わたしが外人だったころ (たくさんのふしぎ傑作集)

著者 :
  • 福音館書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (40ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784834081688

作品紹介・あらすじ

著者の鶴見俊輔さんは、太平洋戦争が始まったとき、アメリカに留学中でした。アメリカにいても、日本に帰ってからも、自分を「外人」だと感じて生きてきた鶴見さん。ただ、その頼りない気分が、今の自分のくらしを支える力になっていると言います。タイトルに留まらず、「今もわたしは外人だ」と述べる著者のメッセージは、読者に「きみも、本当は外人なのではないか?」と問いかけます。

感想・レビュー・書評

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  • 鶴見俊輔さんが亡くなられました。私たちが失ったものは大きな良心と巨大なコモンセンスです──鶴見俊輔・佐々木マキ『わたしが外人だったころ』|野中幸宏|note
    https://note.com/nonakayukihiro/n/n6fab1424f2b5

    わたしが外人だったころ|福音館書店
    https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=1693

  • 児童書だけど、子供には少し難しいかもしれない。
    大人でも、受け止められたのか、読み手の本質が問われると思う。
    短いページ数で淡々と書かれているのでさらっとも読めるし、モヤのように広がる静かな恐怖のようなものも感じる。

    最後の1ページがずしりときた。
    「地球上の人間全体の中で、日本人にとっては、外人のほうが多い。日本人は、外人にとりかこまれて、この世界でくらしているのに、日本人本位に考えるのでは、わたしたちは地球上に住みにくくなります。」

    著者の体験をもっと知りたい。
    あの時代を生きるということの壮絶さ、平和になって海外に自由に行き来できるようになった今の時代はあの時代と変わったのか、恐ろしくもある質問をしてみたかった。

    星3つにしましたが、これは私の人間力ゆえです。
    もっとこの本に値する人間になってから再読したい。

  •  大人になって「そういえばあんなことを言っていた人がいたな。」って思うことがある。絵本や童話は、その時楽しいだけじゃない。そういう価値観が失われていく時代に、子供が大きくなっていくのに、ちょっとあらがってみるのは、大人の責任じゃないだろうか。
     ふとそんなことを考えた絵本です。ブログでも感想を書きました。
     https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202105290000/

  • 1938年、著作者の鶴見さんはアメリカにいました
    高校と大学に通い、大学の三年目のときに日米で戦争が始まりました。
    移民局附属の留置所に入れられ、自分の意思で敗戦するであろう日本に戻ります。

    徴兵され、通訳などの仕事をしていましたが、青春時代を過ごしたアメリカを例え自分が戦死しても憎むことはないだろうと思っていました

    アメリカにいたとき、外人であった。
    日本に暮らしても日本人を外人と感じて生きてきた。

    〇訥々とアメリカで暮らしていたころ、日本に戻ってきてからのことを語る

  • 紹介するのはとても難しい絵本です。
    佐々木マキさんの絵が鶴見俊輔さんが伝えたいことは、こんなことなのかな、こんな心情だったのかな、と想像する助けになりました。

    言葉って何だろう、生きるって何だろう、国って何だろう、戦争って何だろう、個人って何だろう…

    何だろうは、難だろう!?いろんなことを軟らかく考えられる人でありたいな、と思いました。

  • 祖母が死んで、家族に戦争を知る者はなくなった。さて、息子に戦争というものをどうやって伝えたものか。

    子どものころに読んだ戦争の絵本は、早乙女勝元・田島征三「猫は生きている」(名作です)など、空襲や原爆で無辜の市民が殺されていくものばかりだった。
    戦争の残虐が骨身に沁みる一方、それは死そのものへの恐怖なのかもしれず、あの戦争、また戦争というものの輪郭を捉えることはできなかった。

    人の死は描写されないこの絵本では、若い鶴見俊輔が日本から米国へ渡り、日米開戦を経て日本に戻って、戦火をくぐり、敗戦を迎えるまでのこころのふるえが、淡々と語られる。

    大戦を通じふたつの国を外人として生きた鶴見俊輔は、今なおどこにも属することができない。こころのうちはいつも外人としてさまよっている。

    地球上の誰もが誰かにとっての外人ではないのか。
    自分の底では人は誰もが外人ではないのか。
    その問いかけが、理不尽な死よりもいっそう胸に迫る。考えろ。これはほかでもない、自分の物語なのだと。

    「どうして自分が生きのこったか、その理由はわかりません。わたしが何かしたために、死ぬことをまぬかれたというわけではないのです。そのたよりない気分は、敗戦の後も続いており、今もわたしの中にあります。今ではそれが、わたしのくらしをささえている力になっています。」
    「自分の底にむかっておりてゆくと、今も私は外人です。」

  • 声高ではない反戦、かな。幼少期を外国で過ごすと自分の依って立つところがなかなかしっかりしないという話を聞くけれど、どこに行っても外人と感じてしまう・・・厳しいなあと思う。

  • まるでおとぎ話みたいな牧歌的な語り口で戦争の体験が語られる本です(「昔々、おじいさんとおばあさんが住んでいました」という感じです)。
    人が死んだりひどく傷つけられたりするシーンは出てきませんし、激しく感情的になるシーンもありません。
    でも、行間や夢みるような挿絵から、何かが激しく伝わってきて、胸をつかれます。
    人の愚かさと優しさが交互に出てきて、でも、善悪で結論づけたりもしていません。
    国籍ってなんだろう? 憎悪ってなんだろう? 考えてほしい… そんな風に宿題を出されたような本でした。多くの人におすすめしたいです。

  • 鶴見俊輔さんが亡くなって追悼読書第2弾。
    20年前に月刊絵本ででたものがちょうど5月に傑作集入り(ハードカバー化)して、訃報のしばらく前に取り寄せ依頼をしていたもの。まさか追悼読書になるとは思わなかった。
    アメリカ留学中に日米開戦をむかえ、交換船で帰国して海軍に入った話、アメリカにいても、日本に帰ってきても「外人」だった心境をかたり、最後の結びとして、地球規模で考えれば日本人よりも「外人」のほうが圧倒多数のなかでどういう物の考え方をしてゆけばいいのか、と問いかけている。
    小学生から読めて、大人もいっしょに読んで考えたい。はからずも鶴見さんが最期にほんとうに伝えたかった遺言のような作品だった。

  • これも多分、今だからこその本ですね。
    外人ってなんでしょうね。
    鶴見さんのような立場の人間から見れば、それはとても曖昧です。
    多分私たちも、じっくり考えればそれはとても曖昧なのです。
    それがハッキリしていることと思うのは、多分、ひとつだけの見方をしているから。
    それが壊れたとき、人はどうなるのでしょうか。

    分かるのは、外人だろうが、外人じゃなかろうが、人だということです。

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著者プロフィール

922−2015年。哲学者。1942年、ハーヴァード大学哲学科卒。46年、丸山眞男らと「思想の科学」を創刊。65年、小田実らとベ平連を結成。2004年、大江健三郎らと「九条の会」呼びかけ人となる。著書に『アメリカ哲学』『限界芸術論』『アメノウズメ伝』などのほか、エッセイ、共著など多数。『鶴見俊輔集』全17巻もある。

「2022年 『期待と回想』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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