- Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
- / ISBN・EAN: 9784834000993
感想・レビュー・書評
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前半は、日本の近代児童文学のテクストを作家別に子細に見ていく。どのような問題や限界をはらみ、また可能性の萌芽があったのかを学術的に論考した貴重なもの。
後半は、ファンタジーというジャンルの位置づけをクライマックスに、子どもの文学の使命を論じている。
絶版なのが惜しまれる重要文献。
・小川未明:批評家の読みのふかさにささえられなくてはほとんど成立しない作品とは、いったいなんであろうか。
・浜田広介:人生を「ながめる」態度や心性は幼児のものではない。子どもはもっと能動的で行動しては見、見ては行動するいったエネルギーの持ち主です。
・賢治の思想に目がくらんで、彼の真意を見はずすことになりかねない。賢治その人は、子どもを信頼し、子どもの子どもらしさを尊敬していました。
・賢治は、いつ終わったともわからない日本の筋なし児童文学をはっきりと指摘し、子どもを愛するといいながら、子どもの反応に全く無関心であった当時の児童文学者たちと対立している。
・創作の一筆一筆に苦渋のあとが見えず、理念のあやが表にあらわれないことは、児童文学の本筋。
・児童文学が文学青年のためのものではなくて、子どものための文学であること、そのためには、まずストーリーをもたねばならないことを、新美南吉は、はっきりいいきっています。
・英文学では、聖書についで、マザー・グースの中から多くの言葉が引用されている。
・子どもには子どもの世界があることが発見されたとき、この子どもの架空の世界にはいりうる能力を総動員して、そこに自分の哲学をもりあげ、子どもとともに遊ぶ作家が出てきた。
・20年、30年まえの子どもに何物かを訴えた日本の児童文学が、いまの子どもたちには分からなくなったという現実に、私たちは目を向けなければならない。昔の子どもと、いまの子どもは違ってきたのだ。どちらの子どもが、自分らしく考え、物をいうかということになると、今日の子どもに軍配をあげなければならない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
13.3.2~3.22