらゆる価値観があり、その狭間で葛藤し自分で解決策を見つけてこそ子供は成長するのである。

    なるほど…

    ①について
    例えば先日起きたグループホームでの火災事故
    マスコミは火災報知器の設置義務違反や夜間スタッフの不足など、設備の欠陥を責めてばかりいたが…
    いざ自分自身の親が或る老人ホームに入居していて、その経営者から「今後に備えて夜間のスタッフを増やしたいので、来月からその費用を上乗せしたいのですが…」と打診された時に、私達は快く返事を出来るだろうか…
    「もっと施設の方で企業努力をするべき!」なんて言いたくならないだろうか…
    誰しもクレーマー的な所見を持ち合わせていると自省する必要がありそうだ。

    ②について
    「おひとりさま」現象などは、「自立」が「孤立」に向う顕著な例だろう。
    私も反省しているが、最近の私達は誰もが自分自身を可愛がり過ぎているような気がする。
    今こそ見つめ直す時期なのかもしれない。

    ③について
    例えばチョッと前までは、親戚や近所に生産的な活動をしていないけれども何となく憎めない「変なオジさん」が一人は居たモノだ。
    ところが今では学校も親も「金を稼いて偉くなること」だけに全精力を注いでいる。
    変なオジさんは、その地域で見守って行く愛すべき対象ではなく、「あんな大人にならないように」という反面教師としてしか存在価値は無くなってしまった。
    もしも、そのオジさんが崇高な哲学を持っていたとしても、今の子供にはそんなモノは全く必要が無い(と、両親も学校も国もそう考えている)。
    必要なのは、工業製品を一つでも多く輸出する能力であり、株価チャートを見抜く眼力であり、つまり何が何でも他よりも勝ることである。
    最近露呈している社会の様々な問題は、そういった画一化された価値観を様々な方向に開放させるだけでもそれなりに解決の方向に向うと私は思っている。
    少なくても「少子化担当大臣」をリーダーに対策を練り上げていく「学級委員会」的な発想よりは何ぼかマシなのではないだろうか!?

    そして最後に内田氏は…

    国民全員を斉一的に大人に仕立て上げるシステムを作るのではなく(それこそ子供の発想だから却下すべし)、現在も好調に機能しているように見えるこの「全国民の規格化・標準化」システムに適度な「ノイズ」を発生させ、局地的な「無秩序」を生み出す必要があると訴えている。

    微力ながら、今後は私もノイズを出し続けて行きたいと思った次第である。
    ※私は社会適応能力がない分、その方面に関しては平均以上だと自負しておりマス…/(^^ゞ

  • 鷲田さんの本だーと手にしたら、自分のもやってた部分がクリアになって、そうそう、それなのよ!と読みながらうなずくことしきり。鷲田さんの文章は好きです。内田さんは分かるけど、言葉が強すぎてちょっと怖い。あ、自分が子どものままだからか、と妙に納得。

  • 内田樹と鷲田清一の対談が気になって購入したものの長らく積ん読になっていた。引越しを機に見つかったので、読んでみた。およそ7年も前に書かれた本なのに、現状でもまったく当てはまることが多い。

    ずいぶん前になるが、カメラの前で泣きわめいていた議員やSTAP細胞の論文問題を例に出すまでもなく、こんな大人でも地位のある役職につくことができるのか?と驚いた。

    本書の出発点は、福祉や教育を発展させたのはよいが、その弊害として、「大人がいなくても回る社会を作り上げてしまったのではないか?」という疑問から始まっている。
    いかにこれまで作り上げてきたシステムを軌道修正するか、または考えをあらためるなら、どこをどうしたらよいのか?について内田氏と鷲田氏がそれぞれ提言している。

    他の先進国の状況を知らないから、なんとも言えないのだが、本当にこれは日本だけの問題なのだろうか?
    ネットに氾濫する匿名による誹謗中傷を見ない日はない。
    内田氏によればこれは「呪い」以外の何物でもないという。
    その発言を引き受ける覚悟と言葉を届ける相手に対する敬いの気持ちなしでは、容易に発言などできないという。
    これには本当に納得したし、自分の肝に銘じた。

    3.11やイスラミックステートの横暴さを知った今、本書が書かれた時よりは、社会から利己主義は減退したかもしれないが、それでも「自己責任」という名の横暴は以前、猛威を振るっている。

    より生きやすい世の中になるように願って本書を閉じた。

  • 内田と鷲田の対談&エッセイ本。
    中身はいいけど、表紙のデザインがやや残念。

    日本はしわくちゃの精神子どもがぬくぬくと生きていけるぐらい、成熟した社会だった。でもこれからは?

    論点は、過剰な愛国心による排外主義、表現の自由による言論抑圧、弱者への配慮。
    内田の言説は他の本でも認められたのでわかりやすい。

    一読して損はない本。
    自分をふりかえってみたいときに。

  • 半分読んで放置していたのを引っ張りだして読んでみたら、最近のモヤモヤが解消されたようにおもえた。「日本には大人が少ない」、それがピッタリだった。当事者でありながら、その枠の外にいるような顔で、正論(のようなもの)を振りかざされるのに辟易としていたところだった。と同時に、自分の生き方はどうなんだと、いつも自信がなくびくびくとしているのだった。きちんとした大人になれているのか不安ではあるが、とにかくどんなときも当事者として地に足をつけて生きていきたいものである。

  • 内田はネット空間の多くの言説は匿名性を前提とした「呪」である、という。ネット世論の「ホンネ」というものが本来前提としなければならない「タテマエ」が、もはや誰にも読まれない新聞の社説欄くらいにしか見られない、加えて当のメディアさえもが数々の不祥事によりそこが割れている状況。これこそまさに「大人のいない国」の一断面である。
    私見では明治以来の日本は一部のエリートに「大人性」を付託することで、機関車の如くレールの上を走ることが出来た。一度の大きな脱線があったが、しかしその後も基本的な構造は変わらず、何事もなかったか如く機関車は走った。ただ、この60年で変わったのは運行を付託されていたエリート達の「非大人性」が露見したこと。鷲田はこれを「大人なしで回る成熟したシステム」と逆説的に評するが、危機的であるのは機関士が眠りこけているのを承知で、「何とかなるさ」と気楽に乗っていられる乗客達の方である。

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著者プロフィール

1949年京都生まれ。哲学者。大阪大学学長、京都市立芸術大学学長を歴任。現在、せんだいメディアテーク館長。現象学研究に始まり「臨床哲学」を提唱・探求する。朝日新聞で「折々のことば」を連載中。
著書に『顔の現象学』『〈弱さ〉のちから』『京都の平熱』『じぶん・この不思議な存在』『「ぐずぐず」の理由』『「待つ」ということ』『「聴く」ことの力――臨床哲学試論』『哲学の使い方』など多数。

「2019年 『生きながらえる術』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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