食の歴史

  • プレジデント社
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784833423618

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    食は生きるための大切な営みだ。それは当たり前だが、では、「どう大切なのか」。食は栄養素を取るためだけの淡白な行為なのか、それとも会話を生み出しコミュニティの発展に寄与する活動なのか。料理とは食材を食べやすく加工するだけのものなのか、それとも文化やアイデンティティを形成する創造的行為なのか。美味しくて便利な出来合いの冷凍食品は、私たちの貴重な時間を食以外の行動に振り分けてくれるが、引き換えに何か重要なものを失う可能性があるのではないか。

    本書『食の歴史』は、公的な場や家庭内で「食」が担ってきた社会的な役割を取り上げながら、「食の効用」について検証していく一冊である。筆者のジャック・アタリは経済学者であり、『21世紀の歴史』を始めとするいくつもの歴史書を執筆している。しかし、今回は「食」という普段と違ったテーマを採用しており、人類学・歴史学の観点から、食の果たしてきた文化的意味合いをなぞっていく歴史書となっている。

    かつて食は会話のテーマであると同時に、おしゃべりの場でもあった。公的な場では社交と儀式を、私的な場ではコミュニティの発展と知識の伝達の役割を担ってきた。より広範な視点から見れば、食性や調理法をきっかけとした文化的アイデンティティが醸成される土壌でもあった。今も昔も「食=文化」であり、食の効用が個人のみならず国全体に寄与しているのは自明の理だろう。

    そうした「食」の方向性がおかしくなってきたのは、産業革命を始めとした「個食化」と、加工食品の生産を始めとした「調理のアウトソーシング」がきっかけである。特に後者は食卓のあり方を激変させた。
    加工食品が工場で生産されるようになったのは20世紀前半からだが、その普及を後押ししたのはアメリカの資本主義だった。アメリカの食品産業界は、食に関して「黙って孤独に食べる」という新しい形式をもたらした。それどころか、消費者に「食卓で無駄な時間をすごすべきではない。食べる時間は退屈なものだ。食のことなどなるべく考えるな」という価値観を植え付けた。これはひとえに、自分たちの商品を効率よく売り上げるための市場戦略であったのだが、当時のアメリカの社会状況――増え続ける賃金と労働時間が、それに正当性をもたらした。時間を捻出する必要に駆られた国民は、大量生産される加工食品を好むようになり、さらにオーブンやガスレンジといった家電の製造技術の進歩が、その傾向を後押しした。次に普及していったのがファストフードであり、注文してからすぐに食べられる(ただし健康に悪い)料理が、経済の上昇とともに世界中に広まっていったのだ。
    このようにして、家族との絆や、文化的・美食的な連帯感は消え失せた。会食という概念は過去のものとなった。議論の場が無くなってしまったため、共通の認識を培うことがきわめて難しくなった。人々は孤独の中で食事をするよう変わっていったのである。
    ――――――――――――――――――――――――――
    筆者の祖国フランスでは今も、食卓における「団らん」を重要視している。食卓につく1日あたりの平均時間は、アメリカ人の1時間2分に対し、フランス人は2時間11分だという。筆者はグローバル規模で個食化が進んでいる傾向を嘆き、生活に食卓を取り戻す試みを提案している。
    日本に住む私たちも、筆者にシンパシーを感じると思う。日本は昔から食育に重きを置いてきた。給食を始めとした「団らん」を推進し、自分で料理をする大切さを理解するよう教育を行ってきた。しかし、ファストフード店の増加や完全栄養食の普及など、日本においても「個食化」の傾向は強まっている。ますます多くの人が食事を「わずらわしいもの」と感じてしまえば、アタリの懸念する悪い未来が訪れるのはそう遠くない。本書を読み、食にまつわる重要な要素を歴史とともに振り返ることで、「食事を楽しむ」意義をぜひ再発見してほしい。

    ――われわれは食を通じて日常のあらゆる課題と向き合うことになる。すなわち、健康管理、他者と会話する能力、弱者に対する配慮、男女関係、国際感覚などだけでなく、仕事、気候、動物界との関係である。とりわけ食により、現在も健康的な食事をとることのできる人々とそうでない人々との不平等が明らかになる。
    つまり、食は歴史の中核に位置する重要な人間活動なのである。未来を理解し、未来に働きかけるには、食に関するあらゆる難問に答えを見出さなければならないのだ。食べることは、これからも会話、創造、反逆、社会的な制御の場であり続けるのか。それとも、われわれはいたるところで静かに加工食品を個食する、自己の殻に閉じこもった他者に無関心なナルシストになるのか。
    ――――――――――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    1 紀元前の食
    狩猟採集時代の人間の食性はきわめて多様だった(野菜、果物、貝類、狩猟肉、乳製品、穀物)。食物の3分の2は野菜であり、多様な品目から脂質と炭水化物を摂取した。火を使って調理したものを食べることにより、腸への負担は減り、消化するためのエネルギーが減ったため、脳の容積は増えた。つまり、ホモ・サピエンスが言語を習得できたのは、火を利用して食べるようになったからなのだ。

    その後、農業と牧畜による定住生活へと移行した人間は、栄養失調のため10年ほど寿命が縮まった。
    彼らは収穫を占い、豊穣を神に感謝するようになった。こうして権力が希少性を制御するようになった。メソポタミアで暮らす人々が大規模集落を形成し、車輪や文字を発明した。人々の数が多くなると、生産量を増加させるためにダムと灌漑用水路を作る必要が生じ、水路を使うには人々が今まで以上に固まって暮らす必要が出てきた。そうして大きな塊となったのが帝国だ。文明の発展は食の発展と共にあったのだ。

    食と言語の誕生は密接な関係にある。食は会話のテーマであると同時に、食事はおしゃべりの場だった。食事中の会話は親交の証しなのだ。逆に、メソポタミアの社会では、食の分かち合いを拒む行為は、敵対心の表れ、あるいは毒殺の意図があると見なされた。

    ユーラシア大陸の東では中国文明をはじめとする様々な国家が発展し、多くの国・宗教において、食事にあたって推奨すべき食材や禁忌が定められた。宗教によっては、肉、香辛料、油といったものは体に刺激が強いため避けるべきであり、穀物や野菜、乳製品が推奨された。鱗やヒレのない海洋生物や、肉食の哺乳類を食べることを禁じる宗教もあった。

    エジプトでは、裕福な人々が「健康を維持する最良の手段は豊かな食事だ」と考えていた。彼らは料理の品ごとに手を洗い、象牙や粘板岩でできた匙を使って食べた。それらの匙のなかには、宗教画が彫ってあるものがあった。
    貧者は穀物や野菜しか食べるものがなかったので、健康維持に必要不可欠なタンパク質などの栄養分が不足した。大洪水や大旱魃が起きるたびに、農民は飢餓に苦しんだ。エジプトの貧民の平均寿命は30歳未満だった。
    食物と言語のつながりはこれまで以上に明白になった。イギリスのエジプト学者ガーディナーが作成した、エジプト文字の記号表において「A2」と名付けられた象形文字は、座った男性が口に手を当てている姿を表している。これはこの記号表にある他の文字との兼ね合いから類推すると、「食べる、飲む、話す、黙る、考える、愛する、憎む」を同時に意味する。
    食べることと話すことのつながりは、この上なく明確だ。

    ユダヤ共同体では、食事のひとときは、社交、安定した人間関係、知識の伝達のための重要な役割を担い続けた。家族は少なくとも安息日の夜だけは食卓に集った。食卓は、子供に教育を施す場であり、共同体のしきたりを決める場であり、旅行者が他の共同体や世界に関するニュースを伝える場であり、子供がさまざまな疑問を投げかける学びの場だった(ユダヤの伝統では、「子供は食卓ではおとなしくする」のではなく、反対に発言するように促された)。

    ギリシアにおける会食の始まりは、神々との関係を修復するための生贄の儀式だった。この儀式では、肉屋が動物(鶏や牛)を処理した。空中(神々)に向けて飛び散った血は、(人間を浄化するために)地面に滴った。儀式が終わると、会食では、食べる時間(ディプノン)とおしゃべりする時間の後に、水で割ったワインを飲む時間(シンポジオン)があった。ギリシア人は、酩酊状態を3つの段階に分けた。1つめは、抑圧から解放されて自由に発言する段階だ。2つめは覚醒する段階だ。3つめは酩酊する段階であり、これは創造性の段階と見なされ、40歳以上の男性だけが享受できる段階だった。18歳未満の若者はワインを飲めなかった。
    ギリシア人にとって、農業を行なわない人々、パンを食べない人々、ワインを飲まない人々は「野蛮人」だった。饗宴を行なわない人々も野蛮人だった。というのは、食事は何よりもまず会話の場だったからだ。食はすなわち言葉だったのだ。


    2 ヨーロッパの食文化の誕生と栄光(1世紀〜17世紀ごろ)
    ヨーロッパの食文化は、15世紀もの歳月を経て多様な食文化が混ざり合って形成された。まずはギリシア、次に、ローマ、アラブ、イタリア、フランスと、数えきれないほどの慣習や産物を組み入れながら、ヨーロッパの食文化は次第に世界の食文化の原型になり、食事の場を通じた会話の機会を提供することにもなった。

    ローマによる統治と、ローマ帝国のほぼ全域に拡大したキリスト教は、食事に関する全ての戒律を次第に緩めていった。
    アラブ世界でイスラーム教が登場すると、食は神の恩恵であり、感謝の念を抱いて控え目にいただくことが美徳になった。新たに登場したイスラーム教は、信者に食事の前後に祈祷するように指導した。生の食物、豚、馬、ペット(犬や猫)、生贄として神に捧げない動物を食べることは禁じられた。動物を食べる前には、その動物が厳格な戒律に従って処理されたかを確認しなければならなかった。
    砂糖と蜂蜜は、まだ貴重品だった。アラブ人はこれらの食材を使って独創的で洗練された食文化を発展させた。ヨーロッパ人の知らない味を組み合わせたのである。当時のアラブの著述家たちは、香辛料、穀物、野菜、塩、コショウというように、食材を分類した。

    11世紀になると、アラブ料理が絶大な影響力を持つようになった。ヨーロッパ人はアラブ料理に夢中になり、自分たちの料理にアラブ料理を取り入れた。ヨーロッパには米や香辛料(生姜、ニンニク、タマネギ、エシャロット)が持ち込まれ、中国から麺類も持ち込まれた。砂糖は相変わらず高級品であった。貿易が始まると食品の保存方法が解明され始め、塩、酢、油、燻製など、さまざまな肉を長期保存する方法が編み出された。ヨーロッパ人は香辛料を探し求め、世界に旅立ち始めた。

    食事は出会いと会話の場であり、これは世界中の旅先においても同様だった。中国では、11世紀の宋の時代に中国各地に建てられた宿屋で、それまで特権階級だけの買物だった麺が食べられるようになった。パリなどの急成長する都市では、パイ、フラン(カスタードプリン)、ガレットなどを売る露店が急増し、とくに巡礼者がよく利用した。
    ヨーロッパでは12世紀以降、巡礼者をもてなす宗教施設が生まれ、「ホテル」という言葉が登場した。交通路はまだきわめて危険であり、こうした宿屋は食事と宿を提供した。これらは民家が民宿に変身したものであった。

    14世紀から16世紀ごろ、ヴェネチアとジェノヴァがきわめて大きな影響力を持つようになると、イタリア料理が躍進する。14世紀のイタリアの栄養学者は、ギリシア人やラテン人と同様に、食物を物質的な特徴(熱い、冷たい、程よい、湿った、乾燥した)に従って分類した。イタリアの栄養学者のなかでも最も有名なのは「ミラノのマギヌス」〔マイノ・ド・マイネリ、医師〕だろう。彼は著書『味覚小論』のなかで、肉、魚、鳥などの素材の特徴に応じた焼き方を記している。脂肪分の多い肉(つまり、湿った肉)は、焼くべきだという。というのは、焼くことによって肉が乾燥するからだ〔脂肪分が落ちる〕。一方、痩せた肉(つまり、乾燥した肉)は茹でるとよいという。よって、乾燥した肉である牛肉は茹で、「熱い」
    ソースを添えて食べるべきとなる。

    貴族の館に雇われたプロの料理人が書いた料理概論が、イギリス、フランス、イタリアで出版されて広く読まれた。アラブ、スペイン、イタリア、フランスの影響が、混ざり合うと同時にぶつかりあった。
    イタリアはヨーロッパの人々に徐々にピザやパスタをもたらし、裕福な者たちに、牛の内臓の網脂、マカロン、白トリュフなど、美食に関する新たな世界を提示した。

    この時期、ヨーロッパの食文化を豊かにしていた要素の1つに、1492年のアメリカ大陸発見がある。ジャガイモ、トウモロコシ、チョコレート、インゲンマメ、トマトといった新しい食材がヨーロッパに持ち込まれた。アメリカ大陸以外の地域からも茶、コーヒーが輸入され始め、ヨーロッパ人の必需品となった。


    3 フランスの食の栄光と飢饉(17世紀中ごろ〜18世紀)
    17世紀に躍進したのはフランス料理だ。このころから、フランスがヨーロッパの美食の規律を決めるようになった。
    フランスはまず、農場のある農村部と城のある都市部において、自国の農業モデル、農産物、食習慣を遵守しながら進め、続いて、計測、均衡、多様性、品質という自国のアイデンティティをなぞる形で、美食術の原則を理論化していった。

    ルイ14世、15世の統治の下、ヴェルサイユ宮殿では贅沢が繰り広げられ、会食は会話ではなく王への服従の見世物となった。貴族の館では、中世の医師の処方に従う者はもはやいなかった。食事は食欲だけでなく美食を満たすためのものだった。味付けの分類方針は、酸味と香辛料風味に代わって、甘味と塩味になった。家禽と狩猟肉が好まれたために、あまり注目されていなかった「肉屋の肉」(牛、豚などの肉)が、再び脚光を浴びるようになった。野菜と果物の人気は高まった。オリーブ、トリュフ、アーティチョークは、かつて果物と見なされて食後に出されていたが、野菜の扱いになった。
    一方、大衆の食生活は極めて質素だった。主食はパンであり、野菜スープ、穀物粥、ごく稀に少量の塩漬けの牛肉を食べた。

    それまでのヨーロッパの食堂では、客は主人の食卓につき、あてがわれる料理を食べていた。ところが、客がメニューから自分の食べたいものを選んで注文する方式が登場すると、こうした食事の場に(それまでの顧客だった庶民ではなく)裕福な者たちが足を運ぶようになったのである。
    世界の中心都市になったロンドンでは、食堂は格調の高い、しばしば贅沢な場所になったが、それとは逆にフランスでは、食堂はまだ庶民が利用する施設だった。そうした事情に変化が訪れた。社会が自由になるにつれて食堂が繁盛したのである。つまり、食堂は民主主義が熟成する表れだったのだ。ヨーロッパにおいてフランスの美食は圧倒的な地位を占めていたが、フランスは金持ちのための食堂をつくるというアイデアをイギリスから取り入れたのである。
    これが「レストラン」だ。

    レストランには貴族や中産階級が訪れるようになり(庶民は減った)、彼らは食べながら自由に語り合った。レストランのテーブルクロスが掛けられた小さなテーブルには、洗練された料理が出された。客には値段の書かれたメニューが渡された。有名な料理人のなかには、職場の宮殿を離れて自分のレストランを開く者も現れた。

    1709年、フランスでは大寒波による飢饉で、当時の人口の3%に相当する60万人が死んだ。パンの価格は10倍に急騰し、フランス全土で暴動が起き、フランス革命が勃発した。


    4 加工食品の登場と会話の消失
    18紀末になると、ヨーロッパ全土において、中産階級であっても貴族や金持ちと似たような食事を味わえるようになった。レストランが君主の食卓に取って代わったのである。レストランでは自由に会話ができるので、そこでは多くのアイデアが生まれた。
    大衆層は工場で働き始めたため、故郷を離れて暮らす人々が増えた。これは食のノマディズムと連帯感の喪失を引き起こした。つまり、食事は次第に会話の場ではなくなったのである。
    増え続ける消費者のために、農産物だけでなく食品も工業生産されるようになった。地主は相変わらず圧倒的な力を持っていたが、本当の権力者は工業資本を握る人物になった。
    世界経済の中心地になりつつあったアメリカは、大衆層が賃金の大半を食費以外の消費財に費やすように仕向けるために、食の工業化を進めながら食品のコスト削減に励んだ。その結果、食事および食事中の会話の内容は根本的に変化した。このようにして、会話によって構築される社会そのものが一変したのである。

    19世紀初頭、世界人口が初の10億人台に達したとき、ヨーロッパでの人口増加、軍事活動の活発化、工業の発展、農産物の生産性向上などにより、大量の人々が都市部へと移住した。彼らは外食を強いられた。そのため、食糧を事前に調理し、調理済みの食糧を貯蔵する手段を開発する必要が生じた。19世紀末には油や砂糖、バターといった必需品が工業生産されるようになった。

    ガストロノミーを満喫する裕福な者たちと対象的に、大衆の食は、パン、ジャガイモ、そしてわずかな肉だった。洗練された食品(チョコレート、コーヒー、砂糖)は特別な場合にだけ食された。農民が工場の労働者になると、彼らは妻が用意した弁当を持参した。弁当の中身はそれまで食べていたものと同じだった。彼らは工場の昼休みに独りでせわしなく弁当を食べた。昼食はおしゃべりの場ではなくなったのである。

    20世紀になると、世界の政治経済の中心はヨーロッパからアメリカへと移行する。アメリカの資本主義は、食に関して「黙って孤独に食べる」という新しい形式をもたらした。人々は食事にかける時間を短縮し、体に悪い食品を食べ、可処分所得に占める食費の割合を削減した。
    アメリカの資本主義は、大衆を納得させるために婉曲な方法をとった。「アメリカには新鮮で、多様で、豊富な食品がある。だが、それらは健康によくない。より質素で人工的な食品が必要なのだ」と大衆に吹聴したのである。こうしてアメリカの大衆は、工業的な管理に基づく食品のほうが健康によいと信じた。さらには、「食卓で無駄な時間をすごすべきではない。食べる時間は退屈なものだ。食のことなどなるべく考えるな」と大衆を説得した。食に対する大衆層の欲求を減らすために怪しげな栄養学をもち出し、味のことは二の次にするために健康上の理由を掲げ、衛生的だとされる安価な工業生産の食品を購入するように仕向けたのである。自分たちの所得のかなりの部分を割いて健康によいものを食べるよりも、独りで素早く食べるほうが効率的だという考えだ。
    このようにして、家族の絆や、文化的、美食的な連帯感は消え失せた。アメリカの国益――特に食品産業界の利益のために、粗食が提供されるようになっていったのである。

    食の製造イノベーションにより食品は安くなった。また、オーブン、ガスレンジ、冷蔵庫といったキッチン作業を効率化する機器が普及し始めた。WW1後には、注文してからすぐに食べられる手軽な料理――ファストフードが広がりを見せる。安価で、脂肪分、塩分、糖分が高く、あっという間に提供される料理が世界中に広まった。
    会食という概念は消失した。議論の場がなくなったため、共通の認識を培うことがきわめて難しくなった。孤独は食べる量を増やす。人々は手当たり次第、何でも食べ、どんな食物でも購入するようになった。消費社会にとって、食卓で食事をしなくなったことは好都合だったのである。


    5 現在と未来
    2019年、世界人口は76億人に達した。
    先進国都市部の中間層は、標準化された食生活を送るようになってきた。彼らは、精白パン、野菜、鶏肉や牛肉、魚、パテ、果物、チョコレート、ジャガイモ、砂糖、香辛料、そして食品業界が生産する加工品やファストフードを食べ、炭酸飲料、ビール、コーヒーなどを飲んでいる。
    新興国の中間層は独自の伝統食を食べ続けながらも、先進国都市部の中間層の消費水準と生活様式に憧れている。したがって、食文化の混合は双方向に進む。すなわち、アジア料理がヨーロッパを席巻すると同時に、ヨーロッパ料理がアジアを席巻しているのだ。その証拠にフランスでは、中華料理や日本食のレストランの店舗数は、アメリカ系のファストフード店よりも多い。
    よって、食のグローバル化は、西側諸国の食文化を中心に統一されているのではなく混合的に進んでおり、各地の特色を基盤にして地域差を保っている。各地域は、特定の地域に由来する料理(ピザ、アイリッシュシチュー、ボルシチ、クスクス、春巻き、トルティーヤ)に、自分たちの食文化に応じて自由に変化を加えているのである。

    一方で、最貧層との食格差は拡大している。2017年の時点でも、毎年910万人が栄養失調で命を落としており、20億人が微量栄養素の不足に悩んでいる。
    最貧層は、果物、野菜、新鮮な肉や魚をまったく食べなくなった。たとえば、貧しいアメリカ人は、赤肉(牛肉と豚肉)(必要量の20倍)と鶏肉(10倍)を過剰に食べる一方で、野菜(半分)と果物(半分以下)をあまり食べない。貧しいアフリカ人の場合はさらにひどく、彼らはでんぷん質の野菜を必要量の7倍も食べている。全員が木の実やマメ科植物の摂取不足である。また、最貧層向けの超加工品(すぐに食べられる加工度の高い食品)が存在する。

    食卓につく1日あたりの平均時間は、アメリカ人は1時間2分、中国人は1時間36分、フランス人は2時間11分、イタリア人は2時間5分だ。
    食堂の消滅とともに、食卓で食べる機会は減りつつある。家族が食卓についても、各自が別々の食物を、テレビを見ながら食べるようになった。食事の消滅と家族の崩壊は相関しているのだ。食生活は、他の活動や娯楽の付属的な行為になり、食事という形式は風化しつつある。スマートフォンの画面を常時眺めながら、だらだら少しずつ食べるようになったのである。

    現在の食料生産は、環境の面から見て相当に有害である。2018年には、地球で生産された食物の3分の1に相当する13億トンの食料がゴミとして捨てられた。肉類や穀物の生産のために、年間3800立法キロメートルの淡水が消費されている。家畜のゲップは温室効果ガスを排出し、食べ物を輸送するにも多くの温室効果ガスが排出される。土壌は急速に破壊されており、自然が残る地域の破壊や森林の伐採の30%は畜産需要によるものだ。野生動物の個体数は全体で60%減った。

    2050年には、世界人口はおよそ90億人に達すると見られている。今日の西側諸国と同じ消費モデルを維持してより多くの人々を養うには、今から2050年までに世界の食糧生産量を70%引き上げなければならない。そのような目標をまともに達成しようとすれば、化学物質の増加や飲料水の涸渇、土壌の荒廃によって地球が壊れてしまう。人類全体が今の中産階級のような食生活を送ることは不可能だろう。

    現状に変化がなければ、食生活のあり方は、次に掲げる5つに区別できる。
    1つめは、ごく一部の裕福な美食家だ。彼らが味わうのは、腕の立つ料理人がレストランで提供する料理だ。
    2つめは、体によいものしか食べない食通だ。彼らは地球のために役立つことをしようとは考えるが、実際には自分たち以外のことを真剣に心配してはいない。
    3つめは、富裕層や食通の食生活を真似ようとする上位中産階級だ。
    4つめは、多数派の下位中産階級だ。彼らは、工業的に製造される食品のおもな顧客だ。これらの食品は、今後ますます地球環境を破壊する。
    5つめは、最貧層だ。彼らは1000年前と似たような食生活を送りながらも、ときには食品業界が提供する劣悪な食品や天然食品を食べる。ただし、天然食品は希少性が増して高値になっていくだろう。

    肉と魚の消費量は、生産量と漁獲量の低迷もあって減っていくことが予想される。2050年には世界人口の3分の1は、自らの意志によってあるいは仕方なく菜食主義者になる。昆虫食が推進される可能性は高い。昆虫食が生育する際に必要とする水の量は、動物よりも少なく、土壌にも優しい。飼料も少なく済み、なにより昆虫はタンパク質をはじめとする栄養が豊富だ。

    台所がなくなる傾向は今後も加速するだろう。都市化が進む社会では、不動産価格はますます上昇し、自宅に台所という料理専用の部屋を確保できる人はさらに減る。
    人々は各自の都合のよい時間に、ちびりちびりと食べるものを冷蔵庫や自販機から取り出して食べるようになる。食物は、個食、もち運び可能、すぐに食べられるという要望に見合うように加工されるだろう。完全調理済みの食がさらに発展し、粉末状および液体状の食品が普及するだろう。
    個食化はこれまで以上に進行する。最初に無くなるのは朝食で、次第に社員食堂などは廃止され、昼食を各自空き時間で詰め込むようになる。最後に家族で食べる夕食が無くなり、食卓は崩壊する。
    家族での食事が消滅すると、とくに子供の教育に深刻な影響がおよぶだろう。というのは、これまで子供は食事中に、大人の意見を聞き、大人と議論し、思考力を養い、家族や社会の一員になる、あるいは大人たちに反抗する術を学んできたからだ。
    会食は、宗教行事や家族の行事、結婚式、誕生祝い、葬式のときのみになる。未来のノマドは、おもに糖分を摂取しながら暮らすことで、孤独を満たそうとする。孤独感がアルコールや薬物に依存しやすくするように、脂肪分や糖分も人を中毒にする。

    会食や美食を楽しむ代わりに、市場経済は自身の健康を監視し続けるように要請する。個人の健康状態をスキャンし続け、孤独による健康への被害を「食べるべきでないものを食べたことによる健康被害」にすり替える。


    6 「食卓」を取り戻せ
    食は、人生と自然を分かち合う1つの方法であり、体と心を最善の状態にするための手段であり、無数の会話がはじまるきっかけである。これを失ってはならない。行動しようではないか。
    ・世界の農村部で暮らす小規模農家に対して補助金、教育活動を行う。肥料にはオーガニック製品を使うよう補助し、有機農業を保護し、持続可能な農業を世界規模で推進していく。
    ・食品会社に対する規制を大幅に強化する。脂肪、塩分、糖分、脂質を減らすよう働きかける。プラスチック容器に対する課税と規制を強化する。
    ・食餌療法――定期的な絶食、腹八分目、肉・糖分・アルコールを控えめにすることを推奨する。小肉多菜、少糖を目指す。
    ・地産地消を推進し、収穫物の輸送の際に発生する二酸化炭素ガスの排出を削減する。
    ・こどもたちに食育を施す。子供に栄養素を教え、糖分、加工食品は避けるよう伝える。さらには、料理を教え、料理法を考えさせ、食事の支度、給仕、後片付けを手伝わせる。食事中の会話はきわめて重要だ。

    会食する習慣を失った国のおもな課題の一つは、崩壊した社会の再生だろう。
    学校では、子供はパンをつくることだけでなく、会話を楽しみ、お互いを理解することを学ぶべきだ。パンのつくり方だけでなく食卓での会話術も教えるのだ。食卓での話題の選び方、テーブルマナー、招かれたときの振る舞い、招きたいと思わせる人物像などを子供に教える。そしてとくに重要なこととして、親は子供が食卓でしゃべるのを禁じてはいけない。
    また、会食の習慣を存続させるには、家や集合住宅の構造も重要だ。居住空間にはできる限り食堂をつくるべきだ。一部の高級マンションにある居住者専用のレストランのように、通常の集合住宅にも共同の食堂を設けてはどうか。こうした食堂で、建物の屋上にある農場の収穫物を利用するのだ。企業の労働組合は、昼食時間の復活を要求事項に掲げ、会食を従業員の社会的な権利として認めさせるのはどうか。

  • 食の歴史を淡々と描くと言うよりは、食育の要素が大きい。
    食べるものではなく、食べることとは何なのか、と言うアプローチは考えさせられる良い機会となった。

  • ジャック・アタリ著、林昌宏訳『食の歴史』(プレジデント社、2020年)は食をテーマに歴史を語る書籍である。現代の飽食の傾向に警鐘を鳴らしている。2018年は13億トンのも食糧がゴミとして捨てられた。これは地球で生産された食物の3分の1に相当する。飽食の時代の恐るべき無駄である。フードロスの削減はSDGsでも掲げられている。飽食の時代からの脱却が必要である。
    一方でステレオタイプな論調を感じる。先進国の貧困層は、家計費に占める食費の割合を減らすために新鮮な食物よりも、食品業界が工業的に作る安価な食品を食べているとする。この対比は理解できるが、その例として貧困層が赤肉と鶏肉を過剰に食べ、野菜と果物をほとんど食べないとする。これはどうだろうか。肉を食べて野菜を食べないことは値段の問題だろうか。肉よりも野菜の方が安いのか。
    処方箋も疑問である。消費者に求められる行動として、家計に占める食費の割合を増やすこととする。フランス人全員がより健康な食生活を送るために1日当たり0.1ユーロ余分に支出すれば、フランスの農民の収入は毎月およそ250ユーロ増えるとする。これでは事業者が豊かな生活を送るために消費者がもっと高価なものを購入してとなってしまう。
    そもそも貧困層は食費を節約するために現在の食生活になっているとしたら、家計に占める食費の割合を増やすことは非現実的な要求である。日本では消費者に歓迎される野菜にモヤシがある。モヤシは工場で生産されており、それ故に安価に供給される。野菜の消費を増やしたいならば植物工場による供給という方向性も考えられないか。

  • ↓利用状況はこちらから↓
    https://mlib3.nit.ac.jp/webopac/BB00554698

  • 近代資本主義以前は食事に対する意識が違う事がわかって勉強になった。みんなで食事を食べて色々な話をして教育、文化なりができてきたのだと理解した。紀元前は虫も食べたし、カバニズムもあった。食品会社と政治の問題はもっと多くの人が注意していかないといけない。何を食べるかも大事だけど、安い居酒屋でもみんなで話しながら食べるのが楽しいよね。

  • 摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB50208365

  • ===qte===
    農林中央金庫理事長 奥和登氏
    人の未来へ思いはせる
    2023/6/17付日本経済新聞 朝刊
    大分県の山村で育った。


    子どものころは魚釣りなど自然の中で遊んでいました。活字への関心は薄く、父の本棚に「レーニン全集」などもありましたが、装飾品のたぐいぐらいにしか思っていませんでした。

    大学受験で浪人していたころ、予備校の講師が授業そっちのけで中原中也やランボーの詩を読み上げ、ギリシャ神話や太宰治について熱っぽく語っていました。「こういう世界があるのか」と刺激を受け、自分でも読んでみました。浪人時代の微妙な心理の影響があったのかもしれません。

    本当の意味で読書に親しむようになったのは就職した後、30~40代のころのことです。職場まで電車で往復3時間半、主に山崎豊子や司馬遼太郎、池波正太郎の小説を読みました。いったん気に入ると、その人の作品をたくさん読み進める読書スタイルです。

    とくに印象に残っている作品の一つつが山崎豊子の『沈まぬ太陽』です。どんなことがあっても負けず、自分の信念を貫き通す。ちょうど自分が管理職になった時期で、大いに励まされました。仕事が難しくなるほど信念を崩さず、心を強く持たなければならないと自分に言い聞かせました。

    東日本大震災が起きたとき、復興対策の担当役員になった。

    震災の後、被災地の暮らしと農業をいかに再開するかが大きな課題になりました。そのとき改めて勉強したいと思ったのが、江戸時代後期に荒廃した農村の復興に取り組んだ二宮尊徳です。関連書をいろいろ探し、読んでみたのが『怠れば、廃る』です。著者の八幡正則さんはJAグループの県組織に勤め、破綻したある地域農協の処理に尽力した人です。

    協同組合運動には様々な理念がありますが、この本を読んで再確認したのは現場での実践が大切だという点です。組合員が何に困っているのかを徹底して聞く。絶対に東京の机の上だけで考えてはいけない。そう自分を戒めました。福島と宮城、岩手の各県に週2日のペースで通い続けました。

    理事長になる前の3カ月間は、明確な目的をもって読書をしました。様々な知識をもとに懸案に対処しなければならないのは当然ですが、もっと必要だと思ったのは心の状態を整えることです。すべての責任が自分にかかってくると考えると、いかに平常心を保つかが重要だと思ったのです。


    そのころ読んだのが、ニクソン元米大統領の『指導者とは』です。ウォーターゲート事件のイメージぐらいしかなかったのですが、チャーチルや吉田茂など各国の指導者のどこが優れているのかが紹介されていて、引き込まれました。「ビジョンを持って周囲を納得させ、人々を動かす」というメッセージが心に響きました。

    こうしてふり返ってみると、何か仕事のヒントにならないかと思い、どこかで関連する分野の本を読んできたように思います。それが書物へのアプローチの仕方の中心でした。

    新型コロナウイルスで以前とは違う本も読むようになった。

    コロナで会食の機会がなくなり、読書にあてることができる時間がぐっと増えました。「世の中はこの先どうなるんだろう」と考えても、答えはなかなか見つかりません。そうした中で読んでみたのがユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』です。

    どうしてホモサピエンスは食物連鎖の頂点に立つことができたのか。そんなテーマについて、著者一流の切り口で整理してくれています。非常に刺激を受け、『ホモ・デウス』や『21Lessons』へと読み進めました。私にとって現在進行形の読書でいろいろなことを考えさせられます。

    これをきっかけに手塚治虫の『火の鳥』シリーズも電子書籍で読み直してみました。高校時代から好きな作品ですが、改めて読むと「自分の知らないことはこんなにたくさんあるのか」と気づきます。物語の表面的な部分ではなく、哲学的な視点や宇宙観に驚かされます。

    コロナでデジタル社会の行方や人類の未来に思いをはせるようになり、読書の楽しさが増えました。

    (聞き手は編集委員 吉田忠則)

    【私の読書遍歴】

    《座右の書》

    『サピエンス全史(上・下)』(ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田裕之訳、河出書房新社)

    《その他愛読書など》
    (1)『火の鳥』(手塚治虫著、手塚プロダクション、全16巻、電子書籍)
    (2)『沈まぬ太陽』(山崎豊子著、新潮文庫、全5巻)
    (3)『怠れば、廃る――二宮尊徳に学ぶ協同の魂と幸せの条件』(八幡正則著、22世紀アート)
    (4)『指導者とは』(リチャード・ニクソン著、徳岡孝夫訳、文春学芸ライブラリー)
    (5)『貞観政要』(呉兢著、道添進編訳、日本能率協会マネジメントセンター)。リーダーには厳しいことを言ってくれる人が周囲にいることが重要だと学んだ。
    (6)『天佑なり(上・下)』(幸田真音著、角川文庫)。財政問題に信念を持って取り組んだ高橋是清の物語。
    (7)『食の歴史』(ジャック・アタリ著、林昌宏訳、プレジデント社)。食に関する本は手当たり次第に読んできた。
    おく・かずと 1983年東京大学農学部卒、農林中央金庫へ。リーマン・ショック時の危機対応や東日本大震災の復興などを担当し、2018年から理事長。

    ===unqte===

    https://www.maff.go.jp/primaff/kanko/review/attach/pdf/220325_pr106_05.pdf

  • #科学道100冊2022

    毎年恒例の企画展示「科学道100冊」に、今年新たに加わった本。

    金沢大学附属図書館所在情報
    ▼▼▼▼▼
    https://www1.lib.kanazawa-u.ac.jp/recordID/catalog.bib/BB29814321

  • noteやひろさん推薦

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著者プロフィール

ジャック・アタリ(Jaques Attali)
1943年アルジェリア生まれ。パリ理工科学校を卒業、1981年大統領特別顧問、1991年欧州復興開発銀行初代総裁。1998年に発展途上国支援のNPOを創設。邦訳著書に『アンチ・エコノミクス』『ノイズ』『カニバリスムの秩序』『21世紀の歴史』『1492 西欧文明の世界支配』など多数。

「2022年 『時間の歴史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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