家族を「する」家―「幸せそうに見える家」と「幸せな家」

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  • プレジデント社
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本棚登録 : 65
感想 : 9
  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784833490603

作品紹介・あらすじ

ベストセラー『「家をつくる」ということ』から3年。芥川賞作家が書き下ろした「家族」って「なる」もの?「する」もの?夫婦は同じ寝室ですか、別室ですか?携帯電話、引きこもり、夫婦別室…幸不幸を分けるものは何。

感想・レビュー・書評

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  • 2000年刊行。

     現代社会において、家族はそこにあるものではない。まして、家族に自然となっていくものでもない。
     家族とは、その構成員が、「(不断に)するもの」なのだ。

     ところが、現代日本では、その家族を「する」ことすら解体しているのではないか?。

     この疑念に対し、現代日本住居の間取り、玩具(特にリカちゃんハウス)、食卓の風景などから解読する。
     確かに、実証分析とは程遠い叙述なのだが、その記述内容は、不思議なほど実感にそぐう。
     本書の読後感は、良い意味での気色の悪さである。

  • 「食」こそ家族の中心テーマだった 毎日一緒に食べるということが家族の当たり前の姿だった 食卓はその家庭の姿を表現している 副札で不可解な問題も元をただせば「家族関係に根本は帰属する」のだ

  • 367.3/F68/2538
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  •  序章で家の中の出来事は全て子供へ移り表層化してしまうことが書かれており、「ドキッ」としてしまった。我が家も若干。。。。ここで引き込まれてしまった。そして、「ふーむ」と考えさせられた。論理展開には強引なところがあるが、それもまた面白い。

    具体的には、さまざまな視点から家を見たときの考察が書かれている。
    妻の視点からはリカちゃんハウスで遊んでいたことが影響していること、夫の視点からは一軒家を持つという夢の背景にあるものとその現実、子供の家として子供部屋のありかたと狂気に走ってしまう子供部屋について等。

    これらの考察から、現代は家を持ったからといって、家族が形付けられるわけではなく、コミュニケーションをとることによって家族をしなければならないと記載されている。昔は家庭内で、仕事も生活も行われていた。従って敢えて家族をすることはなかった、しかし、現在の家族は、家庭でも家庭の外でも個人が別々の場所で別々の時間を過ごすことが多くなり、昔のようなつながりを自然に醸成することができなくなってしまっている。

    夫の立場では稼いで家族が安心して楽しく生活できる環境を提供できればよいと考えてい節があったが、それだけではないということを考えさせられた本である。

    ◆目次◆
    序章  失語の家
    第1章 女の家
    第2章 男の家
    第3章 子どもの家
    第4章 絆としての家
    第5章 夫婦としての家
    第6章 恋愛としての家

  • 365.3/F68/2793
    home

  • 2006.8読了

  • その家の中に何も作れなかった、という話を書いた。家とは何か。器でありながら、その家庭の本質を表す動かない生き物。自由に出入りできない子ども部屋、夫婦別室の意味、携帯電話の食卓破壊など、興味深い内容。家を持つことで歪むものがある、というのは建築業界にいた私としては実感できる。ローンの精神的負担だけでなく、個々ににげる場所ができることで失語の家となっていく不幸。高い買い物だけに、インテリア雑誌を読むよりおすすめ。

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著者プロフィール

1992年『運転士』で芥川賞受賞。ノンフィクションでは『「家をつくる」ということ』『暴走老人!』『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』など。

「2021年 『スマホ断食 コロナ禍のネットの功罪』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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